第八話

 沖合を後退しつつ津軽海峡方面へ移動した、DDHさざなみによる索敵によって、敵艦隊の規模はおおよそ掴むことができた。

 強襲揚陸艦三隻、巡洋艦二隻、駆逐艦六隻。さらに旗艦と思われる空母一隻が、漆黒の塗装を水平線に落とし込みながら、九十九里浜沿岸より二百海里を容易く突破した。

 それもそのはず、迎撃に出るほどの海自艦艇はどこにも見当たらず、陸自の地対艦誘導弾も発射されてはいなかった。

 航空自衛軍のF=2戦闘攻撃機が、巨大な空対艦誘導弾を腹に四つ抱いて次々と飛び去っていく。亜音速の、青い海洋迷彩が影を残して視界の端に消えると同時に、誘導弾が次々と放たれた。嚆矢を務めるは空を泳ぐ蛇。

 漆黒の塗装が塗布された艦艇から、迎撃弾が放たれる。その瞬間を見計らい、宮城、千葉沿岸に設置された長距離地対艦誘導弾が発射ローンチ。飽和攻撃は数分間に渡り黒い艦隊を襲い、駆逐艦二隻を被弾せしめるも撃沈には至らず。この第一次交戦後、空母型が多数の浮遊機型フロート戦闘機型ファイターを発艦させたことをAWACSが探知。また、巡洋艦二隻の護衛を受けて揚陸艦が急速に九十九里浜へと接近しつつあった。教科書通りの揚陸、要撃戦が展開された。

 それはどちらの陣営の教科書を使ったものであったのかは、黒いほうであったと言わざるを得ない。

 既に水際要撃の機会は失していた。誘導弾の飽和攻撃は最大の効果を上げつつも、再装填に時間がかかる。国連艦とは比較にならないほどの速度で迫りくる敵軍に恐れ慄きつつ、陸自の高射特科、空自の高射群から航空機群へと迎撃弾が飛んだ。

 黒い船は帰還時の燃料事情などを全く考慮していないようだった。その背水の陣ともいえる行動の素早さに、自衛軍は慄く。

 背水の陣を敷いているのは自分たちのほうではなかったのか。

 白い光柱がいくつも林立し、浜辺から天空へと伸びていく光景は、美しかった。頭上を交差する白銀の尾を引いた槍の数々が、爆音と共に衝突し合う光景を、陸上部隊はじっと堪えて見つめるしかない。既に空自の制空戦闘機が無人機との戦闘を繰り広げており、頭上に爆弾が降り注ぐかどうかは彼らにかかっていた。

 そうした、最早、人間の力など無意味に思えるほど激しい時間が過ぎた後。防空網を突破した巡航誘導弾の一群が九十九里浜へと降り注ぐ。

 時速八百キロの速度でのトップアタック。海岸線に設置されたVADSがけたたましい発砲音を響かせて近接防空。しかし多くの誘導弾がほぼ垂直な角度で着弾し、前衛部隊の一部が被害を受けた。

「各部隊」要撃部隊指揮官である邦枝剛陸将が、習志野駐屯地に設置された司令設備から問う。「損害を報告せよ」

 大網白里市にあった第二普通科連隊の小隊ふたつと、三十号線上に待機していた第一〇四戦車大隊の一両が消し飛んだ。他にも細々とした陣地や固定式の対戦車火器などを破壊され、フロントラインの戦力乗数は一割ほど落ち込むと試算された。

 損害は軽微に思えるが、要撃において最も重要な掩蔽壕を破壊されたのが痛手だ。生身のまま、普通科の隊員たちは装甲兵器の群れと対峙しなくてはならない。

 犠牲を無視して戦闘は続いていく。

 今度は沖合まで接近してきた敵艦隊が砲煩兵器によって上陸前の艦砲射撃を始めた。第二次大戦以降見られなかった揚陸準備砲撃だが、手際よく隠匿された各種装備を放棄して、陸自部隊を海岸線から後退させるにはじゅうぶんだった。これに対して、空自機が総力をかけて揚陸艦、LCACの撃沈に取り組むが、そのほとんどが無念のまま火球となって消え去る。

 そして、遂にその時が来た。

「敵第一波、接近!」指令室でヘッドセットを身に着けたオペレーターが叫ぶ。「滑腔砲の射程範囲内。機甲科部隊、砲撃準備よろし!」

 邦枝剛は、いかめしい表情のまま指揮卓に両手を叩きつけた。

「陸上部隊、撃ち方始め!」

「撃ち方始め!」

 命令が複数の口を通じて伝達され、車内で指揮を執る車長らが怒鳴る。

 轟音が九十九里の砂を巻き上げ、隊員達の歓呼の雄たけびが風を呼んだ。

 沿岸部に整然と並んでいる機動戦闘車、並びに一〇式戦車が一斉に発砲。炎の舌が大きく伸び、超音速の鉄の矢が水平線へ向けて惜しみなく放たれる。やや後方では、第七十四PG大隊の蒼天、三十二機がカモネットを取り払い、一四〇ミリ滑腔砲を発砲する。

 人類最大の火力が途切れることなく、水平線から出でる黒い影へと嚆矢を放った。

 大地が咆哮する。

 同時に、LCAC群は攪乱のチャフを展開。爆音が海岸に轟き、超音速の矢がLCACへと突き刺さるかに見えたが、波で揺れる船体のほとんどが狙い辛くなっているために初弾の命中率は芳しくなかった。続く第二射でも同じ結果。邦枝は、今回の戦闘に参加する部隊の八割以上が実戦を経験していない初陣であったことを思い出す。それでなくとも、低気圧の接近からか風が強い。いかな蒼天の射撃統制装置と言えども命中率が極めて大きく低下していた。

 この状況下でもマニュアル操作で命中せしめた青年の存在を、彼はまだ知らない。

 敵の揚陸艦は古めかしい直接揚陸式。船首はそのまま倒れ、浜に重量物をそのまま輸送することができる。接近される前に何とか要撃したいところだが、敵の空母から発艦してきた戦闘攻撃機が沿岸部へと爆撃を仕掛け、多くの車輛が回避機動を取るも被害は免れなかった。

 しかし機甲科も負けじと撃ち返す。揚陸艦に次々と砲撃が突き刺さるも、巨大な排水量を生かして正面には複合装甲が施されているとみられた。APFSDS弾を持ってしても穴を穿つことはできない。

「こちら〇一より全戦車大隊、並びに機動連隊へ。反撃しつつ二百メートルを後退せよ。並びに七四、五十メートル後退。三二、三四、一三、そして〇二の各普通科連隊へ。各連隊長の判断で要撃を継続、機甲科の後退を援護されたし」

 既に目前まで迫りつつある巨大な揚陸艦へ向け、これは外さんとばかりに車両隊が砲弾を撃ち込む。が、命中こそすれ、巨大な船体に目立ったダメージが与えられる筈も無い。第二撃を放つよりも早く、目前に迫った敵揚陸部隊へと照準を定めなおさねばならなかった。各車の砲撃にばらつきが出始め、命中したとしても、敵は損害に構わず突入してくる。

 この打たれ強さこそが無人兵器の強みだ。人類と違い、兵士が傷付く恐れが無い。システムが無事ならば何の問題もなく戦闘を続行する。敗北を目前にしたら自爆し、自陣の情報を渡さずに撤退する。その恐怖を各自衛官が直に感じ、手に持っている武器の柄を強く握りなおした。

<来るぞ!>

 現場指揮官らが怒鳴り、目前に迫る敵部隊へと、半ば無秩序に見える反撃が始まった。

 厳しい戦いを強いられている陸上自衛軍だったが、最も劣勢を強いられているのは空だった。

 既に海上よりの支援を陸に届けることはできない。ならばせめて空からは仲間を助けんと、あらゆる航空部隊が航空優勢を勝ち取ろうと奮闘していた。だが、誘導弾を放った後の格闘戦ドッグファイトでは、無人機に到底敵わない。相手はGリミッターを全開にしているのと同じだ。旋回戦にでもなればまずやられる。これを支援するために、遥か上空へ向け、首都圏の各駐屯地、高射陣地から対空誘導弾が放たれたが、混乱しつつある戦闘状態の中、戦果すらも正確には把握しがたかった。

 白いベクタートレイルが描かれる曇り空の下、隊員達の声が砲声に紛れて響く。

<くそ、黒いのが来るぞ。なんて数だ、こっちより多い>

<撃て。おいお前、なぜ撃たない>

<弾切れです。敵はどこに――>

<上だ! もうフロートが――>

<誰か、あいつを撃ち落せ! 近SAMを>

<おい、どうした。返事をしろ、おい!>

<北東から、来ます!>

 爆音と発砲音を背景に、混線した無線内容が、前線に巻き起こる混沌の渦を何よりも如実に表していた。邦枝剛は強く拳を握りしめ、第一波の黒い揚陸部隊が迫りくるのを、ディスプレイ上で見つめるしかない。

 戦闘開始から一時間で、九十九里浜沿岸は敵の第一波により橋頭保として確保された。フロントラインはこの段階で一キロ後退せざるを得なくなる。小集団に別れて都市部を目指す敵の進撃に対し、家屋を盾にした抵抗戦の様相を呈しつつあった。両陣営は、互いの陸上部隊の支援要請と、敵の誘導弾迎撃のみに発射を限り、その代わりに陸上部隊同士の直接戦闘が要撃戦の第二幕を飾る主役となる。

 人類にとって長く、苦しい時間が始まった。

 二隻の揚陸艦からは全てで四十六機のPGTSが上陸していた。揚陸艦そのものは既に海岸を離れている。海岸線は野戦特科の砲撃と空自の爆撃によって、美しい海岸線は見る影もない。タコツボが至る所に穿たれ、砂は掘り返されて黒い土を晒している。来年の夏から観光客を受け入れるのは無理だろう。そもそもこの海岸が、来年も人類の物であるかどうかも疑わしい戦況だ。

 黒い軍隊の上陸地点は山武市と旭市の中間地点。河口がひとつあり、南下すると九十九里浜有料道路の入り口がある。この方面は既に設置されたプラスティック爆弾によって破壊されていた。

 蒼天の砲撃が止まない。巨人の群れは飽くことなく、遠方へ向けて砲弾を送り出し続ける。

 第七十四PG大隊の四個中隊は、銚子市、旭市、山武市、大網白里市の四つの市にまたがって展開していたが、今は山武市中央の河川、その二百メートル北を中心とし、半円状にフロントラインが構築しなおしていた。

 既に一割の損害が出ているその多くは、陣形再構築に割かれたものだ。邦枝剛の指揮能力は優秀だったが、それ以上に黒い軍隊の戦術には隙が無い。人類側の陣形に突出部を作っては、削り取るように包囲して食いつぶす。指揮官に恐ろしい忍耐を強いるこうした戦法も、敵軍は躊躇なく実行に移す。難なく戦闘を推移させているように見えるのは、それだけに複雑な仕事を凄まじい速度で行っているからに過ぎない。

 今のところ、戦線を維持できているのは家屋を盾にした急造の陣地構築と、可搬式のあらゆる対戦車火器を総動員して普通科連隊が善戦しているのが大きい。

 怒鳴り、走り、跳び、撃つ。一連の動作を全力で行いながら、曇り空の下を、彼らは日本を守るために延々と繰り返す。負傷者を引きずり、大声で怒鳴りながら救護所へと運んでいくのを大勢で援護。そうした地獄の光景が所かしこで見受けられた。

 戦闘は膠着状態に陥っていた。橋頭保を確保しても、黒い軍隊には増援として派遣する余剰兵力が無い。全兵力――PGTAS四六機、浮遊機ドローン五八機、戦車型二六、他不明――を海岸より少し進んだ樹木帯に並べ、反撃を恐れて自衛軍は野戦特科による突撃破砕射撃を行えない状態だ。前線で普通科の隊員が突出部を作っている部分もあり、誤射の恐れもあったのである。近接航空支援は敵の対空迎撃が激しいために期待はできない。そもそも航空優勢など勝ち取れるのか。

 現代陸軍の多くは、航空支援ないし艦艇からの長距離誘導弾攻撃など、自らの火力を大きく超えた機動部隊の支援を前提として成立している。

 エアランドバトルは、陸軍が実質的な占領行動を、空軍がその支援、及び航空優勢の維持を担当することで真価を発揮する。歩兵の一声で空から爆弾が降ってくることほど頼もしいものはない。

 現状の自衛軍は、海上自衛軍も航空自衛軍も陸上自衛軍の支援に回ることは難しい。かえって、黒い軍隊は海上部隊もあれば航空部隊の投入も行えているばかりか、空自機へ向けて地対空誘導弾も放たれる始末。航空優勢を既に勝ち取りつつある。圧倒的不利な状態でも何とか均衡を保っていられるのは、航空自衛軍がその隙を与えまいと総出で攻撃し続けていることと、対空火器を保有する部隊の火力の大きさが、辛うじて戦線が崩壊へ向かうことを阻止していた。

 邦枝剛は、予備兵力として第八十PG大隊を投入することも考えたが、それでは小康状態を保っているこのフロントラインへ、敵部隊の一斉攻撃を誘発することになりかねない。

 決定的な攻撃能力を持つ部隊が必要だ。流動的で、鋭い攻撃力を持つ部隊。そんなウィットに富んだ部隊があるものだろうか。邦枝は各部隊のアイコンが表示されたディスプレイを見つめる。

 あった。そんな部隊が、ひとつ。

 だがこれに頼ることは最後にするべきだ。そうした重要な役割を、ただの技術試験部隊に任せるべきではない。ここは戦士の領分。軽く頭を振って画面を睨み付け、指示を飛ばす。

 大局は動かさずに戦術的な支援を陸上部隊にするしかない。そのために普通科連隊をはじめとする、歩兵を主軸とした部隊に日暮れに備えた暗視装置の配布と食料、弾薬類の増派、機動戦闘車、ならびに一〇式戦車への補給を行う。これで戦闘可能時間はかなり伸びた。さらに習志野駐屯地に現場の補給部隊を下がらせ、予め待機させていた別の補給部隊を現地へ向かわせる。人員の休息は各連隊ごとの判断で。

 今後の作戦計画を頭の中で練りつつ、停止した戦線とは裏腹に、実に多忙な時間が過ぎていく。補給、通信、衛生、報告、命令、状況確認……さらには支援可能な航空自衛軍の部隊までをも確認し、海上自衛軍からは舞鶴より第七護衛隊が向かっているとの連絡も入った。

 少なくとも、現状では何も打つ手はない。そしてあと二時間で日が暮れる。そうなれば、夜間の戦闘は敵が有利だ。

 そして言うまでもなく、日本は劣勢を強いられていた。邦枝にとって、この一事こそが最も面白くなかった。





「厳しい戦いを強いられています」

 霞ヶ関にある本省で、状況報告を受けていた黒田幹久の手が止まった。ペンを握る彼の苦虫を噛み潰したような顔が持ち上がり、この不愉快な報告をすることになった不運な秘書と視線がまともにぶつかる。

「もっと詳細に報告してもらいたいものだがね」

 ぶっきらぼうな彼の言葉にも、秘書は動じることなく頷いた。

「簡潔に、との仰せでしたので」

「減らず口を叩くな。閣僚にそんな不遜な態度でいいのか、ええ? 仮にもわたしは君の上司だぞ」

「恐れ入ります」

 ふてぶてしい返答に鼻を鳴らす。不毛な会話を切り上げ、黒田は大柄な体を捩ってテレビに中継されている要撃戦の様子を見た。

 遠方からのカメラ撮影なので、戦況は思ったほど判然としていない。陽の落ちた九十九里浜では未だに戦闘機の爆音と戦車の砲声が轟いている。幾重にも重なる曳火砲撃の軌跡が、既に陽の落ちた九十九里の街を横切っていった。

 九十九里浜は、正に火を見るよりも明らかなほどに燃え上がっていた。

 それらを遠巻きに観測するメディアの進出を、国がよくもここまで許可したものだ。発砲炎によって照らし出される家屋の残骸が、薄らと浮かび上がりさえもする。

 この距離ならば、流れ弾で体を文字通り木端微塵に吹っ飛ばされたところで文句はいえまい。しかし、十五年ぶりの黒い軍隊との戦闘となれば、その放映による視聴率は極めて高いものとなるだろう。こうして、既に指揮権を委譲して事の成り行きを見守るしか能の無い防衛大臣が首ったけになっているほどなのだから。

 マスメディアによる要撃戦中継の許可を与えたのは、最終的には首相官邸での大滝史彦内閣総理大臣による発表があったから、という経緯は黒田も耳にしているが、俄には信じ難い。

 彼こそは日本国内で、黒い軍隊の力を知り尽くしている人物の一人であるのだ。政治家の中でという注釈はつくが、この九十九里浜に敷かれた防衛線を敵軍が突破しないという保証はどこにもない。むしろ、黒田自身は今回の敗北を早期から予想していた。

 東北方面隊は独自で防衛線構築を急いでおり、九十九里浜における東部方面隊は旧来の自衛隊時代から引き継ぐ対戦車攻撃能力の低さを露呈している。今も敵の四足歩行戦闘車と戦車型、浮遊機に対して劣勢を強いられていた。

 根本的に対人類戦を想定している軍隊の根底を、先進国のみならず日本まで覆せていないのだ。

 だが、現実として、大滝史彦はマスメディアの報道を認可した。となれば、彼らが巻き添えになるのをわかっていながら見過ごしたのか。

 政治生命に関わる決断は、政治家ならば誰もが下さねばならない場合がある。だがこれはその限りではない。恐らくは再び始まった黒い軍隊の第二次侵攻、その先遣隊やもしれぬのだ。この事態に、いつも無駄口ばかりを叩く内閣の面子は戦々恐々とし、空港へ急ぐ者もあったという。羞恥心の欠片もない人間の集まりだ。支持率が低迷するのも頷けるというもの。

 ここまでの話を整理していくと、つまり、あの総理は今回の戦いの勝利を見据えていることになる。如何なる要素に対して、彼はそのような楽観的結論に至ったのか。

 黒田は頭を振る。その理由のひとつを、自分はこの部屋で一人の士官に委ねたのではなかったか。二十歳の若者を、死地へ送ることを決断したのではなかったか。

「統合幕僚長に連絡して、現段階での陸上部隊の布陣と戦闘の経緯を図式フォーマットで送信するよう、手配してくれ。可能な限り詳細な情報が知りたい」

 秘書はすぐに自分のデスクに座って電話を取った。その間に黒田は自分の手で予定を確認し、緊急の内閣安全保証理事会への出席を断念するか優柔した。時計を見れば時刻は午後六時五十八分。会議は八時からだ。

 手持無沙汰な三十分が過ぎたころ、陸上幕僚長から統合幕僚長を経由してデータが届き、広々としたデスクの上に鎮座しているデスクトップの画面に表示された。自分の手でネットワーク隔離された端末をいじり、情報を確認していく。

 各普通科連隊、機動連隊、戦車大隊や野戦特科、高射特科に至るまで、先ほど確認したのと変わらない内容が示される。それらは、当初九十九里浜にまたがる四つの市と同じく、直線状に海を睨んでいたが、現段階では歪な円形に変わっていた。比較的後方にある筈の第三次防衛線ですら形を変えつつある。中央部へと上陸した敵の狙いは、河川を含めた戦術機動力を陸上自衛軍から削ぐためだろう。

 そして悪いことに、雨が降り始めた。気象庁からの予報だと翌日の昼まではもつはずが、度重なる航空機による熾烈な格闘戦により撹乱された天気を信用するほうが軽率だった。これにより普通科の兵士達の士気はさらに下がるだろう。気力と技術で保っているこのフロントラインを指揮する、習志野にいる邦枝剛陸将の苦労を、黒田は思った。

 せめて海自の第七護衛隊が到着し、洋上の敵兵力を駆逐できれば戦況は一気に好転するのだが、低気圧の影響もあって海は荒れ、護衛隊は速度を鈍らせている。

 だが、まだひとつ、希望に満ちた不確定要素があることを黒田は自覚していた。

(有沢よ、これが初陣だ。その剣が抜かれる様、見せてもらうぞ)

 黒田は、理事会へ向けて資料の整理を始めた。防衛相である彼の口から状況報告をせねばならない。軍人には軍人の、政治家には政治家の戦い方があるのだ。

 そして、彼は奇しくもその双方を身に着けている人間だった。

 執務室の窓ガラスを、大粒の雨が打ち付ける。今夜は荒れそうだ、と口の中で呟いた。





 時計の短い針が十二を指してから一時間あまり。陸上部隊は疲労を知らない敵無人兵器との戦闘に疲労困憊し、前線では大きな被害が出ていた。既に要撃戦へ投入された兵力の二割弱を損失し、陣地移動を断念した野戦特科による捨身の砲撃支援で何とかフロントラインを保っている。

 遂に予備兵力の第八十PG大隊を現場に投入した。十二時を回り、敵の黒いPGTASが活発な活動を見せていた。巨人に打ち倒される戦車や装甲戦闘車と、逆に滑腔砲やライフル砲の矢によって仕留められる巨人。

 一進一退の熾烈な攻防。その只中に躊躇なく身を投じていく自衛官の姿を見るたびに、邦枝剛の喉を詰まらせる熱い何かが込み上げて来た。

 ここに来て、陸自は既に後退した空自を除き、ほとんど支援の無い状況で奮戦していた。

 邦枝剛は陸上幕僚長へ戦力の増派を訴え、東部方面隊の各高射特科と、空自の高射隊が掻き集められた。さらに予備兵装として格納されていた前時代式の地対空誘導弾までをも引っ張り出して、対戦車ヘリコプター隊も差し向ける。

 これにより敵の無人航空機部隊を複数機撃墜することに成功し、浮遊機への対処も容易となったが、夜間であることと、敵のPGTASが前線に出て来たこと。これらが手の打ちようのない劣勢を強いていた。

 蒼天が躍動し、家屋を盾にして七六ミリ単装速射砲を撃ちまくる。

 巨大な薬莢は、歩兵用のものとはスケールが異なる。金属製の筒が音を立てて路面へと転がり落ち、それらを別の蒼天が踏みつけた。随伴歩兵は歯を食いしばって盛大な発砲音に耳鳴りを覚えながら、手元にある重機関銃や小銃を四足、PGTASへと撃ち込んでいく。

 既に膨大な量の弾薬が消費されている。普通科連隊の中には対戦車火器が底をつき、小銃弾で四足を撃破した部隊もあるという。これに関しては弱点である関節部、カメラアイへの攻撃方法が無線を通じて全ての部隊へと連絡され、大きな成果を挙げた。PGTASが出た場合は第八十PG大隊の蒼天を増援として派遣することで難を逃れた。

 ここにきて、PGTASは本来の遠距離砲撃戦を主体とした戦闘から、随伴歩兵を伴う中近距離戦闘で真価を発揮したといえる。蒼天は生半可な敵の砲撃を受けても戦闘を継続し、戦車では狙えない建造物の上に這い上がった四足や浮遊機を容赦なく撃ち落す。弾薬携行数でも戦車に勝り、巨人の存在が隊員達の精神を鼓舞した。

 それでも、じわじわと黒い波が押し寄せてきた。まるでアリジゴクの巣へと引きずり込まれるように、敗北は目前に迫っていることは、誰の目にも明らかとなる。

 さらに悲惨な報告が前線にまたがる自衛軍部隊の士気を挫いた。

 午前四時二十三分。野戦特科の二個小隊が敵航空機による爆撃を受け壊滅。他、高射隊の弾薬も心許なくなり、補給のために派遣したトレーラー数台が誘導弾により撃破される。

 これを契機に、フロントライン全体が見るからに後退し始めた。支援火力が弱まり、弱体化を察知した敵部隊が直ちに行動を始める。

 午前四時三十七分。沖合に停泊する敵艦艇から一斉に放たれた巡航誘導弾が、水平線を明るく照らし出した。ロケットブースターの轟音が迫り、隊員達は仰天しつつも、持ちうる全ての武器で迎撃を開始。

 しかし時速八〇〇キロ以上で飛来する細い物体は容赦なく海岸線から深く食い込んだ部分を痛打。爆発が市街のあちこちで阿鼻叫喚と共に巻き起こった。

 膨大な数の誘導弾が空中で交錯し、爆発が夜空を飾った後で、敵部隊が猛攻を開始。フロントライン中央部より内陸部へ向け、多数のPGTASを含む部隊が移動を開始。

 これに対して、既に戦闘状態にあった第八十PG大隊の二個中隊が反撃。さらに各市へ分散配置されていた機甲科、及び補給のために後方へ下がっていた車輛が総動員され、邦枝剛の指示により予防線を後退、これに対して攻撃を加えるも芳しい成果を挙げられず。

 この時点でマスメディアの一群は退避勧告がなされた。

 関東方面における、横浜に続く二度目の黒い軍隊による襲撃は、日本側の敗北によって結末を迎えようとしていた。

 多くの市民が恐慌状態に陥り、状況を見つめることしかできない政府は雪辱に塗れていた。内閣府に詰めかけた別のメディアの集団が、大滝史彦内閣総理大臣からのコメントを待ちきれずにマイクとカメラを振りかざして喚き立てる。。

 目の前で瓦解していく戦線を見つめながら、邦枝剛は両手を白くなるほど強く握りしめた。食いしばった歯はがちがちと音を立て、戦線が突破される報告は心の外に締め出していた。

 これまで不眠不休で陣頭指揮を執り続けたのもあって、襲い掛かってくる猛烈な虚脱感と疲労感、そして敗北感に苦汁をなめさせられつつも、口だけは少しでも被害を抑えるように指示を飛ばし続ける。

 何か、他に部隊はいないのか。ディスプレイ上に目を走らせ、ぴたりと止まった。

 あった。最初に無視して、最後まで出し渋っていた兵力。PGTAS四機の中隊編成。蒼天とは異なる天使の白色に塗装された巨人の群れ。

 プライドが邪魔する。だがそれすらも振り払い、すかさず無線機を手に取り、叫ぶ。

「こちら習志野、邦枝だ。〇七、聞こえるか」

 既に上空を飛行していた、無線通信中継用のドローンは撃ち落された。九十九里浜北端へと移動していた第七PG中隊のアイコンは、五時間前の情報である。ここにきて安否不明とは。

 だが、まるで何事も無いように、指揮官である男が返答してきた。

<司令部へ、こちら〇七>不遜なほど冷静沈着な声。<通信良好。いかがなされたか?>

「〇七、現在位置を報せ」

<現在、旭市東端にて待機命令を実行中>

 五時間前と同じ位置だ。無事だったのか。

「よし。〇七、即時行動を開始せよ。ビーチライン北端から敵部隊後方へ攻撃、途中で拾った各隊も動かして構わん。君の階級と氏名は?」

<有沢琢磨一等陸尉でります、司令官殿>

「ならば問題はない。現場指揮官は大抵が一等陸尉以下だ。必要とあれば君が臨時に指揮を執れ。作戦目的は理解したか、有沢一尉?」

<問題ありません。行動を開始します>

 通信が返事を待たずに途切れる。邦枝剛には、それが自分を愚弄するためなのか、それとも時間が惜しいだけなのかの判断をしかねたが、恐らく後者だろうとあたりをつけて大型ディスプレイを見やった。

 まるで砂の城だ。





 人員輸送用のトレーラーから慌てて転がり出る。後ろには鷺澤朱里が付いてくるのを感じていた。

 出番がないのは結構だが、砲声と爆音を身近に感じながら機体のコックピットに座るのは、疲れる。だからこそのPGトレーラーで、広くもない車内に中隊員四名が缶詰になり、暇を持て余していたところだった。特に、砲弾がすぐそばに命中したとあれば気が気でない。

 トレーラーから三十メートルほど離れた場所にタコツボができていた。背筋を駆けあがる悪寒を懸命に抑える。

 やや遅れて、有沢琢磨と東雲南津子が颯爽と出てきた。誰しもが純白のドライバースーツに身を包んでいる。デザインは富士演習場で二人が身に着けていたものと同じ、ワンオフの特注品だ。何しろ紫雲は日本に四機のみ存在する、その存在自体が機密でできた第三世代PGTAS。そのドライバースーツも普及品ではありえない。

 神経接続は、極めてアナログ的な手法で行われる、生体信号をディジタル信号へ変換する方法だ。全身に身に纏うこのスーツは、本来は床ずれ防止や吸汗速乾機能を追求した末の装備だったが、絶縁素材を各所に編み込むことで微弱な生体信号を検出する精度を向上させる働きも持つ。尻や腰に据え付けられた黒い床ずれ防止パッド、体の各所に彫り込まれた幾何学的な黒い線が一際目を引いた。

(今更、ぼくらにできることなんてあるのかな)

 不安を覚えずにはいられない初陣となってしまった。日計洋一はいささか心許ない足取りで、紫雲の駐機スペースへと向かう。

 つい先ほど、邦枝剛陸将補からの通信で出撃を命ぜられたのしてはいささか足取りが悠長に過ぎないだろうか。有沢の細い背中を見やりながら鷺澤と共に後に続き、その隣から東雲子が肩に手をかけてきた。

「硬くなっても意味ないわよ。誰だってハジメテはあるんだし」

「東雲二尉……そう言われましても」

 彼女の妖艶な肢体から目を逸らしつつ言いよどんだ。

 横浜の時は、否が応でも戦わなければならなかった。それ故に、あとは当たって砕けろの玉砕精神で臨んだ部分もあったが、これほどまでに劣勢を強いられた戦闘に切り札的立ち位置として投入されるだけでもぞっとしない。二人の上官ほどに飄々と振る舞えなかった。

 それでも、東雲は軽く日計の頭を撫でる。ほとんど変わらない身長の彼女のドライバースーツ姿に目をやらないように目を見据えると、濃い茶色の瞳が悪戯っぽく光った。

「わたしのことは、これから下の名前で呼びなさい」

「東雲二尉」横から、鷺澤が非難がましい目つきで見やる。彼女は意にも介さず、その眼を見つめ返した。

「あなたもよ、朱里ちゃん。もう二人は部隊の一員。余計な気遣いは不要よ。それに、この部隊の管轄は装備庁なんだから、階級なんてのは肩書でしかないわ。書類上は同列なのよ、わたし達」

「でもぉ」

「わかりました、ええと、東雲さん」日計が言う。最大限の譲歩だ。

 東雲南津子はにっこりと微笑んだ。

「よろしい。もう少し突っ込んでもよかったんだけど、そのくらいの距離感が好きよ」

 そうこうしている内に、四人は膝立ち状態の紫雲が、向かい合わせに四角く並んでいる新地へと到達する。

 額に降り続く雨を右手で拭うと、陸自支給のポンチョを見に纏った人影が目に入った。日向道夫と花園咲が、仮設テントの下にあるラップトップ数台から顔を上げ、軽く敬礼。四人は形だけの答礼を返すと、何も言わずに紫雲へ搭乗するために早歩きで通り過ぎていく。

 その流れに従ってテントの横を通った時、日向道夫に、鷺澤と共に肩を組まれた。その前には花園咲が立つ。緊張で強張った二人の顔を見ると、花園咲は不器用な笑みを浮かべた。

 その照れたはにかみを目にした時、少しだけ、日計は日向が彼女に惚れ込んだ理由が理解できた気がした。

「お二人さん」その彼が、肩を掴んで二人に言う。「心配めされるな。我々、臣下が機体を万全にしているゆえ」

「ありがとうございます」鷺澤が笑いながら答える。

「礼なら、あとでたっぷり聞かせてもらうさ。それと、おれと花園もさん付けで呼べ。階級は無し。技術的なサポートはおれ達がする。何かあれば遠慮なく呼ぶんだ。遠隔でもできることはしてやる」

「頼もしいです」

 実際は不安でいっぱいだ。戦闘中に誤作動など起こそうものならば致命的。コンマ数秒で戦死することも有り得る。

「いいか、勝とうなんて思うな。とにかく生き残れ。そうすりゃ、あとは何とかなる」

 彼は二人の尻を思い切り叩いた。鷺澤が頬を赤らめ、花園が日向を睨み付けるが、彼は口笛すら吹くほどの陽気さでテントの中に戻っていった。

 最後に花園咲から、「気を付けて」と一言もらい、礼を言ってから機体側面のワイヤーを掴んで、体を電動モーターで引き揚げる。機体胸部の背面に到達。紫雲の首付け根からやや後ろにあるコックピットハッチの横にあるパネルを開いて、八桁の認証コードを打ち込んだ。ハッチが空気の漏れるシュッという音とともに開き、その真上に立つと、隣にある火燕の背中で、鷺澤朱里が同じ体勢で仁王立ちしている姿が見えた。

 その細く流麗なシルエットに見とれていると、彼女は微笑み、右親指を立ててコックピットへ滑り込んでいく。日計洋一は心なしか軽くなった緊張感を感じつつ、上着として着ていた陸自迷彩の戦闘服を脱ぎ捨てた。自分もコックピットの中に滑り込み、ハッチを閉める。

 座席に着いて、膝の間にあるディスプレイの下に格納されているコンソールを引き出す。中枢システム起動。すぐに半球形ディスプレイが点灯して外界を表示すると同時に、自動メンテナンスが実行。シークェンスはものの数秒で終わり、宣言する。「オールコーションライト・グリーン」。そのまま操縦桿に指を突っ込んで、神経接続開始。

 首の付け根に侵襲式の接続アームがするりと伸びて、接続。痛みはあるが表情を変えるほどでもない。これに慣れることが、善か悪かの判断がつく間もなく、肉体が十六メートルまで拡張される感覚を味わう。そのまま各システムのチェックから武装の確認。一四〇ミリ滑腔砲一門、七六ミリ単装速射砲一門、予備の単装拳銃と弾倉。これだけあればじゅうぶん。

 準備完了。そうして髪を掻き上げ、ヘッドギアをはめた時。イヤホンから無線を通じ、有沢琢磨の声が響いた。

<こちら一番機、瑞光。〇七の各員に告ぐ。二番機より感明、及び状態報告、送れ、送れ>

<二番機、蒼古、感明送るわ。準備よろし>

<三番機、火燕、感明送ります。準備よし>

 ディスプレイ上の表示と、HUDが正常に動作していることを確認してから、日計も口を開いた。

「四番機、玉響、感明送ります。準備、全てよし」

<ご苦労、そして聞かれたし。これより我が第七PG中隊は九十九里の北端より、フロントラインを押しまくる敵勢の後背を突く。支援は皆無、完全に我ら単独での任務だ。多勢に無勢という表現で全てが表されるような状況である>

 ディスプレイのタッチパネルを叩き、日計は火燕のアイコンを呼び出した。戦う決意を固めた自分を辱めることになろうとも、彼女だけでも安全な土地へ送りたいと切に願っていた。

 なぜなら、愛しい者のために祈ることで冒涜されるのが自分の誇りならば、喜んで犠牲にする。それこそが人情であり、名誉。

<だが恐れるな>

 有沢琢磨の声が鋭さを増し、日計は背筋に悪寒とは違う何かが駆け巡るのを感じた。

<敵は大小含め、たかが数百。まずはPGTASを叩く。これを除けば圧倒的有利に戦闘を進められる。巨人の相手は我らが引き受けよう>

 MPD上に投影表示されている九十九里浜の地図に、各機の予定進路が表示された。

 玉響と蒼古は海岸線を突っ切る。やや離れた内陸部を先に進む瑞光、火燕が両機の援護に回る。これで敵軍は動きを制限されるはずだ。上手くいけば。いくだろう。その確信が、確かな実感と共に操縦桿を握る手に籠められる。

<それと、もうひとつ話すことがある>有沢はそういい、<黒田防衛相より、部隊のモットーを決めろと拝命している。ここで発表しよう。我らが第七PG中隊のモットーは『折れない剣』。その刃のたった一辺でも欠けることはない。全員、生きて戻るぞ>

「了解!」

 返事が木霊する。

 その時、玉響から何かが響く。

 刹那の時間、首に接続された回路から伝わってくる感覚。

 これは、感情だろうか。勇ましさと共にタービンの甲高い唸りが遠くからやって来て、日計の身体を包み込んだ。答えるように操縦桿を握る指を引いて、機体を起立させる。熱赤外線カモフラージュネットがはらりと風に翻り、遠い爆炎に純白の装甲が輝いた。

 戦いが始まる。雨が降っている。

 折れない剣が、鞘から抜き放たれた。





 進み続ける黒い兵器群に対し、陸上自衛軍は必死に敗北を払拭せんと猛反撃を加えていた。弾薬は底をつきかけ、その様子を新しく飛ばした無人機からの映像で見やっていた邦枝剛陸将補は、東北方面隊への協力要請を出しながら苦汁を舐めるばかりだ。戦力が決定的に少なすぎる。

 既にフロントラインは中央が薄くなり、今も発砲し続けている隊員の奮闘も虚しく、突破されつつあった。

 今、絶対防衛線の境目に位置している交差点を、一〇式戦車二両が猛スピードで後退していく。尚も主砲は発砲を続け、迫りくるPGTAS二機の、逆間接をした悪魔的なシルエットへ攻撃を続ける。車長はキューポラに据え付けられた重機関銃を撃ちまくり、コンマ一秒でもと、何かを守るために撃ち続けた。その手は、既に肉刺がつぶれて血が滲んでいる。銃座に据え付けてあるとはいえ、反動は如何ともし難い。雨が過熱した銃身を濡らす度に、耳の奥をひっかくような蒸発音が響く。

 不意に黒い巨人が足を止めた。猛スピードで走行していたため、アスファルトを捲り返しながらブレーキをかけると、東の方角へと首を向ける。邦枝剛は部下に命じ、その方向へカメラを向けさせた。視界が悪いので赤外線表示へ。

 ほどなくして、白黒の画面に、爆炎を挙げて吹き飛ぶ巨人の陰が見えた。





「メンフィス=3」

 マスターアームスイッチを跳ね上げると共にトリガーを引く。

 玉響が発砲。滑腔砲が巨大な爆炎を吐きだし、蒼古が距離を詰めていく。蒼天よりも遥かに速い。敵機は四機が橋頭保防衛のために残っており、その周囲を複数の戦車型が固めていた。

 これだけでも、普通科連隊の攻撃を跳ね返すほどの部隊規模だ。

 砲弾が雨に霞む黒いシルエットへ吸い込まれるように命中。三機目の胸部装甲が吹き飛んだ。その残骸を盾にした敵の応射を向かって右に飛びすさり、躱す。蒼天では反応しきれない時間だが、紫雲の神経接続は脊髄反射での回避を可能にした。足を止めた蒼古が適当な家屋を盾にして依託射撃、発砲。残りの一機の頭部が吹き飛んだ。

<ポップ・ワン>

 両機は、瞬く間に四機のPGTASを葬った。

 息つく暇もなく、戦車型が発砲しながら前進してくるのを目視。敵砲弾のうち一発が、身を屈めた玉響の胸部装甲に命中した。

 激しい衝撃と共に火花が散るが、即座にシステムが行った破損個所診断がMPD上に表示されるも、全ての表示が緑点灯を告げた。

 玉響の警告音に視線を上に向ければ、上空には六つの黒い影。浮遊機フロート

 横にスライド移動しながら、武装ラックに引っ掛けた単装速射砲に換装する。

 ロックオンする間もなく射撃開始。各関節に二重に設置された油圧系統が衝撃を吸収、砲口を敵機へと指向する。

 玉響は薙ぐように上空を掃射。元より艦載砲を原型とする速射砲には容易い標的だった。HEAT-MPが近接信管モードで空中炸裂。円筒形のフロートが爆発に飲まれて墜落していく。

 全てのフロートを撃ち落すと同時に、内陸部から砲弾が飛んできた。橋頭保に設置されている敵のレーダー設備に着弾。確認する間も無いが、恐らくは瑞光だろう。鷺澤朱里は遠距離射撃が少し苦手だと言っていた。有沢琢磨の鷹の目ならば、十キロ先でも無人兵器は安心できないだろう。

<玉響、前進するわよ>

了解コピー

 右ペダルを踏み込んで玉響を五百メートルほど走らせる。神経接続だからこそできる滑らかなフォームは、正に人間の所作。

 やがて九十九里浜の中間地点まで到達。ブレーキをかけながら姿勢を低くかがめた。慣性で砂浜を捲り返しながら減速。神経接続ならではの複数動作の同時進行である。

(そういえば、日向さんが砂浜はあんまり傷つけるなって言ってたな)

 今更に鉄の轍を顧みることもせず、他人事のようにそんな感想を抱いた。九十九里浜を元の景観に戻すまでは、数年などというスパンでは考えられない費用と時間が必要だろう。

 浜辺のみならず家屋までもが損壊している現状、人が戻り、これを復旧するまではビーチラインなど目もくれないに違いない。

 こうなる前に、鷺澤と行っておけばよかった。

 停止するのも待たずに加速度が背中を押す中、素早く右手の操縦桿を操作。トリガーを引き絞って速射砲を三発、バースト射撃。こちらへと向かってくる増援の浮遊機を撃墜するも、全滅には至らず。その穴は陸自の対空砲火が埋めた。

 どうやら自衛軍は息を吹き返したらしい。貴重な一瞬を割いてMPDに目をやる。

 自衛軍はフロントラインをやや構築しなおし、補給を終えた部隊も即座に戦闘に参加していく様が見て取れた。戦術データリンクシステムから数秒遅れで更新される情報は、戦況の好転を示している。

 いける。

 海岸線、北部二エリアの境界線まで前進した玉響、蒼古は、時折、内陸部から抽出される部隊を的確に撃破していく。側面や後背に回り込もうとする敵機は、全て瑞光と火燕がカタを付けた。

 四機の紫雲は、都市部から海岸線の橋頭保を守るべく後退する敵部隊の進路を的確に把握していた。自衛軍を押しまくっていたとはいえ、かなりの損害を被っている黒い軍隊の兵力には余分はなく、側面から攻撃を加える瑞光と火燕に差し向ける兵力は無い。

 となれば、後退する部隊の先にいる蒼古と玉響へ攻撃が集中することとなる。

右舷側スター・ボード!>

 東雲南津子の声に、脊髄反射で応える。操縦桿を操作すること無く、玉響と蒼古はチャフを展開。

 身を投げて左右に別れると、一瞬前まで両機のいた位置に、ほぼ垂直な角度から誘導弾が降り注いだ。地面に穴を穿ち、砂が舞う。土砂が装甲板を汚すが、構うことなく巨人は立ち上がった。

 警報にしたがって内陸部へと体を向ける。多角形の頭部が敵を捉え、取り落とした機関砲の代わりに、薙刀のように大きく振り回しながら滑腔砲を構えて発砲。とびかかって来た黒いPGTASの肩部装甲に命中するも仕留めきれずに、衝突。

 衝撃で刹那、意識が飛ぶ。火花が散り、二十メートル以上を吹き飛ばされ、滑る機体が押しやった砂で小さな山ができた。

 強烈な衝撃が肉体を四方八方に揺さぶった。強固なシートベルトが無かったら、半球形のコックピット内をスーパーボールのように飛び跳ねていただろう。それでも衝撃にくらんで呻き声を漏らす。

 ディスプレイに、白み始めた闇夜を背にして見える黒いシルエットがあった。前後に細長い頭部に据え付けられたたったひとつのカメラアイが、無感動にこちらを見下ろしている。

(やられる)

 馬乗りになった敵機が不自然なほど巨大な腕部を振り上げる。格闘用の鉄爪が五本、手刀となって振り下ろされるのを確かに見た。蒼天の装甲さえ貫く単分子ブレード。

 咄嗟に、玉響の左腕を伸ばす。掴もうかと思ったが無理だった。代わりに、勢いをそのままに手首を弾き、手刀を右脇腹の方へ逸らす。

 胸部装甲が引っかかれる、甲高い厭な音がコックピット内に反響する。顔を顰めながら右手で腰に常備している九〇ミリ携行銃を抜き放つ。単銃身のそれを敵機の腹部に押し付け、狙いを付けなおしながら首の付け根までに七発を撃ち込んだ。

「どけ!」

 弾が尽き、尚も身を捩った敵機を、裂帛の気合とともに押し戻す。リミッターは神経接続回路からシステムが読み取った緊急性に即応して消去キル。そのまま砂の上を転がって取り落とした滑腔砲を把握、接射。装填筒が解ける間もなく命中。黒い機体の背中側からAPFSDS弾の残滓が、赤い軌跡を描いて美しい模様を残した。

 黒い巨人は沈黙し、力なく砂の地面に頽れた。ほどなくして自爆する。至近距離での爆発にたじろぐも、APCSが重心を調整して持ちこたえた。

<玉響、状況を報告して>

 蒼古からの通信に、汗で濡れたこめかみを肩に擦り付けながらMPDを見やる。自動で発動したメンテナンスシークェンスは関節駆動系を黄色く表示しているが、問題はなさそうだ。

「異常なし。関節部に負担はかかってますが」

<コンディション・ライトは?>

黄色イエロー

 驚くべきことに、東雲は笑った。玉響を援護するために彼女が発砲した単装速射砲が大地を照らす。

 発砲炎がやけに多いと思えば、彼女は玉響の脱落したものを含め両手に速射砲を構えていた。恐ろしい操縦技術だ。蒼天ならば、一発も命中などしまい。

<アハハ、それで済んだなら平気ね>

 そしてなんと、単装速射砲の片方を投げてよこした。危ういところで玉響に受け取らせる。これだけで二トンの重量があるのだ。

「おわっ」

<戦闘続行。いけるわね?>

「はい。やれます」

<よろしい。ついてきて>

 交互援進を繰り返しながら、既に残るは戦車型と四足のみとなった橋頭保を蹂躙した。

 近距離から敵にとびかかり、直上から砲弾を撃ち込む。初めて見る輸送用の無人機もいた。トレーラーのようなそれには弾薬が満載されており、これは距離を置いて破壊。

 頭部PHARが敵を探知。上空を旋回し、今にも爆撃を加えようとしている戦闘攻撃機の群れがMPDに表示される。

 第七PG中隊からの緊急通報を受け、邦枝剛陸将補は手持ちの戦闘ヘリ部隊と高射部隊を動員。敵機に休まる暇を与えなかった。フレアと誘導弾が上空で入り乱れ、近接信管の花が咲く。

 そろそろ夜明けという頃になって、ようやく各部隊への補給が行き届き始めたらしい。空自も戻って来た。第七PG中隊の作った敵の隙に、自衛軍全体が猛反撃を加えている。黒い軍隊は、最初は家屋や残骸を盾にしてこの攻撃を凌いでいた。しかし自衛軍が航空優勢を勝ち取るにつれ、増していく近接航空支援と関節砲撃支援の雨に撃たれ、一歩、また一歩と後退していった。

 戦局は逆転していた。今や、黒い無人兵器群がゲリラ戦を強いられている。その後方からは第七PG中隊が圧力をかけ、正面に集中しきれない敵軍の隙を突いて、陸自の部隊が突破をかけた。

<撃て! 死んでも撃ちまくれ!>

<あの白いデカブツに感謝だ。キスしてやりたいくらいだ>

<ようやく弾と味方が来たぞ!>

<巨人万歳!>

 歓喜の声が響く通信回路に心地よく打たれていると、新たな声がこれに加わった。

<こちら習志野司令本部、邦枝だ。諸君、戦いに終止符を打とう。観光で来るにはまだ早すぎる。お客様に退場願え>

 これが最後の一押しとなった。

 フロントラインは内陸部へ伸びた歪な楕円形から、橋頭保であった河口部付近を中心とする四角形へと変わりつつあった。追い込まれた敵軍を、北東からは瑞光と火燕が、遠距離狙撃を加えているのが見える。蒼古は玉響を連れて河口部から川を渡り、そのまま南西から敵部隊へ挟撃にかかった。

 PGTASの走破性が如何なく発揮された。雨で増水した河川であっても、APCSの姿勢制御と大重量、そして車高の高さから、装備無しの状態でもPGTASは高い渡渉能力を持つ。

 川を渡り切ってやや見晴らしのいい一点にやってきた。蒼古が把持している滑腔砲から、速射砲へと持ち変える。

<玉響へ。ここから狙撃できるわ。滑腔砲用意。脇はわたしが固める>

「了解」

<腕前、見せてもらうわよ>

「任せてください」

 HOTAS概念の導入された操縦桿を巧みに操り、戦術データリンクから各PGTAS、装甲車輛の環境センサーが収拾する環境情報、及び敵位置座標を参照。MPDと正面ディスプレイに直接表示されたHUDに重ねて表示。データリンクの生きている各機からの情報を統合して、高精度な疑似環境を得た。それらが漏れなくディスプレイに反映される。

 数値だけで把握していた外界の情報が、直接、感覚となって感じられた。

 強い海風。太陽光で上昇し始めた気温。敵との距離感。横浜港での狙撃演習を思い出し、今が理想的な状況であることを知る。

 一瞬だけ背後に気配を感じたが、頭を振って振り払った。

 鉢塚は、もういない。

 と、滑腔砲を構えてすぐに、覗いた先に黒い影が動くのが見えた。照準を調整。雑居ビルとマンションの間に姿を現した敵PGTASをみとめる。

 直感に従ってトリガーを引く。

 衝撃と共に砲弾が撃ちだされ、大口径のAPFSDS弾が空を切った。タングステン弾芯の鋼鉄の矢は敵の頭部を吹き飛ばし、バランスを崩した敵機の胸部をもう一射で貫く。頭部と胸部から血のように残骸と煙を吹き出した後で、彼は爆散した。

<流石ね。続けて>

「はい」

 一時の方角からは、瑞光が同じように狙撃し、近づこうとする敵機を火燕が牽制している。敵機は腕部内蔵砲を乱射してくるが、命中することも稀だ。陸自からの攻撃を回避しながら発砲しなければならない敵機の命中率は著しく低下している。玉響は小さな家屋の影に身を隠しており、敵の発砲を感知するとシステムが警報を鳴らす。一度、左肩部に砲弾が直撃したが、目立った損害は無かった。

 驚くべき装甲強度と機動性能である。そしてそれらを余すことなく運用させるOSや中枢システム、APCS。これらの技術が本当に人類のものなのかを疑わしく思うほどのスペックだ。小林修一には感謝せねばなるまい。

 戦闘は続き、やがて目ぼしい標的がいなくなると、陸上自衛軍が雪崩れ込んでくるのが見えた。戦車や装甲戦闘車、装甲兵員輸送車が列を成し、普通科連隊の隊員が後を追いかけて走ってくる。

 誰もがボロボロだ。戦闘服はみすぼらしく汚れ、顔は土気色。一刻も早く、この戦いを終わらせなければならない。

 九十九里浜要撃戦は、極めて厳しい戦いを強いられた。だが、有益な教訓を得たことは間違いないだろう。意味はあった。犠牲者の数を思い、日計はそう結論付けた。そうでなければ、死が浮かばれない。

 自分も死んでいたかもしれない。

 そんな戦いを無意味で締めくくるのは、不適切だと感ぜられたのだ。

<よし、じゅうぶんだ>

 遂に有沢琢磨が言った。

<蒼古、玉響、合流しろ。そのまま川に向かって進め>

「了解」

 二機で連れ立って、電線の千切れた、悲惨な有り様となっている市街を歩く。

 焼け焦げた家屋や車。道に投げ出された誰かのハンドバッグ。ここにも、数日前には人々の生活があった筈だ。この様子では復興するにも、何年もかかるだろう。

 砲弾と爆撃で地面には大穴が開き、重量物の走行でアスファルトは滅茶苦茶だ。家屋の多くは損壊し、既に複数の場所から火の手が上がっている。消防や警察による事態収拾もいつになることやら。切断された電線が、冷蔵庫からはみ出たウィンナーのように垂れさがっている。

 そうして戦いの名残に身を震わせていた時、玉響を衝撃が襲った。遅れて聞こえる警告音。

<日計くん!>

 川の向こうまで迫っていた鷺澤の悲鳴がやけにクリアに聞こえた。

 前のめりに倒れ込んだ衝撃で、座席から前に飛び出しそうになる身体をシートベルトが押さえつけ、肺が圧迫された。呼吸もできないまま、急速に近づいてくる地面を視界に収める。

 落下の直前、反射的に右に向かって転がる。

 正に発砲されたばかりの砲弾がアスファルトに当たって砕け散った。玉響を突き飛ばした敵のPGTASは既に左腕を失くしており、残った右腕で自分の左腕の残骸を振り被っている。

 巨大な鉄塊が振り下ろされた。

 一撃、二撃と胸部に受けてコックピットが激しく動揺する。玉響は腰のホルスターに戻していた九〇ミリ拳銃を抜き放った。そのまま起き上がりざまに、スタビライザーの動力で突進。再び衝撃を受けながら敵の胸部へ銃口を向け、発砲。弾倉が空になったと同時にもつれ合って地面に倒れ込む。

 そこからは肉弾戦になった。背後にいる蒼古は玉響自身に道を塞がれた状態になり、助けられない。巨大な右腕部で執拗に殴打してくる黒いPGTASを避けながら後退し、隙を突いて再びの体当たり。馬乗りになったところで細長いシルエットの頭部を両手でつかみ、捻り千切る。びくりと体を震わせた敵機は、尚も右腕で玉響の左肩部を掴むが、日計はその手を振り払って、配線のみでぶら下がっている鋭利な頭部を掴み、首の付け根から内部へ突き刺した。

 ようやく動きを止めた敵機から離れるために、走る。数秒後、黒い巨人は自爆シークェンスを作動、爆散した。

 周囲を爆炎が満たし、爆発の余波に揺さぶられる。前のめりになった玉響の姿勢を、ウェイトスタビライザーが目一杯に伸びて緩衝する。

<玉響、大丈夫?>

「平気です。くそ、ちくしょう」MPDが赤と黄色で染まっている。まるでパレードだ。「左半身の関節動力がやられた」

<その場にいろ、玉響。援護に向かう>

 有沢琢磨が落ち着き払った声で告げた時、無線通信回線に声が響いた。

<海自だ! 第七護衛隊がきたぞ!>

 MPDの倍率を下げると、横須賀湾内にあった、ずいほう、さみだれと合流した六隻の第七護衛隊の姿が見えた。射程圏内ぎりぎりで誘導弾を放ち、洋上に停泊している敵艦艇へと複数のアイコンが伸びていく。既に陸上部隊との激戦で誘導弾を撃ち尽くしていた敵艦隊は、砲煩兵器での迎撃を試みるも成功はせず。巨大な空母と揚陸艦一隻を残して大破。それらも、陸上自衛軍の地対艦誘導弾と航空自衛軍の対艦誘導弾によって虫の息となった。

 日計洋一は、自分の息遣いがコックピット内にこだまするのを聞いた。

 朝焼けで紅に染め上げられた九十九里浜に、久方ぶりの静けさが戻ってきた。

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