黒シミの上の白

 これもまた、とあるマンションの管理人のおじさんから聞いた話。




 小学校高学年の正吉はある時、自らの部屋の天井に黒いシミを見つけた。何の気なしに寝転ぶと、ほくろ大の黒くハッキリとした丸いシミが目に入ったのである。

「あんなんあったか?」

 そうして一度気が付きはしたが、以降気にはかけなかった。

「まぁ、いいか」

 天井の木板の劣化であろうと考え落ち着け、正吉はそれから暫し天井をまじまじと見ることをしなくなった。


「正吉、アンタの部屋の天井のアレ、なぁに?」

 ある夕食時、母親にそう訊ねられたことをきっかけに、正吉はすっかり忘れていた天井のシミを思い出した。

「ほくろみたいなあのシミのこと?」

「ほくろ? もっと大きいでしょう」

 えっ、と互いに首を傾げる姿を見合う。

「何言ってんだよ、このくらいのやつだろ?」

 正吉は、右手の親指と人差し指で鉛筆一本分くらいの丸を作る。母親はしかし、親指と人差し指の爪先をくっ付け合い、綺麗な丸にし見せてきた。

「このくらいよ!」

 そんな馬鹿な、と正吉が目を白黒とさせていると、母親は「とにかく」とピシャリ釘を刺した。

「あんなラクガキをわざわざ天井にするのはやめなさいね。早いところ綺麗にしなさい」

 生返事でそれをかわし、夕食を終わらせ、正吉は自室へ戻るとすぐに天井を改めて眺めてみた。

「うげっ」

 なぜ言われるまで気が付かなかったのがが不思議なほど、あのほくろ大の黒いシミは掌大になっていた。

 明らかに一部、天井にくっきりとした黒い丸がある。

 正吉はしばし悩んだ挙げ句、とりあえずそれを消さなければと脚立を用意した。ゆっくりと脚立を上り、黒いシミのある天井板を押し外そうとする。

 が、動かない。

 重い。

 何かが天井に乗ってあるようだ。

 仕方なしにその隣の板を外そうと押してみる。こちらは軽い。カタリと音が鳴って、煤や埃がバラバラとかなり落ちたので、「あーあ」と肩を竦めたがもう構わない。後で掃除をすればいい話だ。

 懐中電灯を片手に天井板の裏側を、正吉は初めて覗いてみた。広く、ガランと何もない。当たり前の事だが何本もの梁が見える。

 シミのある場所が重い原因は何だろうかと覗いたが、正吉は向けた光の先にポツンとあった物に眉を寄せた。


 ダンボール箱が、ひとつだけ置いてあったのである。


 よくある大きさのよくある色の、なんの変哲もないダンボール箱だ。

「何だよこれ?」

 脚立を限界まで上り、上半身を天井裏に差し込み、ダンボール箱へ手を伸ばす。

 少し触れてみるが然程重くもなく、なぜ天井板が動かないのかわからないくらいの『呆気ない重さ』である。ズリズリと引き摺り、天井裏からそれを外界へと出した。

 新聞紙を広げ、ダンボール箱をそこへ乗せる。

 蛍光灯下で見たダンボール箱は、いやによれていた。長く湿気を吸い、ふにゃんふにゃんになっている部分すらある。よく今までこの形を保てていたなと正吉は目を丸くした。

 ご丁寧にガムテープが貼られており、正吉は「うわあ」と顔を歪めつつそれをそうっと剥がすことにした。

 開けた中身に、正吉は目を疑った。


 歯だ。

 人間の歯。


 ダンボール箱の中身全て、みっちりと隙間なく歯のみが入っていた。


 正吉は瞬時に吐き気がした。

 一度開けたダンボール箱の蓋を戻し、天井板を戻そうかと逡巡した挙げ句、いややはりともう一度ダンボール箱を開ける。

 やはり歯だ。臼歯も前歯も関係ない。大量に入っている。


 これは本物だろうか。

 それよりもどうしてこんなに歯があるのだ? 

 五人や十人なんてもんじゃあない、おぞましい数の歯、歯、歯。

 既にそれらは白くはない。

 全てが『劣化』したように黄色くくすみ、気にならないと言えば嘘になるような、少し腐ったような臭いも漂う。


「げぇー! やべぇモン見つけちまった」

 正吉は帰宅した父親に、歯のダンボール箱を見てほしいと部屋へ連れてきた。

 父親も正吉同様に、ぎょっと顔面を蒼白くした。

 借家であったこの家の大家に連絡を取ると、「全くわからない」との話であった。


 歯の入ったダンボール箱は、翌日には父親と大家にてどうにか処分されたようだ。

 事の詳細は、当時の正吉にはわからないことであった。


 最も不可思議なことは、あの天井のシミは以来すっかり無くなったということだ。


 父親が消したでも、まして母親が消したでもない。正吉が学校から拝借してきたクレンザーやタワシで磨いてやろうと天井を見上げると、跡形もなく綺麗さっぱり消えてしまっていたわけだ。

 黒いシミは、大量の歯の謂わば怨念であったのだろうか──正吉はそれからしばらく経っても、あの箱いっぱいの歯を忘れられず、悶々とする日々を送る。





 嘘みたいな、秋分の頃の話。


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