おいでよ西高都々逸部

小早川

第1話 西高野球部

三番、ショート、小西。

高校に入り、そう呼ばれるようになって二年目の六月。

「おつかれしたー」

今日も練習終り、男くさい部室でだらだらと水分補給をしていた。早く着替えればいいのについ時間をつぶしてしまう。

「おい小西、パン買ってこいよ」

「嫌ですよ」

「じゃあ松崎行ってこい」

「そんなぁ……」

「なに、松崎買い出し行くの?じゃあシュークリームも頼むわ」

甘党の三年生、大西先輩がさらっと難題を追加する。購買にはシュークリームはない。つまり、校外へのパシリである。小柄な体躯でからかわれがちな松崎はこういうとき格好の餌食になる。涙目でこちらを見た。

「小西先輩……」

「やめろそんな目でおれを見るな」

「ひとりじゃ嫌です!せめて先輩が一緒じゃないと!!」

「わー小西モテるなー!さすがだなー!」

もう一人の三年、主将である中西先輩が煽りはじめた。聞こえない、聞こえない。

「松崎の!ちょっといいとこ見てみたい!!」

三年生たちが声をあげて不穏なコールをはじめようとするのを聞き、見かねて制止に入った。もはや様式美。いつものこと。

「いいですか先輩方。何事も自分のことは自分でやってください。脱いだものは自分で持ち帰って家で洗う!掃除もポカリも平田に頼らない!練習後のエネルギー補給を人に頼るなんてもってのほか!!それが無理なら我慢も大事、武士は食わねど高楊枝!わかりましたか!!」

そばで見守っていたマネージャーの平田がプッと吹き出した。

「武士は食わねど高楊枝?小西、理系クラスなのにそういうの好きだよね」

「いや笑ってる場合じゃないから。これ甘やかすと平田も仕事増えるじゃん、厳しくしていいから」

「私は大丈夫。だってマネージャーの仕事だもん」

「いや、そういう母ちゃんみたいなことは自分でやらせていいよ。スコアつけたり戦術考えたり、お前忙しいだろ」

うちのマネージャーは生粋の野球好きで、戦術にも詳しいし練習法の管理やアドバイスもしている。野球素人の顧問に代わってやっていることだが、もはやチームの監督。女じゃなかったら一緒に球を追えるのに、と吐露されたこともある。だからポカリの補充なんてやらせたくない。

「母ちゃんみたいなのは小西だよなー」

「なー。口うるせえったら」

大西中西コンビがガタガタ言うのを無視して立ち上がり、手を叩いた。

「はい、今日はここまで!解散!!」

「おつかれっしたー!」

無理矢理終わらせて一息。パシリをせずに済んだ松崎が視線だけで礼を言って走り去っていく。

「まったくよ、お前のせいで腹減って仕方ねえよ」

「はいはい。じゃあ帰りにラーメンでいいですか?大西先輩どうします?」

「おれいいわ、帰って家で食う」

「なんだよ、またバイクか?」

「気を付けてくださいよ。バイク通学、栗原に目をつけられてる」

「大丈夫だって。じゃあな」

校則違反なんて気にもしない彼は、生活指導の鬼の栗原の名前にも動じずさっさと着替えて去っていった。驚くべきマイペース。一応あれでもエースで4番。キャッチャーの中西先輩とは中学からバッテリーを組んでいる旧知の仲だ。

「小西、おれもラーメンいいわ。生徒会で呼ばれてるんだった」

「ああ……だからパン?」

「おー。お前のせいで食いそびれたけどな」

「わかってたなら昼にでも買っておけばいいじゃないですか」

「部活前に言われたんだよ」

それならそうと言えばいいのに。律儀にみんなを解散させたあとに言わなくても。

「……すいません」

「別にいいよ、生徒会の奴に買ってこさせるから」

「それじゃパシリが変わっただけじゃないすか」

「なんだよ、じゃあお前が行ってくれんのか?」

「嫌です」

「だろ」

笑ったその顔はどこからどう見てもイケメンで、生徒会選挙で圧倒的多数の票を得て会長に選出された底力を感じる。背も高く体格にも恵まれていて、見た目もよい、外面もよい、成績も運動神経もよい。なのになんで全く目立たない弱小野球部にいるのか、おれはいまいちわからない。野球が好きだなんて聞いたこともないし。

もしかしたら野球部に身を置かせている大西先輩がすごいのか。二人の間のことはよくわからない。

じゃあな、と生徒会室に向かう背中を見送って着替えていると、いつの間にか部室から出ていた平田が戻ってきた。

「あれ、先輩たちは?ふられちゃったの?」

「なんだよそれ。先に帰っただけだろ」

「一緒に帰る前提があるからそう言えるんじゃん」

そういわれてみればそうかもしれない。なんか嫌だ。

「さすが、バカ西トリオ」

「その呼び方やめろ、セットにすんな」

「えー?」

平田は笑った。仲いいのに、と。

結局おれたちは二人で部室を閉めて駅まで一緒に帰った。帰り道にしていたのは、夏の大会でどこまで行けるか、もしあの強豪に当たったらどうやって勝つか、もう少し練習時間を増やした方がいいかなどの野球談義だった。話が尽きることはなかった。

「今年は三回戦以上を目指そうね」

「目標が低い」

笑って反対方向の電車に乗った。

ぴったり九人しかいない野球部。弱小であってもなんでも、それなりに野球が好きで楽しくやっていたのだった。


それなのに。


ちょうど家に帰り着いた時に電話が鳴った。着信、中西憲広。

「なんですか?パンなら買いにいきませんよ」

すぐに出て軽口を叩くと、向こう側から切羽詰まった声がした。

「大西がバイクで事故った」

凍りついた。さっき別れたときの背中がよぎる。

「中央病院。これから行く。お前どうする」

「すぐ行きます」

即答して鞄を部屋に置き、親に事情を告げて家を出た。


先輩拾ってタクシーで行け、と母親が五千円を握らせてくれた。おかげですぐ着いたが、早く着きすぎて何もできなかった。

手術中の灯りの下で待つ大西先輩のお母さん。

申し訳なさそうに話す中西先輩。あなたのせいじゃないわ、と言われて長身を小さくしていた。

居たたまれなかった。わかったのは命には別状がないと言うことだけ。

無事でよかった。とりあえず安堵して病院を後にする。

「……来るのが早すぎましたね」

「落ち着いたらまた来ればいい」

結局何もできずに帰った。無事だとわかっていたのに、なぜかその日はなかなか眠れなかった。


数日後、落ち着いたみたいだから面会に行こう、と中西先輩から声がかかった。

あわてて駆けつけたあの病院。大部屋の窓際に彼はいた。

「おー、小西」

ベッドの上で飄々と笑うその姿を見て、おれは絶句した。

右腕が。肩が。

「やっちまった。しばらくギブス生活だってよ」

「効き手かよ。不便だな」

「おー。オナニーも出来ねえ」

エースの、右肩。どれくらいで治る?夏の大会は?

「だから何度も気をつけろって言ったじゃないですか……」

「お前、ほんと母ちゃんみたいなこと言うな」

「茶化さないで下さい」

語気を強めてにらみつけると、彼は困ったように黙った。

「まー仕方ねえな。大西、お前が悪いよ」

とりなすようにおれの肩を叩く中西先輩。座れと促されたが従わなかった。嫌な予感がした。

「いつ、戻って来れるんですか」

「退院は二週間後」

「そうじゃなくて」

「……全治二ヶ月。リハビリも必要。元の通りに投げられるようになるのに半年はかかるってよ」

今年は三回戦以上を目指そう。平田の言葉が頭に響いた。

何も言えなかった。なにも言えずに頷いて、おれは病院をあとにしていた。


大西先輩は一週間の停学処分になった。入院しているからいずれにせよ登校できないのだが、処分は処分。校則で禁じられているバイク通学をしてあまつさえ事故を起こしたのだ。当然と言えば当然の処置だった。

「むしろ自損事故でよかったくらいだ」

生活指導の栗原が言った。

「……そうですね」

同意せざるを得なかった。暗い気持ちになる。

「先生、大西の処分については僕たちに関係ないでしょう。ご用はなんですか」

おれの隣にいた中西先輩があくまで事務的に用件を尋ねた。

「わかってるだろうが、野球部は夏の大会に出られない。出場は自粛だ。いや、自粛という名の出場停止だ」

「そんな……」

「物理的にも出られないだろう?お前たちは九人しかいない。八人じゃ野球はできん」

その通りだった。いずれにしろ試合すらできない。しかも欠けたのはエースだ。

「中西は三年だし他にもやることがあるだろうから野球部のままでもいい。でも小西、お前にはまだ二年もある。別の部に行ったっていいんじゃないか」

「僕、副主将ですよ。辞められるわけないじゃないですか」

「そんなのはお前の心次第だ。覚悟を決めてる部員もいると思うぞ」

わかっている。だからといって他の部だなんて。

「今すぐ結論は出せませんので、部員全員で話し合ってみます。少し時間を下さい」

「わかった」

ふたりの会話を聞くだけでなにも言えなかった。背を向けて職員室を出ようとするおれに栗原が言う。

「小西、いつでもサッカー部に来い。他の部員たちもまとめて面倒見るから」

「……結構です」

一礼をして職員室をあとにした。サッカー部なんか、行きたくもなかった。


放課後、主将から事の顛末と夏の大会に関する事項が告げられた。他の部に行くよう勧められたことも。

こうして話がされるとまるで決定事項のようだ。まだどうにでもなるはずなのに。

部員たちの顔を見渡した。三年が二人、一年が四人。二年はおれ一人だけ。

気まずそうに押し黙る一同に、まず三年の二人が口火を切った。

「おれ、もう辞めるわ」

「おれも。もう三年だしな、ちょうどいいからこのまま受験に専念するよ」

成績優秀な二人らしい、と思った。もとから野球部も楽だからと残ってくれていたところがあった。それでも野球は好きだと言ってくれていたのに。

「小西先輩はどうするんですか?」

松崎がおれを見た。まっすぐ。

「おれは残……」

「小西はサッカー部に誘われてる。お前らも一緒に」

中西先輩がおれの言葉をさえぎった。一年たちがホッとしたような顔をする。

「それなら、僕もサッカー部に行きます」

「……おれも」

「ですよね。だって、このまま野球部にいたってなにもできないし」

おれに本音を言わせなかった彼の意図がわかった。一年を縛りつけてはいけない。そういうことか。

「これじゃ、野球部も実質解散だな」

あくまで明るく、笑い飛ばす声。

わかっていた。西高はサッカー部が強い。運動能力の高い奴らはサッカー部に取られ、女子の視線もサッカー部に取られ、いなくても誰も困らない野球部。スタメンを揃えるのもやっとだった。

今年おれと平田が走りまわって、ようやく入れた一年四人。先輩たちを信じます、と言ってくれた。だからこそ。

「それなら大丈夫そうですね」

平田も笑った。

「私は文芸部に誘われてます。どうするかはまだ考えているけど」


西高野球部は、こうして終わったのだ。

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