余所見山道

 これもまた、とあるマンションの管理人のおじさんから聞いた話。




「いいから来てくれよ」

 正吉はある夕刻、顔面を蒼白にした友人に腕を引かれ車に半ば無理矢理乗せられた。友人が運転席、正吉は助手席。

「何なんだよ、せっかくこれから映画観ようと思ってたのによ」

「出たんだって! 幽霊!」

「もういいって、そういうの。俺しょっちゅう視てっから。充分証明してんじゃん」

 キモダメシや心霊スポットの情報を仕入れてきては「嘘だ」「本当だ」と騒ぎ立てる友人の彼は、『視える』正吉に情報の裏付けを頼んだわけだ。正吉は既にこの手のやり取りに辟易しており、眼球を空へ向けて首を振った。

 友人は正吉の言葉も聞かず、せかせかとエンジンキーを回し、ブルンと車のボンネットの中を疼かせ、右足のアクセルをグウンと踏み話し出す。

「俺はいつもどおり視えないよ? けど、同じ『視えない』後輩が急にジタバタ暴れてよォ!」

 ハンドルを握りながらガタガタとそう話す友人の彼は、いかに後輩が怖がっていたのかを正吉に熱弁した。

 やれやれと目を半分だけ開け、この強引な暮れのドライブに身を任せていた正吉は、やがてこの車がとある山道へと差し掛かっていることに気が付いた。

「もしかして角山かどやまの方に向かってんの?」

「そうだけど?」

「あー、なんかあったな。『角山山道の幽霊話』」

「だぁから前にも教えたろ?! あれマジだったんだよォ、後輩が視えたって言ってたんだからよォ!」

 友人の車は山道を上り始めた。

 五〇メートルほど真っ直ぐ進んでは、右へ左へとカーブが連なる。カーブの先には『角山展望台』があり、街の夜景が美しく一望できるとして地元では有名なスポットだ。

 程なくして、友人の車は徐々にスピードを緩めていった。正吉は「何?」と友人を窺う。

「もう少しで……後輩が、視たっつー辺り、なんだよ」

「ふぅん」

 正吉は何でもないように相槌を返すと、辺りをきょろきょろと見渡し始めた。

 正吉は正直に言うと全く怖くはなかった。幽霊を幼い頃より見馴れてしまい、今更と思っていたわけである。

 山道に街灯は無い。夕闇の中、車のヘッドライトのみが頼りである。

 薄暗く、どこか薄ら寒く感じる空気に、友人は黙ってハンドルを握りアクセルやブレーキを調節していた。

「おおっ、止まれ止まれ」

 正吉は突然友人をそう制した。肩を跳ね上げ慌ててブレーキをギュウと踏み込む友人は、呼吸が浅く冷や汗がその額に滲んでいた。

「どっどどど、どうしたっ?!」

「いたいた、ユウレイ。男の子だよな?」

「えええっ?!」

 正吉はシートベルトをカチャリと外し、助手席の扉をごく普通に開け、降車してしまった。

 ヘッドライトを浴び、運転席側へと回り込む。顔面を蒼白にした友人に背を向け、片側一車線のこの山道の反対車線へしゃがみこんだ。


 正吉は、反対車線にちょこんと膝を抱え座り込む、藍色の着物を着た童子を見つけたのである。


「一人でこんなとこで何やってんのよ?」

 正吉は普通の生きている人間に話しかけるように、ひとまず声をかけてみた。


『待ってるの』


 意外にも、童子は消えるような声でそう正吉に返答した。正吉は「へぇ」と頷き、再び質問をする。

「何待ってんの?」


『…………』


「帰んねぇの? もう暗いぞ?」


『…………』


「俺ら行っちまうけど、一人で平気か?」


『平気だよ』


「っそ、悪さすんなよ」

 正吉はニッとひとつ笑ってやると、童子は蒼白い瞼を伏せた。するとスウと童子の全身がどんどん薄くなり、やがて消えてしまった。

「あらら、消えた」

 正吉は膝を伸ばし立ち上がり、再びヘッドライトを浴び回り込むと助手席へと戻ってきた。

「待ってんだって」

 シートベルトをカチャリとしながら正吉はそう友人へ伝えた。

「やいや、何会話してんだよ?!」

「会話くらいできるぞ?」

「そーじゃねぇだろ、取り憑かれるぞ?!」

「地縛霊だから憑いてこねぇよ」

 ハハハっと笑ってやると、友人はガタガタと震え上がりながらアクセルを踏んだ。




 帰り道に、童子は居なかった。

 しかしその後も、角山山道の幽霊話はたまに耳に入ってくる。

 それは何十年経っても、なぜか変わらぬ話の内容のまま伝わっている。



 ということは。

 あの童子はまだその山道に膝を抱え座り込んでいるのかもしれない。




 嘘みたいな、梅雨の夜の話。


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