第131-①話 少年の過去 -母親-


「俺があいつにのは、物心がついた頃だった」


時代は彼が3歳の頃。場面は路上から綺麗な施設の中に変わる


コウとキングコブラが目にしているのは、複数人の子供と大人。楽しくおしゃべりをしたり、おもちゃで遊んだり、おままごとをしたりしていた


そんな中、一際目立つ髪色をした子供が、部屋の端の方で一人寂しそうに絵本を読んでいた


「あれは…」

「そう、俺だよ」


その子供は紅い髪色をした男の子…コウだった


彼は産まれて直ぐに母親である桂華から離れ、後に施設で暮らすことになった。彼女が彼を育てるという選択を取らなかったからだ


だがその日、突然桂華は施設に現れた。そこの職員と一緒に、彼のところにやって来た


『コウくん、今日から君は、お母さんと暮らすんだよ』


『おかあ…さん…?』


『そう。この人が、君のお母さん』


“お母さん” という言葉に、彼は心を踊らせた


外で散歩をしている際、親子が手を繋いで仲良く歩いているのを見たことがあった。他の子が養子として誰かの家に迎え入れられ、笑顔で施設から出ていったりすることがあった


それを彼はとても羨ましそうに見ていた。自分もあんな風に、家族と一緒にいたいと願っていた


その願いが思わぬ形で叶ったのだが、彼は何を話せばいいのか分からなかった。いきなりお母さんと呼んでいいのかも分からず、黙って桂華を見つめていた


『…行くわよ。ついてきなさい』

『あっ…うん!』


数秒経ってから交わした会話はたったの一言だけ。それだけでも、コウにとっては特別なものだった


ここからの未来に、大きな期待が持てるほどに


タクシーに乗り込んで大体30分。着いたのはとあるアパートの一階の一室。そこそこ広く、小さいながらも彼専用の部屋もあった


着替えや日用品を整理していく。淡々と作業を進める桂華を見て、コウはどうするか悩んでいた。施設を出てからは、二人の間に会話がなかったからだ



『あの…おかあさん!』



意を決して、コウは桂華に駆け寄り、元気な声で呼んでみた。どんな反応をするのか、期待と不安を抱きながら返事を待った



『…私をそんな風に呼ばないでちょうだい』



その返事は、とても無情だった



『…え?』


『え?じゃないわよ。言った意味が分からない?お母さんって呼ぶなって言ったの。母とかママとかもやめてよね。そんなの虫酸が走るわ』



意味が分からずその場に立ち尽くしてしまうコウと、何事もなかったかのように作業に戻る桂華



『…いつまでボーッとしてるの!?早く動きなさい!』



大声で怒鳴られたことで、やっと拘束が解かれたコウ。引っ越し作業が終わると、桂華は何も言わずに部屋から出ていった。その背中を、彼はただ呆然と眺めることしか出来なかった





それから、コウと桂華の日々は過ぎていった



二人きりの生活が始まるかと思いきや、彼女は間も無くして家政婦を雇った。その人に家のこと、コウのこと全てを任せるようになり、自分は一人で何処かへ出掛けることが多くなった


任せると言っても、コウとの接触は必要最低限で、仕事を終えると直ぐに帰ってしまう。その為、彼は1日の殆どを独りで過ごしていた。食事は朝一辺に作られるため、彼はいつも保温された料理を一人で食べていた


そんな息苦しい毎日を彼は過ごしていた。1ヶ月程経っても、それが改善する様子はなかった


そして、段々とその日々は、更に歪なものになっていく





その日は珍しく、二人で向かい合って夕食をとっていた。誰かと食事をするということが久しい彼にとってそれは嬉しいことだったが、同時に緊張もしていた為何も話せなかった


桂華に気づかれないように様子を伺いながら、ご飯を口に運んでいく。話しかけるタイミングをじっくりと図っていた


『あっ…!』


注意を向けすぎた結果、お皿を床に落としてしまった。ガシャーン!と大きな音を立てて割れるお皿と飛び散るおかず達を、コウは急いで拾おうとした


『いたっ…』


それらを拾おうとした際に破片で指を切ってしまい、血が床にポタポタと垂れてしまった



『ちょっと何してるのよ!床が汚れるじゃない!』



桂華が放った言葉は、親が言うこととは思えないものだった



『ご…ごめんなさい…』


『食事中に血なんて見せないでよ!食欲なくなったじゃない!もう最悪だわ!』


『…ごめんなさい』



心配する様子も言葉もなく、あるのは過剰な怒りだけ。それに対して、コウはただ謝ることしか出来なかった


食事を止め、ソファに座りテレビを観始める桂華を見ながら、コウは注意深く掃除をしていく。見落としが無いか入念に確認した後、彼は静かに自分の部屋に戻り眠りについた



この出来事から、コウに対する桂華の対応が顕著なものになっていく




『ちょっと!無駄に水道使わないでよ!』

『ごめんなさい…のどかわいて…』

『それくらい我慢しなさい!』

『…はい』



『あの…おかあ…あっ…』

『…その呼び方、やめてって言ったわよね…!?』

『ごめんなさい!ごめんなさい!』

『何回も!言わせんじゃ!ないわよ!本当に!馬鹿な子だわ!』



『ゲホッ…ゲホッ…』

『あぁもう!こっち向いて咳しないでよ鬱陶しい!』

『ご…ごめんなさい…』

『謝るくらいなら最初から風邪なんて引かないでちょうだい!全く本当に面倒くさい子ね!』

『…ごめんなさい』

『チッ…出掛けてくるから勝手にくたばらないでよ!そうなったら色々と大変なんだから!』

『い…ってらっしゃ…い』

『ふん!』



『ハァ…ハァ…』

『早くしなさい!本当に愚図ねあんたは!』

『ご…ごめんなさい…』

『チッ…こんな軽いのも持てないなんて…使えない子だわ!』

『ぁぅ…』




コウが何かをする度に、桂華は彼に罵倒を浴びせた。時には暴力を振るうこともあった。風邪を引いた彼を放置し、外へ遊びに行ったこともあった


珍しく一緒に出掛けることが出来たと思ったら、ただの荷物持ちとして使われた。だが最終的に役立たずと言われ、罰として彼は外出を禁止された


季節が変わっていくにつれ、彼への態度は悪化していった。まるでサンドバッグを殴るかのように、ストレスを解消するかのように、彼が何もしていなくても桂華は暴力を振るった


家政婦はこのことを知りながらも、見てみぬふりをしていた。怒鳴り声が響いている筈なのに、アパートの住人は知らん顔をしていた。下手に関わって、トラブルに巻き込まれたくなかったからだ


それでも彼は耐えていた。他に行く場所も無かったから。他に頼れる人もいないから。これ以上彼女に迷惑をかけたくなかったから


何よりも信じていた。時間が立てばこの苦痛はなくなると。その時に彼女は、自分を受け入れて、笑顔を見せてくれるのだと


だから彼は彼女に何も言わなかった。叩かれようが、殴られようが、蹴られようが、罵られようが…その瞳には、まだ希望を宿していた



そんな希望も、直ぐに失くなってしまうことになる






月日は流れ1月の下旬。桂華はいつも通り何処かへ出掛け、家政婦は本日分の仕事をさっさと終わらせて帰ってしまった。つまり、家にいるのはコウだけ


その隙を狙って、彼はリビングへ入りテレビを付けた。娯楽が少なく、狭い空間で毎日を過ごす彼にとって、この一瞬とも言える時間は貴重だった


遅めの朝ごはんを黙々と食べながら適当にチャンネルを弄っていると、とある番組が目に留まった


『射命丸さん、今女性の間では、プレゼントに花を贈るのが流行っているそうですね』

『そうなんですよ犬走さん!私の妹も友達の誕生日に花をプレゼントしたんです!私も母の誕生日にあげようかな~なんて思ってますね!』

『それは素敵ですね。街でも花屋が大忙しだそうです。では中継を繋げてみましょう。現場の姫海棠さ~ん?』

『…は~い!本日は今一番注目されている花屋、 “フラワーショップ風見かざみ” に来ていま~す!』


それはニュース番組で、花屋や道行く人等にインタビューをする場面が次々と流れていた。誰も彼もが、幸せそうに色とりどりの花を手にしていた


誕生日と聞いたコウの心にあるアイデアが浮かぶ。それは、桂華にプレゼントを贈るということ。彼女の誕生日はもうすぐだったからだ


外出禁止という言い付けを守ってきた彼だったが、その想いは止められず、リビングの窓を開けて外に出た


彼の住む場所の近くには、小さな子供でも直ぐに行ける土手がある。そこに咲いている花をまとめ、花束としてプレゼントしようと考えた



『おいボウズ、そんな急いで何処に行く気だ?』



家を出て直ぐに、自転車に乗った男性に声をかけられた


『プレゼントをさがしにいくんだよ』


『プレゼントを探す?何をあげるか決まってないのか?』


『おはなをあげるよ。でもぼくおかねないからさがしにいくの』


『…成る程、土手に行くのか。だがお前さんのようなおチビが一人で行くのは危ないぞ?俺のような怖い人に拐われるかもしれないしな?』


『おにいさんはそんなことしないよ』


『ほう?どうしてそう思う?』


『だっておにいさんは “おまわりさん” だもん。おまわりさんはみんなをまもるんだよ?』


被っている帽子と服装から、コウは彼が警察官だということを見破っていた。だからこそ落ち着いて話をしていたのだ。即行で嘘がバレたその男は、感心した様子で頷いていた


『でもボウズ、家の鍵はちゃんと閉めたか?』


『あっ…してない…』


『だと思ったぞ。あぶねぇなぁ』


プレゼントのことで頭がいっぱいだった為、戸締まりに関しては全く考えていなかった。どうしようかと悩んでいた彼を見て、男は手をポンッ!と叩いた


『そうだ、正体を見破ったご褒美をやるよ』


自転車の荷台にくくりつけてあったボックスから、男は数本の花を取り出した。種類はパンジーで、黄色、紫、白と、カラフルで綺麗な小さな花束を渡してくれた


『ほらよ。遠慮せず持ってけ』


『え?で、でもぼくおかねない…』


『気にすんなって。お節介で貰ったやつだからおまわりさんいらねぇのよ。むしろ貰ってくれや』


ポンッとコウの頭に手を乗せ、ガシガシと撫でる男。半ば強引に持たせられ返すに返せず、そのまま貰うことにした


『そういや、誰にプレゼントするんだ?』


『えと…おか……おんなのひと…』


『…そうか。喜んでもらえるといいな。んじゃな』


男は帽子を深く被りパトロールへ戻っていった。家に入ったコウは窓の鍵を閉め直し、桂華が戻ってくるまで花を丁寧に扱っていた



*



それから一時間。その日は珍しく、午前中に桂華は帰ってきた。乱暴に玄関の扉を開閉し、彼女はソファにドサッと座った。そのタイミングを見計らってコウは部屋を出た


『あの…』

『…出てくるなって言ったの忘れたの?』

『…ごめんなさい。でも…これ…!』


後ろに回した手を前に持っていく。差し出されたのは綺麗な花束



『その…まだだけど…おたんじょうび、おめで──』



パシィンッ!



『──と…う…?』



一瞬、何が起きたか彼は分からなかった。視線を下に動かすことで、ようやく何が起きたかを理解した


花束を叩き落とされた。足元には、パンジーがバラバラに散らばってた



『ふざけんじゃないわよ…!』



声のする方を見た瞬間、頬に痛みが走った。その衝撃で尻餅をついた彼を、塵を見るような瞳で彼女は見下す



『あれだけ外に出るなって言ったでしょ!?』

『ご、ごめんなさい。でも…』

『うるさい!言い訳なんて聴きたくない!』



彼の謝罪も弁解も、彼女にはもう届かなかった。とてもじゃないが、話が出来る状態ではなかった



押し付けるなんて何考えてるのよ!』



パンジーが踏みつけられる。花びらが散り、茎は折れ、元々の美しい姿は欠片も残っていない



『なんで私の言うことが聞けないのよ!なんでいつも私をイラつかせるのよ!私がこうやって嫌な想いをしてるのも!こんな惨めな生活してるのも!人生台無しになったのも!全部あんたのせいよ!がなければあんたなんかと一つ屋根の下にいないわよ!私の人生にあんたなんかいらないのよ!』



何度も何度も叩いて。殴って。蹴って。傷つけて



『あんたなんか産まなきゃよかった!生まれなければよかった!あんたさえいなければ私は幸せだった!』



最も鋭利な凶器ことばを、彼女は容赦なく彼の心に突き刺した



襟元を掴んで、殺気だった眼光を向け、コウを床に押し倒す桂華。彼は最後まで、抵抗することはしなかった



『おじゃましま~す』



ガチャッ、と玄関が開く音と、間延びした女性の声がした。驚いた桂華がそれを見ると、更に驚きコウから距離を取った



『け…警察!?なんでここに…!?』


『あれだけでかい声出してれば駆け付けますよ。まぁが凄いってのもあるんですけど…それは関係ないですね。こんな惨状ですし』



ここでようやく、桂華は落ち着きを取り戻した。ぐったりして動かないコウと警察官を交互に見て、血の気が引いていくのを感じた



『いやあの、これは…』


『言い逃れは流石に無理ですね。バッチリ見ちゃいましたし、住人からの証言もありますので。諦めて大人しくしててくださいね』



彼女の耳に届いたのは、アパートの住人への聴き込み調査の会話やサイレンの音。パトカーのランプが窓から見えた瞬間、桂華は膝から崩れ落ちた



『児童虐待の容疑で、貴女を逮捕します』



手錠をかけられた桂華。それがコウが見た、彼女の最後の姿だった

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