番外編:一年三組 当麻茜
一年三組、当麻茜。
西高に入学して、そんな肩書きにも慣れた六月の終わり。
もうすぐ期末試験かー、嫌だなーと考えながら登校した私の目に大きな文字が飛び込んできた。
洒落に情歌にポロリもあるよ
みんなおいでよ都々逸部!
……ポロリ?
なんだろうこれ、と立ち止まって見ると、それはポスターだった。「都々逸部、部員募集」と書いてある。
都々逸部なんて変わった部だな。そんな部あったっけ?
だって、こんな部があったら絶対覚えてる。入学して、どの部活に入ろうかと決めあぐねたまま二ヶ月が経ってる私だもん。部活紹介の冊子、何度も読んだもん。
結局どうしても入りたい部活なんてなくて、まあいいかーとのんびりしてるうちに時間が経ってしまったんだけど。
「入部希望者は活動日に第二視聴覚室へ」か。ふーん。
なんとなくその場を離れがたくてとどまっていると、キンコンカンコン、予鈴が鳴った。
いけない、行かなくちゃ。
後ろ髪を引かれつつ、私は急いで教室に向かった。
そのポスターは校内のあちこちに貼ってあった。教室移動のとき、下校のとき、職員室に行くとき。目に入っては私に訴えてきた。
都々逸詠もうよ、と。
いたらうるさく煩わしいが
いなきゃ困ると思う友
これが一番好きだなぁ。そんな友達がいたら、もっともっと楽しいのに。
そばにいるのに触れられぬから
横顔ばかりを覚えてる
あっ、これも好きだ。
横顔が浮かぶ人って、いるもんなぁ。
そうやって何度も目を奪われ、気になるなぁと思いながらやっぱり何もできずに数日が経っていた。きっと今回もこのまま何もできずに過ごしてしまうんだろうな。そんな予感があった。
『6月24日、火曜日の放送です。今日はいつもの放送の前にお知らせがあります。都々逸部が新設されました』
その日が来るまでは。
『すでに掲示板などでお知らせされているので、皆さんご存じかも知れません 』
うん、知ってるよ。放送に向かってそう言いたくなるくらいだった。知ってる。知ってる。
『生徒会長も所属する新部の設立、注目していきたいですね!』
放送部のお姉さんの明るい声が響いた。遠くから見たことがあるけど、清楚でかわいい人だ。うちのクラスにもファンだと騒いでる男子がいる。
『では、都々逸部からのコメントです。「洒落に情歌にポロリもあるよ、みんなおいでよ都々逸部!」とのことです』
ポロリ!
あんな清楚な人がポロリ!
ポロリって何をだよ!もしかして生徒会長が?あのイケメンが?マジで?!
私と同じように驚いてざわつくクラスのみんな。たまたま近くにいた男子が吹き出した。
松崎くん。いつもキラキラ笑ってる、かわいい男の子。
「小西先輩かなぁ」
そして、ポツリと呟いた。さみしそうに笑って。
なんとなく気になった。小西先輩?
「松崎くん、知ってるの?」
「うん、たぶん。野球部だった先輩がやったんじゃないかな、これ」
人差し指を立ててスピーカーを指す。
野球部。
「なんで、野球部が?」
「野球部がなくなって、都々逸部作ったみたい。……たぶん」
たぶん?
野球部のことは詳しく知らない。エースの先輩が事故を起こして、どうしようもなくなったってことしか。
松崎どうすんだよ。サッカー部行くよ、とりあえず。そんな会話をしてたのは知ってる。
「中西先輩も所属してるって言ってるしね」
色素の薄い髪がふわりと傾いた。横顔が曇ってる。
中西先輩って、生徒会長のことだ。野球部の。
なんだか、もうこれ以上軽々しく聞いてはいけない気がして、何も聞けないまま手にしていたサンドイッチを頬張った。
家に帰ってもその横顔が頭から離れなかった。夜ご飯を食べてる間も。
ボーッとしてないで早く入りなさい、お母さんに促されてお風呂に入って、湯船に身を沈める。
松崎くん、元気なかったな。
たぶん、って言ってた。さみしそうに。
きっと確かめに行きたいんだろうな。
なんとかしてあげたいなぁ。
ちゃぷん。考えながら、浴槽のお湯を手のひらですくう。
決めた!都々逸部に入ろう。
それで、一緒に第二視聴覚室に行こう!
そしたら松崎くんも気になることが聞けるだろうし、私も心強い。一石二鳥だ!
思い付いたナイスアイディアを実現するため、ざぶんと湯船から上がった。
善は急げ!と着替えもそこそこに松崎くんにメールをすると、すぐに電話がかかってきた。
「いいけど、本気?」
「うん。生徒会長と知り合いなんだよね?協力して!」
自分のため、彼のため。そうやっていくつかの理由をもらって、私の重い足はようやく、ようやく動いた。
翌日。放課後。第二視聴覚室の前。
失礼します、扉を開けて挨拶をすると、たまたま近くに立っていた背の高い人がおもむろにこちらを向いた。大きな目が私たちを見て、ひとこと。
「なんだ?松崎。彼女か?」
「ちっ……違います!!」
松崎くんがあわてて否定する。
私はといえば、思ってもないことを言われてびっくりしていた。なんか、体温がちょっと上がった気がする。
そりゃ、そうであったらいいけど。いや、いいのかな。わかんないや。
「よかったな」
「なにがですか!彼女を紹介に来ただけです!」
「おー、だから紹介しにきたんだろ?見せつけてくれるなー」
「いや、だから、違」
あたふたしている松崎くん。そりゃそうだけど、当たり前だけど、これ以上否定されるのもなんだか複雑で、用件を言おうと一歩踏み出した。えいっ。
「ま、松崎くんと同じクラスの当麻茜と言います……あの、都々逸部に入部希望で来ました」
先輩たちの視線が集まる。うっ。こわい。
「やったー!一年生!!待望の!!」
え、そんなに?というくらい大きなリアクションで万歳された。肩につかないくらいのボブが赤茶色で綺麗な女の人。ハーフって言われても納得できちゃう感じ。唇プルプル。すごい美人。
「松崎くん連れてきてくれたの?ありがとう」
お礼を口にしているのは元野球部のマネージャーさんだ。肩くらいの黒い髪、膝丈のスカートに紺のハイソックス。持っているボールペンには赤い鳥のマスコットがついてる。かわいい。
「かわいい子じゃねえか、なぁ松崎」
ツンツンヘアーの男の人が、切れ長の目で松崎くんを見てニヤニヤしてる。学ランの前全開で中に白いロゴTシャツ。この人が、大西先輩。事故を起こしたっていう。
「当麻さんも中西先輩のファン?」
さっきの人が話しかけてくれた。黒い髪の無造作ヘアー。おしゃれなのか、ただ単に無造作なだけなのかはわかんない。二重どころか三重くらいありそうな彫りの深い目、への字口。松崎くんが言ってた『小西先輩』。
彼の質問の意味はよくわからなかったけど、戸惑いながらもなんとか答えようとした。
「ええと……生徒会長、かっこいい、とは思いますけど……ファンとは違うと思います。私はあの、ポスターの都々逸を見てやってみたいなって」
「……マジで?」
びっくりしたみたいな顔。大きな目がもっと大きくなる。
「そっか。ありがとう。歓迎する」
わ、笑ってくれた。ちょっと嬉しい。
「よろしくね!都々逸部へようこそ!」
さっきの美人さんが両手を広げてようこそのポーズをしてくれた。美人なのに全然気取ってない。
「歓迎会したいくらいだな。ジュースでも買ってくるか」
生徒会長もそう言ってくれる。もちろん遠目で見たことはあるけど、近くで見るのははじめてでドキドキした。やっぱりすごくかっこいい。小西先輩より背が高くて、髪型もおしゃれだし、手足も長いし、なんかほんとモデルみたいだ。
「そうだな」
中西先輩の提案に大西先輩が頷いて、松崎くんの方を見る。と、すぐに小西先輩が立ちあがった。
「おれ買ってきますよ」
言って、女子の方を見る。
「二葉さん何がいいですか?佐倉と笹谷は?あ、当麻さんも」
「いいんですか……?」
先輩に買ってきてもらうなんて、と松崎くんの方を見ると、彼がこちらを見て頷いてくれた。いいってことかな。
「ええと、じゃあ十六茶お願いします」
頷くとメモに書いて、行ってきます、と風のように出ていってしまう小西先輩。
「あ、僕も行きます!」
松崎くんも一緒に行っちゃった。先輩たちの中に一人。どうしよう。緊張する。
ああでも……やっぱり、野球部の先輩達が四人もいる。松崎くんの言ってた通りだ。
そう考えていたら、笹谷って呼ばれてたおしゃれさんがこちらに来た。ボーダーのハイソックスを履いてる。
「当麻さんは松崎くんと同じクラス?」
「はい!」
緊張して思わず直立不動。
「そっか、仲いいんだね!私、笹谷礼奈。二年。よろしくね!」
「私も二年、佐倉あやめ。よろしく」
一緒に自己紹介してくれた佐倉さんはクールビューティーな感じ。綺麗な髪、シャンプーのCMに出てきそう。でも、なんかどこかで見たことある気がする。どこだっけ。
「よろしくお願いします!」
思い出せないまま頭を下げると、さっきの美人さんが私も!という感じで手を上げてくれた。
「私は二葉蛍!」
「二葉、お前ほたるって言うのか」
「そうよ!鳴かぬ蛍が身を焦がすのよ!」
「いつもうるさいくらいだけどな」
「静かな方がいいの?!」
「いや、そのままでいい」
二葉先輩。蛍さん。綺麗な名前。
インパクトのある名前なのに大西先輩知らなかったんだ。仲良さそうなのに。不思議。
そっか、もしかしてまだみんな知り合ってから日が浅いのかも。都々逸部って設立したばっかりだもんね。
「私は平田はる。二年。こっちは大西先輩。この部の部長。中西先輩は……知ってるよね?で、さっき出ていったのが……」
「小西先輩?」
「そう、小西秀秋。副部長」
二年生ね、と指をピースの形に立てて笑ってくれる。
「以上、七名。当麻さん入れて八名だね」
どう?都々逸部の印象は。
聞かれて、何か言わなくちゃ……と考えるけど浮かばない。
「えーと……中西先輩は、近くで見ると遠くで見るより背が高いんですね!」
「そう?」
ああ、違う。こんなことが言いたいんじゃないのに、もう!
「生徒会の時は卜部がいるからじゃねえの?」
「あ、そうか。比較対象の問題な」
卜部さん。生徒会庶務の二年生だ。確かに彼はとっても背が高い。サッカー部のゴールキーパーだもん。長い腕でどんなボールでも止めちゃって、かっこいいんだよなぁ。
思い出してるうちに自己紹介が済んで、とりあえず座りなよと促されるままに座って、先輩たちの楽しそうな雑談を聞いていた。
大西先輩はのんびり座ってる。あんまりやる気なさそう。都々逸、ほんとに作れるのかな。
中西先輩はノートに向かってるけど、たまに大西先輩と他愛もないことを話しながら笑ってる。仲良さそう。
二葉先輩はそんな二人をにこにこ……というか、ニヤニヤしながら眺めてる。
平田先輩はノートになんか書いてる。たまに二葉さんの言葉に耳を傾けて、落ち着いてくださいって笑ってる。
笹谷さんは表情をくるくる変えながら話してて、動くたびにミディアムヘアーの茶色い髪がふわり。
佐倉さんはそんな笹谷さん相手に冷静に受け答えしたりスルーしたりじゃれたり、ちょっと猫っぽい。なんだかいいコンビだ。
観察しながら聞き役に回っていると、しばらくして中西先輩が腕時計を見て言った。
「遅いな、あいつら」
ほんとだ、もう20分も経ってる。どうしたのかな。
「しけこんでんじゃねえの?」
大西先輩がニヤニヤしながら言うと、中西先輩が吹き出した。その拍子に髪の毛が目にかかる。そんな何気ない動きすらかっこいい。中西先輩って目の保養だ。
「なるほど……こにまつの可能性……?!」
二葉先輩が目を輝かせる。こにまつ、ってなんだろう。暗号?
「二葉さん、私はまつこにの方がいいと思います」
佐倉さんがまた暗号を言う。まつこに。
「あやめは小西受けが好きだねー」
「小西くんは受けだよ。色恋にはヘタレそうじゃない?あんなに行動力あるのに」
「そうかも!ヘタレのもどかしさに人の心は揺さぶられるからね。無駄に優しかったり鈍感だったりでやきもきさせられて、それで松崎くんが思い余っちゃうわけだね」
「なるほど、確かに小西受けもいいね!でもヘタレは攻めもなかなか……はっ、いっそリバ!おいしいです!!」
はっ、わかった。受けとか攻めとか、聞いたことある。こにまつは小西×松崎、まつこは松崎×小西。そうか、先輩たちは腐女子ってやつだ!
みんな腐女子なのかな。私も勉強した方がいいのかな。
なんて思いながら平田先輩を見ると、笑顔でその会話を聞いていた。平田先輩は違うのかな。
「戻りましたー」
ガラッと扉を開ける音がして、二人が帰ってきた。松崎くんの姿が見えて少しホッとする。
「遅かったな。どこまで行ってたんだ?」
「そうですか?そこの自販機ですよ」
みんながどんな会話をしていたか知らない小西先輩は、中西先輩の質問に普通に答えて飲み物を配った。腐女子な三人がニヤニヤしている。わるいかおだー、と思いながら、私は松崎くんから十六茶を受け取った。
「ありがとう」
「でかいペットボトルでよかった?」
「うん、こっちがいい!」
そっか、と笑ってくれる。
……あれ?なんか目が赤い気がする。気のせいかな。
「とりあえず開けるか。あ、まだ飲むなよ、乾杯するから」
大西先輩の声。そうだ、乾杯かんぱい。ペットボトルのふたを開けようと力を入れる。
……と。
「きゃーーーー!!」
「ええええええええええ?!!」
笹谷さんと二葉先輩の悲鳴が響いて、びっくりしてペットボトルを落としてしまった。なになに?!とそちらを見ると、コーラから泡が吹き出て大西先輩を直撃してた。
わぁ。ずぶ濡れだ。
「てめ……小西!!」
「ざまあ」
小西先輩がやんちゃな顔で笑った。皆つられて笑ってる。
「そうか、これやってて遅かったのか」
中西先輩は冷静に納得してるけど、大西先輩大変なことになってる。大丈夫なのかな。
「着替えあるんですか?大丈夫ですか?」
「ある、教室に。すっげえベタベタする」
大西先輩のツンツンヘアーはコーラの水分で濡れて、寝てしまっていた。うっとおしい、と髪をなでつけてオールバックにする。そして、小西先輩を見て言った。
「小西おれの着替え取ってこいよ」
「嫌ですよ」
「反抗期かお前は」
仕方ねえなと笑いながら、大西先輩がおもむろにTシャツを脱ぎ捨てた。
きゃー。
先輩たちきっと大騒ぎだ!……と思ったのに、突然静かになった。みんな、大西先輩を見てる。
あ。
肩が。
傷が。大きな……痛々しい。
見てられなくて、目をそらした。松崎くんも顔を背けてる。
「しまっとけ。ここは野球部じゃないぞ。女子もいるんだ」
中西先輩が自分の上着を差し出して、大西先輩が受け取る。無言で羽織って無表情。
小西先輩はそんな二人を見て固まっていた。さっきの笑顔が、消えてる。
「別にいいわよ?!むしろおいしい!!」
二葉先輩の声がそんな空気を蹴っ飛ばした。大西先輩が眉を上げる。
「おい、なんでカメラ構えてんだ二葉」
「向学のために!!」
「あっ、二葉先輩。それほしいですデータ下さいお願いします」
「私も」
笹谷さんが駆け寄って、佐倉さんが笑って、一緒にその空気をかき消す。
「中西さんが上着渡すとこ撮れました?」
「ごめん間に合わなかった!不覚!!」
「うーん残念!」
「やめろお前ら」
止めてる中西先輩も少しホッとしてるみたい。
「だって!大西が!中西の上着きてる!!大西の髪が下りてる!こ!れ!は!!!」
「なるほどおおなか派の二葉先輩としては垂涎ものですよねわかります」
「わかってくれる?!笹谷さん!」
「あっ、礼奈でいいです」
「レナちゃん!!」
「私のこともあやめって呼んでください」
「あやめちゃん!!」
あっ、あっ、いいな。私も名前で読んでほしい!
ああでもなんて呼んでもらおう、二人が名前で呼んでもらってるなら私も名前かな?茜でいいのかな??
なんてぐずぐず考えてたら、小西先輩が。
「じゃ、乾杯しますか」
「おいおれは」
「大西先輩はそのままでいてください、コーラまだ半分ありますから乾杯できますよ」
うう、言いそびれちゃった。もうみんな乾杯の準備してる。さっきの空気が嘘みたいに笑顔で。
仕方ない、またの機会にしよう。先輩たちにならって十六茶のペットボトルを構える。
「じゃ、当麻さん。笹谷、佐倉。ようこそ都々逸部へ!」
「かんぱーい!!」
隣の平田先輩が、こつんとペットボトルをぶつけてくれた。
嬉しくて笑って、私は都々逸部の一員になった。
数日後の火曜日。はじめての部活の日、頑張るぞー!なんて、意気揚々と部室の扉を開けると、そこには。
「あっ、小西先輩。お一人ですか?」
「うん。早いね」
小西先輩がひとり、そう答えて手元のノートに目を落とした。
私ももらった青い大学ノートだ。一人一冊持ってて、これに都々逸を書き溜めてるんだって。
よし私も!とノートを広げた。小西先輩からは少し距離を取って座って。
先輩はなにも話さない。考え込んでるみたい。
ちらりと盗み見ると、彼は頬杖をついてた。 表情を変えない。なんか、ちょっと話しかけづらい感じ。
と、思ったら動いた。ノートに何かを書き留めてシャーペンを置く。
あわてて目線をノートに戻すと、こっちを見る気配。
「当麻さん」
「はい!」
呼ばれて、思わず立ち上がる。
「ああ、いいよ座ってて。ガムあるけど食う?」
そばに置いてあったキシリトールガムのボトルをカラカラと振る。
「あ、ありがとうございます……いただきます」
「どうぞ」
小西先輩の手がボトルを転がした。カラカラカラ、音を立ててまわって、絶妙な速度で私の前で止まる。
いただきます、どうぞ。そんなやり取りをする。
話は続かない。でも、話しかけてくれた。はじめてここに来たときも、小西先輩が。
「あ、あの」
「ん?」
「もし、よかったら、当麻って呼んでください。松崎くんみたいに」
「ああ」
大きな目を見開いて。
「そうだよな。わかった」
少し笑って、頷いてくれた。ホッ。
「あ、これ、ありがとうございます」
キシリトールのボトル。私には上手に転がせない気がして、席を立って持って行った。差し出すと大きな左手がそれを受け取る。
でも、それだけ。やっぱり話は続かない。
とりあえず席に戻って、もう一度ノートに向かう。
「おっつかれー!」
五分か十分、それくらいの時間が経って、二葉先輩の大きな声が響いた。後ろに佐倉さんと笹谷さんもいる。
「お疲れさまです。三人一緒ですか」
「うん、そこで会って!あれ、大西は?」
「リハビリです」
「中西は?」
「生徒会」
「それで小西くん一人なわけね!」
「はい」
嵐のような質問攻めにさくさく答えると、小西先輩はこう言った。
「二葉さん、おれのことも小西でいいですよ。もう同じ部なんだし」
そして、私を見て。
「当麻も。な?」
同意を求められた。びっくりした。当麻って、呼んでくれた。ほんとに。
「あっ、はい!お願いします!」
「いいの?じゃあ小西!当麻!……うーん、当麻じゃしっくり来ないなー。なんかいい呼び方ないかな。当麻さん、今までなんて呼ばれてた?」
「えーと、中学の時はトマトって呼ばれてて」
「トマト!かわいい!」
「トマトちゃんかー」
「トマっちゃん?」
「トマっちゃん!」
「トマっちゃん!!」
トマっちゃん!笹谷さんと佐倉さんも一緒に連呼!!
「はい、それがいいです!お願いします!」
ぺこりと頭を下げると、オッケーオッケー、と二葉先輩。人差し指と親指をくっつけて丸を作ってる。
「トマトなんて美味しそうよね」
佐倉さんが切れ長の目をこちらに向けて笑った。笹谷さんが頷く。
「プリティーエンジェルだしね。食べちゃいたいね」
「そそそんな!おこがましいですよ」
「トマっちゃんてば照れちゃってー」
やめてくださいー、なんて言いながら、内心すごく嬉しかった。トマっちゃんだなんて、なんかずっと前から仲間だったみたい。
ほくほくしながら目線を上げると、小西先輩と目があった。目を細めて、笑ったように見えた。
あれ?もしかして、小西先輩。
私のためにあんなことを?
「あ、トマっちゃん!都々逸の本とかあるよ。読む?」
「はい!」
すぐに視線をはずして作業に戻ってしまった先輩に確認する術はなく、笹谷さんが差し出してくれた都々逸の本を受け取った。
でも、都々逸はなかなか浮かばなかった。
本で好きな都々逸を見つける度に、自分で作るのが難しくなっていくような感覚もあった。
いやいや、習うより慣れろだって先輩たちも言ってたし!頑張る!と思っては言葉を探したりしてた。
『7月2日、水曜日の放送です』
教室でもノートを前にして思案してると、放送の声が耳に入った。あの日と同じ放送部のお姉さんの声。
あれからもう一週間かー、と松崎くんの方を見ると、目が合った。わわ。
「あ、えーと……この人、小西先輩と同じクラスなんだよ」
少し言い淀んでから、松崎くんはスピーカーを指差した。
「そうなんだ!それで頼んだのかな、小西先輩」
「うん、そう言ってた」
こくりと頷いて、一息。そして、聞きたかったのであろうことを切り出した。
「……どう?都々逸部は」
「楽しいよ!先輩たちも優しいし!」
そうだ、私も聞いてみよう。松崎くんならきっと知ってる。
「ね、小西先輩って、もしかして優しい?」
「え」
松崎くんが、驚いたようにこっちを見た。
「……よく気付いたね」
「うん、なんか……取っつきにくいけど、もしかしてと思って」
「さりげなく助けてくれたりとか?」
「そう!それ!!」
あったことの一部始終を話した。それで、先輩たちに溶け込めたんだと。
「小西先輩らしいなぁ」
目を細めて遠くを見た。
「よく見てないと気付かないけど、知らないところで動いてくれてたりとかね」
本当は言ってほしいくらいなんだけど。
「でも、もともと女子には優しいかな。男にはダメ、口うるさくて」
「そうなの?」
「お前は母ちゃんか、とか良く言われてたよ」
「小西先輩が母ちゃん!新しい!」
小西先輩の話をしているときの松崎くんはなんだかとても嬉しそう。自慢のお兄ちゃんの話をしているような、そんな。
「……松崎くんも都々逸部に来れば?」
そんなに慕ってるなら、一緒にいればいいのに。そう思って、誘ってみた。
「いや、サッカー部続けるよ」
即答。
そっか、サッカー部好きなんだ。と思ったら。
「小西先輩に続けろって言われたし」
「え、でも、それは……先輩が決めることじゃないよ?」
松崎くんが決めることだ。
「はは、そうだよね」
乾いた声。こちらを見ない。
「でも、うん。おれ、中学の時サッカー部だったんだよ。だから大丈夫」
松崎くんは笑った。やっぱり、少し寂しそうだった。
……嘘つきだ。
嘘をつく理由はわからなかったけど、そんな笑顔をされたら私は、やっぱり何も言えなかった。
「そっか。頑張ってね」
言えないまま、私も嘘をついた。
ほんとは一緒に都々逸部に行きたかったのに。
都々逸部の先輩たちはみんな仲がよかった。和やかでマイペース。いつもそれぞれ自由に好きなことをしている。
今日は二葉さんと平田先輩が本を読んでて、笹谷さんはノートに向かってる。そして、話し込んでる中西先輩と小西先輩。
そんな先輩たちの中、今日も頭を捻るトマト。
「トマっちゃん、調子どう?」
笹谷さんが声をかけてくれた。
「なかなか浮かばなくて困ってますー。笹谷さんはどうやって考えてるんですか?」
「あっ、礼奈でいいよ!」
「レナさん?」
「レナ先輩!」
「レナ先輩!!」
「うへへへー先輩だって、超嬉しい」
くりくりした大きな目で私を見て笑う。うへへ。私も嬉しい。
「うんとねー、私は使いたいなと思った言葉を三四か四三、五のどれかに当てはめてみてる。そうするとうまくいく気がするんだ」
「なるほど……」
「たとえばね、これとか!」
ノートを開いて書いてある文字を指差した。
雨が上がって蝉一番が
夏のにおいを連れてくる
「蝉一番?」
「うん、なんか思い付いて!この言葉を使いたくて、どこに入れようかなーって考えてて、こうなったよ」
「ほわー……なるほどー!」
すごい、レナ先輩すごい。新しい言葉を作っちゃうなんてすごいし、すごく今の季節っぽい。かっこいい!
「いろんな方法があるだろうけど、苦戦してるならトマっちゃんも使いたい言葉を探してみたらどうかなぁ?」
「……わかりました。考えてみます!」
そうか、使いたい言葉。好きな言葉。詠みたいなって思う言葉。
私が使いたいことばって、なんだろう。何を詠んだら私らしい?私は何を詠みたいの?
ぐるぐる。考える。
心が動かされること。おいしいご飯。ポスターの都々逸。レナ先輩。松崎くん。
うーん、と視線を上げると、中西先輩と小西先輩が目に入った。ふたりとも真剣な顔で話してる。生徒会名簿の部活動欄を開いて。
「それはよくないと思います、悪目立ちしやすいし」
「誰の目だ?瀬尾か?」
「まぁ、概ね」
なんの話だろう。瀬尾さんて、副会長?
中西先輩と真面目な顔してると、小西先輩までかっこよく見えてくるから不思議だ。
「瀬尾はおれがなんとかするって」
「でも、そういうのはいざというときに取っておくほうがいい気がしますし」
「お前意外と慎重だよな」
「先輩方が粗暴なもので」
にやっと笑って言い返してる、小西先輩。
先輩たちはどんな都々逸を詠むのかな。聞いてみたいなぁ。
「おーす」
がらり、扉が開いて大西先輩が入ってきた。おー、と答える中西先輩。
「大西先輩どう思います?」
小西先輩が手招きして呼んで、三人でまた話しはじめる。
「平田先輩、先輩たち何話してるんですか?」
隣で本を読んでいる平田先輩に聞いてみると、彼女は柔らかく笑った。
「私たちを呼ばないってことはたいした話じゃないわよ」
「そうなんですか?」
「相談があったら言ってくるでしょ」
なんだか、当たり前みたいに。
話に混ざりたいとか、寂しいとか、そういうのないみたい。信頼してるってことなのかなぁ。
そう思って見てたら、大西先輩が笑う声がした。
「バッカだなー小西、そんなに石橋叩いてたらなんにもできねえぞ。つーかハゲるぞ」
「ハゲませんよ、毛根強いですよおれは」
「ほんとか?ちょっと生え際見せてみろ」
「やめて下さい!なんか嫌!!」
不思議。さっきまでかっこよく見えてた小西先輩が、全然そう見えなくなっちゃった。
「ね?大した話じゃなさそうでしょ?」
口を開けてぽかんとしていた私を見て、平田先輩が言った。
そ、そうなんですかね。答えながら見ていると、中西先輩が大西先輩を援護射撃。
「いいじゃねえか小西、減るもんじゃなし」
「いや、減ります。なんとなく」
「よし中西、そっち抑えろ」
「了解」
「やめて下さいって!!」
バタバタと足音を鳴らして二人の手から小西先輩が逃げて、大西先輩たちは大笑い。なんか、中西先輩までやんちゃに見えるなぁ。大西先輩って不思議な人。
「いい加減にしてください先輩たち、うるさいですよー」
平田先輩がなだめるように声をかけて、小西先輩がこっちに逃げてきた。めんどくせえ、と呟いて平田先輩の隣に座る。
「あ、平田」
そして、小西先輩が平田先輩にノートを差し出した。会計って書いてあるノート。
平田先輩が受け取って、開く。小西先輩が覗き込んで指をさす。ああ、というように頷いて何か書き込み、小西先輩を見る。頷く。お互い一言も交わさずに。
すごく自然なしぐさだった。それが当たり前、とでもいうような。
「……平田先輩と小西先輩は付き合ってるんですか?」
気付いたら、聞いてた。遠くで聞いてた大西先輩が笑う。
「それいいな。話が早くて」
「それなら大西先輩も中西先輩と付き合ったらいいじゃないですか。話が早いですよ?」
「そうよね!!そうしたらいいよ!!」
二葉さんが突然大きな声で同意した。今まで静かに読書してたのに、さすが。
「いやなんでだよ。アホか」
「平田まで余計なこと言うな」
大西先輩と中西先輩が一斉にツッコミを入れてるけど、小西先輩は何事もないかのように笑って聞いてる。
そっか、違うんだ。付き合ってないんだ。
「トマっちゃんは?松崎くんと付き合ってるの?」
「いいいやまさか!そんなことないです!!」
レナ先輩に聞かれて、思わず全力で手を振って否定してしまった。
松崎くんは優しいけど、みんなに優しいし。人気者だし。私なんて。
なんだー、そうなんだーと言うレナ先輩の後ろ、男の先輩たちは何を言うでもなく聞いていた。やだな、なんか緊張する。
「ところでレナちゃん、あやめちゃんは?」
「風紀委員会だってー」
「あいつ風紀委員なのか」
平田先輩が話を変えてくれた。小西先輩が驚いてる。そっか、佐倉さんは風紀委員だ。たまに東門前に腕章して立ってる。見たことあると思った。
「つーか小西、話途中だろ。どーすんだ?」
「いや、だから、リスクは少ない方が」
「わかったからこっち来い」
中西先輩に呼ばれてまた男三人集まって話し始める。いつもああやっていろいろ決めてるのかな。それってちょっと寂しい気がする。一緒に話してみたいなぁ。
考えていたら、ガラリと扉が開いた。佐倉さん?と思って視線をそちらに向けると、意外な人がそこに立っていた。
松崎くん。
彼の目が誰かを探して動いた。そして私が声をかけるより早く、話している大西先輩たち三人の元に駆け寄った。
「ありがとうございました、あの……!!」
「なんだ?松崎。またパシられに来たのか?」
「じゃ、おれポカリ」
「おれコーラ。あ、振るなよ!」
「えっ、ちょっ」
先輩たちは笑ってた。矢継ぎ早に言われて、言葉が出ずに固まってる松崎くん。
なにがあったんだろう。ありがとうって言ったよね、今。
「わかりました、行ってきます。あの、ほんとに……ありがとうございました」
「もういいって」
机に腰かけていた大西先輩が松崎くんのTシャツの背中をポンと押した。
座ってるふたりは松崎くんを見上げて事も無げ。大西先輩がそう言うのを当たり前のように見ている。
そんな先輩たちに一礼して、松崎くんはお使いに出て行った。一瞬追いかけようかと思ったけど、私の足は動かない。松崎くんが一度もこっちを見なかったから。
「なんだったの?今の」
二葉先輩がキラキラしながら大西先輩に聞いた。私も気になって聞き耳をたててしまう。
「ん?サッカー部にあいつらをよろしくって言いに行ったんだよ」
「なにそれ!まつおお……?!」
「おれ一人じゃないぞ」
こいつらも、と座ってるふたりを指差す。座って頬杖をついてる中西先輩が、注目している私たちの方を見て笑った。
「誰にも言うなよ?」
なななな中西先輩イケメンだ……!中身もイケメンだーー!!!
はーーどうしよう。ドキドキする。イケメン過ぎるって罪だ!
心を動かされること、イケメン!だ!!
でも、ダメだった。そのときめきも中西先輩の笑顔も、私に都々逸を詠ませてはくれなかった。
どうしよう、校内一のイケメンでも無理なんて。
本当に詠めるのかなぁ。いつか、私もレナ先輩みたいな都々逸が。
その日は松崎くんと帰った。
乗り換えまで三駅。ほんの二十分。
「松崎くん……よかったね」
そう言っていいかはわからなかった。でも、サッカー部続ける決意を先輩たちが後押ししてくれたのは確かだ。
「うん。でもちゃんとお礼も言わせてくれないし……罪な人たち」
複雑そうな顔。なんか少しわかる気がする。あの三人の本音とか、いろいろ、ちゃんと聞いてみたい気がするもん。
でも言えなくて、なんだか言葉が続かなくて、流れる窓の外の景色を見る。
夕焼け。もうすぐ乗り換え駅だ。黙ってたらすぐ過ぎちゃう。気を取り直して話しかける。
「それにしても、中西先輩ってほんとかっこいいね。びっくりしちゃうよ」
「……好きにならないように気を付けてね」
「え?」
「中西先輩モテるから。大変だよ」
私を見ていたずらっぽく笑う。
「そ、そんなの……ないよ、ないない!」
手をブンブン振って否定する。
やだな、冗談だったのに。冗談だと思ってくれたよね?大丈夫だよね?
「それならいいけど」
そう言ったまま正面を見て、目を合わせてくれない。
……駄目だ、話を変えよう!!
「そ、そういえば、どうして野球部が都々逸部作ったって知ってたの?」
「ああ……廃部になったって、掲示板で見て。その隣に都々逸部とか書いてあるから、もしかしてと思ってて」
松崎くんは私から目をそらして正面を向いた。がたんごとん、揺れる色素の薄い髪。
「それで矢野に聞いて……矢野は、詳しくは言わなかったけど、小西先輩って面白いこと考えるねって言ってて。それで」
「矢野さん……」
矢野葉月ちゃん。うちの学年で知らない人はいないだろう目立つ女の子。だって生徒会書記だもん。かわいいし、人気者。
松崎くん、矢野さんと仲いいんだ。そっか。なんか、お似合いだなぁ。
「そうなんだ。優しいね、矢野さん」
「うん。いい奴だよな」
そして笑顔。ちくりと胸が痛む。
雑談しながら隣に座っていると、目に入るのは横顔ばかり。
松崎くんは前を向いてる。
もう、サッカー部だからって。
君の横顔 名残惜しくて
時よ止まれと帰り道
あ。都々逸ができた。
はじめて詠んだその二十六文字を噛み締めて、松崎くんの横顔をそっと盗み見た。
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