03
少し移動しようかという彼女の提案に従って、今は街を歩いていた。
人通りがまるでないところを見るに、夜もそうとうに更けた時間なのだろう。
先ほどの裏路地と違い、街灯が点いている分周囲も良く見渡せる。
商店街の雑貨店。むき出しのショーウインドウ。
そのガラスに映り込んだ取り立てて書くこともないような顔をみて、
『ああ、これが“僕”なのか』と、まるで他人事のように思った。
連れていかれた先は小さな公園だった。
『これでいいか?』と放り投げられた(その時点で既に選択肢などないのだが)缶コーヒーを慌ててキャッチ。
こちらが無一文なのは向こうも承知しているので、これは奢りということなのだろう。
お礼を言ってから缶を開けて口を付ける。
ここに来る前に既に自分の持ち物は一通り調べ尽くしていた。
財布もなし、携帯通信端末の類もなし。それどころか持ち物らしい持ち物もなし。
出てきたのは上着のポケットに入っていたハンカチ一枚と、
怪しげな黒いカードだけ。
カードリーダーに通すような部分もICチップらしきものも見当たらない。
名義や番号の印字もない。ただただ真っ黒なだけの薄い板。
ただ、それを見た瞬間から彼女は態度を変えたように思う。
『思う』というのは確証がないだけで、実際『確信』はしていた。
なぜなら彼女はあの時確かにこう呟いたのだ。
「なんだ、君もこちら側か」と。
何にせよ、彼女が興味を抱いてくれたことは僥倖だった。
なにせ身寄りや行く当てどころか記憶すらない身の上なのだ。
この僅かなよすがでも手放すわけにはいかなかった。
「さて、何から話したものか」
台詞は仰々しいが、頬に指を当てて首を傾げる様は妙に『少女』らしい。
そうやって数瞬悩んでから彼女は。
「そうだな、単刀直入にいこう。この世界は作りものだ」
起承転結であれば『転』辺りで明かされるような重大な事実をサラっと告げて来た。
「ついでに私も作りものだ」
その上、上乗せ≪レイズ≫までしてきた。
なんだろう。急展開にもほどがある。
急展開過ぎるので、ついていけなくなる前に疑問を挟んでみる。
「でも、さっき見てきた街並みは、とても作りものには見えなかったんですが……」
自分が何者かすら判らないのに、なんで作りものではないと判るのかと疑問に思うかもしれない。
だが、別段おかしいことではない。
例えるなら検索エンジンのようなものだろうか。
無限の知識にアクセスできる機能は持っていて、キーワードがあれば知識を引き出せる。
だが自分に関してはキーワードすらないため検索にすら至れない。
付け加えるなら、困ったことにそこにもどかしさを全く感じていないわけなのだが。
さておき、本題に立ち返る。疑問を抱いたのには理由があった。
「だっておかしいですよ。
視覚、嗅覚、聴覚、触覚、今飲んでいるコーヒーについての味覚だって、こんなにはっきりと感じられる。
仮想現実の技術は発達したけれど、でも未だに違和感を完全に拭いきることは出来ていない筈です。
だって、世界を完全に物理演算に置き換えエミュレートできるような演算器なんて存在していないんですから」
自分の知識が導出した疑問をぶつけてみた。
「その通りだ。
科学は大いに発展したが、未だ世界を些細な違和感さえなく構築できる演算器など存在していない」
果たしてそれへの返答は是であった。
「だからこの世界を構築・維持しているのは演算器などではない。世界中の人間の深層心理だ」
そしてそれが回答だった。
「人間が抱く世界というものへの認識。それを私たちは感じ取り、街として知覚している。
より正確に言えば、そう指向付けられているというべきだが。
まあ詰るところ、人類一人では大した演算能力がなくとも、
全人類で補強しあうのならばあらゆる集積演算器を凌駕する再現性さえ可能というわけだ」
「………………………………もっと解り易く」
「人類全体の心理が具現化した世界だと思っておけ」
「了解」
「…………単刀直入にと言ったが大きく横道に逸れたな……まあいい。
先ほど私も作りものだと話したが、それは『この世界が作りものだからそこに住む自分も作りものだ』というような単純な話ではない。
私たちはある特別な目的のためにデザインされた、いうなれば人為的な存在だ」
そこでごほんとひとつ咳払いの真似をする彼女。
話を切り替えるための儀式を行うと、
「ところで君は擬人化コンテンツに興味はあるか?」
などと突然なサブカル趣味トークに突入した。
疑問符が浮かぶ。
浮かんだからには聞いてみよう。それが彼女との会話のルールの様に思える。
「えっと、擬人化というと、例えば動物が可愛い女の子になったり、武器がカッコいいお兄さんになったり、
悪の組織に連れ去られて改造を受けた主人公がバッタの姿と力を宿した正義のヒーローになったりとかいう、アレ?」
「最後のはグレーゾーンだが広義ではカテゴリに入るだろうソレだ」
「じゃあコンテンツっていうのは?」
「厳密には『情報の中身』を示す幅の広い言葉だが、ここでは情報を利用したアプリケーションやサービス、プログラムのようなものだな」
つまりは擬人化を利用したありとあらゆる全てをいっているのだろう。
それらを総じてコンテンツと呼んでいるのだ。
彼女は続ける。
「人類は昔から擬人化が大好きだった。神様だって言うなれば大自然の擬人化だ。
そういった人類がありとあらゆる事物を擬人化していくのは必然だった。
もはや種の根源に根差した活動といっても過言ではない。
そしてそれらが精神活動、ひいては経済活動にまで広く根を張っていくのも当然の帰結だった。
遊びになったし金にもなった。
人類はこぞって目新しい擬人化コンテンツを開拓していった。
目につくもの、思いつくものを端から擬人化していった。
そうして臨界点は訪れた」
「臨界……点?」
不穏な気配がした。
趣味的な話から、一転、世界の闇へと。
「『生み出すほど世界が広がる』状況から、『生み出すほど世界が摩耗する』状況になったのさ」
曖昧な表現だった。だが、分かるような気がした。
「そこからは地獄だよ」
彼女はそう言って空を見上げた。
「それまでは良かった。生み出せば生み出すほど、新たな世界が広がっていった。
新鮮味をもって受け入れられていった。
だが、あるとき、その世界に果てがあることを知った。思い知らされた。
コンテンツを受け止められる器の容積は、有限だったのだと。
しかし根源に根差した精神活動なんだ。止めることはできない。
もう器はいっぱいで、これ以上入ることは出来ないのに、それでも水は注ぎ続けられる。
全体として見れば莫大な市場と潤沢な精神的リソースを持ちながら、
しかし中の一点だけ見れば数瞬も安定的に維持できない。
数多の擬人化コンテンツが生み出され、消費され続けた。
キャラクターという本来莫大な価値をもつものが、湯水のように垂れ流され続けた。
生み出しても生み出してもただ使い潰される。
だというのに、常に新しいキャラクターを供給し続けねばならない。
繰り返される消費の中で、やがてキャラクターの唯一性は飽和し、
どこかで見たような何かが延々と生み出され続けた。
『誰かが驚く真新しい何か』は、とっくに使い尽くされていたんだ」
ふと、満員のホームで人混みに押しつぶされた子供のニュースを思い出した。
ホームは満員で、もうただの一人も入る余裕はないのに、外の人間には分らないのだ。
エスカレータは何も知らない人たちを送り込み、送り続け、そしてホームで子供は押しつぶされる。
だがそれは、あくまで一市場、一分野での話。
実際に人が死ぬわけでもなければ、国が亡びる訳でもない。
だから、それが何か深刻になる要因とは思えない。
そういった思考が顔に出ていたのであろう。
口にすら出していない疑問に彼女は答えた。
「簡単だ。人類の根源に根差す精神活動が摩耗に走り出したのだ。
それは人類全体の心の摩耗に他ならない。
そしてある高名な学者と研究グループがその結論に達した」
「結論?」
「そう、人類は遠からず、心を摩耗しつくし絶滅すると」
正直に言えば、大げさな、と思った。
彼女はどうしようもなく真剣で、真摯で、でもその心情に自分のビジョンが噛み合わなかった。
「誇大妄想だと思ったか? だが、事実だ。
情動が突き動かされない人間がどうなるか分かるか?
何もしなくなるんだよ。
それは無気力の果てだ。
生きていても何もないから何もしない。
何もないから生きていく意味もない。
意味もないから生きていなくてもいい」
だが、それでも得心いかない様子の自分を見て、彼女は溜息をついてこう言った。
「君、気付いていないのか?」
「?」
「君は目を覚ました直後にこう言ったな。『死体を作らずに済んで良かった』と」
言った。確かに言った。
「私はね、『君が轢かれずに済んで良かった』と言ったんだ。
だが君はこう考えていたのだろう。『誰かを事故に遭わせずに済んで良かった』と」
そうだ。確かにそう考えていた。
だってそうじゃないか。
どういう経緯かは分らないが、特に外傷もなく地面に寝転がっていたのなら、
それはきっと全面的に自分が悪い。
それで誰かに迷惑をかけずに済んだことを『良かった』と思うことの
一体どこにおかしなところがあるのか。
「君は無頓着すぎるんだ。執着がないと言ってもいい。
だから“簡単に死ねて”しまう」
「あ……」
今ここにきて、ようやく得心がいった。
いつ死んでもいい、簡単に死を選べる、そんな人間ばかりになったら、
僅かな苦難で簡単に人類など滅びてしまう。
「分かったか?
いつ死んでもいい、生きている意味もない。
それはどうしようもなく恐ろしいことなんだ。
色も熱も失った世界。夢も希望も風化した世界。
そんな世界を私は許容できない。
だから私は変えたい。それを防ぎたい。
世界を……救いたい」
強い熱情の篭った言葉だった。淡々と論理で話す彼女の中に、強い感情の火を初めて見た。
「だから賢人たちは、この状況―――彼らは『世界の縮退』と呼んでいたが、
それを打破するためにある施策に出ることにした。
簡単に言うならば、間引きだよ」
「リソース供給が限界だから、コンテンツを厳選する?」
「その通り」
つまりはコンテンツ対抗のリソースの争奪戦。
「その為に、彼らはまずこの世界への干渉方法を確立した。
言ったように、この世界は全人類の心の縮図だ。
この世界の在り様を見て、世界の縮退に対する対処方法を模索しようとしたんだ。
だが、観測したことで彼らは気付いてしまったんだ。
残された時間はあまりにも短いということに。
だからやり方を変えた。
コンテンツを悠長に厳選していったのでは間に合わない。
だからコンテンツ自身に争わせようと。
そして擬人化コンテンツたちに一つの方向性を与えた。
擬人化コンテンツ一つ一つを一人の存在として確立させたんだ」
ようやく、最初の話に繋がった。
「『私は作りものだ』と言ったな。つまりはそういうことだ」
「じゃあ、つまりあなたは、人の姿を持った擬人化コンテンツ……」
「『アーキタイプ』と呼ばれている。
その七十三番機。
それが私、リテラ=文璃≪アヤリ≫=アルキウムというわけだ」
あまりにも自然な流れで発されたので、それが彼女の名前だと気付くのに時間がかかった。
「今更な自己紹介になったな。
ああ、さん付けはしなくていい、リテラと呼び捨てで構わない。
あとこれも今更だが敬語も不要だ。
見た目からしてそう年齢が違うわけでもあるまい」
彼女はそう促した。
折角自己紹介をしてもらったのに返せる自己がないことには若干の罪悪感を感じつつ。
そう、彼女の素性は分かった。だがまだ分らないことがあった。
「リテラさ……リテラはこのカードを見た時、『“僕”もこちら側だ』って言ってたよね」
「聞こえていたのか……随分と耳聡いな。普通そういうのは聞き流すのがお約束だろうに」
「だからわざわざこれだけ話してくれたんだよね」
「そして妙に勘のいい男は嫌われるぞ。
まあ一般論である上に私は察しのいい奴はむしろ好きだが。
加えてどのみち話す話でもあった」
そう前置きを置いて語りだす。
「我ら『アーキタイプ』の強さは単純な個々の身体能力とは違う。
簡単に言えば、そのベースとなったコンテンツへの“支持力”だ。
コアな支持層に支えられたコンテンツもあれば、薄く多くの人に支えられたコンテンツもあるが、
ともかくそうした後援者による支持する力こそが強さなのだ。
そして……」
彼女はそこで一旦言葉を区切った。
そして視線を黒いカードへ移す。
「そしてその黒いカード……“モノリス”こそが後援者の代表たりえる証なんだよ」
「それってどういう……?」
「つまり君は……」
そこまで言いかけて、彼女の声が止まる。
振り返る彼女の視線の先に、二つの影。
「ユキネー!目標はっけ~ん」
「ようやく見つけたわ、文璃」
月光を背に、二人の少女が佇んでいた。
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