喪失感
俺はお父さんに警察がなぜか事故で処理をしようとしている事を話し、自分の考えも付け加えた。お父さんは明らかに狼狽している様子であった。
「僕が必ず見つけ出してみせます。それまで菜々子さんの部屋で待っていてください!」
もう少し話しを進めてもいいんじゃないかと思ったが、そうなると俺の勘の力まで話が及ぶと思い、後ろ髪を引かれながらも電話を切った。
俺は菜々子のベッドに倒れこんだ。この一年間は菜々子と研究の成功で目が回る忙しさだったのだ。
菜々子の言葉が耳元で弾ける。
――私は今、お父さんと、お母さんに飼われているだけなのよ……
言わんとすることは分かる。立派なマンションに高そうなグランドピアノ。菜々子が今度ドイツで開かれるコンクールで賞レースを勝ち抜き、プロデビューしたいと猛稽古しているのも飼われている今の状態から解き放たれたいがためであろう。
そうなれば菜々子は時の人となり、何処か遠くへ行ってしまいそうな気がする。
しかし、俺の方も負けてはいない。何せタイムマシンの開発者なのだから。後は初号機をもっとシャープにした、二号機の発表のみであった。これが世に出れば、ノーベル物理学賞は確実であった。
そうなれば、俺の方が小村先生との共同研究者として、いちやくスポットライトを浴びて時の人となるのだ。
すでに特許は申請済みである。論文も発表してある。これで巨万の富を手に出来るはずだ。
それを思うと自然と手に汗を握る。が、今はやはり菜々子が失踪した喪失感が勝る。
菜々子と再開できる筈だと勘が告げている。
この部屋で過ごした様々な時。笑い合い、抱きしめ合い、これから巡る明るい未来を語り合った場所。それらが頭の中をめぐり、つい涙してしまった。癇癪持ちの俺を諌め、時にはきっぱりと俺の非を
ひとしきり泣いた後は腹が減ってきた。俺は車を出し、近くの食堂へ向かった。
なぜ、警察がご両親よりも先に俺を呼び出したのか。今度のコンクールで両親に弱味を見せないように、電話番号と履歴をケータイから消してしまっていたかららしかった。いわば背水の陣だ。それはお父さんから聞いた。
喪失感……ここに菜々子がいないからではない何か。菜々子が、自らの意思で失踪した可能性。そこに喪失感を感じているのが今ではハッキリと理解できる。
何時間そうしていただろう。俺はいつの間にか菜々子のベッドで眠ってしまっていた。
ピンポーン
菜々子のご両親が到着したようだ。俺は玄関に飛んでいった。挨拶もそこそこに現場の様子を聞いてみる。
「土門君だったね。いつも娘が世話になって申し訳ない。私も現場に行って、同じ違和感を感じたよ。しかしすごい推理力だね。普通の人ならそんな事には気づかなくて、ただただ嘆き悲しむだけだろうに」
俺はお母さんが近くのスーパーで買ってきた弁当とお惣菜をよばれる事になった。三人、無言で晩御飯を掻き込む。
「警察には捜索願いを出しておきました。ただ……」
「ただ……なにかね?」
「いえ、僕の勘では単純な誘拐事件じゃあなくて、もっと複雑な……そう、菜々子さん本人の意思で失踪したというか……そんな気がするんです」
お父さんは弁当を食べる手を止めた。
「菜々子本人の意思で?」
「そうです。」
「誘拐じゃあなくて?」
「あくまで勘ですけど……僕の勘は、ほとんどが当たります。こんな事、信じろというのが無理な話だとは思いますけど」
ご両親はあっけにとられた様子だったが、お父さんが咳払いをし、真剣になって問うてくる。
「では、拉致監禁などされていないということかね」
俺の話はどうやら信じてくれたようだ。
「ええ。この時間軸ではないどこかに菜々子さんがいるような気がします」
「現在の時間軸ではない……?」
お父さんは不思議そうな顔をしている。しかしその枯れた顔は何にでもすがりたい様子であった。
「平行世界をご存知ですか」
俺が基礎から教えようとすると、お父さんもお母さんもソファーに深くかけ直す。
「一度現在の時間軸を離れると時間がスリップし、現在のこの時間軸と平行世界を自由に往復できるようになります。その方法はグラビトンという素粒子を溜め込み、一気に解放することで時空の狭間をつくり、そこに入り込みます。いわゆるタイムスリップをするのです」
ご両親は、顔を見つめあっている。俺は話しを続ける。
「ぼくが師事している小村先生は極秘でタイムスリップの研究を続けており、僕は先生の研究を元にとある論文を発表しました。それがグラビトンを使ったタイムスリップの可能性でした。タイムスリップを起こす小さなチップを完成させると、まず犬を使った実験に成功しています。まだ人を使った実験はしていませんが……これで時空を飛び越え菜々子さんを探してくる予定です」
俺は腕時計形のタイムマシーンを取り出し、ご両親に見せた。二人とも興味津々でその腕時計を覗き見た。白く輝くそれは無限の可能性を持って、そこに燦然と輝いていた。
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