第29話 【肆】

「あー、散歩した後のご飯は美味しいなぁー」

「……」


 宿泊施設へと戻り、婦人会の用意した朝食に舌鼓を打つ怜。

 そんな中弐沙は未だに朝食に手をつけず、何か考えている様子であった。


「あれ、弐沙食べないのぉ? 俺が全部食べちゃうぞぉ?」


 ゆっくりと怜が箸で弐沙の領域を侵犯し始めると、怜の手の甲をペシンといい音で叩いた。


「いったぁい!」

「人のを掠め取ろうとするな。考え事の最中だ」

「そんなに真剣に何について悩んでいるんだよぉ。折角のご飯が冷めちゃうぞぉ?」


 怜は箸を咥えながらじっと弐沙を見る。


「何故、誰も神主の姿を見ていないというのに、神主は生きていると認識しているのだろうかと思ってな」

「姿は見えなくても声は聞こえたっていうから、そこ声で分かったんじゃない?」

「怜は人間が人を忘れる時、どの部分から忘れていくと思うか?」


 すっと、弐沙は怜を見据える。


「人を忘れるとき……、そうだなぁー、顔からとか? 長く見ていないと誰だったっけー、とか良くなるし」


「一般的には最初に人は人の“声”から忘れていくと言われている。声・顔・思い出の順に記憶から抜けていく」


「へぇー」

「神主は戦場へと駆り出されて、少なくとも数年の年数は経過しているはずだ。それなのにいざ帰ってきて幾ら交流があったからといって、声ですぐにこの人だ! と分かるものだろうか?」

「確かに。その間に声なんて忘れちゃってるかもしれないもんね。当時は酷い惨状だっただろうし、一々個人個人の思い出なんて浸っている場合じゃなかったかもね」

「もしかすると、一時的な印象操作があって、それが今でも根付いている可能性もあるな」


 そんな考えに辿りついて、ようやく弐沙が朝食に手をつけ始める。


「印象操作?」

「つまりは、神主が帰ってきたと姉が村へ言いふらして回る、村人はその真偽を確かめる為に神主の姿を見に行く、しかし、神主は姿をみせず、聞こえるのは声のみ、姉が『これは弟の声です。無事に帰ってきたんです』と一言いえば、声が記憶から薄れつつある村人たちは、あーそういえばこんな声だったかも知れないという錯覚に陥る。無傷で帰還という話も恐らく姉サイドの話をそのまま真に受けてのことだろう」

「ほぉー。なるほどぉ。でも、夏陽は神主の姿を見たと言ってたよね?」

「見たことあるというのが不特定多数ではなく、夏陽一人のみであるのなら、夏陽が神社側についているならそんな嘘は容易に付きやすいだろ?」

「それはそうだねぇー」

「つまり、夏陽は神社側の人間として確定というわけだ。何者かという謎は未だにつかめないが、乗り込めばはっきりしてくるかもしないな」


 ずずーっと用意されたすまし汁と音を立てながら飲む弐沙。


「おー! いよいよ乗り込むんですな! わくわく」


 怜は楽しそうに手をブンブンと振る。


「もう少し情報を集めてからだがな。明日か明後日あたりにはもう一度乗り込もう。あと、一つ問題がある」

「問題?」

「どうやって、物置小屋まで向かうかだ。真っ昼間に堂々と正面から行こうものなら、あの神主代理に止められてしまうだろ?」

「参拝客対応に忙しくてそっちに目が行かないかもよ?」

「いや、もしものときに一般人を巻き込むことなんて出来ないだろう。何が起こるか分からないからな」

「俺は別に誰が何になろうが関係ないけどなー。弐沙が無事ならそれでー」


 怜はそんな冷ややかな言葉を言いながら湯飲みにお茶を注ぐ。


「怜、お前がもしもスイッチ入ったことも考えたら日中は特に危ないんだ。村を壊滅させかねない」

「どうせ、神社が何かしらの理由で終われば、似たようなことになるんじゃない?」

「……確かに、それはそうだが……」


 怜の指摘に弐沙は言葉を詰まらせる。


「どうしてもコッソリといきたいのであれば、深夜が早朝かだねぇー。しかも、あの裏手の道を使ってコッソリと忍び込む」

「あそこの道には街灯と思しきものは見当たらなかったから、深夜に忍び込むとすれば結構暗いな。怜は夜目が効く方か?」

からねー。鈍っていなければ、余裕のはずだよ」

「それなら、私を背負うか手を引くかしてくれ。どうしても暗闇は見えづらい」


 弐沙は目頭を手で押さえながら答える。


「目はすでに老眼まで言っているんじゃないの?」

「まさか。これは元々だ」


 怜の言葉に弐沙は怖い顔をすると、怜からは冗談だってという声が漏れた。


「さてご飯も食べたし、ちょっと仮眠タイムだねぇー」


 満腹の様子で怜は床へと転がった。


「食べた後にスグに転がると牛になってしまうぞ?」

「そんなの、この国でよく言われている迷信でしょ? まぁ、牛になってのんびり出来るのなら本望ですモー」


 ケラケラと怜は笑った。


「全く。せめて布団を敷いて寝ろ。体を痛めてしまうぞ」

「はーい」


 転がりながら怜は敷き布団を用意して、その上にゴロゴロと移動する。


「これでよし。弐沙も仮眠するんでしょ?」

「私は脳内で考えを纏めるために目を瞑るだけだ」

「似たようなモンだよー。じゃあ、何かあったら起こしてねぇ。おやすみー」

「ああ、分かった。おやすみ」


 弐沙と怜は二人同時に目を閉じた。



 それから、何時間経ったのだろうか。


『……い!』

『おーい!』


 聞きなれた声が聞こえた気がして弐沙は目を開ける。


「この声……夏陽か?」


 覚醒途中で欠伸を漏らしながら目をこする。

 どうやら出入り口の扉の奥の方で夏陽の声がするらしい。


「んー……? 今何時?」


 その声は怜にも聞こえたらしく、むくりと起き上がる。

 弐沙が施設に置かれてい時計を見ると、時刻は午前十一時過ぎを指していた。


「昼前か」


 のっそりと起き上がった弐沙は出入り口へと歩みを進めて、引き戸をカラカラと開けると、そこにはお膳を持った夏陽が立っていた。


「何をしに来たんだ?」


 まだ眠そうな顔をして弐沙が問う。


「昼近いというのに寝てたの? 俺はホレ、アンタらのご飯を持ってきたんだよ」

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