第9話 朱雀軍

天高く馬肥える秋。

仲間が減ったと力なく鳴く蝉の声は空しく響いて、微妙な暑さとともに季節が終わったことを告げる。ほんの少し残る夏の気配。着実に消えていくもの。

休み明け、久しぶりに会うクラスメイトたちの声を聞きながらグランドに目をやる。

休みは終わった。目を覚ませ。

とはいえ授業はまだスロースタートだ。夏休みの宿題を提出して、教師の雑談を聞き、教科書をほんの少し進めるだけ。

なんとなく浮わついたまま昼休みになる。購買部に行こうと席を立った。

「こにしくーーん」

後ろからパタパタと足音を立てて、長瀬がおれを追いかけて来た。

「私も購買行こうかなと思って」

「マジで?めずらしい」

「うん。一緒に行っていい?」

「あー、それがいいな。すげえ混んでるから危ねえし」

「そ、そうなの……?」

「毎日焼きそばパン争奪戦が繰り広げられてる」

「じゃ、クリームパンとかにしようかな」

「昼飯に甘いやつ?!」

うちの購買の焼きそばパンうまいから一回は食っとけって。長瀬に重要情報を授けながら購買に足を向ける。

「小西くんは教室にいない時はどこで食べてるの?」

「え、いや、適当に……部室とか」

「視聴覚室?」

「……そっちじゃなくて」

野球部の、と言えずに言葉を濁した。

部室。おれにとってはいまだにあそこが。

我ながら未練がましい。思わず黙ってしまって、長瀬が真剣な顔をする。やべ。

「あ、やめろよ。大丈夫だから心配とかするな」

「それは無理じゃない?」

「いいから」

弱いところなんか見せたくない。おれも先輩たちみたいに何事もないようにしていたい。そっちを選んだんだから。


授業が終われば放課後。今日は休み明け最初の部活だ。

まっすぐ第二視聴覚室に向かうと、部長が一人でのんびりと雑誌を広げていた。

肌色が多い。遠目から見ても何を読んでるかわかる。

「あいつらが来たらしまってくださいよ、それ」

「あ?いいじゃねえか別に」

「前より女子増えてるんですから。平田だけじゃ済まないですよ」

まあ、エロ本くらいなら二葉さんとかむしろ喜びそうな気もするけど、特に見たくないし。なんか別の方向でうるさい気がするし。

「口うるせえなぁお前は。母ちゃんか」

「母ちゃんだと思うならその前でエロ本読まないでください」

と言いつつ、横から覗き込んだ。巨乳。グラビア。きわどい水着。

「いまいち」

「人の本に文句つけんな」

確かに表紙に騙されたけどなー、と笑いながら鞄の中に放り込んだ。ぶつかってかちゃりと音を立てるキーホルダー。

そこに、こないだまで外されていたバイクの鍵が見えた。

「……それ。なんで?」

指を差すと、動きが止まった。しまった、という顔をして頭をかく。

「いや。修理から上がって来たから、今日取りに行こうかと」

「え?廃車にしなかったんですか?」

「もらいもんだからな」

言って、笑う。

「中西には言うなよ?」

あいつうるせえから。言外に匂わせてゆったりと椅子に背を預ける。

「いや、そんなのおれだってうるさくなりますよ。まさか乗らないですよね?」

「おー、心配すんな。受け取ったら返してくる」

「……それならいいですけど」

なんとなく微妙な気持ちでその顔を見た。なんだよ、大丈夫だよと何度も言う。ほんとかよ。

「おはよーございまーす!あれ、二人?早い!」

「おー。トップ会談をだな」

「中西が妬くわよ?!」

「それはどっちに妬くんですかね、私としては小西に頼られるのはおれじゃないのかよ的に大西先輩に妬いてほしいです」

最近なかこにが熱くて熱くて、と佐倉が真面目な顔で言う。私は断然おおなか!!不動!!と騒ぐ二葉さん。

「……頭おかしい……」

「えっ、何?!なんか言った?!」

「いえ」

そのまま話は立ち消えになった。全員がそろって部活の時間。

「じゃ、はじめるか。今日は体育祭の案を詰める」

大西先輩の声で、ここのところ書記をかって出てくれている佐倉が立ち上がった。黒板に文字を書く。

青龍、朱雀、白虎、玄武。

西高の体育祭はクラスごとにこの四軍に分かれて戦う。各学年が2~3クラスずつ割り振られる縦割りの組分けで、大将は三年、副将は二年から選ばれる。

当日は校庭を四陣に分け、各陣に巨大な横断幕を掲げる。各軍のスローガンと共に。

「体育祭でおれたちがやるのは、各軍のスローガンを都々逸にすること」

板書きする佐倉の隣でもう一度目的の確認をする。

スローガン入りの横断幕は各軍の象徴だ。うちの学校の体育祭の名物でもある。

おれたちはそれを都々逸にするため、夏は肝試しの準備の傍ら「四神をモチーフにしたかっこいい都々逸」を考えていた。全員で意見を出し合って推敲して。

もちろんそれだけでは駄目だ。実現するためにはできる限り各軍での発言権を持つ必要がある。そのためには積極的に体育祭実行委員になること。できる限り大将・副将のポジションを狙うこと。

「とりあえず小西、お前は副将やって発言権持てよ」

「わかりましたけど、卜部とかいたら無理ですよ」

「始めから無理とか言うな。たまには取りに行け」

そんな風に言われていた。

「中西先輩がいる軍は中西先輩が大将でしょうから、スローガンにするのも比較的簡単そうですよね」

「あと大将になりそうなのは誰だ?広丸?」

「瀬尾さんもですよね。毎年会長と副会長は大将やってますもんね」

「そうだな」

「組分けってもう決まってるんですか?生徒会で決めてるんですよね?」

「まだ。今瀬尾がやってる。詳しくはわかんね」

「お前は知らなくていいのかよ」

「最後の調整がおれの仕事だから。それまではいいんだよ」

言いながら少し考えて、中西先輩が黒板を指差した。

「ああ、でもたぶんおれは黒だな。瀬尾は白」

それを聞いた佐倉が、玄武のところに中西、白虎のところに瀬尾、と名前を書く。

「問題は赤と青だな」

そうかな。おれには白がすごく手強く思える。

おれが白の副将になれば問題ないのかもしれないけど、それはなんかちょっと嫌だ。

「体育祭実行委員になったのは?」

おれが聞くと、平田が手を上げる。

「私と、レナちゃん。トマっちゃんも?」

「はい。大西先輩の作戦通り、松崎君と一緒に」

「お、ナイス」

少しでも味方を増やすということで、当麻と共に松崎を引きずり込んだのだった。

まあ、あいつにそんな自覚はないだろうけど。


数日後、組分けが決まった。

おれは大西先輩と一緒に朱雀軍だった。

『9月30日 西高体育祭』

そんなポスターが貼られて、体育祭実行委員会もはじまったようだ。

おれたち都々逸部もそろそろ例の作戦を実行する時期だ。

また第二視聴覚室に集まって頭を寄せる。

「えーと、玄武が中西と二葉、佐倉、笹谷。朱雀がおれと小西。青龍が平田、白虎が当麻か。青龍と白虎が心もとないな」

「まあ、それでもバラけただけ運が良かったですよ。他の軍に口出すのはさすがに難しいですし。当麻も平田も実行委員ですしね」

部活でそんな話をして、翌日。副将を決めるため、朱雀軍の体育祭実行委員が集まった。各クラスの実行委員から推薦を受けた候補者も一緒だ。おれも無事にそこに入ることができて、今この場にいる。

まずは、とうちのクラスの体育祭実行委員が口火を切った。手塚歩。陸上部短距離の星。

「副将を決めます。大将は副将決まってから三年の実行委員で決めるそうです。副将はそこにも出席なんでよろしく」

まず二年が副将を決めて、その後大将が決まる手はずのようだった。

普通は逆だが、正直なところ朱雀軍には絶対大将になるだろうという人がいない。だから副将が決まってから決めるという消極的な選択になってるんだと思う。

とりあえず二年だけで頭を寄せる。副将候補はサッカー部と陸上部と水泳部と、おれの四人だった。

「えーと。どうやって決める?」

「じゃんけん?」

「立候補がいいんじゃないかと思う。つーか、おれ、やりたい」

手を上げた。手塚が驚いたようにおれを見る。

「なんだよ小西。どういう風の吹き回し?」

「おかしいか?」

「うん。自分からやるって言うのは珍しい」

「なんだ、じゃあ小西でいいじゃん。もめるならおれやろうかなーと思ってたけど、譲るよ」

ぶっちゃけ大変だし、とサッカー部の一人が笑った。だよねー、いいよ、と他の二人も頷く。

「じゃあ副将は小西。あっさり決まったな」

「ただ、ひとつ条件がある」

「なに?」

「大将は大西先輩で」

「えっ?!まさかの指名?!」

「そんなんあり?!」

「だって、他の軍思い浮かべてみろよ。中西先輩と瀬尾さん、あとたぶん広丸さんだろ?」

「確かに……キャラ的にな……」

「太刀打ちするなら大西さんか」

「だろ」

それに、どうせ副将やるなら気心しれてる方がいい。やりやすいし。

「どっちにしたって今ここじゃ決められないな。とりあえず小西ってことにして、念のため明日全員で三年の会合に出るか」

「おー。じゃあまた明日」

ものの十五分でおれたちの話し合いは終わり、解散。手塚と二人で教室に戻る廊下を歩く。

「でも小西、そもそも大西さんって大将候補者に入ってるのか?」

「知らない。お前も知らないの?」

「うん。でもこの後実行委員会あるから聞いておくよ」

「おー。ついでに大西先輩推しといて」

「いいけど。随分こだわるな」

手塚はふっと笑って、おれの顔を意味ありげに見た。

「まあ、大西さんと一緒にやりたいって気持ちはわかるけど。そうなんだろ?」

「……そうだって言ったら、協力するか?」

「言わなくてもいいよ。わかるし」

いたずらっぽい目。おれは笑って、その肩を拳で小突いた。


手塚はいろいろと話をつけてくれたようだった。翌日の話し合いはスムーズで、三年の実行委員の総意で大西先輩を説得する方向に進むことになっていた。

大西先輩のクラスに向かう。おれと手塚、三年の実行委員の先輩の三人で。もちろん説得するためだ。

「あ?大将?おれが?」

だが、当の本人は全く予測もしていなかったようだった。

「なんでだよ。他にも適任いるだろ」

「いやー、でもさ、中西に勝てるキャラって言うとお前しか」

「だそうです」

「騎馬戦とか出れねーぞ」

肩を指差して言う。あ、と実行委員二人が言葉につまった。

「大丈夫です。大将は一番後ろにいればいいですし」

おれはわざと事も無げに、気にもしてないと言う態度を取る。

「片手で十分でしょう?」

「…………」

大西先輩は不服そうにおれを見た。少し考えるような顔をして、何か思いついた顔をして、教室の奥にいる女子の名前を呼んだ。

「小萩!」

こはぎ、と呼ばれたその人が駆けて来た。見たことある。えーと、誰だっけ。

「なに?大西」

「体育祭の大将のこと話してたんだけどさ。せっかく朱雀なんだから大将か副将どっちかは女子がいいよな」

「ふむ」

「で、副将は小西がいいと思うわけだ、おれは」

「なるほど」

「だからおれは大将はやらない。大将はお前がやれ」

「……はい?」

あ、思い出した。女子バスケ部の主将だ、この人。

「なんでそうなるのよ」

「そもそもうちのクラスの大将候補者、お前だったろ」

「でもその話はなくなったんでしょ?」

「今復活した」

そう言って笑う。彼女の表情が緩んだ。

「まあいいけどさー、女子大将って不利じゃん。軍対抗リレーは絶対出なきゃいけないし、大将種目もあるし。だからいつも朱雀軍はダークホースとか言われるんだよ」

「でも朱雀の大将副将がどっちか女子なのは伝統だろ。そうじゃない年もあるけど、せっかくだから乗っとこうぜ」

「じゃあせめて陸上部に!」

「お前だって足速いし、向いてると思う」

統率力の話だ、お前主将だろ。言いながら大西先輩がおれを見た。ちゃんと説得しろと促されているのがわかった。

嫌だ。やりづらい。よく知らない人と組むなんて。

「できる限り大将か副将を狙えって言ったじゃないですか。自分は対象外なんておかしいです」

「今のおれが大将やるのは不自然なんだよ。全うできねえ」

「でも」

「お前が副将やれば十分なんだからぐだぐだ言うな。せっかくお前の好みのタイプ選んでやったんだぞ、いいから黙って絡み合って来い」

「いや……語弊が……」

「絡み合う?!きゃードキドキする!」

「えっ、食いつくのそこですか」

意外な反応にちょっと驚いた。実行力と人望のあるしっかり者のキャプテン。遠くで見ている分にはそう見える彼女だが、わりとお茶目なところがあるようだった。話してみないとわからないもんだな。

「つーかなに?なんの話?なんで都々逸部で大将副将取ろうとしてんの?」

なに企んでんの、と言われて言葉に詰まった。

「いえ、別に」

「何も企んでねえよ。お前に悪いことはなにもない」

「ほんとかなー?」

いたずらっぽく笑って口元に手を当てる。

「まぁ、二人と組んで中西をこてんぱんにするなんて面白そうだけど!」

……中西先輩をこてんぱんに?

「だよなー。こんな機会でもなきゃ真っ向からやり合うことなんてないし」

大西先輩がニヤリと笑っておれを見る。

「あいつを叩き潰すには味方は多い方がいいだろ?」

叩き潰すって。

「中西先輩に恨みでもあるんですか、二人とも」

「ないけど、イケメンを屈伏させたい気持ちはある」

「エロい意味で?」

「エロ……はっ、ダメよそんなの!!」

それを聞いた大西先輩はげらげら笑った。

存外、ノリがいい。大西先輩が気に入るわけだ。

「なるほど。小萩さんってエロいんですね」

「そうそう。いいだろ、こいつ」

「ちょっと!やめて!こんな純情な小鳥をつかまえて!!」

「おいこら。何の話だ」

「もーどっちでもいいですから早く決めてください」

後ろで見ていた実行委員の二人が痺れを切らしたようおれたちを制した。苦笑いしながら。

「あー、うん。私大将やるよ。よろしくね小西くん」

「…………」

「私じゃ嫌なのね……」

「あ、いや。違います」

「往生際が悪いんだよ小西は」

「まぁまぁ、大西さん」

手塚がなだめて、おれの方を見る。

「お前が嫌ならサッカー部が副将やってもいいって言ってるわけだし、無理しなくても大丈夫だけど。どうする?」

サッカー部。

確実に副将をやるだろう卜部と南野を思って、眉間に皺が寄る。

往生際が悪い。未練がましい。まったくその通りだ。おれはほんと、駄目だな。

「やる。やります。よろしくお願いします」

小萩さんに頭を下げると、彼女はこちらこそ、と笑って右手を差し出した。

一瞬躊躇して握り返した手は、少しひんやりとしていた。


放課後。今日は部活のない日。それでも自然と第二視聴覚室に足が向かう。

誰かいるかな。

「あ、玄武軍大将」

扉を開けると、座って何かの資料を読んでいる生徒会長がいた。長い足を机の上に投げ出している。手元で動いていた赤ペンが止まって、おれの方を見た。

「お前は副将か?」

「はい。そっちの副将は?」

「バレー部の若井。青龍は広丸が大将、南野が副将だってよ」

「白虎は瀬尾さんと卜部ですか」

「たぶんな」

言いながら資料を机の上に置き、足を下ろして座り直す。

「朱雀は小萩だって?」

「はい」

「大西が大将じゃないのは仕方ないぞ」

口ではそう言ってるのに、中西先輩は珍しく機嫌が悪そうだった。頬杖をついてにこりともせずおれを凝視している。

「……どうしたんですか?」

「これ」

仏頂面の右手でひらひらと揺れる短冊。それは肝試しの時のものだった。あの時のためにみんなで書いたその一枚。


跳ねる白球追う足音が

聞けぬグランド ひとりきり


見覚えのある歌。おれの。

「ひとりきり、ってなんだよ。お前がいつひとりだった」

「心情の問題です」

野球部がなくなって都々逸部になる前まで、おれはひとりだった。一人じゃ何も出来ないって思い知らされてた。いや、今だってそう思ってる。

「自分はひとりだって全員が思ってたら、それはもはやひとりではない、という考え方もある」

「え?」

びっくりした。一人だと思ってたのはおれだけじゃない?

「生徒会あるのに……?」

「生徒会は生徒会だ」

みんな錆びてる。あいつは帰った。平田と大西先輩の言葉が頭をよぎった。

「……すいませんでした」

「わかればいい」

淡々と言った。

なんだよ。自分の意思で野球部潰したくせに。しかも涼しい顔してたくせに。ほんとは辛かったなら、それなら、それらしくしてればよかったのに。ムカつく。

「おればっか子供みたいじゃないですか」

「今気付いたのか?」

にやりと笑う男前。呆れたように首を振りつつ、これは確かに言えないと思っていた。

大西先輩がバイク直したことなんて。


体育祭の準備は進みはじめた。

「はちまき配るよー。男子は二本、女子は一本取ってまわしてー」

手塚が赤色の鉢巻きを配る。四軍にはそれぞれシンボルカラーがあって、青龍は青、朱雀は赤、白虎は白、玄武は黒だ。男子の二本目は騎馬戦用。取られた時の予備。

「取ったらすぐ名前書けよー!無くしても予備ないからな!」

その名前の書かれた鉢巻きは、終わった後友人と交換したり、憧れの人からもらったり、好きな子と交換したり、まあそういうこともする。らしい。

「みんな鉢巻きもらった?!」

「もらったもらった!お揃いでなんか書こうよ」

「都々逸?スローガン?!」

「書こう書こう!」

「やっぱ各軍スローガン都々逸にするの必須!!」

部でもそんな話をして、にわかに体育祭への熱が盛り上がってくる。

各軍の第一回集会もはじまる。

朱雀軍に割り当てられた第一体育館、おれは小萩さんと段の上に立った。上からは人がよく見える。大西先輩、宮下さん、梅原さん、福山、生徒会書記の矢野、うちのクラスの奴ら。見知った顔がいるのを確認する。

「朱雀軍の大将やることになりました小萩でーす。みんなよろしくー!」

大将が挨拶をすると、きゃーこはぎさーーん!と女子の黄色い声が飛んだ。

思わず隣を見た。女子に人気があるのか。知らなかった。

「こちらは副将の小西くん!みんなよろしくー!」

はーい、と集まった一同が手を上げる。向井や長瀬、手塚たちが超笑顔で手を上げてるのが見える。

……ゆるい。ゆるいぞ朱雀軍。

「ご紹介に預かりました副将の小西です。大将こんなんですけど、やるときはやるところ見せられればと思います。よろしくお願いします」

「ちょっと!こんなんって何ー!!」

「こんなに素敵な大将だって言ったんですよ」

マイクを通してそんなやり取りをしていたら、一同から笑いが起こった。

ゆるいけど、まぁいい。たまにはこういうのも悪くないよな。


とはいえ、種目ごとに分かれて練習をはじめるとゆるいだけではない。

「いい?!朱雀軍は女子種目取りに行くよ!男どもに負けんなー!!」

「おおーー!!」

「足速い子が先陣切って!後陣は土台を崩せー!!」

小萩さんの指揮に声を上げながら、女子全員による棒倒しの練習。走り、飛び、押し合い、実践さながらの真剣さ。膝を擦りむく位は日常茶飯事。確かに男顔負け。

棒倒しはうちの学校の名物種目だ。クライマックスに女子の棒倒しと男子の騎馬戦があって、他の種目より点数が高い。しかも全員出場なので気合いが違う。

「おれらも負けてられませんね」

「その割りにはお前、あんまり勝つ気なさそうだな」

「うーん、まあ。スローガンさえ決まれば勝敗は割とどっちでもいい気がしてます」

「副将がそんなんでどうするんだよ」

大西先輩はいつもおれの隣で、仕方ねえなぁと笑っていた。


練習が終わって日が暮れて、帰ろうと玄関を出た。

だいぶ日が落ちるのが早くなってきた。肝試しのときはもっと遅かったよな。そんなことを考えつつ校門に向かう。

何気なく体育館に目をやるとまだ灯りがついていた。

体育館の練習は遅くまでできるからいいな。どこの軍だろう。

ちょっと偵察でも、という気分になってそちらに足を向ける。

「あ、小西くん」

覗いたそこには小萩さんがいた。手にしたバスケットボールが宙を飛んでゴールを揺らす。棒倒しの練習で汚れた学校指定のジャージではなくて、バスケ部のジャージ姿だった。

「もう引退なんじゃないんですか」

「そうなんだけどね。触ってないと落ち着かなくて」

ボールを右手で突きながら柔らかく笑う。

「小西くんは違うの?」

「おれはずいぶん触ってないんで」

「じゃ、代わりにどうぞ」

チェストパスでボールが飛んできた。右手一本で受け止めて、そのまま高い位置でドリブルをする。ゆっくりとコートまで歩を進めた。入るかな。ぐっと腰を落として、飛ぶ。

3ポイントシュート。放物線を描いてゴールに吸い込まれる。

「おおー。やるね!」

小萩さんが手を叩いてくれた。

「中学も野球部?バスケやってたことはないの?」

「学校の授業とか、球技大会とかでなら」

ダン。ゴールから落ちて弾むボールを拾って、ワンバウンドパスでボールを戻す。

「野球部。残念だったね」

「いえ。もう仕方のないことです」

「大西が憎い?」

おれをまっすぐ見て、聞いた。

「私ならきっと今まで通りには戻れない。でも小西くんはそんな風には見えないね」

一緒に大将をやりたがったくらいだし。

答えを求めるようにおれを見る彼女に、何も言えなかった。

おれは憎んでいるのだろうか。原因を作ったのは大西先輩だけど、手を下したのは中西先輩で、とどめを刺すような手段を提示したのは他でもない自分だ。

困って笑うおれを見て、小萩さんはそれ以上は聞かなかった。

「中西も二葉も……」

言いかけた言葉はそこで途切れて、

「ちょっと付き合って。ディフェンス!」

突然スイッチが入ったように指示を出し、低く構えてドリブルをはじめた。

おれも腰を落とす。ディフェンス。ダムダムとはねるオレンジ色のボール、でも追うべきはボールじゃない。それを持つ人の方だ。小萩さんの動きを追う。

緩急をつけたドリブル。一瞬止まって、速度を増す。ステップでついて行き、ボールを奪おうと手を伸ばした。それを回避して左足を起点にくるりとまわり、すばやく跳ぶ。

シュートポジション。手から離れるボール。

ほんの少し遅れて跳んで、おれはそれを叩き落とした。

「うわ」

「あ」

すいません、と謝った。思わず本気で止めてしまった。おれが弾いたボールは強く叩きつけられて、コートの端まで転がって行く。

「いいよ。そういう、女子だからって手加減しないところ。好感が持てる」

「……すいません」

「謝らなくていいよ。もう一回!」

走ってボールを取りに行き、今度はすごい速度でドリブルして向かってきた。

腰を落として構える。手加減はしない。されたくないって知ってる。平田はいつもそう言ってた。

おれの前まで2m、1m。走ってきた彼女はおれの前で足を止め、視線で左脇を抜こうとしているのがわかった。そっちに重心を傾ける。

と、次の瞬間、長い髪が反対側を風のようにすり抜けた。

フェイント?!目だけで!

右脇を抜き去った小萩さんから放たれたボールは、振り返ったおれの視線の先で鮮やかにゴールを揺らした。

翼が。見えた気がした。

「……勝利の女神の翼はひとつ。我ら朱雀と共にあり」

「え?なに?」

「スローガン。うちの」

どうですか、と振り返った小萩さんの目を見る。

「女神って。まさか私のことじゃないよね?」

「どうでしょうね」

言葉の意味はわからない。でも、そんな気がしただけだ。

「もう一回言って」

「勝利の女神の翼はひとつ、我ら朱雀と共にあり」

「もう一回」

「勝利の女神の……遊んでません?」

「遊んでないよーやだなー」

言いながらうんうんうなずいて、

「それで行こう」

オレンジのボールを掲げて笑った。


思いがけずスローガンはあっさり決まった。

それを報告すると、玄武軍も苦もなく決まったと笹谷が言った。やはり大将副将の発言権は強い。


死角ひとつも与えてやるな

猛れよ玄武 迎え討て


「青は?」

大西先輩が平田に聞く。おれたちの中では唯一の青龍軍。

「こちらも大丈夫そうです。予定通り、あの都々逸で」

「昇れ青龍、か」

「はい。広丸さんがかっこいいって言ってくれました。撃ち落とせー!って」


昇れ青龍 遥かの空へ

頂き臨みて撃ち落とせ


「じゃ、問題は白だな」

「そうですね……。今は四字熟語が第一案です。二十六字は長過ぎる、四字の方が簡潔で生えるって……瀬尾さんが」

当麻がうつむきながら報告をする。四字熟語ってことは、獅子奮迅、疾風怒濤、勇猛果敢とかか。まあ、わりと使いやすいし無難だよな。

「あいつの言いそうなことだな」

中西先輩は立ち上がった。

「どうするつもりですか?」

「え?これにしようぜって話してくる」

「そんな手の内見せて大丈夫ですか」

「お前は瀬尾をなんだと思ってんだよ」

あいつは敵じゃないぞ、と笑う。おれは首を振った。

「味方でもないと思います」

「なんで」

「……借りを作るのは、もっと別の機会に」

中西先輩は肩をすくめて大西先輩を見た。苦笑いして何も言わない。平田がおれを見た。

「でも小西、他になにか手があるの?」

「あの副会長だよー?中西先輩頼った方が楽じゃん!」

「中西先輩が出て行くんじゃなくて、白虎軍の中でそういう話になったことにしたい。おれが瀬尾さんなら他軍の干渉は受けたくない」

たとえ最後に中西先輩を頼るにしても、出来ることはやってからだ。

「それはまあ、そうかもなー」

あいつがそんなに素直に聞くとは思えないし。大西先輩が同意して、中西先輩を見る。

「やらせてみれば?」

「じゃあ、二日。二日間で風向きが変わらなかったらおれが口出す。それでいいか」

「わかりました。当麻、ちょっと一緒に来て」

「あっ、はい!」

二人で第二視聴覚室を後にする。

「松崎は部活だよな?」

「はい。……松崎くんには話して、口添えしてくれたんですけど……やっぱり一年の意見は通りにくくて」

「だよな。お前らのせいじゃないよ」

言いながら歩を進める。おれの少し後ろを小走りについてくる当麻。あ、と気付いて速度を落とした。追いついた当麻がおれを見上げる。

「それで、小西先輩……あの、どこへ?」

「矢野のとこ」

向かう先は一年の教室。矢野のクラス。朱雀軍の生徒会書記。せっかくだから味方についてもらおう。

「矢野さんいる?」

教室の入り口で呼び出しをかけると、矢野は大きな目を見開いて驚きを表した。

「どうしたんですか、めずらしい組み合わせで」

「そうか?おれたち同じ部だよ」

「知ってますけど……というか、小西さんが私に用なんて意外すぎます」

まあ、確かに。生徒会関連は中西先輩を通せば事が足りるから、今まで大して話したこともない。

「せっかく同じ軍になったんだし、と思って。ちょっと知恵かして」

「……?はい」

「こっち」

ふと見るとクラス中の注目を集めていることに気付いて、とりあえず場所を変えることにした。

「ここ……」

野球部の部室。ポケットから鍵を出して扉を開ける。二人とも入るのははじめてのはずだった。

「汚ねえけど。ベンチは掃除してあるから」

座って、と促した。二人はベンチに座ってぐるりと部室を見渡した。

バット。グローブ。主を失ってがらんとしたロッカー。

「鍵……なんで持ってるんですか?」

「合鍵作った。あ、内緒な」

中西先輩は知ってる。誰に内緒にするかなんて言うまでもない。矢野は複雑な顔をした。

「私にそんなにいろいろ見せて、いいんですか?」

「いいよ別に」

言って、パイプ椅子を持って来て二人の正面に座る。

「聞きたいのは、瀬尾さんに何かを提案するときの最善策。一年から話をつけるにはどうしたらいい」

「一年から……」

矢野は目を丸くして、チラリと当麻を見た。

「それはつまり、当麻さんから瀬尾さんに、ということですか?」

「そういうことになるね」

「なんとなく、分かって来ました。体育祭で何をやる気なんです?」

矢野はおれが説明する前にほぼ理解したようだった。さすがに鋭い。生徒会役員は伊達じゃない。

「知りたい?」

「ここまでされるなら、知っておきたいです」

「そう」

当麻の方を見ると目が合った。頷いて、当麻が説明をはじめる。

スローガンを都々逸にしたい。都々逸部のはじめてのイベントだからできれば協力して欲しい。白虎軍のことは白虎軍で決めたいから、小西先輩や中西先輩が話すんじゃなくて私がなんとかしたい。知恵を貸して欲しい。

「そっか……うん。わかった」

一生懸命に話す当麻の言葉に、矢野は頷いた。

おれは少し驚いていた。さっき先輩たちに話していたことを隣で聞いていただけで、当麻がおれの目的を理解していたから。

もしかして、当麻もおれたちと同じ気持ちだったのかもしれない。一年だってやりたいことはある。

「瀬尾さんを説得するには、先にイメージできるものができてるといいのかなと思うよ。イベントなら企画書とか計画書なんだけど、スローガンなら……例えば、横断幕のレイアウトとか」

「卜部は?」

あいつのことはわりとわかってるつもりだけど、それはあくまで同級生としてのことだ。当麻はどうするといいのか、これも聞いておく。

「卜部さんは、簡潔なのが好きです。四字熟語って言ったの、きっと卜部さんでしょ?」

「うん、そう!さすがー。よくわかってるんだねぇ」

「へへ。そうかな」

ちょっと嬉しそうに笑って、矢野はおれを見た。

「王道が好きなので、そういう案になったんだと思います。でも後輩の言うこともきちんと聞いてくれます。やっぱり説得力だと思いますよ」

「もっともだな」

答えながら、頭の中で作戦を組み立てた。説得力。企画書。横断幕のレイアウト。

「……小西さん」

矢野の声がおれの思考を止める。

「ん?」

「中西さんは、いつも」

少し躊躇して、言った。

「小西さんのことかばってくれてますよ」

「……瀬尾さんから?」

「はい。ご存知でしたか?」

「んー……」

知っていたかと聞かれれば、知っている。きっとそうだろうとは思う。

人から聞くのは初めてだけど。妙な気分だ。

「それが、何?」

「理由は特にないです。言っておきたかっただけです」

矢野は立ち上がった。スカートの皺を伸ばして、笑う。

「それが当たり前みたいに思えてることが、少しうらやましいです」

それだけ言って、当麻に笑って、一礼して、野球部の部室をぱたぱたと出て行った。

「矢野さんは、素敵だなぁ……」

当麻がつぶやいた。

夕暮れの部室。二人でいることが少し気になって、部室の窓を開けた。後ろから当麻の声がする。

「赤は、我ら朱雀とともにあり、ですよね」

「うん」

「かっこいいなぁ……」

嬉しそうに笑って、首を傾げる。

「部のことがあってもなくても、やっぱり、スローガンは都々逸にしたいです」

私いつの間にか、ずいぶん都々逸が好きになってたみたいです。

「おれも。頑張ろうな」

「はい!」

「都々逸は唱えやすいから、応援合戦に使えるってのは言ってもいいと思うよな」

「あっ、そうですよね!朱雀の都々逸を例に上げてもいいですか?」

「あー、それはやめといたほうがいいかも。どうせ知ってるだろうけど、余計なことは言わないようにしよう」

「なるほどー。わかりました!」

当麻は、前より話すようになった。思ったことを言うようになった。入部して来たときより随分成長した。

矢野を素敵だって言ったけど、当麻だって悪くないよ、とおれは思った。


当麻と考えた作戦は二つ。わかりやすい案を見せること。とにかく味方を増やすこと。

「内海ー。頼みがあるんだけど」

「なに?」

翌日の昼休み、クラスメイトに声をかけた。書道部、内海桐子。


獅子奮迅の働き見せて

爪を研ぎたる白虎軍


「これ、半紙に書いて」

「……なんで、白虎の?」

「んー。スローガン、全部都々逸にしたくて」

「えっ、これ都々逸?」

「うん。実は朱雀のも都々逸だ」

「勝利の女神のつばさはひとつ、我ら朱雀とともにあり……ほんとだ」

指を折って字数を数えて、目を丸くする。

「都々逸部の悪巧みってことね?」

「ま、そんなとこ」

内海は快く承知してくれた。今日の部活で書くよ。おっきい長半紙に、と。

書いてるところ見に行くわと約束して、放課後当麻と二人で書道部に行った。ついでにもう一人連れて行く。

「今度は何?この後実行委員会だからあんまりゆっくりできないよ」

「おー。当麻もだろ?わかってるって」

白虎軍の二年生実行委員、影野翠。最近は割とよく話す。肝試しのおかげだ。

「影野さんすいません、プログラムの制作もあってお忙しいのに」

「え、お前プログラム作成班?」

「うん。表紙描いてる」

「マジか」

「はじめるよー」

内海がおれたちの方を見て声をかける。頷くと静かに筆を持ち、横にしいた長い半紙に例の都々逸を書く。

静かに筆の流れる様。力強く、流れるような。息を飲んで見守る。

「どう?」

書き上げて内海が顔を上げた。

「かっこいいです……!」

「うん。いいな」

筆文字にすると予想以上にいい感じだった。やっぱりこっちの方がいいですよ、瀬尾さん。そんな気持ちになる。

「なにこれ。もしかしてスローガン?」

「うん」

「そっか、当麻さんと松崎くんが言ってたやつ……小西の入れ知恵だったの?」

「正確には都々逸部の入れ知恵だ」

当麻も入れ知恵した側に含まれる。悪びれず言うと、影野はあきれたように肩をすくめた。そして内海に近付く。

「ちょっと貸してね」

筆を持って走らせる。内海が書いた文字の余白に。

しばらくしてそこに現れたのは虎。白虎軍のシンボルだった。

虎が入るとさらにそれらしさが増した。まごうことなく横断幕のサンプルだ。しかも出来はかなりいい。

しれっとそんなものを描いてのけたけど、影野の本意はわからない。思わず尋ねる。

「協力してくれんの?なんで」

「肝試し、楽しかったからね」

「……仕掛け動かしたりしたもんなお前」

「怖かった?」

「怖かった」

頷くと、影野は笑った。満足そうに。

「これ貸して。瀬尾さんに掛け合っておくよ。一緒に行こう、当麻さん」

おれたちはそうやって、また一人味方を増やすことに成功したようだった。


二日経った。

どこまで事情を知ってるのか、中西先輩が「もう大丈夫そうだな」と言った。

当麻が嬉しそうに横断幕のレイアウト案を持って来た。見覚えのある構図。

あの時影野が描いた虎と、その横に二十六文字。

だけど。


闇も焔も畏るる勿れ

毒を喰らひて征け白虎


「やみもえんも……?」

「ほのお、だろ」

「闇もほのおも、おそるるなかれ?」

「毒をくらいて、ゆけ白虎?」

笹谷と佐倉が声に出して読む。

「……なんで」

中西先輩を見た。瀬尾さんの都々逸はひとつしか見たことはないが、これは間違いなく彼の作だ。この小難しい感じは。

「瀬尾がおれたちの案に文句言ってるから考えさせた。いいだろ?」

「考えさせたって!!考えさせたって……!!なーかせおおおお!!!」

「レナちゃん落ち着いて」

平田が冷静に止める。

「自分が毒だって自覚あるんだなあいつ」

大西先輩がからからと笑う。その横で佐倉が横断幕を睨んだ。

「なんか、かっこよくて腹立つね」

「……確かに」

認めたくないけど、おれたちのよりもかっこいい。白虎軍らしいというか、瀬尾さんらしい。

それにしても、考えさせたって。結局口出してるじゃないか中西先輩。

でも文句を言う気にはならなかった。矢野のせいだ。

「ねえねえ。スローガンに気を取られてて忘れてたけど、部対抗リレーもあるよね?」

二葉さんが思い出したように言った。そういえばそうだ。忘れてた。

「あれってエントリー制よね。都々逸部も出る?」

「おー」

「だな」

大西先輩と中西先輩は、当然のように出ると言った。

「じゃ、メンバーはおれたち三人と平田ですよね。次は誰が速い?」

部対抗リレーは五人制だ。各部から一番足の速い五人が出る。二葉さん、佐倉、笹谷、当麻。この中からあと一人。

「そう思ってこないだの体力テストの結果比べてたんだけど、短距離はほとんど差がないんだよね」

「そうなんだよねー。どうしよっか!」

佐倉と笹谷がおれを見て首を傾げる。うーん。難しいな。

「じゃ、二葉」

大西先輩が無造作に言った。えっ?と声を上げる二葉さん。

「そんなに簡単に決めていいの?みんなでかけっこーとかやんないの?!」

「体力テストの結果がそうなら大差ないんだろ?それに」

頬杖をつく。

「お前は今年で終わりだから。走っとけよ」

一年と二年は来年がある。そんな、野球部のときみたいな理屈を言った。

「そ、そっか……確かに」

「我々は来年があるもんね!二葉さんの勇姿を見届けなくては!!」

「てゆーか、それって大西先輩と中西先輩もですよね」

平田が言う。三年生が走るのを見るのは最後ですよね、と。

「最後……」

当麻がうつむいて、女子たちが全員押し黙る。流れる沈黙。

「いや、たかが体育祭のリレーでなんでそんなに辛気臭くなるんだよ」

思わず笑った。卒業式が思いやられる。

「そうだよ。四軍の順位にも関係ないお遊び種目なんだし、気楽に行こうぜ」

中西先輩も笑う。二葉さんが気を取り直して同意する。

「そうよね!女子が二人もいたら運動部に勝てるわけないしね!」

「あ、でも女子二人か」

「あ、そうですね。バトンが軽くなる!」

全員男子のチームのバトンは真鍮製の重り(特注品)で、女子が二人以上エントリーされた場合普通のバトンになる。公正を期すための微妙なルール。

でも、ありがたい。あのバトンほんと走りにくいんだよな。

「ちょっとは有利かもなー」

大西先輩は笑って、椅子の背でのんびりと伸びをした。


体育祭まであとニ週間。各軍シンボル入りの横断幕を作る作業に入って、横断幕班は夜遅くまで居残りするようになった。

「上原さんの鉢巻きを食べたい……それか鉢巻きになって泥で汚れて洗濯されたい……柔軟剤なしで……柔軟剤なしで……」

「灯ちゃん怖いよ」

「去年鉢巻きもらえなかったからトラウマになっちゃったんですかね?」

「ううん、むしろいつも通り」

「ほんとは上原さんの上靴になりたかったんだよーーー!!」

「だから怖いってば!!」

朱雀軍の横断幕に線を引きながら、梅原さんのいつもの挙動に宮下さんと福山が突っ込んでる。

青龍軍の横断幕班は隣のクラスだった。平田を尋ねて様子を見に行くと、浅井が、渕崎が、芦屋さんと魚谷が、同じように作業をしていた。

「芦屋さん芦屋さん!青龍はもっとくびれてた方がいいですか?」

「そうだね、くびれ大事だね。あと髭は多めにね」

「はい!」

「琴子ちゃん、線はもうちょっと太い方が見栄えがいいんじゃない?」

魚谷にアドバイスする渕崎。その後ろにいた浅井がおれを見つけて手を上げた。

「なんだい小西。今日は諜報活動かい?」

「違うって。そっか、お前も青か」

「そうだよ。メフィストと同じ組でなかったのが惜しいね。近くで見られたらさぞ面白かったろうに」

「あ?誰だって?」

「自ら墓穴を掘るんだ。そんなトップなんて旧ドイツの総統くらいだろうね。太陽のような従者がつくようだけど、彼が落ちていくならそれも面白い」

相変わらず何言ってるか全然わからん。

「あー、いいから。平田呼んで」

呼ばれて来た平田は手を青く染めていた。ペンキの色。

「なに?」

「今日は部活休みにしようって」

「わかった。区切り悪かったから助かる」

じゃあね、と青い手を上げる。

帰ろうと第一棟の一階を歩いていると、美術室の前を通りがかった。夏の間は毎日のように来ていた部屋。まだ電気がついてる。

窓から覗くと、こっちも横断幕の作業中のようだった。東が見えたので扉を開ける。

「あっ、ご主人様」

「小西ー!スパイか!スパイなのかー!」

「おー、ちょっと見せろよ。お前ら横断幕班なの?」

「そうですよー」

文芸部の高橋。美術部の東。他にも何人かいて、その中に一年の姉崎がいた。落研の。

「小西先輩お久しぶりですー!」

「肝試しで会ったじゃん」

「でもお話できなかったですし!」

姉崎のことはよく知ってる。理由はひとつ。

「なんだよ小西、随分堂々としたスパイだな」

「大将が見てる前ならスパイにならないですよね。つーかなんでいるんですか。大将自ら」

なぜだか中西先輩までそこにいて、手伝っていた。

「いちゃ悪いか、自分の軍だ」

「大将自ら手伝って?」

「おー。手は多い方がいいからな」

「おおおーさすが男前!ひゅーひゅー!!」

「じゃーパンツ見せて」

「わー!セクハラだー!!」

姉崎が冷やかして、中西先輩がセクハラをかます。中西先輩が気軽にこういうこと言うのは姉崎くらいだ。中学からの後輩で、懇意だから。去年入学する前に校内を案内してやってて、おれもそのとき紹介された。

「セクハラ生徒会長……」

「うるせえよ、このスパイが。帰れ帰れ」

「そうだぞ小西ー!これ以上見て行くなら見学料を要求する!」

「金はない。飴やる」

「ミルキーだ!ありがとう!!」

文句を言う東に飴を投げると笑顔で受け取った。さっき何故だか梅原さんにもらってポッケに入れていたもの。甘いもの苦手だからどうせ食べないし、ちょうどよかった。

「じゃー帰りますけど、セクハラはほどほどにして下さいよ。訴えられたら負けます」

「わかったわかった」

玄武軍に別れを告げて校舎を出る。

駅までの帰り道を一人で歩いた。草むらから聞こえてくる鈴虫の声。

蝉の音がいつの間にか聞こえなくなっていたことに気づいて、季節が変わったことを少しだけさみしく思った。


今日の練習は第一グラウンド。一番広いここを使える日は練習も気合が入る。

「いくぞー!せーのっ!」

「こっはぎ!」「ちゅんちゅん!」

「こっはぎ!」「ちゅんちゅん!!」

「ちょっと待て、なんだそのかけ声」

「いいでしょ?バスケ部の子がこれで行こうーって!」

大ムカデの紐を足に結びながら、長瀬が笑顔で言う。

序盤の一・二年女子の種目、大ムカデ競走。二十人の両足を結び、ムカデのように連なって走り、その順位を競う。人数が多いからかけ声を使ってタイミングを合わせるのが重要な種目だ。

普通のかけ声はいちに、さんし、とかなんだろうが、他のチームと同じだとわからなくなるからみんな色々工夫する。

「いいけど……ゆるすぎないか……?」

「私はいいと思う。絶対聞き間違えないし」

いつの間にか横にいた宮下さんが笑う。三年生はムカデには出ないので休憩中。

「浦ちゃんによると、白のかけ声はもっと面白いらしいよ」

「マジすか」

「詳しくは教えてくれなかったんだけどねー。当日楽しみにしてなよ、だって」

「へー」

「こらー小西!なにサボってんだ!騎馬戦はどうしたー!!」

「あーはいはい。男子集合ー!」

小萩さんに促されて男どもを呼び集める。わらわらと集まってくる中に、大西先輩。

「すっかり尻に引かれてるな」

「そうですね。小萩さんはエロいですからね」

「何言ってんだ小西ー!体育館裏来いこらー!!」

「嫌です」

「なんだ、ずいぶん仲良くなったじゃねえか」

「そうですか?」

言いながら騎馬を組ませて、人数をちょうど半分に分けて模擬戦を行う。

「あーーっち。水ーー」

ひとしきり練習して、休憩。

「小西、応援合戦の主力だけ先に抜けていい?」

「おー。もう一戦やったら合流する」

向井に言われて同意した。向井は応援合戦のリーダーだ。

「我ら朱雀と共にありぃいい!!」

声を張り上げてあの台詞を叫ぶ応援合戦。……ちょっと嬉しい。

「気合い入ってるな」

「そりゃあもう。勝つ気満々よ」

「すげえなお前ら。おれ全然実感ねえわ」

「なんでそんな弱気なんだお前。どうせなら勝とうぜ。ボッコボコにしてやろうよ」

向井は心底楽しそうに言った。


翌朝のホームルーム。ここのところ話題は体育祭関連ばかり。今日も手塚が前に出て、紙の束をかかげた。

「プログラム出来たから配るよー。当日まで大事に持っててね!」

配られたそれは、青と黒のコントラストがきれいなさわやかなデザインだった。

表紙には『西高体育祭』の文字。それを囲む四神と、その下に大将たちのイラスト。

「おおー。この右端の、小萩さんじゃん!」

「これは会長、こっちは広丸さんで、これが副会長か」

「にこりともしてねえな」

「そして眼鏡」

「超似てる!!」

笑いが起こる。すげえな影野。大受けしてんぞ。

「よく出来てるよねー!四神がかわいい」

長瀬が言って、プログラムの『棒倒し』の文字をなぞる。

「放送部、今年もアナウンスとか実況とかやるんだろ?長瀬も?」

「うん。実況は先輩がやるけど、私はアナウンスやるよ。開会式と閉会式、他にもいろいろ!」

「楽しみだなー。でもそれだと当日忙しいね」

無理すんなよー、と向井が笑う。

その横から手塚がおれの名前を呼んだ。

「あ、小西。今年の大将副将種目はストラックアウトだって」

「……は?!」

そんなの聞いたことない。今までは二人三脚とかだったのに。

「なんだよそれ。そんな前例あったか?」

「ない。でも卜部がそうしたいって」

「なんで?」

「さあ。とりあえず卜部が言うことだったから全会一致で決まったけど」

正確には無差別ストラックアウト、って言ってたぞー。手塚はそれだけ言って仕事に戻る。

卜部の本意がわからなかった。確かに今年の大将副将は球技の部活出身者が多いけど、瀬尾さんがいる白虎軍はその分不利になるのに。


部活前、おれと中西先輩は職員室に向かっていた。

さゆり先生を呼びに行くため。今日は出来れば全員で。大西先輩がそう言ったから。

「負けませんよー!今年は朱雀がもらいます!」

静かに職員室の扉を開けると、楓先生のそんな声が聞こえてきた。

「いや、白だろ」

「いーえ、いくらお二人でも譲りません。今年は青です」

あ、いた。さゆり先生。青龍が勝つって拳を握りしめてる。

それを受けて永田先生が指を立てた。

「よし、賭けようぜ。一口千円で最大五口まで」

「赤に全部!」

「青に全部!」

「栗原先生はどうします?」

「黒に四口、青に一口。生徒の前でやるなよ」

「はーい」

「聞こえてますよ、先生方」

中西先輩が笑いながら声をかけた。うおっ、永田先生が声を上げてメモしてた紙を隠す。

「もう見ちゃったから手遅れですよ」

言いながら覗き込もうとするが、永田先生の手のひらに阻止される。

「お前ら、他の生徒に言うなよ」

「わかりましたけど、買ったらおごってくださいね」

「おれが勝ったときはお前らが負けたときだけどな!」

「自軍に賭けたのバレバレじゃないですか」

白に賭けたのであろう世界史の教師を笑って、おれたちは顧問に声をかける。

「さゆり先生、部活来れますか?」

「行くわよー!少し遅れるから先に始めてて」

「わかりました」

同意して二人で戻る。不良教師たちめ、と笑いながら。

第二視聴覚室に戻るともう部員たちは全員揃ってた。

「早いな」

「うん、待ちきれなくて。無事に全軍のスローガン、都々逸になったもんなぁ」

二葉さんが感慨深げにプログラムを開いた。

各軍紹介の欄に書かれたおれたちの都々逸。おれたちのじゃないものも混ざってるけど。

「嬉しいね。形になるのは、やっぱり嬉しい」

「そうですね」

二葉さんは相変わらず、普通にしていれば吸い込まれるような美人だ。

「やっぱり体育祭は鉢巻き交換の儀式がたぎるからね……!そこにみんなで考えた都々逸!それをまとって戦うおおなか!敵で味方!味方なのに敵!!おいしい!!!」

ああ、ダメだ。やっぱりいつも通り。そこに当然のように笹谷が乗っかる。

「最近ちょっとみなこにも熱いし、小西は南野くんと交換すべきだと思ってます!」

「確かに。そういう意味ではまつこにも捨てがたい!!」

「それはさすがにトマっちゃんのものでしょう?」

「二本あるから!大丈夫!!!」

「おおなか派としては当然大西先輩と中西先輩は交換すべきって感じですよね」

「でも当たり前すぎてもはや鉢巻きなんていらない二人ってのも熱い」

好きな奴のをもらおうとかそういう話にはならないのか。うちの女子部員たちは。

「みんな元気でいいわねー」

「あ、先生」

「お疲れ様ですー!」

遅れてきたさゆり先生が合流して、部員八名と顧問一名、全部で九名が勢ぞろい。

「今日は何やるの?」

「決起集会というか。鉢巻きに一筆入魂を」

せっかくスローガンを都々逸にできたからみんなで書こう、と誰からともなく話して、今日書くことになった。

用意した黒と白の油性ペンを手に取る。

猛れよ玄武。征け白虎。昇れ青龍。

「小西くん?書かないの?」

「……先生、おれの分書いてくれませんか。字汚いんで」

「敵に塩を送るのはなぁ」

そんな風に笑いながら、白い手が赤い布をさらった。

文字を書く手元を眺める。我ら朱雀と共にあり。

「中西先輩の鉢巻きは、今年も争奪戦になるのかな」

「もうめんどくさがって適当に投げたりすんじゃねえの」

「そうかもねー」

平田はいつも通り笑う。

「小西は誰にあげるの?」

「え?」

手元の文字を見た。勝利の女神の翼はひとつ。

「欲しい奴なんかいないだろ」

おれ以外に。これは渡さない。


四軍の大将はいくつか決めることがある。陣の取り方、整列の順、その他もろもろ。そのために全員集まってコイントス。そこに一応副将も呼ばれる。

そんなわけで今日は全員で生徒会室。大将副将が勢ぞろい。

「落ち着かねえなここ」

若井が部屋を見回して言った。卜部が笑う。

「そうか?」

「そりゃお前は入り慣れてるだろうけどさ。おれら馴染みないもん」

「だよな」

同意してなんとなく視線を流すと、不敵な顔の南野と目が合った。

「……なんだよ」

「当日が楽しみだなと思って。小西なんかに負けねえしな」

「あ?体育祭はチーム戦だろ。視野が狭いんだよ。だからフォワードしかできないんだお前は」

「なんだとてめえ」

「やーめーろ」

いつも通り広丸さんに止められて黙るおれたち。隣で若井が笑う。

「お前ら仲いいよな」

「よくねえよ別に!!」

南野が大声で反論する。まったくだ。

「いいからはじめるぞ。まずは決めるのは……選手宣誓か。誰がやる?」

「え、中西でしょ?」

「そうだな」

「うん」

小萩さんが、瀬尾さんが、広丸さんが、中西先輩の問いかけに口々に答えた。言われた本人は困ったように笑う。

「おれは広丸がやってもいいと思うんだけど。全国まで行ってるんだしその方が自然」

「そうか?運動部じゃないってことなら別に気にしなくていいと思うけど」

なあ、と広丸さんが瀬尾さんを見た。頷く副会長。

「お前が野球部だったことは全校生徒が知ってる。些細なことだ」

「本当に些細か?」

真面目な顔で瀬尾さんを見る。些細だ、と瀬尾さんはもう一度言った。そしておれたち二年を見る。

「お前らはどう思う」

「おれは生徒会長が宣誓してるところが見たいです」

真っ先に卜部が言った。

「宣誓くらい譲りますよ、どうせ部対抗リレーは勝ちますし!」

南野が勝ち誇ったように笑う。瀬尾さんの目が今度はおれを見る。

「……おれも、生徒会長がやるのがいいと思います。サッカー場は確かに全国レベルですけど、他に活躍してる部もありますから」

言いながら若井を見た。西高はバレー部も強い。ついでに言えば剣道部とか空手部とか弓道部とかも強い。

「そうっすね。うちの主将も中西さんなら納得すると思いますよ」

結局のところ、中西先輩を凌ぐ人気者なんていないのだ。どういうつもりで回避しようとしているのかわからないけど、本人だって重々分かっているはず。

結局中西先輩は選手宣誓をすることを承知した。みんながいいなら、と笑って。


せっかく全員集まったから、とその後は着替えてグランドに出た。大将副将種目の練習。無差別ストラックアウト。

卜部の説明によると、ルールはこうだった。

10m先に立たせた大小様々なサイズのパネルをボールで抜く。大きさごとに点数が振られていて、その倒した点数の合計点を競う。使用するボールは自由。

もちろん大きいボールの方が有利だが、小さな的を射抜くと高得点なのでバランスが重要。

「てことは、狙う的ごとにボール変える方がいい?」

「でもなー、いつも触ってるボールの方が精度高いよな絶対」

「ま、とりあえずやってみるか」

用意されていたボールは大小様々。バスケットボール、バレーボール、ラグビーボール、そして野球ボール。

大西先輩が大将じゃなくてよかった。こういう競技が入るなら辛いだけだ。

「私はやっぱりバスケットボールだなー」

小萩さんはそう言ってオレンジ色のボールを手にした後、当然のように野球ボールをおれに投げてよこした。

「ありがとうございます」

素直に受け取った。

久しぶりだ。ぐっ、と握って力を入れる。

そのまま振りかぶった。10m先のパネル、一番小さい的を狙って全力で振り抜く。

パーン。

いい音がして、パネルは綺麗に倒れた。

「おおー」

横で見ていた小萩さんが手を叩いてくれる。

「いいね、ナイスコントロール!私大きな的狙うから小さい方は小西くんが狙って。分担しよう」

「はい」

わかりました、と頷いたおれの横で、南野が大きくサッカーボールを蹴り上げた。小さい的を的確に倒す。あの大きさのボールで。

「どーだ小西!!」

「あ?見てなかった」

「それならもう一回やるから見てろ、ブランクがあるお前なんか敵じゃねえんだよ!!」

「うるせえよ一人でやってろよもう」

「仲良いなお前ら」

「仲良くねえって言ってんだろ」

おれに反論された若井は笑って、バレーボールを軽く放り投げて跳んだ。Aクイック。すごい速度でボールが飛んで、大きな的をなぎ倒す。

「お、やるな」

「中西さんは投げないんですか?」

「投げるよ」

笑って、軽く振りかぶった。キャッチボールくらいの緩い速度で白球が飛んでいく。

威力の弱いそのボールは、パネルに当たりはしたが倒すことはできなかった。

「あー惜しい!」

「なまってるな」

動じることもせず笑う。もう一度振りかぶる。緩い球。同じことの繰り返し。

本気で投げていないのは誰の目から見ても明らかだった。

「小西?顔怖いよ」

「そうすか?」

もう野球をやるつもりはないんだって言ってる気がした。

そんな権利もないと思っているのかもしれない。贖罪を求めてるのは中西先輩も同じなのかもしれない。

あのとき松崎が泣いてくれたから、おれは謝ることができた。後輩を売るような真似をしたと栗原に指摘されたその罪を。

もしかしてあの時おれは、水風船を投げるべきだったのかもしれない。

「なんだ?」

中西先輩がおれの視線に気付いた。

「……なんとなく玄武軍には負けたくない」

「たぶんだが、別に勝たんでいいはずだ」

「余裕ですね」

「なにムキになってんだよ」

苦笑いする男前の顔を見た。ムキになろうと思った。

「今回は負かしてやりたいかなと思って。水風船投げる代わりに」

無抵抗には投げられなかったけど、体育祭でなら。

「全力で行きますから。そのつもりで迎え討ってください」

中西先輩は目を丸くして、驚いた顔を見せて。

「わかった」

とだけ、言った。


翌日からおれは真面目に勝ちを狙うことにした。

「前衛、スタートと同時に全体で駆けて!右翼遅い!ダッシュ!!」

「いいか、必ず複数で動け。数で圧倒してつぶせ!!」

「そこ、単騎になってる!狙われるぞ!!」

騎馬戦の戦略を考えて指揮をして、声を張り上げる。

「どういう風の吹きまわしだよ?」

大西先輩はそう言って笑って、でも詳しくは聞かなかった。

実行委員と小萩さん、各クラスの大将副将候補だった主要メンバーに声をかけて作戦会議をする。本番まであと一週間。エンジンかけるには遅いくらいだが、あったまって仲良くなってきたところだ。作戦の浸透も早いだろう。

「軍の得点になるのは全部で十種目。教員種目を除いて九種目。この中で最重要なのは棒倒しと騎馬戦」

「うん、得点高いしね。だからずっとそこ中心で練習してたじゃない」

「はい。でもこの二競技は終盤です。それまでに離されては意味がないので、もう二種目は確実に一位か二位を取っておきたい。具体的には」

開いていたプログラムの競技名を指差す。

「大ムカデと玉入れか」

手塚がそれを読んだ。頷く。

序盤の二種目だ。大ムカデは一・二年女子、玉入れは三年。ここでできる限りポイントを稼いで後半につなげたい。

「軍対抗リレーは取るの難しいと思う。個人種目も平均で見ると抜きん出るのは難しい。だから団体戦で取る。それがおれたちの戦略です」

「わかった」

「いいぞ。チームワークで勝負な」

三年生たちが同意して、それぞれの種目のリーダーを決めて、朱雀軍はまた少し結束を固めた。


それからは毎日遅くまで残った。

グランドでの練習日は、日が落ちて真っ暗になってもまだ練習していた。

相当ハードなはずだった。特に運動部じゃない生徒にとっては。

でも不思議と不満が出ることはなかった。むしろ和やかなくらい。小萩さんがうまくバランスを取って声をかけてたからだと思う。おれもそれに気づいてからは真似をするようにしてた。辛くなる前にローテーションから外して休んでもらう。役割もそれぞれ適所に振る。

そうして日々を過ごして、あっという間に一週間は過ぎて、その日が来た。

「いい天気」

隣で長瀬が呟く。

「うん。よかったな」

「長瀬アナウンス頑張れよー!ほら、これ」

「ありがと」

向井が渡したのど飴を礼を言って受け取る。

「熱中症に気をつけて、きちんと水分補給してね!」

並んだ朱雀軍の先頭前、おれたちと同じように赤い鉢巻きを締めた楓先生が生徒たちに声をかける。はーい、と一同。

準備期間、一ヶ月。本番、一日。西高体育祭当日。

小萩さんと二人、整列した朱雀軍の先頭に立って前を向く。隣に敵軍。中西先輩。

「小萩さん。おれ、青には負けたくないですから」

「そうねー。私もひろりんには負けたくないかな」

「あと、黒は。ぶっ潰すことにします、やっぱり」

「やる気になったんだ」

「はい」

やってやる。勝って、もうなかったことにする。全部。

「選手宣誓。玄武軍主将、中西憲広。前へ!」

ざっ、正面だけを見て無言でおれたちの前を歩いていく生徒会長。台の上に立ち、全校生徒を見渡して息を吸う。

「選手宣誓。私たちは西高の生徒であることを誇りに、各軍団結し、全力で戦うことを誓います。9月30日、選手代表中西憲広」

凛とした声。目を伏せて一礼。大将たちに視線を送って背を向け、ゆっくりと降りてくる。

戦いがはじまる。

ちらりと隣をみると、小萩さんは口元に笑みを称えていた。

「第31回西高体育祭を開会します!」

秋晴れの空に、はじまりを告げる長瀬の声が高く響いた。

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