第5話 部員募集

校長への届け出は通過儀礼だから生徒会でやっておく。設立完了だ。

そう言われて生徒会室をあとにした後日、無事に第二視聴覚室を部室として使用する許可が降りた。

「あ、でも野球部の部室はあのままでいいことになったから」

中西先輩が余裕綽々でさらりと言った。

どんな詭弁を労したのか。まったく、心配したこっちがバカみたいだ。

「それと、部員勧誘してもいいってよ。部に属してない生徒限定で」

そんなことまで。一体どうやって瀬尾さんを言いくるめたんだろう。

「別にこのままでもいいんじゃねえの?」

「いや、人数ギリギリなのはよくないだろ。学ぼうぜ過去に」

「そうですね」

同意する。大西先輩は気に留めてないようだが、おれはもうあんな想いをするのは嫌だ。

「じゃあ勧誘のポスターでも作る?!」

そこにあったコピー用紙を手にし、なにやら考え出す二葉さん。

少しして、でかでかと都々逸を書き記した。思いのほか達筆。どれどれと覗き込むおれたち。


洒落に情歌にポロリもあるよ

みんなおいでよ都々逸部!


「誰がポロリすんだよ誰が」

「誰でもいいよ?!誰でもおいしい!」

「じゃあお前が脱げ、二葉」

「違う!違うよ!!バカ西トリオの誰かが脱ぐに決まってるじゃん!!」

「なんでだよ。お前ほんとあたまおかしいな」

二葉さんと大西先輩が攻防を繰り広げるのを見ながら、平田が冷静に言った。

「でもその方が女子は集まると思いますよ。特に中西先輩とか」

それは言えてる。なんせ見た目も人気もピカイチの生徒会長様だ。

「客寄せパンダ……」

つぶやくと、大西先輩がニヤリと笑った。

「よし。脱げ、中西」

「や、め、ろ」

「ほら!恥ずかしがらないで!!」

「やめろ二葉、どっから出したんだそのカメラ!!」

長身の男が20cm近く身長差のあるであろう女子から逃げているのはちょっと面白い。怖いものなしの生徒会長をあたふたさせるのなんて二葉さんくらいだろう。

抵抗する中西先輩を尻目に、ポスターってのは悪くないなと考えた。男の裸体はアレだが、都々逸だけじゃ味気ないのも事実。イラストくらいは添えたい。

「平田、お前なんか描けない?」

「いいけど、せっかく他の部と色々やるって宣言したんだから誰かに頼もうよ。美術部とか」

「美術部かー」

あまり馴染みがないのでピンと来ない。

「行ってみるか。たぶんこの時間なら活動してるはず」

迫り来る二葉さんをうまいこと交わして中西先輩が話に乗ってきた。

そんな彼に先導されて第一美術室へ。ガラリ、扉を開ける。

「芦屋いるか?」

「あれ、めずらしい。どうしたの?中西」

芦屋、と呼ばれた彼がこちらを向いた。つられて視線が集まる。

しかし彼らがこちらを向いたのは一瞬で、皆すぐにそれぞれの手元に視線を戻して絵を描き始めた。

三年の芦屋さん。二年の東と影野。一年の魚谷。他にも名前を知らない部員が何人か。シャッ、シャッとそれぞれが手を動かす音がする。

「ちょっと頼みがあって。新しい部を作ったから部員勧誘のポスター出したいんだけど、なんか描いてくれないか?」

「大雑把な依頼だなぁ」

にこにこ笑いながら立ち上がると、彼はおれたちを招き入れた。綺麗に並べて片付けられたイーゼルが見える。窓からの光が反射して眩しい。

「新しい部ってなに?」

「都々逸部」

「なにそれマニアック。マジ?」

「マジ」

「ふーん」

芦屋さんは少し考えてから頷き、視線を東に送った。

「ひがしー。聞いてた?」

「はい」

「じゃー頼むね」

「えっ?!」

あきらかに動揺した声が美術室が響く。何気なくその手元を覗き込むと、ピンク色のまるっこいうさぎのイラストが描かれていた。

「かわいいな」

思わず感想を口に出すと、びっくりしたような顔でこちらを見る。

「あ、ありがと」

「今なにやってんの?美術部」

「や、なんかみんなで創作ゆるキャラを考えようってことになって……描いてた」

「へー」

まわりを見渡すと、確かにみんなキャラクターを描いていた。芦屋さんは猫、影野は蛙、魚谷は出目金。どれもうまい。絵心のないおれは心底感心した。

「ゆるキャラかー、それいいね!うちも作ったらいいのかも!」

お願いしていいのかな?と二葉さんが東に詰め寄る。近い、距離が近い。

「い、あ、はい」

後ずさる東。

「二葉、近い」

大西先輩が東から二葉さんを引き剥がす。

ホッとしたような東。芦屋さんはにこにこしたまま見守っている。ずっと笑ってるなこの人。

「やるのはいいけど一人では……!!影野!見て見ぬふりしてないで助けてよ!!」

「えっ、私も?!」

名前を呼ばれた影野までもがあたふた。平田がその姿を見て、笑顔でふたりに歩み寄った。

「東や影野っちが描いてくれるなら嬉しいなー。ダメ?」

「は、はるちゃん……!つーか都々逸部ってなに!なにすんの?」

「都々逸詠んだり、都々逸を口実に他の部に絡んだりするの」

身も蓋もないがものすごく的確な説明をする平田。

「つまり私たちは、今まさに絡まれていると」

「そういうことになるね」

「なぜ我々のようなコミュ症に白羽の矢を立てるのか」

「全然コミュ症じゃないし、イラスト描いてもらうって言ったら美術部だし」

「はるちゃんだって描けるじゃん!」

「だから絡むのが活動内容なんだって」

「こわい、都々逸部こわい!」

なぜか妙に怯えられているので、大挙して押しかけすぎたかと反省した。

「とりあえず、今日はお願いに来ただけ。正式には顧問通して依頼するよ」

とりなして言う。そうだ、そもそも顧問に話してない。さゆり先生に。彼女の顔を潰すような真似はできない。

とりあえずそこは用件だけ話して、そのまま第一美術室をあとにした。


五人で第二視聴覚室に戻ったが、大西先輩がなにやら考え込んでいる。

「大西?」

どうした、と中西先輩。

「他の部と絡むって言っても相手にメリットがないとな。相手の活動を妨げるようじゃ意味がない」

「でも、今のおれたちに渡せるものなんてあるか?ないだろ」

「それはそうだけど」

言いながらおれの方を見た。なんかアイディアないのかよ。そう言われてる気がして、少し考える。

「都々逸部と何かやるのはおもしろそうだと思ってもらえればいいんでしょうね。そのためには、まずは単独で面白いことをやらないといけないとは思います」

「それもそうね、せっかくこのメンツなんだし!」

「もうすぐ期末試験だしな。この時期に他の部に負担かけるのはやめた方がいいだろ」

試験。嫌なことを思い出させる大西先輩。

「それはそうだが……都々逸だけでなにができる?」

二十六字のテキストだけで、何が。

うーん。中西先輩の問いかけに考え込むおれたち。

都々逸でなにができる。そんなのこっちが聞きたいくらいだ。

みんなは何ができると思う?


話し合った結果、まずはさゆり先生に相談することに決めた。視聴覚室に来てもらう。

「なるほど、部員募集のポスターのために美術部にイラストをね」

「はい。でも今回はできれば単独でやった方がいいかという意見もあって。試験も近いですし」

大西先輩が先程の話し合いの結果を報告する。

「そうね、その意見には賛成よ。むしろ都々逸だけで勝負した方がインパクトがあっていいと思うわ」

インパクト。そうか、地味かと思ったけどそういう捉え方もあるのか。

「例えばこれとか、このままポスターに書いて掲示板にはったら目立つと思わない?」

先生のもとに提出された誰かの作なのか、大量の短冊の束の中から一枚を抜き出した。


いたらうるさく煩わしいが

いなきゃ困ると思う友


なるほど、そういう仲間募集中ってことか。いいかもしれない。

そう思いながら何気なく見ると、隣で大西先輩が固まっていた。

「ね?大西くん」

「せ、先生……」

勘弁してください、と言って目線を反らす。

え?てことは、これ。

「大西先輩の……?」

「え、ほんとに?」

「大西のなのね?!!なにそれ!!超おいしい!!!!」

「うるせえよ!!」

めずらしく声を荒げて照れ隠し。おれはなんとなく面映ゆくて直視できなかった。ちらりと横を見ると中西先輩も明後日の方向を見ている。

「あとはこれとか」

また一枚、抜き出されておれたちの前に置かれる。


腐れ縁だと言ってはいるが

朽ちぬものだと言いもする


今度は中西先輩が頭を抱えた。

「中西まで……?!」

キラキラと目を輝かせる二葉さんが短冊を裏返すと、そこには中西先輩の名前が書いてあった。詠み人の名前は裏に書いてあるらしい。

「先生……おもしろがってません?」

「え?なんのこと?」

さゆり先生はにこにこと笑う。

よかった。おれ、その課題出される前で本当によかった。

「文字だけのポスター、意外といいのかもしれませんね。はじめての活動だし、目立った方がいいし、都々逸部面白そうだと思ってもらうのにちょうどいい気がします」

悲喜こもごもの三年を尻目に平田が冷静な見解を述べる。あとを引き取って同意。

「だな。あえて同じ都々逸はひとつもないポスターを構内のあちこちに貼ってみると面白いのかも」

「それがいいと思うわ。数詠むと練習にもなるし。ためしにみんな詠んでごらん?」

「じゃ、先生もひとつお願いします」

大西先輩が恨みがましそうにさゆり先生に言ったが、彼女は。

「わたしもいいの?嬉しい!」

むしろ喜んでしまった。逆襲失敗。

ドンマイ、と彼の肩を叩いた。でもおれもさゆり先生の都々逸は見てみたい。ナイス先輩。

そして、方向性を確認するために質問を投げる。

「勧誘のためだし、そういう都々逸の方がいいんですかね?」

「そうねー。勧誘とそうでないの、それぞれ二首ずつ考えてみたら?」

「なるほど、それはいいですね」

それならさっきの使えるし。中西先輩が同意する。楽しようとしてるのは明白だけど、晒されて辱しめを受けたんだからそれくらい許してやるか。

「どんなのがいいかなー」

とにかくノートを前に頭を捻る。

職員会議があるからちょっと出てくるわ、と先生が荷物だけ置いて行ってしまったあと、しばらくは各自試行錯誤していた。しかし二葉さんだけがまだジタバタしている。

「中西も大西もあんなの詠んでるなんて……!!」

なんか身もだえている。大西先輩が眉間に皺を寄せて反論した。

「だってお前、短歌と都々逸二十首ずつだぞ?こっちは理系なんだよ、苦肉の策なんだよ仕方ねえだろ」

「いいのよ!恥ずかしがらないで!!」

そして平田の方を見て頭をブンブン振る。

「ああもうダメだわ……はるちゃん、私やっぱりおおなかに萌えるわ。怪我に泣いた切れ長黒髪ピッチャーとバッテリーを組む長身のタレ目!しかも幼なじみ!おおなかは正義!!正義!!!」

「うん、わかりました。その話はあとで聞きますから」

やっぱり頭おかしい。美人なのに。

しかし平田はすごいな、なんで普通に相手できるんだろ。

そう思いながらさゆり先生の荷物に目をやると、たくさんの短冊の中に見知った名前を見つけた。

瀬尾貴文。

人の作を盗み見るなんてとは思ったが、あの鉄仮面がどんな都々逸を詠んだのだろうと興味本意で裏返してみる。


桂馬と歩とを玉と云うなら

進んでみせろ我が王よ


なんか都々逸まで小難しいな。

と思ってスルーしかけたが、引っ掛かって二度見した。

我が王?

瀬尾さんが王と呼ぶ相手なんて一人しか思い浮かばない。

「…………」

あんな罵倒しておいて、中西先輩のことをちゃんと王だと思ってたのか。意外だ。

なんだか見てはいけないものを見た気分になって、その紙をそっと裏返して束に戻した。


そうやって数日、おれたちは勧誘用の都々逸を考えた。

授業中思い浮かんで教科書の端にメモったりもした。

そのせいで頭に飛び交う七七七五。

母親に今日の夕飯何がいい?と聞かれた時に、「寿司がいいけど無理ならトンカツ、それかでっかいエビフライ」などと答えてしまったくらい。

なんだろうこれ。なんの病気だ。

そうしてなんとか二首ずつ捻り出した。これでいいのかなーなどと思いながら。


数日後、部活に向かう途中。廊下を歩いていると目の前にジャージ姿の影が立った。目に入る足元の便所サンダル。

…………栗原。

足を止めて視線を上げた。

授業以外で会うのを避けていたから、こうして対峙するのは久しぶりだった。都々逸部のことを言われるかもしれない。心の中で身構える。

栗原は無表情だった。

「お前には失望した」

前置きもなく、吐き捨てるように言われる。

「自分の才能をドブに捨てるような姿勢も、後輩を売ったような行為も」

怒鳴るでも責めるでもない静かな口調。

「お前は自分がやりたいことのために、後輩たちを隠れ蓑にしたんだ」

言葉が出なかった。反論できない。確かにおれは松崎たちを隠れ蓑にした。しかもそれを自覚していた。わかってて、やってた。

「そんなことをしてまで作ったその部にどんな価値があるのか、おれにはわからん。お前が何を成すのか見させてもらうことにする」

冷ややかに言って遠ざかる足音。

栗原が生徒たちにうるさいと言われているのは熱血漢ゆえだ。口うるさいし、小言であっても声はでかい。あんな風に静かに話すところなんて見たことがない。

それほどのことなのか。おれはそんなことをしたのか。

ずしりと重くなった心が、部室に向かう足取りまで重くした。


そんな気持ちのまま第二視聴覚室の扉を開けると、いつもの面々がこちらを向いた。

「おー、小西」

「ちょっと来い、これどう思う?」

後輩を犠牲にして得た人たちの顔。

「小西?」

平田がおれの名前を呼ぶ。我に返った。

「どれ?」

「……どうしたの?」

「なにが」

何もなかったふりをする。

平田はそれ以上詮索しては来なかった。ありがたい。

「これ、二葉さんが書いてくれたの」

「おー」

二葉さんの達筆で書かれたみんなの都々逸。中西先輩と大西先輩のあの二首も入ってる。その中のひとつに目が留まった。

「これは?」

「あ、さゆり先生の」

さゆり先生の。目でなぞる。


そばにいるのに触れられぬから

横顔ばかりを思い出す


横顔って……誰の?

もしかして、恋人の?

先生は大人だ。恋人がいるなんて当たり前かもしれない。でも考えてもいなかった。考えたくなかった。

いや、フィクションかもしれない。でも先生は心を詠めばいいと言っていた。

これは、彼女の心?


都々逸ひとつで心が決まり

別のひとつでまた乱れ


隣に並んだ自分の都々逸を見た。皮肉なもんだ。その通りの状況に、今なってる。

「小西?」

今度は大西先輩に呼ばれた。気を取り直して顔を上げる。

「いいんじゃないすか」

「ん。じゃあこれでいくか」

ぐちゃぐちゃと考えているおれの心中など、みんなが知る訳がない。じゃあこれは小西の分ね、と平田からポスターを手渡される。平静を装って受け取った。

そうして、みんなで手分けしてポスターを貼っていった。 校舎のあちこちにある掲示板。

公示。

野球部、廃部。 都々逸部、新設。

そう書かれた紙の隣に。

三十分ほどで貼り終わって、正面玄関に全員集合。終わったかー、と確認し合って中に入り、靴を脱ぐ。

と、目線を上げた先に。


洒落に情歌にポロリもあるよ

みんなおいでよ都々逸部!


二葉さんを除く全員が顔を見合わせた。平田がおかしくて仕方ないという風に笑う。

「二葉さん、なんであれをよりによって正面玄関に……!」

「インパクトあると思って!」

「いや、確かにあるけどポロリってお前……まぁいいか」

苦言を呈しようとして面倒になったのか、途中であきらめる大西先輩。

いいのか?いいのか。部長がそう言ってるんだし。

さあ、部員募集だ。いつでも来い。受けてたつぞ新入部員。

おれはそんな心持ちで、掲示板の廊下を踏みしめた。


部活にばかりかまけているようだが、もちろん授業にも出ている。

次は世界史。あまり得意じゃないが。

「小西くんごめん……また教科書見せてくれる?」

机を漁って教科書を取り出していると、隣の長瀬が困ったように声をかけてきた。

「なんだよ、またか?お前最近教科書忘れすぎじゃね?」

「え、あ、ごめん……今度から気を付ける」

「いや、別にいいけど」

机を寄せて間に開く。ちょうど開いたページの端に書かれた文字に長瀬の目が止まった。

「お前正宗、わしゃ錆び刀……?」

「あ」

あのときの都々逸。都々逸部を作るきっかけになった、あのときの。

授業中上の空で書いた汚い字。長瀬がそれに触れて、理解したように笑って、こっちを見た。

「私も入ろうかな。都々逸部」

「何言ってんだよ。お前放送部だろ」

しかもエース。アナウンサー。密かにファンも多い。長瀬を都々逸部なんかに引きずり込んで放送部辞めさせたら大量の男子生徒に恨まれる。瀬尾さんを敵にまわすどころじゃない。

「でも、私だって何か一緒にやりたいよ」

なぜかすねたように言う。

あ、そうか。手伝えることがあれば言えって言ってくれてたんだよな、長瀬は。

「じゃ、ひとつ頼みがある」

いいことを思い付いた。おれが話し始めると、長瀬は期待に満ちた顔でこちらに耳を傾けた。


『6月24日、火曜日の放送です。今日はいつもの放送の前にお知らせがあります』

その週の昼の放送、長瀬の当番の日。スピーカーから長瀬の声がして、来たかと耳を傾けた。

『都々逸部が新設されました。すでに掲示板などでお知らせされているので、皆さんご存じかも知れません』

そう、長瀬に頼んだのは部員募集のアナウンスだった。注目度の高い長瀬の放送なら聞いている生徒も多いと思ってのこと。

『都々逸とは、七七七五の韻を踏む定型詩のこと。現国の課題で作ったことがある人もいると思います。「三千世界のカラスを殺し、主と朝寝がしてみたい」なんて、粋な調子が特徴ですね』

へー、そうなのか。クラスメイト達が素直な感想を述べる声。こっちを見る奴も何人か。

『生徒会長も所属する新部の設立、注目していきたいですね!』

明るく通る長瀬の声は清涼剤みたいだった。部の門出にエールをもらった気持ちになる。

『では、都々逸部からのコメントです。「洒落に情歌にポロリもあるよ、みんなおいでよ都々逸部!」とのことです』

ガタッ。隣で飯を食ってた同級生の向井が椅子から落ちそうになった。

「小西……長瀬にこれ言わせたの、お前か」

「おー」

「よくやった」

肩をバシバシ叩かれる。まわりを見るとこっちを見てサムズアップする男ども。

どうやら『ポロリ』に反応したらしい。さすが長瀬、それだけでファンをこんなに喜ばせるとは。

「しかし都々逸部、ほんとにやるとはな。小西すげー」

「野球部はよかったのかよ」

「いいんだよ。で、誰か入るか?」

「いやそれはちょっと」

「無理無理無理」

やはり理系クラス、どいつもこいつも及び腰。簡単にはいかなそうだ。

せっかく人気者の力も借りたんだ。多少苦戦するにせよ、なんとかなるといいんだが。

そんなおれの懸念に反して効果はすぐに表れた。その日の放課後、第二視聴覚室。

「笹谷です。都々逸部に入部希望で来ました」

「同じく入部希望、二年の佐倉です」

二年、笹谷礼奈。佐倉あやめ。差し出された入部届けの文字を追う。

新入部員。本当に来た。マジかよ。

現実感がなくて呆然としているおれを尻目に、大西部長が笑顔で歓迎の意を述べる。はじめての仕事。

「いらっしゃい。ようこそ」

そして尋ねる、素朴な疑問。

「ふたりはなんで都々逸部に?」

「ええと……中西先輩のファンで」

「私も似たようなものです」

笹谷は恥ずかしそうに、佐倉は淡々と答える。

そうか、中西先輩のファン。まさかの生徒会長効果。隣の横顔を見る。

「優秀な客寄せパンダですね」

「人を珍獣扱いするな」

苦笑する男前。慣れてますって風だ。さすが。

「なるほど、中西のファンなのね?じゃあ中西は誰が好きだと思う?!」

また頭おかしいこと言い出したよ、とおれたちが二葉さんを止める前に笹谷が話しはじめた。動じてない。

「そうですね、やはりバッテリーを組んでいた大西さんが最有力ではあると思います。でも中西さんは生徒会長でもありますし、副会長への信頼を考えると瀬尾さんも捨てがたい。生徒会でいうなら庶務の卜部くんのことも大事にしてると思います。後輩なら小西くんもですね、やはり面倒見がいいイメージですし。ビジュアル的にも長身でイケメンで頼れる雰囲気、誰と組んでも素晴らしい。それらを踏まえて総合的に判断すると、どの組み合わせでもすべからく良いですが個人的にはなかせおを推したいです」

ものすごく理路整然と中西先輩について熱く語られて、おれの表情筋は硬直した。

大変だ。なんかすごいのが入部してきた。二葉さんとは違うベクトルで頭がおかしい。いやむしろこれは同じベクトルなのか。

「私はなかこにがいいと思っています」

笹谷とは対照的に簡潔に回答する佐倉。

ふたりの意見を聞いて、二葉さんがうんうんと頷いた。

「なるほど、ふたりはそっち派ね。あ、ちなみに私はおおなか派だから!よろしく!」

「……先輩、あの人たち何言ってるんですか?」

「深く考えるな」

我に返って尋ねると、当の本人はスルーしろと言う。

「おいすげえな。ものすごいファンじゃねえかお前の」

おれと同じく表情筋が固まってた大西先輩もなんとか意識が戻ったようだ。

「これで三年が三人、二年が四人ですね。あとは一年が来てくれるといいなぁ」

まったく動じない平田が冷静に感想を述べるなか、おれはできれば普通の子がいいななどと考えていた。


都々逸部が七人になって数日が過ぎた。

あれから入部希望者は現れることなく、おれたちもたいした活動をするわけでもなく。

それでもなんとなく第二視聴覚室に集まった活動日に、久しぶりの顔が姿を見せた。しかも女連れで。

「なんだ?松崎。彼女か?」

「ちっ……違います!!」

おれが尋ねると、聞かれた主は真っ赤になって否定した。隣の彼女も耳まで赤い。当たらずとも遠からずってところか。

「よかったな」

「なにがですか!彼女を紹介に来ただけです!」

「おー、だから紹介しにきたんだろ?見せつけてくれるなー」

「いや、だから、違」

「ま、松崎くんと同じクラスの当麻茜と言います……あの、都々逸部に入部希望で来ました」

全員固まった。また?入部希望?

しかも一年!

「やったー!一年生!!待望の!!」

乱舞する二葉さん。

「松崎くん連れてきてくれたの?ありがとう」

礼を言う平田。

「かわいい子じゃねえか、なぁ松崎」

まだ松崎で遊んでる大西先輩。

一年が来てくれたのは喜ぶべきことだ。しかし一応確認しておきたいことがある。

「当麻さんも中西先輩のファン?」

また笹谷や佐倉みたいなタイプだと、おれはもうどうしたらいいかわからない。そのための確認。

「え?ええと……生徒会長、かっこいい、とは思いますけど……ファンとは違うと思います。私はあの、ポスターの都々逸を見てやってみたいなって」

「……マジで?」

すげえ。あのポスターがちゃんと人を呼んだ。ちょっと感動した。

「そっか。ありがとう。歓迎する」

「よろしくね!都々逸部へようこそ!」

二葉さん、両手を広げてようこそのポーズ。

「歓迎会したいくらいだな。ジュースでも買ってくるか」

「そうだな」

中西先輩に同意して、大西先輩が松崎に視線を向けた。まさか、と身構える松崎。いやいやいや。

「おれ買ってきますよ」

さすがに礼を言うべき相手をパシらせるのはまずいだろう。しかも彼女の前で。

「二葉さん何がいいですか?佐倉と笹谷は?あ、当麻さんも」

好みのわからない四人に希望を聞き、メモを取る。マッチ、午後ティーのミルクティー、十六茶、レモンウォーター。

「あ、僕も行きます!」

松崎がついてきた。

「なんだよ、せっかく引き受けてやったのに」

「すいません、ありがとうございます」

「いや、礼を言うのはこっち。ありがとな、一年生連れてきてくれて」

「いえ、僕は頼まれただけで。なにもしてないですよ」

「でも勇気がいるだろ、知らない上級生だけのところに一人で行くのは」

「そうですよね」

雑談。自販機までの、ほんのすこしの距離。

「えーと、大西先輩たちはいつも通り?コーラとポカリでいいんですか?」

「ん。平田はジャスミン茶な」

「はい。で、小西先輩はサイダー」

「おー」

松崎が笑った。

「なんか懐かしいなぁ」

「パシリを懐かしむなよ」

「今は、そういうのすらないですから」

呟いた小さい背中。何も言えなくなるおれ。

カチャン、ピッ。ガコン。小銭を入れる音、ボタンを押す音。落ちてくる音。何度か繰り返すそれらだけが響く。

しばらくして、松崎が口を開いた。

「小西先輩……なんで言ってくれなかったんですか?」

いつか聞かれると思っていたこと。

「……野球部のことか」

「そうですよ!掲示板で廃部になるって見て、僕……!!」

「わかってたことだろ?泣くなよ」

冗談めかすつもりで言ったのに、おれを見上げた松崎の目はもう潤んでいた。手遅れ。

お前は後輩たちを隠れ蓑にした。栗原の言葉を思い出した。胃が重くなる。

「ごめんな」

目を伏せた。他に言えることなんてない。

「結果は仕方ないです、どうしようもなかったってわかってます。でもせめて言って欲しかったです……そしたら、こんな悲しい気持ちには……」

「うん」

「……言い訳くらいしてください」

言い訳。そんなの許されるのか。

「……言わなかったんじゃなくて、言えなかった。ずっと迷ってて……みっともないよな」

松崎の濡れた目がこっちを見ている。目を合わせられない。

「悪かった。お前たちを、売るような真似をして」

頭を下げる。松崎は答えない。

ポタリ。手にしたペットボトルの水滴が落ちる。

そして、しばらくしてようやく、意を決したように口を開いた。

「僕も都々逸部に……」

「それはダメだ」

「なんで……!!」

「お前本当はサッカー部に入ろうとしてただろ」

野球部に入る前、松崎は迷ってた。おれたちはそれを説き伏せたのだ。忘れるわけない。

「でも、それじゃ先輩たちに会えなくなる……」

「ならねえよ。死んだわけじゃなし、いつだって来ればいい」

「本当に?」

「ん」

おれが頷くと、松崎は目を細めた。その拍子に目に湛えていた涙が落ちる。それをぐいっと手のひらでぬぐって、突然全力でコーラの缶を振りはじめた。

「なにしてんだお前」

「こんなに振り回されたんだし、少しは大西先輩に逆襲したっていいですよね?」

赤い目でいたずらっぽく笑う。もういつもの松崎だ。

「だな。やってやれ」

そうだ、やってやればいいんだ。おれたちはこんなに迷惑かけられたんだから。

二人で交互にコーラの缶を振りながら戻った。ちゃりんちゃりん、お釣りの小銭がポケットの中で軽い音を立てる。

ガラッ。第二視聴覚室の扉を開けると待ち兼ねた視線が集まった。中西先輩がこちらを見て言う。

「遅かったな。どこまで行ってたんだ?」

「そうですか?そこの自販機ですよ」

言いながら配った。女子には松崎が。大西先輩のコーラはおれが。

「とりあえず開けるか。あ、まだ飲むなよ、乾杯するから」

言いながら大西先輩がコーラの缶を開けた。ブシッ。

「きゃーーーー!!」

「ええええええええええ?!!」

勢いよく吹き出した泡に笹谷と二葉さんが悲鳴をあげた。大西先輩の顔面を直撃。白いTシャツを茶色に染めて止まった。 ずぶ濡れ。

「てめ……小西!!」

「ざまあ」

濡れ鼠の大西先輩を指差して笑ってやった。みんな釣られて笑う。平田も松崎も、笹谷と佐倉も。

「そうか、これやってて遅かったのか」

納得したように呟く中西先輩。

「着替えあるんですか?大丈夫ですか?」

心配する当麻さん。

「ある、教室に。すっげえベタベタする」

コーラの糖分が煩わしいと頭を振る大西先輩。はぜたコーラがぽたぽたと床に落ちて、掃除がめんどくさそうな感じ。

「小西おれの着替え取ってこいよ」

「嫌ですよ」

「反抗期かお前は」

呆れたように言いながら、大西先輩がTシャツを脱ぎ捨てた。

失敗した、と思った。

忘れてた。大西先輩が、痛いとも辛いとも言わないから。

あらわになった右肩。そこから上腕にかけて、くっきり残った大きな傷跡。あの、事故の。

全員の視線がそこに集まった。静かに。

「……しまっとけよ。ここは野球部じゃないぞ」

女子もいるんだ。

そう言って中西先輩が自分の上着を差し出した。言われた方は無言で受け取る。

「別にいいわよ?!むしろおいしい!!」

傷跡の生々しさに凍りついた空気を二葉さんが破った。心なしか表情を緩めて、大西先輩が眉を上げる。

「おい、なんでカメラ構えてんだ二葉」

「向学のために!!」

「あっ、二葉先輩。それほしいですデータ下さいお願いします」

「私も」

笹谷と佐倉が乗っかった。笹谷に至っては二葉さんの手元のカメラを覗き込む始末。

「中西さんが上着渡すとこ撮れました?」

「ごめん間に合わなかった!不覚!!」

「うーん残念!」

「やめろお前ら」

中西先輩がいさめる。

「だって!大西が!中西の上着きてる!!大西の髪が下りてる!!こ!れ!は!!!」

「なるほど、おおなか派の二葉先輩としては垂涎ものですよねわかります」

「わかってくれる?!笹谷さん!」

「あっ、礼奈でいいです」

「レナちゃん!!」

「私のこともあやめって呼んでください」

「あやめちゃん!!」

うるせえ。

うるせえけど、助かった。二葉さんのおかげでいつもの雰囲気に戻った。

「じゃ、乾杯しますか」

「おいおれは」

「大西先輩はそのままでいてください、コーラまだ半分ありますから乾杯できますよ」

納得いかないという顔の大西先輩を尻目に、それぞれ飲み物を持って用意。

「じゃ、当麻さん。笹谷、佐倉。ようこそ都々逸部へ!」

「かんぱーい!!」

なんだかんだで揃った部員。末広がりの八人目。

サッカー部員一名を含めた九人の乾杯で、新生都々逸部は発進した。


しかし、まだ気にかかってることがひとつあった。解決しないと夢見が悪い。

そんなわけで翌日の放課後、おれはサッカー部に乗り込んだ。

「広丸さんいますか」

サッカー部の主将を呼ぶ。相変わらず汚ねえ部室だな、と思いながらそこにいる面々を見渡すと、嫌な奴と目が合った。

「なんだ小西?なんの用だよ」

「……南野」

南野葦太。サッカー部のエース。フォワード。目付きと柄の悪い二年生。

「お前に用はねえよ」

「なら帰れ。どうせ大したことじゃねーだろ。こっちは忙しいんだ、野球部みたいに自分の出番が終わったらベンチで麦茶飲んでりゃいーわけじゃねーからな!」

「なんだとてめえ」

ざわり。着替えていた部員たちがこちらを見る。

「だいたい目障りなんだよ。スポーツ特待でもないくせに自分はスポーツできますみたいな顔してのさばりやがって腹立つ」

「別にお前にどう思われようと知ったことじゃないね。人の動向に少ない脳味噌使ってないでアホはアホらしく黙ってボール追っかけてろよ」

「なんだとやんのかコラ」

「黙れよ猿」

ガッ、と胸ぐらをつかまれた。目の前の腹を思いっきり蹴ろうと足を上げる。……が。

「やめろお前ら」

冷静な声とともに後ろから襟首をつかまれた。

「あっ、広丸さん」

手を離す南野。

「……なんで?」

おれを止めたのは中西先輩だった。そしてその後ろには大西先輩も。サッカー部の主将と並んで立っていた。飄々と。

「悪い、広丸。うちのが失礼した」

中西先輩が詫びる。

「いや。こちらこそ口汚くて申し訳ない」

広丸さんが首を振りながら南野の頭をひっぱたく。そしておれの方を見た。

「小西、用件は一年のことだろ?今大西から聞いた。もう大丈夫だから」

そう、用件は一年のこと。居心地悪そうな理由を聞き出してなんとかしろと言うつもりだった。

でも、もう話がついている?

「帰るぞ、小西」

捕まれた襟をそのまま引っ張られる。

「え、ちょっと待っ」

「じゃあなー、広丸。お前らも」

大西先輩が気軽に手を上げて、サッカー部員たちに挨拶する。ちーす、と頭を下げる面々。笑顔で見送る広丸さん。

なんだよ。どうしてこんなに違うんだ。

襟をつかんでいる手を払いのけて二人を見、とりあえずは従って外に出る。

出て、第一声。

「なんで?」

「一年の状況、卜部が教えてくれてな」

「うらべ……」

中西先輩が言った名前を反芻する。

卜部。生徒会の庶務の二年。サッカー部員にしては気さくないい奴で、あいつのことはおれも嫌いではない。

「片付けとか、全部やらされてたらしい。忠誠心を試すとか言って」

そんなことまで。

お前はサッカー部に残れと告げたときの松崎を思い出した。なんて残酷なことを、おれは。

「お前も知ってたのか?」

「いや、おれは詳しいことはなにも」

大西先輩の質問に首を振る。それにしても。

「話つけに行くならなんで言ってくれないんですか」

「お前をサッカー部に連れてったらああなるってわかりきってるからな」

飄々と笑う。まんまとその通りに振る舞ってしまった自分に苦笑いした。ケンカを売られるとどうも冷静でいられない。悪い癖だ。

「だいたいお前こそ、行くならなんでおれたちに言わないんだ」

う。言葉に詰まる。松崎に泣かれたことなんて言えない。

「……先輩方の手を煩わせるようなことじゃないと思いまして」

「嘘つけ」

間髪入れずに突っ込みが入る。が、大西先輩はそれ以上追及しなかった。

「なんにしても、あいつらのことはもう広丸に任せるべきだ。おれたちはおれたちのやるべきことをやる」

的を得ている。その通りだ。おれたちはもう都々逸部。さて、何をやる?

「ま、とりあえずはあれだ。小西」

中西先輩が改めておれの名前を呼んだ。嫌な予感。

「期末試験だ」

二人がこちらを見て笑ったが、おれは目をあわせまいと遠くの景色に目を馳せた。

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