第2話 都々逸

お前の気持ちはわかる。でも一年は解放してやれ。もともと野球部でい続けたかったか、そのあたりも含めてだ。お前が意地を張れば張るほど奴らは逃げられなくなる。

中西先輩に諭されて、おれは彼らがサッカー部に行くのを見届けた。

かといって野球部に退部届を出す気になれない。

大西先輩は退院し、登校してきた。夏の大会はもうすぐはじまる。おれ一人だけが未練を引きずっていた。


「いい加減意地はってないでサッカー部に来い」

ある日の昼休み。今日も栗原に職員室に呼ばれて勧誘を受ける。もう何度目だろう。そっちこそいい加減にしてほしい。

「いえ、大丈夫です」

「なにが大丈夫なんだよ。なにもしないで二年過ごすつもりか」

「だから、今何をやりたいか考えているところです」

「自分探しなんかしてるうちにすぐ一年経っちまうぞ。そしたらもう受験生だ。お前の高校時代は苦い記憶ばっかりになるぞ」

「僕のことはいいですから、うちの元部員たちをよろしくお願いします。失礼します」

頭を下げて職員室をあとにする。いつかと同じように。

「あら、小西くん」

出たところで現国教師に出くわした。栗原さゆり。たった今話をしていた栗原とは縁もゆかりもないが同じ名字の若手教師。若いのもあって、親しみを込めて「さゆり先生」と呼ばれている。

「今日も栗原先生?大変そうね」

「……大丈夫です」

ぎこちなく答えながら、彼女の白い鎖骨に視線を固定した。そこから上げることも下げることもできない。目があったらどうしていいかわからないし、そこから下を見てしまったら平静でいられる自信がない。

「未練は、あるものよね。仕方ない」

「え?」

心の中を見通されたような気がして、思わず顔をあげてしまった。目が合う。

「おまえ正宗、わしゃ錆び刀。おまえ切れてもわしゃ切れぬ。なんてね」

華やかに笑って彼女は職員室に姿を消した。

おれはと言えば、突然向けられたさっきの言葉を噛みしめていた。意味が、よくわからないと。


授業が終わってまわりがそれぞれ部活に向かう中、今日も手持ち無沙汰に外を眺めていた。

野球部がいたはずのグラウンド。埋め込まれたベースの上をサッカー部の一年がダッシュしている。その中に松崎たちの姿もあった。

「未練がましいね」

図星を突く声に振り返ると、平田がいつもの笑顔で立っていた。

「うるせえよ」

「まぁ、私も人のこと言えないけどさ」

そういえば、平田もまだ退部届出してないと中西先輩が言っていた。理由は知らない。あれからろくに話もしていなかったから。

「大西先輩に会った?」

「こないだすれ違った」

「何か話した?」

「別に、いつもと同じ」

おー、小西。久しぶりだな。そうですね。手、大丈夫ですか?大丈夫じゃねえよ、まだオナニーできねえ。いや、そんなことは聞いてないですから。そんな会話。

「私は話せなかった。どうしたらいいかわからない」

はじめて聞く。あの事に関する平田の本音。

「野球が好き。でももう何もできない。大西先輩は悪くないけど、踏ん切りがつかない。正直、顔を見るのがつらい」

退部届を出せない理由。平田もおれと同じだった。

「未練はあるものだよな。仕方ない」

「え?」

「……って、さゆり先生が言ってた」

「さゆり先生……」

平田が意味ありげに笑う。それ以上言わせないためにあわてて続ける。

「そういえば、他に変なことも言ってた。お前正宗、わしゃ錆び刀……その後なんだっけ」

「おまえ切れてもわしゃ切れぬ?」

「そう、それ。なんで知ってんの?」

「都々逸だよ。有名な」

「都々逸……ああ。文明開化の音がする?」

教科書で見たことのある一節を口にする。

「それそれ。知ってるじゃん。やっぱり小西、理系クラスなのに現国は詳しいよね」

「うるせえよ」

余計なこと言うなよ、と牽制する。

「そんなにサッカー部に行きたくないなら、なんか自分で作っちゃえば?それこそ都々逸部だっていいじゃない」

「都々逸部って。そんな部活あるかよ。そういうのは文芸部とかでやるもんだろ」

「うちの学校、油絵部だってあるよ。美術部あるのに」

「あれ、ほんと不思議だよな。なんでだ?」

「さあ」

平田は笑っていた。いつもの笑顔だった。

「まあ、サッカー部よりはマシかもな」

とりあえずそう言って、窓の外でサッカー部を指導している栗原を眺めた。


もちろん、そんなの冗談だと思っていた。冗談のつもりだった。だが。

「小西くん、都々逸部やるんだって?」

「お前また変わったこと考えるなー」

「え、都々逸って何?」

「あれでしょ、短歌とか俳句とかの仲間」

「へーそんなのあるんだ。って、それだけを部活にするとか小西やけになりすぎだろ。落ち着け」

「いや……お前らなんでそんなの知ってんの……?」

「え?長瀬に聞いたけど」

「おれは二葉さんに」

「私ははるちゃんに聞いたー」

はるちゃん。平田のことだ。が、他の二人は。

「おい長瀬、なんでお前都々逸部のこと知ってんの?」

長瀬かすみ、同級生、同じクラス。というか隣の席。そこにいる髪の長い女に問いただす。

「はるちゃんと話してたの。ほんとになったら面白そうだねーって」

「……じゃ、二葉さんに話したのも平田か」

「はるちゃんと話してるときに二葉先輩も来たから、そのときに」

「そうか」

二葉、というのは三年の女子だ。中西先輩と同じクラス。美人だから覚えているが、話したことはない。

「あー、あいつ変わってるからな。なんかいつも変なこと言ってる」

「変なこととは何よ、失礼な」

中西先輩の教室の前で話していると当の本人が通りかかった。やっぱり美人だ。

「だってお前変な質問多いし」

中西先輩の言葉を意に介さず、彼女はおれに詰め寄ってきた。

「小西くんは大西と中西どっちが好きなの?」

「は?」

そんなこと考えたこともない。いや、今はもしかしたら、どっちのことも。

「嫌いですよ、どっちも。野球部ダメにした大西先輩も、みんなの背中を押した中西先輩も」

「わー、素敵な関係!!」

目をキラキラさせておれたちを交互に見る。

「な、変だろ」

「ほんとですね」

意味がわからなくて呆然と見守っていると、彼女はもっとおかしなことを言った。

「都々逸部、私も入る。よろしくね」

「……はい?!」

「いいでしょ?中西」

「あー、ごめん、おれこれから生徒会だわ。またな、小西」

華麗に逃げられる。残されてふたり。

「いや、先輩。都々逸部ってのは冗談で」

「だからなに?いいじゃない。サッカー部嫌なんでしょ?」

「それはそうですけど、そもそも五人も集まると思えないですし」

「私、はるちゃん、小西くん、中西、大西。ほら五人。簡単よ」

「僕と平田はともかく、あの二人が都々逸部なんて入るわけないと思いますけど」

「そう?小西くんがやるなら入るんじゃない?」

「そんな馬鹿な」

さっき中西先輩が逃げたの、見てなかったのかこの人は。

「小西くんの言うことならなんだかんだで聞くわよ、あの二人。知らなかったの?それにバカ西トリオは三人でいなくちゃつまんないわ。同じ部で絡んでてくれないと」

なに言ってるんだろう。マジ、この人変。変すぎる。

「とにかく、その気はないですから」

話が通じないからその場から逃げた。平田になんとかしてもらおう。あいつが撒いた種なんだし、と。


ことの次第を伝えると、平田は膝から笑い崩れた。

「笑ってる場合かよ!」

「いや、だって、二葉さん……さすが腐ってる……!あたまおかしい……!!」

「ほんと、頭おかしいよな?びびったよマジで」

「小西がどっちも嫌いなんて言うから喜んじゃったんだよ」

はーおかしい、と笑いを納めながら一息つく。

「とにかく都々逸部なんて冗談だろ?お前もなに人に話してんだよ」

「私はそんなに嫌じゃないけど。好きだし、都々逸」

「お前がそういうこと言うからわけのわからないことになってるんだろ。責任取ってなんとかしろ」

「責任取って入部すればいい?」

「いやいやいやいや」

平田までおかしい。こんなこと言う奴じゃないはずなのに。

「でもさ、小西。もう野球ができないなら別のことしたいじゃない。なにもせずに地区予選進んでいくの追うだけは嫌だよ。せめて気が紛れることをしていたい」

「だからって、なんで都々逸なんだよ」

「小西さ、たまに踏んでるんだよ。都々逸のリズム」

「え?」

「それが無理なら我慢も大事、武士は食わねど高楊枝。言ってたでしょ?」

言われてみて指を折った。七七七五。本当だ。

「それにさ。都々逸部ならさゆり先生に顧問頼めるよ」

いつもの笑顔。今がダメでも新入生を勧誘しに行けばいい、一緒に行くよ。そう言ったあのときと同じ。

平田はわかってる。言わなくてもおれのことはだいたい。どうすればおれが動くかも、何に弱くて何が好きかも。

「ほんとに、やるのか」

「やろうよ」

平田が笑った。今までずっとおれを助けてくれた笑顔。

「……ま、どうせ何もやることないしな」


そしておれは都々逸部なんておかしな部を作ることになったのだった。

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