第九話

「彼らは救国の英雄です。正に水際で侵略を食い止めた勝利の立役者だ。だというのに、こんな処遇は”むごすぎる”」

 黒田幹久がいきり立って叫んだ。

 十一月十二日。緊急に集合した内閣安全保障会議の面々は渋い表情で、総理大臣と防衛相がしのぎを削っているのを眺めていた。酒場で殴り合う荒くれ者を見つめる平和主義者に見えなくもない。とにかく、腫物を扱うように距離を置いているのは事実だった。

 雨は止み、透き通るような薄い青色が議事堂を覆っている。

 会議室にはマスメディアが詰めていたが、冒頭の部分で国家の安全保障に関わるからと大滝史彦が退出させた。不平不満を爆発させた記者陣がいなくなると、いささかすっきりとした表情で、彼は黒田幹久の口上に晒されているのである。その勢いたるや生半可なものではなかった。

 「九十九里浜要撃戦」は、日本国自衛軍の辛勝で幕を閉じた。

 数個師団の無人兵器群が投入されたこの戦闘において、自衛軍は千人近い戦死者、その数倍に当たる負傷者を出した。

 想像を絶する死傷者数のその多くは陸自隊員のものだ。意外にも劣勢を強いられていた空自の被害は小さかった。だがこれは数字のマジックであり、被撃墜数で表せば、最新鋭機に搭乗した優秀なパイロットたちの実に十機以上が撃墜されたことになる。そもそもの参加人数が陸自に比べ圧倒的に少ないこともあり、損害率では四割にも上ろうかという有り様だった。

「彼らがいなければ、九十九里浜は今頃、黒く染まっていた筈だ」さらに続く黒田の言葉を大滝史彦は無表情のまま聞いていた。「その彼らを、勲章を渡しもせずにそのままアフリカの僻地へ派遣とはどういうことですか!」

 卓の上座で腕を組み、その上に顎を載せながら総理大臣が答える。その眼は剣呑で、予断無い。

「君の考えでもあるのだ、黒田君。そちらも同意していたではないか。第三世代PGTASは日本列島には大きすぎる荷物だと」

「それは第二次侵攻以前の話です。既にアフリカ戦線の南側には、黒い塗装を施した無人兵器群がうじゃうじゃしている。その数は三十万にも上ろうかというのです。停戦状態だからこそ、隠れ蓑になるのではないですか。いくら機密保安のためとはいえ、これほど酷い仕打ちはありますまいに」

「彼らは軍人だよ。それも民主主義国家の、市民を守る軍人なのだ。わたしは選挙を経て、日本国民の意志を代弁している。民意の下に成り立っているのだ。これを拒否するというのか、黒田防衛相?」

 黒田は、泥にまみれた指揮系統なぞ糞食らえだ、と叫びたい衝動を懸命に堪え、ただ大滝を睨み付けた。

 心の底では、ここで命令を受けて引き下がるのが妥当なのだとわかっている。政治的な判断が最善であることは、黒田にも理解できる理屈だ。

 だが、彼はまず、なんとしても第七PG中隊の勲功に応えてやりたかった。話題にされないが、他の陸自部隊にも同様だ。九十九里浜での事後処理は東北方面隊と各省庁に任されたものの、戦闘に参加した兵の多くは休暇も与えられないまま、また兵役に就くと言う。

 彼らは地獄へ赴き、相応以上の犠牲を払った。それに報いるのが国以外の何者であるというのか。

 それもこれも、内閣総理大臣の命令あって、だ。

 腹の底で煮えたぎる怒りを懸命に抑えている黒田へ向け、隣に座る経済産業相、曾根田康彦が見かねて口を開いた。丸眼鏡を呑気にクリーナーで拭き取りながら、剣呑な目を防衛相へ向ける。その態度は神経を逆撫でするが、同時に落ち着きもはらんでいた。

「黒田防衛相、一先ず座るべきだ。ここは議論の場であって、乱闘をする場ではないよ」

 黒田は、自衛官上がりの自分を揶揄されているのかと思ったが、その口調に嘲りの色が無いことを感じとる。いつの間にか立ち上がっていた自分の腰を椅子の上にどっかりと下ろした。

 しかし抜いた矛は納めず、首相の決意を変えられぬとあらばせめてもの上方修正を図るべく口を開く。

「不躾な態度と度重なる無礼については、詫びを入れましょう。だが、本当にこのままアフリカへ彼らを派遣するしか手立てはないのでしょうか。わたしも賛同した計画であることは承知の上です。今一度再考を願いたい」

 大滝史彦は大仰な溜息をついた。それが政治的パフォーマンスの一部であるのか、真に心を痛めたものであるのか、真偽をつけ辛かった。その一事だけで反吐が出る。

「黒田君、わたしだって心の底からこんな選択を歓迎しているのではない。立場上、日本国民の利益という観点で決定を下す場合、個人の幸福が蔑ろにされてしまうことが、ままある。だが一殺多生の罪科をもこの身に背負うことこそが、内閣総理大臣として選ばれたわたしの使命なのだ」

「わかっています。わかっていますとも。ご立派なことだ」

 この一言に、大滝史彦は露骨に顔を顰めたが、黒田の胆力にはいささかの傷もつけられない。

 黒田には、統合幕僚長という、総理大臣とは違うが他の大多数に責任を負い、身をすり減らす役職にあった時期がある。

 兵士を死地にわざわざ送り込む、しかもその理由が政治的な駆け引きでしかないということがどれほど醜悪な論理であるのか、骨の髄まで染みていた。責任について、大滝史彦という男がいかに真摯な決断を下しているのかを、彼は自分の経験と照らし合わせて推し量れたし、たとえそうでないにしても、彼の人間性が下の下というほどでもないことはこの眼で確かめてきた。

 だからこそ板挟みになるのである。彼の判断の正しさと、自分の内にある人情との狭間で。

 現在、アフリカでは多数のPGTASをはじめとする国連主力部隊が集結し、広大な戦線を構築している。アフリカ大陸南部に駐屯している無人兵器群の数は三十万を数える。通常兵力としてこれを捉えることは愚の骨頂と言わざるを得ない。人類軍とは違い、彼らは生粋の殺戮兵器のみで構成された、完全な機甲部隊だ。その打撃力たるや想像を絶する。

 この南極戦争は、現状、大きく分けて以下のように区分できる。

 まずはオーストラリア戦役。次に東南アジア戦役とアフリカ戦役。最初期の緒戦は、国連軍が甚大な被害を出した上での完敗という結果で終結している。後者ふたつは未だに続いてはいるが、その戦闘は大いに違った様相を呈していた。

 アフリカ戦役では陸軍を主力とした大規模戦闘、東南アジアでは海上兵力と航空兵力の密接に絡み合った三次元戦闘が基本となっている。様相の異なる戦場が生まれることは人類の内紛でもままある展開だが、問題はどちらにしても、人類側が劣勢を強いられているという、残酷な、純然たる事実。現実とは残酷と等号で結ばれるものであると、今の時代に生きる人々は全員が教え込まれている。

 今回の九十九里浜要撃戦は、水際要撃という自衛軍にとって有利な開戦を迎えたものの、被害は甚大なものとなった。そればかりか、戦線の維持さえ危うくなるほど苦戦を強いられた。こうした表現ですらも過小評価だろう。何度も戦線を突破されているのだ。ならばこれが互角の条件を揃えた平原での会戦ともなれば、どのような結果が待ち受けているのか。海上自衛隊への批判は免れない。

 敗北は、アフリカ大陸南方に引かれた、広大な土地を黒く塗りつぶした地図が出回っていることからも知れる通り、死屍累々と積み重なる人間の死体で示される。原型すらも留めぬ肉片の山を思い出し、黒田は胸糞の悪さに頭を振った。

「第七PG中隊以外に、どの部隊を派遣なさるおつもりですか」

「細かい部隊抽出は、専門家である君に一任する。だがわたしとしては、第七PG中隊は別箇に派遣される陸上自衛軍アフリカ派遣部隊を踏襲して配備してもいいかと思う。好きにしていい」

「了解いたしました。では、早急に資料を作成いたしますので、わたしはこれにて」

「許可する。ご苦労だった、黒田君」

 黒田は、今度は冷静に立ち上がり、目礼を残して会議室を出た。

 最後に閉じた扉が、盛大な音を立てた。





 操縦桿からスコップに持ち替える。抉れた大地の上に、土嚢から取り出した土を放り込んでは固めていく。多くの自衛官が疲労困憊になりつつも、つなぎや戦闘迷彩服姿が冬の陽射しの下、懸命に働いて復興活動に当たっていた。

 崩れた瓦礫を一輪車に放り込んでは運び、トラックへ。トラックは瓦礫を集積場へと運び、瓦礫の山は新地へと変わる。家屋の残骸を除去した後には、倒壊した民家の基礎が地面に植え込まれており、これを重機で砕き、取り除く。土を他所から持って来て穴を塞ぎ、土壌を固めた所でようやく、次の家を建てる状態が整う。

 そこからさらに土地を買い取り、家を建てる時間を考えると、どれほどの年月がかかるのかは想像に難くなかった。いつまで経っても、人は戻れない。

 日計洋一は疲れ切った人の群れに混ざりながら、アスファルトの捲れた路面を埋め立てていた。ロードダンパーの轟音が響き、活気に溢れた復興の波に酔いしれる。少なくとも砲声よりは余程聞き心地がいい。

 九十九里浜要撃戦から一週間と二日。陸上自衛軍と各関係省庁が総出で行っている九十九里浜周辺の復興は、その道程の長さはともかく、急速に進みつつあった。

 停滞していた建設業が活気を帯び、業者はこぞって名乗りをあげた。例外的に安い料金での損壊した家屋の建て替え、分譲住宅化を推し進めると共に、ありとあらゆる需要が街に溢れた。応える供給は留まるところを知らない。

 復興は経済の起爆剤である。にも拘らず、南極戦争で経済がダメージを受けたままであるのは、ただ単純に復興するための土地や人々ごと、黒い軍隊が根絶やしにしているためだ。復興しようにも帰る人々がいない。根こそぎ意味を剥奪された土地には、ただ悔恨と断末魔が残るだけだった。南極戦争序盤は、断末魔と慟哭で空が埋め尽くされたという。

 高校の授業で習った、当時の虐殺場面を映像に収めた動画を思い出す。

 黒い無人兵器群が発砲すれば、人の身体は跡形もなく消し飛ぶ。残るのは足や腕などの末端だけ。そのごく一部にも満たないが、同じような光景が宮城県の各所で目に着いた。

 中には嘔吐する自衛官もおり、全員が仏頂面でその光景を目に焼き付けた後、誰の物とも知れぬ骸の破片を遺体袋に詰める地獄の作業が始まった。その光景を、彼らは生涯忘れることはない。

 皆、心のどこかでは、人間など自分一人だと思い込んでいる。だからこそ利己的になれる。他人が同じ意志を持ち、命で動いているのだと頭では理解しつつも、心を麻痺させることで、自分を優先する。

 それは生きるために必要な機能のうりょくだ。他人を押しのけてでも生き残ること。生存本能に従った結果とも取れる。

 だからこそ、他人が肉塊になっている光景は、衝撃であり、悲しかった。これからは誰かを蔑ろにすることはできないだろう。少なくとも、今までのように人と付き合うことはできそうもない。

「皆、そろそろ休憩にしよう」

 今しがたまで振るっていたスコップを肩に担ぎ、この場の指揮を執っていた陸曹長が言った。額には玉のような汗をいくつも浮かべている。十一月の東北は寒い。

 だというのに、ここにいる誰しもが同じような出で立ちだった。被災者のために風呂に入るのも我慢している者もいる。毎日宿舎に戻っては温かい湯を浴びている自分が疎ましく思え、日計洋一は赤面した。

 着ているつなぎの上半身から白いシャツ姿を晒しながら、傍らの瓦礫へ腰かける。寒空の下で冷え切った戦闘糧食のパックを手に取って、適当に封を切り、そのまま口に運ぶ。美味いとはいえないが不味くもない。それもそのはず、味など微塵も感じられなかった。

 支給されたペットボトルの緑茶で胃の中に無理矢理流し込み、茫然と、破壊しつくされた街並みを眺めた。瓦礫の下に埋まっているかもしれない遺体と、微かに鼻腔で感じ取れる何かのにおいは、気にしないようにする。

 そうして幾許かを呆けて過ごした時、ディーゼルエンジンの駆動音が遠方から聞こえて来た。

 聞き慣れたエンジン音に、居並ぶ自衛官たちが各々の世界から顔を上げた。

 高機動車が一台、緩やかに瓦礫を避けながら近づいてくる。敷かれたばかりのアスファルトを踏んだタイヤは黒く、てらてらと光っていた。

 晴れた陽射しがフロントガラスに反射して誰かは判別しがたいが、その走る方向からして自分を目指しているものと日計は気付いた。急いで糧食を平らげてゴミを片付けると、立ち上がって車輛へと近づいていく。

 彼が目と鼻の先に歩いてきたところで、高機動車は短くクラクションを鳴らし、運転席側の窓から有沢琢磨が顔を出した。親指で車輛を示す。

「一尉」

「日計、乗れ」

 敬礼をする暇も与えず、有沢は命じた。他に働く人々の視線を一身に受けながら、日計は高機動車の助手席に乗り込み、彼は無言のままギアをバックに入れて方向転換、元来た道を辿り始めた。速度はあまり速くはない。自分を呼びに来たにも関わらず、彼にはなるべく戻るのに時間をかけたい理由でもあるのだろうか。

 しばらく無言のまま、荒れた路面を高機動車が走る。小刻みな揺れが心地よく、少し居心地の悪い座席に腰を下ろしていても眠りこけそうになった。何とか意識を保ったまま、それでも船をこぎ始める。

「次の任地が決まった」

「はい?」

 思わずとぼけた返事を返した日計へ向け、有沢は微かに眉を潜めたが、すぐに元の無表情へ戻った。

「新たな任地が決まった」彼は繰り返し、「荒巻統幕長から下命された。我々はアフリカ派遣戦闘群に組み込まれ、日本を発つ」

 唐突な命令に、日計は驚き、次いで憤りを感じたが、すぐに自分を抑えた。ここで怒りを爆発させるだけの気力がないが故だった。

 この理不尽な命令で、有沢琢磨という男が如何に複雑な心境でいることかを察するには、じゅうぶんすぎた。

 恐らくは自分がこの命令を受け取る最後の人間であろうことを察し、吹き飛んだ眠気の残滓を名残惜しく感じる。東雲南津子や鷺澤朱里にも、同様の辞令が既に降りているに違いない。

 窓から見える倒壊した家屋、崩れた塀、荒れ果てた道路。空は青いが、他には何も無い。あるのは人の、敵に屈服などしまいという決意。日本人は如何なる災害を受けても、それを耐え、復興してきた。民族的に麻痺しているともいえるかもしれない。

 だが、日計はその忍耐強さが好きだった。日本人であることに誇りを感じたことは一度もないが、そうした人々の強さを愛しいと思うのは、民族的な求心力や愛国心とはまた別の物であると、彼は信じている。

 横目で助手席にもたれる彼を見やり、有沢は薄い笑みを口の端に浮かべた。

「もう少し、怒るかと思っていた」

「え、ぼくがですか? いいえ、怒るわけありません」

「何故だ?」彼らしい直截な問いだった。

「有沢さんのほうが怒っていると思って。部下のぼくが出る幕じゃないですし、部隊のみんなとなら、命令とあればどこへでも行きます。南極じゃなかっただけマシです」

 彼は再び見やった後、大笑した。驚いて日計が振り返るほど長く笑いこける彼の声色にはしかし、嘲りや嘲笑の響きは含まれていなかった。気持ちの良い笑い声の後にはエンジン音だけが残り、口元に残った笑みもそのままに彼は口を開く。

「南極でないだけマシとは、言うようになったな。最初に顔を合わせた時とは大違いだ」

「そうでしょうか?」

「ああ。お前はわたしに怯えているだけだったからな。そうだろう?」

「正直にいえば、そうです。ということは、ぼくも成長したということでしょうか」

「傷を負うことを成長と呼ぶならば。お前は今、ナイーブになっているんだ。落ち着きすぎている。本来の自分じゃないと感じているだろう」

「ええ、まあ」

「アフリカでの戦いは厳しいものとなるだろう。極地であるに変わりないし、戦闘は血みどろになる。熱帯雨林は歩きにくいぞ」

 今のニュアンスは、PGTASであれば、という意味だ。神経接続をするドライバー特有の、兵器を擬人化した言い回しである。

 日計は考え無しに言葉を放った。

「アフリカのほうが戦いやすいとは思えませんか」

「なんだと?」

 視線を投げる有沢を無視して、車窓から見える瓦礫の街から視線を動かすことなく答えた。

「日本は狭すぎます。ここは戦術選択肢が限られていて、戦い辛いですよ。撤退するにも場所が無いし、機動防御のスペースが無い。もっと広野でなら、紫雲のポテンシャルは発揮される。そうは思いませんか?」

「まったく、訓練生とはいえ、横浜で三人を指揮しただけはあるな。着眼点が鋭い」

「ありがとうございます」

「お前の意見にはわたしも同感だが、それはお前がPGドライバーだから感じることだ。普通科隊員にしてみれば、隠れる場所の多い市街地での待ち伏せなどが最適解だろう。元来、装甲兵器はそうした歩兵の肉薄に弱い。全長十五メートルを超える巨人が走り回れるのは、それこそアフリカの大地か欧州の広い田園地帯しかない……それにしても、お前がそんなことを言うとはな。九十九里はよほどいい教訓になったとみえる」

「紫雲……玉響の操縦に関しては、まあ」

 右掌を顔の前に掲げ、日計洋一は自分と玉響が一体になった瞬間を思い出す。

 確かに語り掛けられた気がしたのだ。「戦う時だ」と。それを口に出すつもりはない。きっと他の三人も体験していることなのだろうし、どうも機体と自分だけの秘めごとのようにも感ぜられたから。

「紫雲といえば、アフリカに先だって会わせたい人間がいる」

 出し抜けにそう言った上官の声は、あまり気乗りがしないようだった。

「それはぼくにですか、それとも部隊にですか」

「良い質問だ。答えは前者だよ」

 それから何も話すことは無く、まだ原形を留めているビーチラインを経由して、途中の九十九里有料道路を南側から乗り上げた。他にも複数の車輛が通行している高速道路を北上していく。

 ようやく昨日で点検作業が終了したらしく、重量のある車輛も復興資材を満載してびゅんびゅんと通り過ぎていく。高架は奇跡的に破損を免れたのだ。こうして見ているだけでも、やはり重機の搬入が多い。今日からは作業効率が大幅に上がりそうだ。

 九十九里浜は復興だけでなく、要塞化も進められている。特に陸自が新たに追加配備を決定した地対艦誘導弾による沿岸防衛の強化が図られた。さらには、ロシア連邦に倣い、緊急展開用の自走沿岸砲の開発も決定。自衛隊時代より抜けきらなかった兵器開発思想の一新も、ここぞとばかりに推進しているのだろう。

 遅すぎる準備ではあるが。

 着実に強国へと成長しつつある日本に、国連各国、特に安全保障理事会は警戒を強めている。PGTAS技術の先進は、他兵器へのフィードバックにより計り知れないアドバンテージを持つ。第三世代PGTASが紫雲のみでなく量産機へと発展した場合、日本は独立を脅かされる事態に直面するかもしれない。

 現内閣総理大臣である大滝史彦は、国防体制の強化に邁進しているとはいえ強硬的な姿勢は取らず、表面上は国際社会との足並みを揃えている。しかしその言動の端々では必ずしもそうではない。協調路線と強硬路線の中間を、実に巧みに右往左往しているのだ。

 ともすれば、今回の第七PG中隊がアフリカへ派遣されることも、何かしらの政治的思惑が裏で糸を引いている可能性が高い。何しろ配備機体は紫雲だ。軍事機密の塊。

 玉響の白い装甲板を思い出す。あの内部にある複合装甲板ひとつの技術だけでどれだけの価値を秘めているのだろうか。

 道の両脇には、損壊した家屋に代わって平凡な住宅街、さらに無傷の路面や普通乗用車が見られるようになった。千葉県に入り、そのまま習志野方面へと車を走らせていく。この街並みを守ったのだという実感が、ふつふつと胸の内で湧き上がって来た。

 そのような感慨も、死者への手向けとはならない。

 一時間も経たずに、高機動車は習志野駐屯地の中央門をくぐった。身分証を取り出していたのだが、憲兵がこちらを見やると、敬礼と共にゲートを開いた。驚きに眉を上げると、有沢琢磨が言った。

「聞いていないのか。我々は九十九里の英雄だ」

 顔を顰めざるを得なかった。

 そのまま駐屯地本部へと入る。疲れていたこともあって、気付けば第七PG中隊のオフィスへと辿り着いていた。着換えようかとも思ったがそのままでいいとあえなく遮られ、汗でへばりつくシャツを気にしながら室内へ入った。

 敬礼と答礼が終わり、はじめに声を上げたのは鷺澤朱里だった。彼女は青年に駆け寄り、抱擁を何とか抑え、その手を両手で握った。

 軍手をしていたとはいえ、畑仕事の後のように汚れた手を、シャツから覗く綺麗な腕が握った。理由わけもなく涙が溢れそうになった。日計は彼女に礼を言い、その黒瞳を覗き込む。

「一週間も顔を見てなかったわ」彼女は疲れた笑みを向けた。「大丈夫なの?」

「へっちゃらさ。こっちはどうだった?」

 第七PG中隊の中で、特にひどい損害を被ったのは玉響だった。そのため、習志野駐屯地の格納庫へ送られて修復されることとなった。余剰人員となった日計洋一には現場での肉体労働が命じられた。といっても、これは彼自身が有沢琢磨へ願い出た措置であり、彼の言を聞いた指揮官がこれを承知したのだった。

「ひとりで、少し反省したいんです。九十九里で損傷したのはぼくだけでしたから」

「わたしからお前に言うことはない。玉響は修復可能範囲内だ。戦闘においても、最も劇的な勝利を納めることができた。非難される謂れは無いと考えている」

「足を引っ張ったことは事実です。どうか、お願いします、一尉」

「ふむ。わたしとしては必要はないと思うが、わかった。何も言うまい。日計洋一三等陸尉へ命ずる。これより気の済むまで、九十九里現場にて復興作業に従事せよ。また、これは命令であって、君になんら不名誉な事実や記録を残すものではないことを、予め明言しておく」

 感謝の念さえ抱きながら、軍服を脱ぎ捨てて荒れ果てた街へと高機動車を走らせたのだった。

 回想に深ける日計を前に、鷺澤がはしゃぐ。

「玉響はもうすぐ直るそうよ。部品が届いて、作業も進むだろうって」

「よかった」

 それだけ返す日計をまじまじと見つめ、鷺澤はその肩を叩いた。

「気に病まなくてもいいじゃない。あなたは上手く戦った。敵の側面から、たった二機で楔を打ち込んだのよ。そして生きて帰った。日計くんのことだからニュースも見てないんだろうけど、それはもうすごい騒ぎよ」

 辛うじて顔を顰めずに頷き返すことができた。

 彼女に言われるまでもなく、そうなるのが予想していたからこそ見なかったのだ。

 それでなくとも、通り過ぎる地元の消防団員や救急隊員、同じ自衛官から、「横浜の英雄」、「九十九里の救世主」として握手を求められたことが幾度となくあった。先ほどのゲート守備兵の対応もそれと同じだ。

 彼らの眼には、横浜の時と同じ畏怖の念が現れていた。最も苦手な感情だ。どう応えればいいのかがわからないだけならいいのだが。

「客寄せパンダじゃないんだ、迷惑なのもわかってほしいね」

 少しばかり皮肉のスパイスのかかった彼の口調に、鷺澤は寂しそうな笑みを浮かべた。

「わたしも、ここにいて大変だったわ。もちろん、多くの仕事があって、それに従事していたけれど、誰かに会う度に変な目で見られるの。まともな目で見てくれるのはここにいる皆くらいのものよ」

 唐突に自分が恥ずかしくなり、顔が赤くなるのを感じた。

 横浜を生き残ったのは、二人。そして、その二人が今回の九十九里浜で目覚ましい活躍を残したのだ。それを忘れていた自分を間抜けと叱咤しながら、日計は頭を下げた。

「ごめん。無神経なことを言った」

「いいのよ、気にしてないし」鷺澤は、汗で湿った彼の頭の上に手を乗せた。細い指が髪の間に突っ込まれる。「あなただって、同じ苦労をしてるものね。お互いに文句を言い合うのはアリにしない?」

「お二人さん、そろそろいいかい?」

 ぱっと体を離して直立する。日向道夫がにやつきながら、背後に細身の男を従えて立っていた。

 そしてすぐに、日計洋一はその男から目を離せなくなった。

 大いなる睡魔が潜んでいるとしか思えない眠たげな瞳が、黒縁眼鏡の奥からこちらを見つめている。どんな感情をも写さず、あらゆる出来事を甘受する忍耐が窺い知れた。

 有沢琢磨とはまた違った、意志の強さではなく、ただ探求心を静かに滾らせている鋭さだ。どちらかといえば自分に似ているのではないか、と思う。日向のように気さくな人柄とも思えない。そこだけは有沢琢磨と共通しているか。

 日計洋一は慎重に敬礼する。男は軍人らしからぬ、黒いベストと長袖のワイシャツ姿で、軽く会釈を返した。

 間に立った東雲南津子が仲介を務める。

「小林主任、こちらが日計洋一三等陸尉です」

 男はやせた顔を上下に動かして頷き、右手を差し出してきた。目線はこちらの顔に固定されたままである。

「小林修一。防衛省防衛装備庁陸上装備研究部、PGTAS開発室主任研究員を務めている」

「日計洋一三等陸尉であります。第七PG中隊四番機、玉響のドライバーを務めています」差し出された、骨ばった右手を握る。泥汚れにも負けず、その手は力強く握り返してきた。「あなたがPGTAS――紫雲を?」

「うん、そうだよ。紫雲はどうだい、日計三尉?」

「最高の機体です」

 本心からの言葉を返すと、小林は満足気に首肯した。

「琢磨からは、君の適性の高さばかりを聞いているよ。先日の九十九里浜でも活躍したそうだね」

 気のせいだろうか。微かに棘のように思える感情が含まれていた。

 自分達の周囲に張りつめる奇妙な緊張感を肌に感じた。

「良い教官と、上官に恵まれましたから」

 型どおりの挨拶を返すと、彼は口元だけで笑った。理由もなく、青年はそれが親愛を示す笑みではないと悟った。

「それは違うね。ぼくの目から見ても、君の操縦適性と神経接続への柔軟性は目を見張るものだ。ここにいる誰のでもない、君自身の成果だよ。胸を張っていいことだ」

「ありがとうございます」

 褒められているというのに、何とも言えない寒気が背中を走る。言外に示された意図を探ろうとし、それは無駄だと知った。この男は、決して手がかりなど提示しない。強かさとは違う、鋼の様に硬い信念を感じる。

「彼は、紫雲のメンテナンスのためにアフリカまで同行する」有沢が見かねて助け舟を出した。「アフリカ派遣戦闘群は、主に各方面隊から抽出、または新設された機械化部隊から編成される。海自以外のあらゆる装備が揃えられる予定だ。我々はその中に組み込まれ、アフリカ戦役に新たな一石を投じることになる」

「やはり、第二次侵攻は避けられませんか。これっきりで済めば儲け物と考えていたんですが」

「残念なことに、あいつらはせっかちなんだ」日向道夫が沈痛な面持ちで言った。

「東南アジアはどうなるのですか」首を向けると、有沢琢磨と目が合った。「アフリカだけが戦場ではないでしょう」

「それは我々が心配することではないさ。海自と空自が何とかするだろう。米露中でさえも、環太平洋地域では協調路線を取っている。ちょっとやそっとでは揺るがない。少なくとも、今の所は」

 安全保障理事国が三ヶ国も参加する東南アジア戦役は、とりわけ強固な防衛線を構築することができる。ここ十五年で、どの国も大きな損害を被った第一次侵攻から傷を癒し、力を付けて来た。十五年の成果を見せる時であるが、実際には心許ないであろうことは誰の目にも明らかでもある。上手く立ち回れるかどうかが鍵になるだろう。兵器の性能は勿論だが、人間ではなく機械相手の戦術や作戦が奏功すれば御の字だ。

「十二月一日に日本を発つ予定だ。およそ二週間の猶予となるが、前回の武勲もあり、明日からの休暇を下命された。各自、本日中に荷物をまとめろ。それと、東雲二尉から連絡がある」

 咳払いをひとつして、中隊のメンバーが見つめる中、東雲南津子は話し始めた。

「日計君も戻って来て、小林主任もいることだし、今日の夜七時からここで食事会を企画しています。参加は自由だけど、上官の要請に逆らってまで欠席する人は?」



 ビールを缶四つ分飲まされたところで苦渋の決断を下し、戦術的撤退を決意した日計洋一三等陸尉は、青い顔のまま習志野駐屯地本部ビルの屋上へと向かった。

 途中のトイレで胃の内容物を全て吐き出してからふらりと階段を上り、全九階建ての建物の十階部分、屋上で夜風に当たるべく足を動かす。手摺がこれほどありがたいものとは思わなかった。

 鍵の開いたままの扉を押し開けると、頬を刺す冷気が勢いよく掠めていく。アーク灯で照らし出された駐屯地の全景が視界に飛び込んで来た。

 つい数日前までの喧騒が嘘のようで、習志野駐屯地は平穏な生活の音に包まれていた。

 吹きすさぶ風は冷たく、身も凍るほどだったが、着こんだ軍服の酒に酔った蒸れを冷ますにはちょうどいい。ネクタイを緩めて、冷風が布と肌の間で踊るがままに任せた。

 夜空には星が見えない。蒼い月だけがこちらを見下ろしている。

 欠けた輝きが静かに人間の愚かさを諭しているようだ。どこか不思議な気分で、性懲りもなく鳴り始めた腹をさする。苦笑いするも、長い道のりを引き返すのも億劫で、そのまま夜空を見上げて過ごすことに決めた。

 いい機会だと、日計洋一はここ最近の自分の生涯を振り返ってみた。

 半年近い内に、多くの出来事が起こった。どれも、二十歳のこの身で許容するにし切れない歴史的な事象として、教科書に載る程度には世界を揺るがしているだろう。横浜港襲撃事件、九十九里浜要撃戦。何よりも第三世代PGTASのドライバーになったこと。

 蒼天とは比較にならないあの武力は、今も格納庫の片隅で調整を受けているのだろうか。この自分にはどんな戦いよりも、あの機体がここに存在しえるその事実こそが歴史的な偉業であると思えるのだ。

 そろそろ詰所へ戻ろうかと迷い始めた時、背後から肩を叩かれた。首を捻る間もなく首に手が回され、背中に柔らかい感触が感じられる。

「なぁにしてるの?」

 言うまでもなく彼女だ。跳ね上がった心臓の鼓動が悟られなければいいと思いながら、日計はそのまま手に手を添えた。

「ちょっと休憩中。胃の中が空っぽになったから。ここは気持ちいいし」

「ということは、腹の虫が鳴ってる?」

「うん」

「そう思って、はいこれ」手に持っていた紙の皿には、出汁巻きとから揚げが乗っている。「わたしは持って行こうと最初から思ってたんだけど、東雲さんが追い打ちかけてきてね。彼氏を放っておくとは何事かー、なんて言われたわ」

「ハハハ、あの人らしいお節介だね」

 ありがたく頂戴し、ゆっくりと噛み締める。しばらく、二度目の夕食を頬張る静かな咀嚼音だけが響き、頃合を見計らって彼女は再び口を開いた。

「アフリカ、どう思う? 赤道直下だし、すっごい暑いわよね、きっと」

 むせかけ、慌てて胸を叩いた。

「おい、あんまり笑わせないでくれよ」

「あら、何かおかしなこと言ったっけ?」

「そんな呑気なことを言っていられるほど長閑じゃないさ。何といっても、黒い軍隊の主力が控えてる最前線なんだから」

 彼女の横顔に、サッと翳りが差した。

「わかってるわよ。でも、戦いの心配なんてその直前でもなければ意味がないわ。今からどんな数の黒いのを相手にすればいいのか、なんて気に病む方が呑気だと思うわ」

「激しいものにはなるんだろう。そのための休暇だ。これから、東南アジア方面でも黒い軍隊の攻撃は激しくなる一方だろうし」

 鷺澤は伸ばした腕を、夜空を掻きまわすように振り回し始めた。少しすぼめられた唇が艶めかしく見える。星々は彼女の奮闘をただ静謐な光で照らしていた。

「それこそ、わたし達が心配してもしょうがないことじゃない。本省は必死になって軍備を強化してる。国連だって、日本の陥落は太平洋における主導権イニシアチブ損失をも意味するんだから、後方支援も充実するでしょうに」

「それは楽観的にすぎると、ぼくは思うよ」すっかり食材を平らげ、日計洋一は皿をくしゃくしゃに丸めた。「ロシアも中国も、アメリカだって、連合艦隊の設立を呼び掛けてはいるけど、その実際は自分達が中心になりたいからだ。大局に立った視点なんて、どこにも存在しない」

 勝つことを前提とした戦略は、論外だ。勝負は時の運。勝ちも有れば負けもあり、それは人間の意志で左右し得るものではない。大前提として、戦略とは勝つために弄されるもの。これを認識していない上層部は愚かであり、楽観にすぎると言わざるを得ない。

 大戦略では戦後処理まで含めた深慮遠謀が必須ではあるが、最早それは軍事ではなく政治だ。諜報戦が主体となる、主役が情報工作員インテリジェンスの情報戦争。しかし敵は国家を持たない無人兵器群。それに対し情報戦を行うというのはつまり、同じ人間同士の足の引っ張り合いにしかならないことを意味する。

 第一次侵攻から十五年を経て、当時、顔を並べていた各国の有力政治家は世代交代を繰り返した。当初は南極戦争序盤での後手に回った不手際で解任され、次に他国との協調路線を訴える急進派が座を占めたが、自国利益の追求を促す世論に促されてこれも失脚。今は可もなく不可もない顔触れが各国の政治首脳部に揃っている。

 人間である以上、喉元過ぎれば熱さを忘れるものだ。だが胃の中に落ち着いたものが冷めるという保証はどこにもない。むしろ、より危険を増す。否応なく戦いの渦中に身を投じなければならないのだから、自分達で引き起こす戦争とは違い、これは到底楽なものではありえない。

 それでも気負うことはないと彼女は言う。

 戦いとはいつの時も不変のものなのだと、教えられているのだ。彼女と共に戦うためにこの部隊に配属され、九十九里で敵の砲火を掻い潜った。アフリカ戦役でも同じこと。彼女の隣で戦う。ただそれだけで、自分のこの戦争における願望は叶えられているといえる。ならば、あとは戦うのみ。

 さしあたって、今度の休暇で家族と過ごす最後の時間を考えねばならない。自分が帰って来られないのだと認めるようで、あまり考えたくはないが。いつ別れが来ても惜しまないように努めるのは戦士の義務だ。自らを大切に思ってくれる誰かへ果たすべき責任でもある。

「より大局的な視点とは、常に存在する」

 そこで、あまり聞き慣れていない男の声がした。

 振り返ると、そこには小林修一の白衣姿があった。所々に酒の染みが付着している。汗でへばりついた、少し長めの髪の毛を手で払い、近づいてきた。

 日計は油断ない視線で彼を見つめ、眼鏡の奥にある瞳が視線を返す。

「日計洋一、君と話したいことがある」

「なんでしょうか、主任」

「鷺澤三等陸尉、外してもらっていいかな」

「……わかりました、小林主任」

 鷺澤は一瞥を投げることも無くその場を後にした。小林の言葉には要望ではなく命令のエッセンスが多分に含まれていたのだ。屋上の上にぽつんと浮かんでいるドアの向こうに姿を消すも、その先で彼を待っていることは疑いない。この謎の男と独りで相対するのは気後れするが、彼女がそこにいるのならば耐えて見せよう。

 彼は白衣のポケットに両手を突っ込んで彼女を見送った後、くるりとこちらに振り返った。おもむろに眼鏡を外して、白衣の裾で眼鏡を磨く。

「君の資料を見せてもらった。体重から髪型に至るまでね」

 さして驚くことでもない。彼は眼鏡をかけなおし、日計を睨み付けた。

 何故だろう。彼の感情をありありと感じ取ることができる。だというのに、その理由がまったくわからない。

「信じられないことに、君の適性は目を見張るものがある。特に、神経細胞から脳へ直接的に情報を伝達する処理能力に。これほどスムースに信号処理を行える脳構造を持つのは天賦の才だ。まるでディジタル回路が君の中に存在するかのように、ね」

「藪から棒に何を仰られるんですか。ぼくはただの人間です。機械人形アンドロイドじゃない。血の通った生き物だ」

「そうだろうね。ぼくとしても目の前の君が機械だろうと思わないし、それに準ずる何かだと言い切るつもりもない」

「ならどうして――」

「黒い軍隊」

 出し抜けに口にされた敵の名前は、どうしてか、心を鷲掴みにした。

 二人だけの屋上に風が吹き抜ける。

「彼らは十五年前に、突如として出現した。だが目撃証言は、予てよりあったんだ」

 信じられない事実を述べ始めた小林の目から、視線を逸らせない。

「当時、南極には多くの国々が調査基地を保有していた。ロス氷棚までもが観光名所になるくらいだ。進んだ技術で局地、宇宙探査は、腰に麻布を巻いていたころよりは、遥かに容易なものになっていたんだ」

「知っています。南極に日本を始めとする国連の調査団が派遣されたとか」

「学校ではどの程度を教えられているんだい?」

 男の顔を怪訝そうに覗いた。

「あなたは、黒い軍隊の何を知っているんですか?」

 僅かな間を置いて、彼は皮肉っぽい笑みを口元に閃かせた。

「何も。だが推測はいくつか立てているよ。たとえば、最初の五人。衛星写真で初めて確認された彼らはなぜ黒い軍隊に加担し、人類の殺戮を続けるのか。そして、彼ら自身も、君と同じ神経接続において、極めて高い適性を保持しているらしいというのも、ぼくには把握できている」

「ぼくが、”あの”無人兵器群、その上に立つ人間と同じだと? 正気ですか?」

「侮辱する気はないし、中傷する他意もないよ。ぼくはこれまで、PGTASの開発と並行して敵兵器の研究も行ってきた。特に、あの五機のPGTASを。君も見ただろう。横浜を瞬時に灰塵に帰すあの威力。既に技術力は神の領域に達している。我々は神の、その膝元から溢れ出る軍勢を相手にしているのではないかと錯覚するほどに」

「あれほど禍々しいものが神に序されるのなら、ぼくは否定します。悪魔が相手でも、滅ぼしてみせる」

「紫雲はどうして生まれたと思う? PGTASが実戦配備されるほど開発が急速に進められた理由は?」

 ころころと変わる話題のどれが本題なのかわからず、日計はただ戸惑い、立ち尽くして次の言葉を待った。

 小林修一は胸ポケットから、緑のマールボロを取り出した。一本を蓮っ葉に咥え、箱を振って日計にも勧める。

 彼は断った。鉢塚二曹に煙草を勧められたあの日の屋上とは大違いだ。昼も夜も、会話する相手でさえも正反対に思える。

「最近の若者は煙草も吸わないのか」この言葉だけは彼とまったく同じ。それがどこか不快感を誘った。「鷺澤朱里のために戦っているのか、君は。人類最強の武力を、女一人のために?」

「彼女と戦う。そう約束しましたから」

「純情だね。羨ましいよ。いや、皮肉じゃない。これは本心だ。知ってるかい。ぼくら大人という人種は、女の子の落ちた消しゴムを拾うのにも打算を必要とするんだ。汚れているのとはまた違う。きっと、知らなくていいことまで知りすぎたんだろうな」

「あなたは、ぼくに何を伝えようとしているんですか。話の結末が見えない」

「黒い軍隊にも思惑があって、この戦争をしているということだよ。君自身は、自分の中で戦う意義を見出している。いわば自己完結型の戦争。そこに約束があるからという単純な要因。多くの軍人にとって、そんなことは二の次だ。生きるために戦う。これ以上にシンプルで、生物としての正当性に溢れている大義も他にないから」

 自分はひどくややこしいことを理由に戦っている。そう言いたいのだろうか。

 日計洋一は、鉄門扉ひとつ向こう側に消えた鷺澤朱里を、想う。

 きっと、自分や彼女は死ぬということを本質的に理解できていない。それは小林修一も、有沢琢磨も、同じだ。なぜか?

 人間である限りは、死を体験できないからだ。経験した時には既に、肉体は滅んでいる。それならば意味はない。死ぬということは意味の消失と同義だ。生きる理由や意味は、呼吸をして、世界を感じ取る生の上に立つことで、初めて意味を為す。

 生きること。話はそれから。小林修一はそういった。生きる上で成り立つ、愛情や理想のために戦うことは、過程を飛び越えた飛躍である。そうしたことを語る、あるいは謳歌する平穏を手にするために、自分達は戦っているのだ、と。

 酒で鈍った頭を振り、日計は必死にこの男が伝えたい真意を汲み取ろうとした。

「あなたは、黒い軍隊にも戦争を始める理由があると言いましたよね」その場で空を見上げながら、「だとしたら、黒い軍隊が戦うのも生き残るためでしょうか。順序が逆な気もしますが、それが最も自然な闘争の在り方でしょう?」

 小林はポケットに突っ込んでいた両手を出し、同じように夜空をふり仰いで、寒空へ向けて白い息を吐いた。

「たった五人の人間が、かい? どうだろうね。だけど、人類をこれだけ殺戮した理由が納得のいかないものだったら、これまでの犠牲はどこで報われればいいんだろう。最近は、そんなことばかりが頭をよぎるよ」

 不意に、部屋仲間の顔を思い出す。

 久世、藤巻。食堂でいつも顔を合わせていた同期たち。

 鉢塚二曹。

 彼らの死が無駄になるかもしれないのか?

 憤激と共に込み上げて来た涙を隠すために、目を瞬いた。このままではいけない。話題を変えようと口を開く。

「でも、よくPGTASを作れましたね。あれだけ巨大な物を、どうやって?」

「お手本があったからね。ほとんどはそれをトレースしただけだよ」

 その言葉に顔を顰めた。何か嫌な想像が頭をめぐる。気付かぬ間に、彼の顔を再び見つめていた。

「お手本? 黒いPGTASを見ただけで?」

「いや、実機を手に入れた」

 小林はけろりと答え、加えていた煙草から灰を落とした。

 しばらくの沈黙が、驚愕で埋まる。日計の仏頂面を見て、小林はにやりと笑い、話し始めた。

 十五年前、第一次侵攻が停止する直前、最初の五人と呼ばれる人々が操る黒いPGTASは、アレースにみられるように、限りない戦闘力を誇っていた。

 黒い軍隊と国連軍の主要な会戦に姿を現したこれらの巨人は、最早、魔法としか思えぬほど高度な科学力で製造されている。その内部技術を解読するだけでも大幅なアドバンテージを得られるであろうことは明らかだった。当時の国連首脳部にとって非常に魅力的な関心事だ。

 だが現実として、傷一つつけることも敵わぬ敵機を研究対象にすることは不可能だ。写真を眺めて想像を膨らませる以上のことはできない。

 そうした情勢下、それは起こる。

 二〇三三年五月三日、ランドグリーズ事件が勃発する。

 ランドグリーズと呼ばれる黒いPGTASが、突如として黒い軍隊を離脱。国連軍へ救援を求めた。無論、この情報を知り得た数少ない当事者たちは驚愕の波に晒された。

 まさか敵本陣からの謀反があるとは!

 そのような驚きよりもまず、現地に駐屯していた日本国自衛隊は、その科学力を自国の物とせんがために行動を起こす必要に迫られた。

 即座に救援部隊が編成された。しかし、日を跨がない内に残り四機のPGTASがインドネシア上空にてランドグリーズを捕捉。大規模な戦闘が発生した。この時、百キロ遠方の海域からでも戦闘の様子がありありと見て取れたという。

 空は明るく照らし出され、膨大なエネルギーを用いた神域の戦いの果てに迎えた結末は、ランドグリーズの敗北、そして、動力源のオーバーロードによる大規模な爆発だった。

 この時のランドグリーズの残骸を、いち早く回収することに成功した防衛省は、そのまま小林修一の属する防衛装備庁陸上装備研究部の部署へと運び込む。これのデータを基に第一世代の実用化PGTAS、晴嵐は小林修一の手によって完成された。

「残骸とはいえ、技術の宝庫だった。あれひとつを手に入れたからこそ、君の乗る紫雲や蒼天が存在し得た。神経接続はその純然たる成果と言える」

 驚きで何も言えないでいる日計洋一を尻目に、小林修一は踵を返す。

「いま言ったことは全て最高機密だ。閣僚でも数人しか知らない。たとえ部隊の皆でも、口外したら命はないよ」

「待ってください。どうして、あなたはそこまでして黒い軍隊を――」

 男は扉の前で振り返り、ノブに手をかけながら言った。

「簡単なことさ。他人より単純な事情でこの戦争に参加している人間は、君だけじゃないということだ。その理由については、君ほどわかりやすい場合を除いて、他言するような話じゃない」

「でも、それじゃ不公平です」

 子供じみた食い下がりを、彼はわらった。

「戦争とは理不尽とよく言われるが、それは間違いだよ。戦争だけじゃない。世界というものは、いつだって人間にとって理不尽なまま存在している。それは、人間の生活や秩序といったものが、世界とは剥離して回っている証左なのさ」

 白衣姿が扉を開くと、鷺澤朱里が入れ替わりに屋上へ戻って来た。彼女は軽く、小林と挨拶を交わして日計へ歩み寄ると、無邪気な様子でその手を取った。

「ねえ、何の話してたの?」

 日計は、その手を力強く握り返し、彼女の薄い肩を抱き寄せた。

 小林が言うには、戦う理由とは、生き残るためというシンプルなものであり、その他は煩雑で入り組んだ大義でしかないのだという。

 それは嘘だ。

 理屈など関係ない。どんなものよりも、この手の中にある温もりのために戦う。これ以上にシンプルなことなど、世の中にいくつあるというのか。

 鷺澤朱里は、反射的に彼の身体へと腕を伸ばした。

「どうしたの? 日計くん、不安なの?」

 答えずに、彼は鷺澤の頭を撫でる。

 肌理の細かい烏の濡れ羽色をした髪が、指の間をするりと流れていった。

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