番外編: 西高サッカー部1番GK 卜部博則

全国の一回戦はいい出来だった。

スコアは2-0、支配率は66%。

エースが堅守を崩した。守備側の自分達も負けないくらいの堅守を見せた。

顧問が言った。よくやったと。

それだけで十分おれたちの士気は上がった。


練習は毎日遅くまで続く。負けるまで終わることはない。

正直しんどいが、終わってほしくはない。少しでも長く続けばいい。

「水分補給怠るなよ!」

「はい!」

夢中になりすぎて我を忘れるエースに主将から声が飛んだ。一旦止めて給水する。ぬるくなりつつあるポカリスエットに手を伸ばすと、外側の水滴をグローブがはじいた。

「よーし行くかー。あと10本」

「確率落ちてるぞ。バテてんのか?」

「バテてねー!次は全部入れる!!」

南野の赤いスパイクがグランドを蹴る。

こいつのシュートを一番止められるのはたぶんおれだ。癖は熟知してる。それだけ練習してきた。さんざん見てきた。

でもそれは練習の時だけだ。

試合中はいつも、おれの位置から南野はよく見えない。

当たり前だけど。フォワードとゴールキーパーだから。


ピーッ、と吹かれた笛で午前の練習が終わり、汗だくのまま一旦部室に戻る。それぞれ持参した弁当を持って思い思いの場所に座り込んだ。おれは部室の横、渡り廊下のひさしの日陰。それでも暑い。

グローブを外してホッと一息。外す時の開放感が実は好きだ。

「お疲れ様です」

「お疲れ様でーす」

一年やマネージャーが声をかけてくれて、差し出される冷たいポカリスエット。ありがたい。

「さんきゅ」

一番近くに来た一年から受け取った。松崎陽太。

「大丈夫ですか?すごい汗ですよ」

「うん。止まると途端に暑くなるよな」

地獄に仏だ、と手渡されたポカリを手に笑うと、松崎も釣られたように笑って頷いた。

ようやく笑うようになった。野球部から来た一年の中で一番馴染むのに時間がかかった松崎。あいつほっとくと落ちてるから気にかけてやって、と中西さんに言われたほど。

「二回戦、もうすぐですね」

こうやって話しかけてくれるようにもなった。

「スタンドから応援してますね。他には何も出来ないですけど」

「してんじゃん」

ポカリのボトルを掲げて見せると、それはまぁ、と曖昧に首を傾げる。

何もできないなんてことない。

スタジアムに響くあの声援が、歌が、音が、ユニフォームと同じ白と黒のストライプで埋め尽くされた客席が、どれだけおれたちを奮い立たせるか。

わかってないな、松崎は。


おれはサッカー部のゴールキーパーである他にもう一つ役割を持っている。

とはいえ最近おろそかになりすぎだ。今日の練習は少し楽だったから、余裕のある時に行かなくては。

がらり、生徒会室の扉を開ける。

随分日が傾いたというのに、生徒会役員は四人ともまだそこにいた。中西さんまで。めずらしい。

「お疲れ」

のんびりと椅子に背を預けている。

「お疲れさまです。遅くなりました」

「おー、気にすんな。つーか全国終わるまで来なくても平気だぞ、なんとかするから。瀬尾が」

最後の三文字を当たり前のように言った。後ろにいる無表情の瀬尾さんが目に入って素直には頷けない。

「いや、あの、全然安心できないんですけど」

「心配するな。こいつの舐めきった考えはおれがなんとかする」

「なんだよ、だからちゃんと来ただろ。今日」

「頻度が低い」

ふたりのやり取りを見ながら、なくなった野球部のことを思った。

同じくらい練習してたのを見てた。同じように遅くなってから、ここに来ていた。部がなくなるなんておれには想像もつかない。

今、何を考えて過ごしてるんだろう。涼しい顔をしたこの人は。

「中西さん」

「ん?」

「……いえ、あの、いいんですか?」

いつもほんとに聞きたいことは聞けない。

「いいよ。総体終わったら頑張れ」

「お前が言うな」

瀬尾さんが無表情のままツッコミを入れる。

「はい、総体の報告書とか作れると思います。なんなら臨場感たっぷりに」

「じゃあサッカー部の分はお前がやるか。他は中西で」

「あ、瀬尾さん!私もやってみたいです、勉強のために!」

矢野が無邪気に手を上げた。心なしか緩む副会長の空気。

それがいいな、おれの出る幕はないくらいだ、よかったよかった、とふざける中西さん。瀬尾さんが睨み、征矢がころころと笑う。おれも笑いながら自席に向かった。が。

「あれ?おれの仕事は……」

「あ、やっといた」

今度は『瀬尾が』とは言わなかった。机の上に相当ためこんでいたはずの書類が跡形もなく消えている。思わず、しばらく来ていなかったはずの顔を見つめた。

今日だけでやったのか。あれを全部?

「なんだよ?」

「いえ……ありがとうございます」

「おー。あ、そうだ。肝試しやるから。お前らも参加な」

「あ?」

瀬尾さんが眉間にシワを寄せる。

「どこの馬鹿だ、そんなことを考えたのは」

「小西」

「あいつか」

チッ、舌打ちをして腕を組む。

「学校は遊び場じゃないぞ。野放しにするな」

「いいじゃねえか、どうせ使ってないんだし」

「許可は」

「取った。永田先生に」

「他には」

「美術部と演劇部が協力してるって。参加はうちと水泳部、文芸部あたり。あ、サッカー部にも声かける予定」

サッカー部、のあたりで中西さんはおれを見た。

そんなにたくさんの部が関わってるなんて。生徒会顔負けだ。

「都々逸部で色々やりたいから、そのうち相談する」

「いいけど、具体的には何を?」

「なんだろうな」

体力テスト上位者を眺めながらそんな会話をしたことを思い出した。

都々逸部で何ができるのか、おれには想像もできなかった。

それが、肝試し?

「中西」

瀬尾さんが腕を組んだまま中西さんを呼ぶ。まだ納得してないって顔。

「それは都々逸部の活動か?どこに都々逸が関係あるんだ」

「ないよ」

あっさり言って笑う男前の生徒会長。

「これからのために布石を打ってるんだろ。他の部と一緒に活動するから」

設立のとき言っただろ、と無造作に言う。刻まれている眉間のシワを気にも留めずに。

不機嫌な瀬尾さんとこんな風に気軽に話ができるのは中西さんだけだ。おそらくこの学校の生徒でただ一人。他はやっぱり萎縮する。おれと征矢ですら、今でも少し緊張はする。

小西はなんでおれにあんなことを言ったんだろう。中西さんがいるならそれだけで十分なはずなのに。何も心配することなんてない。

「卜部さーん、麦茶飲みます?」

「飲む!」

矢野が声をかけてくれた。冷蔵庫から取り出したペットボトルからコポコポと音を立ててグラスに満たされる茶色の液体。唯一の一年の生徒会書記は、いつも気遣って茶を入れてくれる。ありがたい。

「さんきゅ」

「どういたしましてー!」

差し出されたグラスを受け取ると、矢野は少し真面目な顔になった。

「無理しちゃダメなんですよー。卜部さんの代わりはいませんから」

「どうだろ、控えのメンバーならたくさんいるしなー。スタメン脅かされるくらいに」

「生徒会にはいませんよ?」

「だよねー。高いところのもの取ってもらえなくなっちゃう!」

征矢が茶化して笑った。そうだな、と頷く。

「蛍光灯換えるのとか、中西さんには頼めないしな」

「そうそう!」

「蛍光灯くらい換えさせろ、来たときは徹底的に使っていい」

「いやー、でもおれより卜部の方が得意じゃん?蛍光灯換えることに関してはもはやプロじゃん?」

「じゃあ今度タイム測ってみましょうか!」

「なるほど!せいちゃん先輩さすがですっ」

「……葉月ちゃんかわいい」

「ななななんですかかわいくないですよぅ」

照れる矢野。征矢が真顔でかわいいを連呼してる。いつもの光景だ。そんなやり取りをしながら、見ながら、それぞれ仕事を片付けるのも。

おれも席に座ってわずかに一枚残された書類に目を通した。体育祭実施案。

「実施案もうできてるんですね」

仕事が早い。さすが瀬尾さん。

「ああ。体育祭実行委員会は人選済み、種目の詳細は征矢と矢野が詰めてる。卜部は総体終わり次第実行委員会に入れ。矢野も補助に着くこと」

「了解です」

「わかりましたー!」

「体育祭の組分け案はおれと征矢が作る。中西は最終調整」

「ん」

中西さんは手元の書類を読みながら当然のように頷いた。瀬尾さんは気にもせずにファイルを手渡し、中西さんは視線を落としたまま顔も見ずに受け取る。

あまりに業務的すぎて、はじめて見た時は仲悪いのかと思ったほどだった。

今は違うってわかるけど。多分なんて言うか、空気みたいな感じなんだと思う。

少しうらやましい。そういう相棒がいることが。

「うらくん?」

どうしたの、と来年相棒になるであろう小動物がおれの顔を覗き込む。

「あー、うん。腹減った」

「サッカー部頑張りすぎだからなぁ」

言いながらゴソゴソとカバンを探り、飴玉をひとつ渡してくれる。

「これでもいい?今お腹にたまるものないんだよー」

「さんきゅ。その気持ちだけで十分」

征矢はいい奴だけど、やっぱ女子だし丁重に扱わなくては。

「おれも久々に頭使ったから腹減ったわ。飯食って帰るか」

中西さんが伸びをした。瀬尾さんがペンを止めてそちらを見る。

「ラーメン?」

「ラーメン」

「味噌コーン!」

「あじたまー!!」

いえーい、と矢野と征矢が両手を上げる。

学校近くのラーメン屋、おれたちの定番は味噌ラーメンだ。コーンと味玉入れるのが最近の流行り。

誰からともなく席を立った。片付けて、電気を消して、ぱたん。閉じられる生徒会室の扉。

「鍵、おれが戻して来ますよ」

せめてそれぐらいはやりたくて申し出ると、中西さんは首を傾げて笑った。

間髪を入れず放物線を描いて飛んでくる鍵。的確におれの胸元に落ちる。

「じゃー先行ってるわ」

「いつものでいいの?」

「うん、大盛りで」

「早く来て下さいねー!」

お前は疲れてるからいい、とは誰も言わない。

その役割はお前のものだ。ちゃんと果たしてから追って来い。全員がそう言ってくれてるようだった。

背を向けて暗い廊下をひとり歩いた。チャラチャラと鍵を鳴らしながら。


二回戦の朝は曇天だった。

降らないことを祈る。雨で滑ると失点しやすい。

今日の相手は去年も戦った西の代表だった。飛び抜けた運動量を誇る強豪だが、去年は勝つことができた。相性がいいのか練習試合でも負けたことはない。

「下馬評ではこっちが格上。だが」

顧問が控え室でおれたちを見まわした。

「スタミナ自慢は相変わらずだ。強力な一年が入ったと聞いてる。おそらく後半が勝負になる」

おれたちは神妙な顔で作戦を聞く。4番と10番を特に警戒しろ。15番のセンターバックに封じ込められるな。

慢心するなってことだ。ここは全国だ。相手は全員強い。

「無敵艦隊だって絶対じゃなかったんだ。どんな相手でも負けることはある」

ピッチに出る前、視線の少し先にある芝生を見据えて言った。目の前のエースの背中が笑う。南野葦太、7番、FW。

「自分に厳しいのはいーけどよ、あんま力むなよ。待ちに待った二回戦だぞー。笑え、卜部」

「そういうのはお前の役目だろ」

「笑うのに役目もクソもあるかよ」

それもそうだ、と思わず顔が緩んだ。心を緩めなければそれでいい。

ホイッスルが鳴った。センターサークルの広丸さんから蹴り出されるボール。

心は緩めていないはずだった。だが、今日の相手は明らかに今までの彼らと違った。

一人、目立つ選手がいた。4番のセンターフォワード。3人いるフォワードの左右どちらかがつぶされたとき、どちらのカバーポジションにもいとも簡単に入ってくる。嫌な位置に。

強力な一年ってこいつか。

その一年のせいで、元々10番だけに頼りがちだった4-3-3がかなり機能的になっていた。のびのびとパスを出す3人の中盤。かき回して走りまくるFW。守備との連携もいい。攻め込まれる。

たまらず守備的な陣形に傾く。こちらとしては最も良くない形に。

「あんなパス通すな!4番マーク!」

声を荒げて連携の薄くなった守備を叱咤した。

何度も打たれるシュート。腕を伸ばし、つかみ、辛くも止める。何度も。

誰か一人、4番にマンマークでつかなければ危ない。

4番に気をとられている隙に両サイドが駆け上がる。潰しにかかるが足が速い。細かいパスを繋がれ、最後に4番に通る。

ビリッ、神経が触られたように研ぎ澄まされた。目がボールを追う。体は構えたまま、どこにでも飛び出せるように筋肉が収縮する。ゴールまで5m。

だがおれの出番はなかった。その前にDFが体を張って4番を止めた。接触して倒れる二人。

一瞬ひやりとした。スパイクの裏が見えた気がして。

「ファール!ファール!!」

「PK!!」

抗議する相手校、ボールにしか触ってないとアピールするおれたち。主審は首を振る。

プレーが止まっている間に栗原先生がセンターバックを呼んだ。与えられる作戦。お前が4番に付け。

「その分両ウィングが動きやすくなる。広丸はボランチ気味に守備に入れ。他のMFも守備に尽力」

言われた通り引くと、ほぼ全員で守る時間が続いた。

7番が目に入る。

いつもは前線にいるはずの。おれの目には入らないはずの背中。

走らされてる。消耗する。なんでこんなところまで下がって来てんだあのバカは!

「下がりすぎだ!!ボール前に出せ!!」

苛立ちに任せて声を張り上げた。

広丸さんがセンターハーフのパスコースを潰す。南野に戻れと指示し、一度陣形に戻して攻撃を建て直す。

そうだ、攻撃に転じるべきだ。相手のシステムはカウンターに弱い。少しでも前に戻さなくては。スピードが大事なんだ。南野の足が必要だ。

でもうまくいかない。全員が走らされて疲れていた。単調な攻めの合間を縫ってボールは奪われ、駆け上がられる。

こっちは2人、駆け上がってくるのは3人。まずい。逆にカウンターを受ける。

「戻れ!!」

ボールを持った4番がみるみる大きくなって向かって来る。全力で戻る数人を目の端で捉えながら、ボールとそれを持つ相手の動きに集中する。両側にいる2人は数メートル後ろだ。いける。

飛び出してボールをつかんだ。バランスを崩す4番の足が降ってくる。落下地点に入る形になったがそんなことはどうでもよかった。

接触は構わない。ここは通さない。

「いっ」

ぱきっ、と音が鳴った気がした。

スパイクで肩を、しかも悪いことに体重がかかった。思わず肩を押さえてうずくまる。

ピーッ、主審が笛を吹いて試合を止めた。

よかった。プレーが止まった。なんとか凌いだ。

「アイシング!」

DFが叫ぶ。控えの同級生が飛んできた。

「大丈夫か?!」

「あと何分?」

「五分。と、アディッショナル」

「持つ。大丈夫」

「アイス巻いとくか?」

「動き悪くなるからいい」

ボールを前線に蹴り上げた。

「うーらーべ!うーらーべ!!」

後ろで響く応援団の声を背中で聞く。

負けない。負けてたまるか。じりじりと芝を踏みしめて、おれは唇を噛んだ。


ハーフタイムに入った。

ゴールをこじ開けられることはなかった。無事に凌いだとも言えるが、喜ぶ気にはならない。無言で控え室に戻るおれたち。全員に疲労の色が見える。

「卜部」

コーチに名前を呼ばれて腕を持ち上げられる。

「動くか?腕上げてみろ」

言われるがまま、腕を上げ下げして肩と筋肉の稼働域を確認する。

痛くない。動く。大丈夫。そんなことより。

「南野、下がってくんな。おれの目に入る位置に来るな」

「んなこと言ったって攻め込まれてるじゃねーかよ!全員で守らなきゃ失点すんぞ!」

「お前の仕事はなんだよ!前にお前がいないと敵が余計安心するだろ、意識を分散させろって言ってんだよ!」

「落ち着け二人とも」

言い合うおれたちを広丸さんが止めた。凍りつくロッカールーム。空気が悪い。でも譲れない。おれにはおれの役割がある。

栗原先生が手を叩いておれたちを見回した。

「システムを確認する。4-2-3-1、南野のワントップ」

ホワイトボードにフォーメーションを書き記す。

「卜部の言うことは一理ある。南野、お前は囮だ。前線にいろ。ラインブレイクの駆け引きに注力、他はしなくていい」

「でも……」

「いいから任せて温存しろ。前半走りすぎだ」

「そうそう、今のままじゃいざという時に競り負けるぞ。相手はスタミナ自慢だからな」

広丸さんが南野の肩を叩いた。

まったく負けず嫌いなエースだ。味方が攻め込まれていると走ってきてしまう。

でもそれじゃダメなんだ。全国で勝ち上がることはできない。効率が悪いチームが勝てるほどこの大会は甘くない。


後半に入った。流れを変えたかったが劣勢は相変わらずで、またも簡単に前線にパスが通る。

右、左、フェイントに翻弄されるDF。二人がかりで止め、おれがこぼれたボールを拾う。

遠くに見えるストライプの応援団が目に入る。

大丈夫だ。負けない。おれたちは強い。

交代したばかりの左サイドバックを呼んだ。

「次凌いだらカウンターだ。できるだけ素早くボールを前線に出せ」

お前が駆け上がれ。そう言って戻る。

少し経って言った通りのチャンスが何度か来て、前線にボールが入るようになった。しかし前半ほぼ仕事のなかった相手のDFは抜群の運動量で攻撃を潰してくる。

一緒になって走ると消耗する。緩急を着けなくては。

シュートを止め、少し持った。いつもならすぐにDFに戻して走らせるが、一息つけるそぶりで。相手がゆっくり戻ろうと背中を向けた瞬間、蹴り上げる。

空を舞うロングボール。遠くに見える7番に届くように。

落下地点、ちょうどいた広丸さんがダイレクトで前線にパスを出した。

南野が走る。釣られたようにまわりが駆け上がる。だが、あいつの足に追い付く奴はそういない。中盤より向こうに殺到するたくさんの背中。よく見えない。前線で何かが起きている。

ワッ、とストライプの軍団が沸いた。

次いで悲鳴に似た声が響く。おれの背中で落胆する相手側の応援団。

それでようやく、得点したことがわかった。

後半35分。カウンター成功。

「みーなみの!みーなみの!!」

遠くに見える南野。ガッツポーズをして前線でチームメイトたちに讃えられてる。

「気を緩めるな!4番来るぞ!」

ホッとしたように足が止まるDF陣に激を飛ばした。

忘れるな。おれたちの仕事は守ること。ゴールはあいつらの栄誉だ。


そこから10分と少しが過ぎ、ホイッスルが鳴った。長く響く終わりの音。

1-0。西高、三回戦進出。

沸き上がるスタンド。勝利を讃える声。それに応えて全員で礼をし、控え室に戻った。

安堵に緩む空気。

でもおれは笑えない。勝てたのが不思議なくらいの試合だった。

「よくやった」

だからこそか、控え室での栗原先生の言葉に部員たちは沸き立った。


勝ち上がったおれたちの練習は続く。翌日も部活のために学校に行くと、部室に向かう渡り廊下の水道脇で見知った顔に会った。

「おつかれ」

小西だった。

野球部の。いや、今は違うか。

「うん」

頷いて、腰を下ろした。小西は水道から水を飲んでる。

「昨日しんどかったろ。頑張ったじゃん」

蛇口を絞って水を止め、立ったまま淡々と言った。抑揚はなく、ただ事実だけを口に出しているという声色。

少し、気が緩んだ。水を差したくなくて言わなかったけど、ほんとは言いたいことがあった。小西になら。

「おれが活躍するようじゃ駄目なんだ、本当は。おれは目立たない方がいい」

本当は、おれのところにボールなんて来ない方がいい。おれの練習は全部無駄になる方が、いい。

「お前っていつもそうなの?それともゴールキーパーがみんなそうなの?」

難儀だな、と笑われた。呆れたように。

「いや……おれは全体を見てたいんだ。別にかっこつけてるわけじゃなくて、そうじゃないと落ち着かない」

「かっこつけてるなんて思ってねえよ。お前はすごかった。それだけ」

言葉を失った。

おれにはわからない。部がなくなったのに、それでもおれたちにエールを送ってくれる元野球部員たちの気持ちが。

もしサッカー部がそうなったら、おれに同じことができるとは思えない。

「なんて顔してんだよ」

ぴちっ、上から水滴が降ってきた。見上げた顔がニヤリと笑う。

「そうだ、八月の終わりに学校で肝試しやるから。お前も来いよ」

「あ、うん。中西さんから聞いた」

「そっか」

じゃあな、と背を向ける小西。

あんなことがあったなんてわからないくらい普通に。野球部のときと何も変わらない。

「小西!」

呼び止めると、振り返る背中。

「さんきゅー、な」

「おれに礼なんか言わなくていいよ」

何もしてねえもん、と笑った。


遠ざかって行く小西の背中。淡々とした足音を見送って視線を上げると、青い空を走る飛行機雲が目に入った。

あいつにはいつか言ってやらなきゃならない。

そうやって普通にしてるだけで気が楽になるサッカー部員がここにいるんだって。


わかってないな、小西は。

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