第131-②話 少年の過去 -父親-
時は流れ、2月の中旬。桂華が逮捕されて数日が経った
事件後のゴタゴタが終わった後、コウは再びあの施設に預けられた。事の顛末を知らされた職員は、まるで腫れ物を触るような扱いを彼にしていた。それを見ていた子供達は真似し、彼に近づこうとはしなかった
コウはそれを気にしていなかった。あの一件で心に大きな傷を負った彼にとっては、人間と関わることが少ないこの環境はむしろプラスに働いていた
そんな歪な平穏を壊す者が、彼の前に現れた
『おはよう、君が
不意に後ろから聴こえたのは知らない声。振り向くと、そこにいたのは果物が入った籠を持った白衣姿の男。コウに目線を合わせるようにゆっくりとしゃがみ、そして微笑んだ
『…おにいさん、だれ…?』
『俺は
『……』
『…えと、お父さんだよ。君を迎えに来たんだ』
いきなり現れた父親と名乗る謎の男に、コウは警戒せざるを得なかった。今まで出会ってきた人間とは少し違う空気を感じて思わず後ずさり、読んでいた本で顔を隠した
『あぁ、いきなりごめんね? …怖いだろうけど、俺とお話ししてほしいんだ。ダメ…かな?』
『…する』
『…ありがとう。すみません、何処か部屋空いていませんか?』
『あっ、はい。案内いたします』
『ありがとうございます』
職員に着いていく春慈に着いていく。空き部屋に案内してくれた職員に、春慈はもう一度挨拶をしコウを手招きする
中に入り隣り合わせで長椅子に座るが、コウは緊張しているのか俯いていて春慈を見ていない。籠をテーブルに置いた音に驚いたのか、身体が跳ね握り拳を強く握った
『何か食べるかい?』
『…いらn』グウゥ~…
『フフッ、遠慮しないでいいんだよ』
緊張を解そうとした春慈はリンゴを手に取り、どこからか出したナイフで切り始める。手先が器用なのかあっという間に切り終わり、お皿に並べてコウに差し出した
乗っていたのはくし切りや、うさぎ切り等色々な形のもの。それに興味を持ったコウは、その一つを手に取り頬張った
『どうだ?』
『…おいしい』
『それは良かった。もっと食べていいんだぞ?』
そう言われ、1つ、また1つと食べていく。その様子を見て楽しそうにしている春慈。それを見ていたコウの瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が浮かんだ
『…辛かったな。ごめんな、迎えに来るのが遅くなって』
優しい言葉をもらい、頭を撫でられ抱き締められる。抑えていた感情が爆発し、コウは春慈の胸の中で泣いた
*
『コウ、俺と一緒に行こう?』
暫くしてコウが泣き止むと、春慈は彼に提案をした
『コウがいいなら、直ぐにでも一緒に暮らせるよ。それにお父さんの友達も沢山いるんだ。みんなで遊んだり、ご飯食べたり、ゲームだって出来る。きっと楽しい毎日になるよ。楽しくて楽しくて、色んなこと忘れられるよ?どうかな?』
内心、コウは寂しかった。一人でいることが嫌だった。心の拠り所が欲しかった。優しさをくれる人と一緒にいたかった
『…おとう…さん…』
『…どうしたんだい?コウ?』
『…! ぼく、いっしょにいく…!』
『…そっか…ありがとう…!』
だから、その誘いに、簡単に乗ってしまった
『何か持っていく物はあるかい?』
『だいじょうぶ』
『そっか。なら早速行こう』
手を繋ぎ部屋を出て職員達に挨拶をし、コウと春慈は車に乗り込み施設を後にした
車の中で大人しくしていたが、未来への希望は顔に溢れ出ていた。何をしようか、何が出来るのか、考えただけでワクワクが止まらなかった
その先にある、更に残酷な未来なんて、この時は微塵も知らなかった
*
『ここが、俺の家だ』
『うわぁ…おおきい…!』
着いた場所は、外観は住宅地に並んでいるような二階建ての家。しかし横に広く、とても一人で住むような場所ではなかった
『ここは研究所でもあるんだよ』
『けんきゅうじょ…?』
『そう。お父さんは薬の研究をしているんだ』
ここは家でもあり、春慈が経営する研究所でもあった。中に入ると慌ただしく人々が動いており、なにやら難しいことを話している声がする
その中で、左胸にバッジをつけた白衣を着た人が数人いた。全員横に綺麗に並び、二人にお辞儀をした
『室長、お帰りなさい。この子が件の子ですか?』
『あぁ、この子がコウだ。皆、今日から仲良くしてくれ』
『分かりました。よろしくね、コウくん?』
『う、うん…』
二人に挨拶をし、研究員達は散々になっていく。親しげに話し掛けられたコウは、恐怖からか上手く返事が出来なかった
『心配しなくてもいい。皆良い奴だ。…まぁ、来て早々は難しいだろうからゆっくり仲良くなっていこうな?』
『…うん』
◆
そこから3日間、コウは研究員達と遊んだり、美味しいご飯を食べたり、絵本を読んだりと楽しい毎日を過ごしていた。春慈が言っていた通り、桂華との苦い思い出を忘れるくらいの日々だった
すれ違うと、皆はコウに時に優しく、時に元気に挨拶をしてくれた。いつも気にかけてくれていた。それが嬉しくて、彼はいつも笑顔だった
そして4日目の朝。コウは春慈の研究室にいた。丁度ご飯を食べ終わった際に呼ばれ、不思議な顔をしながらも着いていった
『おとうさん、どうしたの?』
『実はな、コウに実験のお手伝いを頼みたいんだ』
『おてつだい?』
『そう。これはコウにしか出来ないことなんだ』
深刻そうな表情でコウを見つめる春慈。自分に何が出来るのかは全く分からなかったが、力になれるのなら、喜んでくれるならしたいと彼は決意した
『ぼく、おてつだいするよ!』
『本当か!?ありがとなぁコウ!それじゃあ早速ここに座ってくれ』
指定された椅子に座ると、両手足を拘束され、身体のあちこちに電極を付けられた。ガッチリ固定されていて、動くことは出来そうにない
『まずは健康状態を調べるからな』
モニターには心電図のようなものが映り、数字や文字が浮かんでいる
『どうだ?』
『問題ありません。しかし…室長が予想した結果は得られていません』
『そうか。一応それも記録しとけ』
モニターから目を反らし、春慈は次の作業に移る。ポケットからペンチを取り出し、コウの親指に当てた
『それ、なににつかうの?』
『これはな────こう使うんだよっと!』
ブチブチィッ!と嫌な音がした。何をされたのか分からなかったコウだったが、春慈が持っているものと、自分の左手の親指の状態を照らし合わせた
理解した瞬間、激痛が彼の身体を走った
『うあああああああああ!?!?!?』
響き渡る絶叫。ボタボタと床に落ちる赤い液体は、彼の親指から滴っていた
春慈は、コウの指の爪を力任せに引き剥がした
『おーおーすげぇな。この調子で次の工程も頼むぜっと!』
今度は左手の小指を握り、思いっきり上方向に折り曲げた。ボギッ!という骨が折れる音がし、コウの身体は痛みで跳ね上がった
『……!?────!!!』
『フハハッ!声にもならねぇか!そりゃそうか!』
苦痛に悶えているコウに対し、愉快そうに笑う春慈。引き剥がした爪を試験管に入れ、食い付くように見つめている
『なん…おと…さ…』
『なんでこんなことしたかって?さっきも言ったろ?実験の為だってな。お前に優しくしてたのも実験の内だ。幸福に満ちていた時と、絶望に染まった時の違いを出すためのな。いやぁ疲れたぜ?お前みたいなガキに合わせるのはよ。だが頑張った甲斐があった!こいつらにも協力してもらった甲斐があったってもんだ!なんせ欲しいものがやっと手に入ったんだからなぁ!』
早口で捲し立てる春慈と、それを聴いて楽しそうな周りの研究員達。堪えきれなくなったのか一人が笑うと、それにつられて全員が大声でコウを笑った
『おい、あれの数値は?』
『全く現れていませんね』
『そうか残念だ。ホント、残念だ』
残念だと口にしながらも、微塵もそんな態度を取ることのない春慈。コウの髪を乱暴に掴み顔を上げさせ、悪意溢れる笑みを浮かべた
『これからよろしくな、俺の大切な
それを聴き、コウは意識を失った
*
『うぅ…』
気づいたら別の場所に横たわっていた。そこはここに来てから使っていた綺麗な部屋ではなく、牢屋のように寒く殺風景な場所だった。ベッドや布団もなく、寝る場所は硬く冷たい床しかない
左手に走る激痛はまだ消えていない。包帯が巻かれているがそれも気休め程度。身体を丸め痛みに耐えるコウは、先程のことを思い出し、理解した
全て嘘だった。全て彼を陥れる為の罠だった
あの幸せだった時間は、全て幻想だった
これからどうなってしまうのか。何をされるのか。考えただけで怖くて仕方がなかったが、とにかくまずはこの痛みから解放されたかった。だから強く願った。早くこの怪我が治るようにと
その願いは、叶ってしまうことになる
◆
『おはようさん、コウ。今日も頼むぜ?昨日は結局欲しかった結果は出なかったからなぁ』
『……』
『あら~ん?返事くらいしてくれてもいいんじゃねぇの~?』
早朝。コウは昨日と同じように拘束されている。そんな状態で話し掛けられても、返事がないのは当然のことである
『まぁいい。まずは確認からだ』
左手の包帯を無理矢理剥がされ、コウに再び苦痛の表情が浮かび上がる
しかし次の瞬間、それは驚愕に変わった
『…え?』
『…ハハハ!思った通りだ!』
コウの親指の爪は、綺麗に生え変わっていた
普通であればあり得ない再生速度。それを予測していたかのような春慈の反応。何がなんだか分からず、コウはただ困惑するばかりだった
『おい!数値はどうだ!?』
『微弱ながらも、昨日はなかった反応が確認できます!これがあの…!』
『あぁそうだ!コウ!やっぱお前最高だわ!サンドスターを宿した人間なんて後にも先にもお前だけだろうしな!』
『さんど…すたー…?』
『それが治ってる理由だ。つまり、お前の身体は研究にもってこいってことだよ!』
今度は左手の人差し指の爪を引き剥がす。声にならない悲鳴を上げるコウに対し、春慈は相変わらず嬉しそうに彼を見ている
『これで爪からも良い結果が出るだろ。んで、次はこれっと』
次に取り出したのは、煙草とライター。それに火をつけ、春慈は一服する。吸ってはたまに煙をコウに向かって吐き出す。咳き込むコウを尻目に煙草を吸い続ける。残り僅かになったそれをコウに近づけ…
『さて、灰皿は~っと…おっと、こんなところにあったか』
右腕に、思いきり押し付けた
『んぐっ…ぅぅぅぅぅ…!』
『おっ!声を上げないなんて偉いじゃないか!頑張れ頑張れ!』
ぐりぐりと更に強く押し付けられるが、コウはそれも必死で耐える。数秒してやっと離されたその場所には、くっきりと火傷の痕が残っていた
『よし、これくらいやりゃあ明日変化があっても分かるだろ。さぁ次やるぞー。さっさと準備しろよー』
『…!?』
『ん?なにビックリしてんだ?本番はこっからに決まってんだろ?いい結果、期待してるからな?』
恐怖で身体を震わせるコウの肩を叩き、春慈は部屋から出ていった。コウの呼び止めようとする声も、泣き叫ぶ声も、春慈の耳に届くことはなかった
◆
次の日も、その次の日も、コウは実験台として研究室にいた
『ハハハ!良い声で泣くじゃねぇか!その調子でがんばってくれよ!おい!もっと出力上げろ!じゃないとテストにならないからな!』
ある時は耐久テストと称して、電流を数時間流され続けたこともあった。叫んでも止まることはなく、気絶しても無理矢理起こされ続けられた
『おら起きろ!続きやるぞ!』
ある時は冷水をかけられ目覚めさせられた。コウが身体を震わせても、誰も何もせず淡々と実験を続けた
『チッ…使えねぇな…!』
ある時は望んだ結果が出ないと罵られ、暴力を振るわれた。その時に負った怪我は、当然のように放置された
『さっさと立てやこの愚図が!』
ある時は劇薬を注入された。立っていることさえ困難になることをを知っていながら、彼に無情な言葉を吐いた
それでも身体は痛みを伴いながら再生する。普通であれば耐えられないようなことでも、コウは自身の内にあるサンドスターによって耐えることが出来てしまう
彼にとっては、まさに生き地獄の日々だった
◆
コウがこの研究所に来て、1週間以上が経った。実験と称した拷問は続いており、今日もまた始まろうとしていた
『飯食ったか?今日は更に──』
『…だよ』
『──あん?』
『もう…やだよ…。もう…いたいのやだ…』
虚ろな瞳から涙が溢れる。それは、彼の心に僅かに残っていた、精一杯の抵抗の意志だった
『何バカなこと言ってんだお前は』
そんな儚い願いも、大きな力によって簡単に吐き捨てられる
『お前のような化物が何望んでんだ?お前はこうでいいんだよ。むしろ使い道を見出だしてる俺達に感謝してほしいくらいだぜ』
ヒトに向けるとは思えない言葉の数々。ヒトにする事とは思えない所業の数々。それらは全て、彼をヒトとして見ていなかったから。その行いへの罪悪感や謝意等は、彼等の心には微塵もない
改めて向けられたその悪意は、既に壊れそうなくらいにボロボロだったコウの心を、この瞬間完全に打ち砕いてしまった
──それが皮肉にも、彼の内に眠る力を覚醒させる、最後の引き金となる
『ウゥ…アアアアアアァァァァァァ!!!』
『…おっ…?』
『室長!彼の身体の中のサンドスター濃度が急激に上昇しています!これはまさか…!』
『オイオイオイ…!ついに来るんじゃねえか!?』
今まで観測されなかった多大な変化に戸惑う研究員達と、一人だけ興奮している春慈。コウに起こっている異変を、彼は瞬きすら勿体無いと言わんばかりに凝視している
『ヴヴヴ…ヴヴ…!』
ザワザワとコウの髪が逆立っていく。身体がこの世のものとは思えないくらいの輝きに包まれ、彼は姿を大きく変えた
彼の腰辺りには、
その姿に似た人物を、春慈は知っていた
『…まさかその力、ヤマタノオロチか…!?』
『ヴオ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"オ"!!!』
四本の尻尾が、なりふり構わず振り回される。部屋にあるパソコンやモニター等様々な物は、一瞬にして無惨な姿へと変わっていく
そして、バギィンッ!と拘束椅子を難なく破壊し、
『ちっ…!総員、直ちに退避しろ!命が惜しかったらな!』
号令を合図に、次々と逃げていく研究員。一人残った春慈は、コウと真正面から向かい合った
『本当に最高だぜお前…!その力、絶対にものにしてやる!』
何処までも強欲で、貪欲で、無謀な願いを掲げながら
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