第七話

 廊下を過ぎた所で振り返る。両手いっぱいにA4判のファイルを抱えているために緩慢な動きになるが、書類の山の影から見えた横顔は間違いなく小林修一だった。

「小林主任!」

 眼鏡をかけた男性は、白衣のポケットに両手を突っ込んだままぶらりと振り返る。その眠そうな目が彼女を捉えると、満面の笑みに変わった。それを見ると、なんだか自分も笑みを浮かべているらしいことに気が付く。

「東雲さんか。どうしたんだい、そんな大荷物?」

「霞ヶ関から届いた機密文書の移送中。ま、半分以上はあの二人の資料なんですけど」

「へぇ。あ、少し持つよ。この柔腕でよろしければ」

「ありがとうございますぅ」

 言いつつも、小林修一はなかなかしっかりした体つきをしている。両手で抱えても顎の前まで来るほどの量を一気に持つと、彼女は一息ついて、小脇に抱えられるくらいになった書類を憎らしげに叩いた。

 第七PG中隊はいよいよ作戦能力を獲得し、有沢琢磨一等陸尉以下、四名のPGドライバーを有するPG中隊となる。自衛軍の編成規則から言えば半個中隊だ。管轄はこの小林修一率いる防衛省防衛装備庁、陸上装備研究部。中央即応集団でも異質な部署である。配備される機体も世界で初めての第三世代。近々習志野へと帰ってくる日計と鷺澤の両名を含め、新たな武力として機能する。

 この書類はその下準備。実際に膝を交えて訓練を指導した二人の特技下士官とは別に、彼女と有沢琢磨も彼らを熟知しておく必要があった。

 問題は、これを受け取るべき上官が、突然どこかへ出張してしまったことだ。恐らく、定期的に行っているらしい黒田幹久防衛大臣への定期報告だろう。時期としては合致する。本当は自分はこの時間帯に昼食を取りに出かけている筈なのに、彼のせいで荷物運びだ。

 やや不満ではあるものの、仕事と割り切って張り切っていたところの小林修一。まあ悪くはない、と彼女は上機嫌で彼を振り返る。

「主任は、いつこっちに?」

「ついさっき。オスプレイでひとっとびだよ。ティルトローターはやっぱりいいね、速度も出ればどこでも着陸、さ」

「あれってターボプロップでしたっけ?」

「ターボシャフト。ロールスロイスのリバティー。うん、口に出して思ったけど、あんまりいい名前じゃないや」

「どうして?」

「第二次大戦の時の、英国戦車クルセイダー。あれと同じ名前のエンジン」

「あらら」

 お互いに笑みをかみ殺す。

 クルセイダーは十字軍の名を持つ英国の巡航戦車だったが、その故障の多さと火力不足、さらに榴弾が使用できないという対軟目標戦闘における致命的弱点を抱えていた。それなりの知名度ではあるが、あまり良い意味での有名さではない。

 思えば、大昔から考えれば兵器という言葉の定義も、大きく変わった。

 木や銅でできた刃物は、無骨で巨大な鉄の塊に進歩し、そこから人型の巨大兵器となった。この先、兵器がどのような形で発展を遂げるのかは誰にも想像がつかない。いや、その近似ならば存在している。東雲南津子は書類に添えた手に、心なしか力を込めた。

 黒いPGTAS。未だに人類の科学を以てしても、その動力源すらも解明されていない超科学の塊。日計洋一と鷺澤朱里が初陣を飾った横浜港襲撃事件。港を焼き払った、あのアレースという機体も、核爆発に準ずる規模の爆発を起こすエネルギーを光線として放つなど、常軌を逸したテクノロジーが搭載されている。物理法則を無視していると感じるのは、正に自分たちの技術水準があれの遥か下方に位置しているということを意味しているのだろう。

 正に魔法だ。進みすぎた科学は、魔法と同じものとなる。かの有名なアーサー・C・クラークの言葉だ。

 これから先、黒い軍隊の無人兵器を相手にして、たとえ勝利したとしてもあの黒いPGTASたちが目の前に立ちはだかる。

 この戦争に勝ち目はあるのだろうか。無数の軍勢を打ち倒した後に、彼ら神にも等しい力を持つ何かを相手取らなければならないとは。

 先行きの暗さに打ちのめされるより早く、東雲は予てよりの疑問を小林にぶつけていた。

「つかぬことをお伺いしますけど、主任はどうしてPGTASを開発しようと思ったんですか?」

「え?」

 意外だ、という顔でこちらを見つめる小林修一へ、空いた右手を握ったり開いたりして見せる。

「装備庁でも、あれを開発するのには相当な労力をかけているでしょう。開発主任ともなれば、管理運営だけでも相当なものだわ。そのモチベーションは何かと思って」

 何日も寝ずに作業に没頭するには、生半可な動機ではないだろうと思ってのことだ。

 幼い頃から、物事の理由を意識する性格だったのを思い出し、東雲南津子は苦笑する。

 両親を「なんで?」と質問攻めにして困らせていたのはいい思い出だ。逼迫する世界情勢の中、彼女は知的探求心を追い求める職種ではなく、銃を取ることを選んだ。自分が存在する意味を見出すには、それが最も近道だと感ぜられたからだ。極限まで研ぎ澄まされた物事の中でしか見えないものもある。

 たとえば、自分とか。うん、愛とかも該当するかしら、と内心でほくそ笑んだ。

「なるほど。うん、もっともな疑問だね。だけど聞かれたのは初めてだ」

 第七PG中隊のオフィスへと到着した。陸上自衛隊の管轄ではないため、防衛省からあてがわれている部屋だ。

 部隊の性質上、概念実証機である紫雲は、実践や演習の度に稼働情報を集積・報告する必要があった。

 技術試験旅団の性格として、戦場での実戦的見地から得られた生のデータを、兵器システムにフィードバックし、信頼性および性能の向上を理念としている。だが、実際に操縦桿を握る人間にいちいちテストパイロットを起用していては、兵器開発に支障が出るのは明らかである。陸上自衛官と並んで、兵員を概念実証機へ搭乗させるという異例人事は、この問題を解決するために発起された。

 現役の自衛官から適性の高い人員を選び、防衛装備庁管轄下に異動、そこから出向という形をとる。回りくどいやり方だが、事務手続きとしてはこれが最も手っ取り早い。他には、神経接続に適合する人員の選抜が小林修一にしかできないという実情もある。何にしても、防衛装備庁陸上装備研究部が陣頭指揮を執るために、そうした人事の流れを一本化しているのだ。

 代わりに、粗野になると予想された技術的問題については、特技下士官という名目で技術顧問を本庁から派遣する人事により事なきを得る。この技術顧問は、戦闘情報をまとめて本部、つまり小林へ報告すると共に、現場のPGドライバーに概念実証機の操作方法からその特性を教授することを目的としている。戦術案については各ドライバーとの調整を行って順次改良を行う。

 通常の陸自部隊との差別化は、この初期作戦能力の獲得から明確に示された、戦闘力の伸びしろにあると言えた。

 未完故に未知数、ということだ。反対に言えば、使い物になるかどうかは最初期にかかっているということであり、初陣という条件も重なれば最悪の事態も覚悟せねばならない。

 誰もいないオフィスの片隅にどっかりと書類の山を下ろすと、薄い埃が宙に舞った。軽く顔の前で手を振り、礼にとばかりに急須と茶葉を用意して茶を淹れる。その間に小林修一はしびれた腕をさすりながら窓を開け放ち、籠った空気を追い出していた。

 第七中隊も今日は彼女ひとり。しばらく、小林修一の眠そうな顔を見ていると、不意にその唇が小さく動いた。

「東雲さんは、紫雲……蒼古をどう思う?」

 唐突な質問だったが、彼女は手早く保温ポットからお湯を急須へ注ぎ淹れながら首を捻り、答えた。

「そうですね……自分自身、かしら」

「当たらずも遠からずだね。限りなく模範解答に近い答えだ。神経接続は、機体を四肢の延長として脳に認識させる。そうなれば体の一部も同然だ。勿論、関節の柔軟性や出力による制約は受けるけどね」

「お茶を濁し過ぎよ。小林さん、そんなに意地が悪かったっけ?」

「ハハ、琢磨へのあてつけだと思ってくれ。こんな美人を置いていくなんてもったいないし、放っておくなんて言語道断だ」

「お世辞でも嬉しいわ。どうもありがと。はい、お茶」

 茶碗に注いだ緑茶を両手で受け取ると、彼は音を立ててすすり、大きく息をついた。よく見れば目の下には大きな隈ができている。紫雲は完成したとはいえ、まだほかにプロジェクトを抱えているのだろう。多忙な男だ。その細い体にどれだけの重責を担っているのか。彼が生み出した巨人ならば、それらを全て一身に受けても耐えていけるだろうか。

 絶望に対抗する兵器を作らねばならないという重荷。

 有沢琢磨と小林修一は旧知の仲であるらしい。その親交の具体的な経緯は、東雲南津子にはわからない。ただ、彼らが下の名前で呼び合う所から、慮るのも馬鹿馬鹿しいほど交友を温めているのが推察されるだけだ。そうした男の友情というやつを、彼女は羨ましく思う。異性との付き合いで、いちいち恋愛を混ぜ込むのは、危険な兆候だとわかってはいるのだが。

 如何せん、この部隊にはいい男が多すぎる。

 あの日計洋一という青年も、いい男だ。笑みを浮かべながら、あの優しい微笑みを思い出す。鷺澤朱里はさぞ、彼に首ったけになっているに相違ない。

「そういえば、明日には四人が帰ってきて、この部隊は全員が再び揃うことになるね。実戦はいつ頃になるのかな?」

「さあ、わたしまではまだ情報が降りてこないの。今日、有沢さんが黒田防衛相のところに出向いてると思うんだけど」

「へえ、今日だったっけ」

「そ。あれもこれも、ぜんぶ明日に持越しね」

「残念だ」さして気にしている風でもない。

「何か噂話とかは? 嘘から出た真でもいいんだけど」

「ぼくも最近は情報収集を怠っていてね。部屋にこもってパソコンとばかり睨めっこしてるから。新しいOSなんかを構築させてもバグが多いんだ。そもそもまともに動かない。演算関係が多くって、寝れない日々が続いてるよ」

「むしろ、小林さんの所にはそういう話が来てないのが意外だわ。名目上はわたしたちの上司なのにね。それじゃ、もう一杯、お茶いる?」

「いや結構。ぜんぜん、まったく話は来ないね。技術屋は研究だけしてればいいと思ってるんだ、お偉方は。そのうち、黴が生えて干からびてるかも」

 小林修一は、芳しいとはいえない肌の色で笑う。彼女には、心の底からの笑みを返すことができなかった。

 防衛装備庁は、防衛省内部でも予算を食う金食い虫だが、だからといって金額を下げればそれだけ国防関係で支障が出る。最早、現代の戦争は価格との戦いだ。黒い軍隊が相手でもそれは変わらない。戦車一輌、戦闘機一機、誘導弾一発。それだけで一人の人間が一生かけても稼ぎきれない金額がつけられる。PGTASともなれば、最新技術のたたき売りと評されるほど、血税が湯水の如く投じられ、莫大な金の額に比べて人命はしばしば無視される。

 日本国民は、現状、この無理な税金の使い方に無言の承諾を示している。そうしなければ自分たちの生命が危ないと理解しているから。

 横浜港襲撃事件。あの凄惨な戦闘で、陸海空の自衛軍が、黒い軍隊に首都圏への進出を許していたのならば、横浜港の外縁部、人口密集地でアレースによる焦土化が行われていた危険があった。

 背筋を駆けあがる寒気を、東雲南津子は熱い茶を飲み込んで誤魔化す。

 想像するだけでぞっとしない。東雲南津子はもういちど口元に運びかけた湯呑を下げた。過密地帯であの攻撃が行われていたら、死傷者の数は今の百倍にまで膨れ上がっていただろう。首都圏の人口密度は末恐ろしいものがある。

 被害を抑えた自衛軍の功労は世界でも評価される部分があったものの、一方で、敵の通常兵器ではなく黒いPGTASへの対抗手段は未だに模索段階であることを露呈してしまった。もしかしたら、敵はそれが知りたかったのかもしれない。十五年間、人類が研いできた牙が、自らに届くかどうかを推し量るために。だとしたら、やはり末恐ろしい相手だ、黒い軍隊は。圧倒的優勢にありながらも決して妥協しない。こちらにはただでさえ少ない敵の隙を突くしか勝機が無いというのに。

「おっと、長居しすぎたね。ぼちぼち戻らないと、部下に何と言われるか。東雲さん、お茶ありがとう。茶碗はここに置いていくよ」

「あ、お粗末さまでした」

 白衣姿がオフィスから出ていく。東雲南津子は自分のデスクを前にしながら、山として聳えている書類へと軽い一瞥を投げた。

 仕事の時である。



 新人である日計洋一と鷺澤朱里が習志野駐屯地のゲートを再び潜ったのは、彼らを習志野へ案内してから、一ヶ月を数えた後だった。

 二人の訓練修了を祝って、どこからともなく現れた有沢琢磨が缶ビールを人数分持ってきた。今日は全員非番であり、集まったのもお互いの顔色を確かめるため。よってこの場で酒を飲んでも問題は無い。親睦を深めるには絶好のタイミングである。部隊長直々の許しを得て、第七PG中隊の六名はオフィスに押しかけた。

「初めて神経接続した時は、なんというのかな。頭の中に雷が落っこちたかと思いました」

 顔を歪めて語る青年へ同情の視線を送りながら、日向道夫が缶を傾ける。東雲南津子は男二人の間に立つ格好で、少し緩めたワイシャツの襟から火照った体温が昇ってくるのを感じていた。

 彼女自身も蒼古のドライバーだから、苦痛はよくわかる。しかし日向が頷いているということは、彼も神経接続の経験がるということだ。緊急時の予備要員でもあるのだから搭乗できることは当然として、どの機体に接続したのかは興味があった。

 缶を振り、日向が言う。

「だけどよぉ、日計。お前が気絶したのはたった一回だ。鷺澤は三回。これは若さなのか素質なのか、こっちが聞きたいくらいなんだぞ」

「ぼくに素質なんてありませんよ。ただ、運がよかっただけです」

「謙虚も度が過ぎれば嫌味だぜ? 少しは素直になれって」

「偶に言われますけど、ぼくは思い上がるつもりはありません。自分ができた人間だとも感じていませんし、ありのままの事実ということでお願いできませんか」

「へっ、殊勝なこった。ま、そういうことにしといてやるとしよう。上できなことには変わらねぇからな」

「ありがとうございます」

「へえ。日計君、一度で済んだのね。大したものだわ。あんなのに慣れるというだけでも、それは凄いことなのよ?」

 参考値を挙げると、有沢琢磨は四度目、東雲南津子は六度目の接続まで気を失っていた。

 神経接続とは誤魔化しのきかない技術。人間の重要な器官である神経に過度の負担をかけるし、BMI技術の進歩があるとはいえ侵襲式、油断はできない分野だ。内部抵抗が少し緩んで、過大な電圧が脳にかかれば、致命傷を負う恐れもある。それ故に、たった一度の差分が如実に実力として反映されてくるのだ。

 日向道夫はこの青年をいたく気に入っているらしく、缶ビールを片手に長々と話し込む構えだったが、どこからともなくやってきた花園咲が意味深長な視線を投げると、早々に退散してトイレに立った。日計が気まずい空気を感じとり、ちらりとこちらへ視線を投げ、気丈にも留まることにしたらしい。籍を外す適当な理由が見つからないだけだろうか。

 東雲の目から見ても、日向と花園、この二人がお互いに特別な感情を抱いているのは判然としていた。当人たちは何のモーションも起こしてはいない。有沢琢磨は特に色恋沙汰について口煩いほうではないが、任務に支障が出るような人間関係の構築は自重するように呼びかけている。

 だからといってここまでプラトニックな付き合いをするのは、逆に不健全な気もしないでないが、人の恋路には口を出してはならないというのがこの国の掟だ。

 日計洋一から目を逸らすと、必然的に花園咲の視線と正面からぶつかる。彼女は口数が少ないが、比較的付き合いの長い人間にはその眼を見ただけで考えていることがわかる。

 今は――言うまでもなく不機嫌だ。理由は決して言わないが。そしてこちらにはその理由がわかってしまっている。

 こうなってしまうと、意地の悪い感情が鎌首をもたげる。

「東雲二尉、あまり日向を甘やかさないでください。部下への絡みはほどほどにしていただかないと」

「あら、どうして? みんな同じ部隊の仲間じゃないの。花園さんももう少し砕けてもいいのに」

「厳密には、我々は技官です」

 彼女の言葉は事務的すぎて、無理をしているのが見え見えだった。隣で、日計洋一が所在なさげに床を見つめている。彼も損な役回りだ。

「同じ部隊ではありません。所属が同じというだけで。軍人とは根本的に異なる立場ですから」

「でも、仲間です」と日計洋一。

「その点に異論はありませんけど、もう少し気をつかってほしいものです」むつかしい表情で、花園咲は唇をすぼめる。

 東雲南津子は自分の顔が悪戯っぽい笑みで満たされるのを自覚した。花園咲は微かに頬を赤らめると、それ以上は何も言わず、戻って来た日向の元へと無言のまま歩いていき、何やらまくし立てた。彼はといえば、両手を上げて懸命に彼女を宥め、時折、弁明のように何事かを口走る。やがて人差し指を胸に突きつけられ、釈明しようにもできない状況になってしまったらしい。

「日計、どうだ。ここには慣れたか? 騒々しい奴らだが、悪い奴らではない」

 気が付けば、彼女のいた立ち位置に有沢琢磨が立っていた。慌てて敬礼しようとする青年に手を振って楽にするよう促す。

 何やら面白そうだと思いながら、東雲南津子は缶ビールの奥から二人を様子見た。鷺澤朱里は手洗いに立っているのか、姿が見えない。

 有沢は背が高い。百八十を超える身長と、体の端々から滲み出る威厳がそれを助長していた。だが、本人が他人から思われているほど厳格な人物でないことを、彼女は知っている。彼に比べれば、日計はまだあどけなさの残る子供だ。彼も彼女よりは高身長であるが、それほど高いというほどでもない。

 そのあどけなさがこれからどのような地獄を見るのか。彼がここにいる意味が、わかるかもしれない。

「皆さん、いい人だと思います」

 若いほうが言い、ちらりと目の端で先ほどの男女を示唆する。有沢は苦笑いしながらビールを一口飲んだ。

「何から何まで、面倒を見ていただいていますし。不満はありません」

「当然のことだ。仲間だからな。部隊とはそういうものだよ。そして兵士とは仲間を守る使命を帯びている。誇り高いとは思わんか?」

「ええ。みなとみらいでも、部屋仲間とは親しくしていましたし、彼らを守るために全力を尽くしました。とても心強く感じます」

「みなとみらいといえば、鉢塚二曹を知っているんだろう? 差支えがなければでいい。最期がどうだったのか、教えてくれないか」

 この言葉に、日計洋一は微かに視線を下に逸らした。思い出したくない出来事だったのだろう。しかし答えを待っている有沢琢磨へ、毅然と面を上げた。遠巻きにビール一杯をちびちびと飲みながら、彼を気遣わしげに眺める鷺澤朱里が視界の端に映る。いつ戻って来たのか。そう思えば、日計が目頭を指で拭いながら口を開いた。

「あの日、ぼくと鷺澤は鉢塚二曹と共に、最後に駐屯地から避難する班としてトラックに乗っていました。二曹が先導する高機動車と二台続きで走り出すと、敵の巡航誘導弾の第二波が駐屯地に着弾し、ほとんどの施設や野戦特科、高射特科がやられました。思えば、あれで部隊の指揮中枢がやられて、敗北は決定的になったのだと考えます」

「そこで、彼は死んだ?」

「はい。自分たちの車列も照準に入っていたのでしょう。ぼくらは爆圧でトラックから投げ出され、生き残っているのは部屋仲間の二人くらいでした。他にも何名か息のある人間がいましたが、安全圏まで運ぶことは到底できそうもありませんでした。鉢塚二曹は……胸に金属片が刺さっていました。血がたくさん出ていました」

 そこで一旦、言葉を区切る。愛おしそうに彼は、一生懸命に缶ビールと格闘している鷺澤朱里を見て、すぐにまた有沢琢磨へと視線を戻した。

「最期に、二曹は自分に『戦い続けろ』と命令なさいました。後は知っての通りです。ぼくが三人を指揮して、生き残ったのは鷺澤とぼくだけ。今でも、ぼくはその命令が有効なものだと思っています。たとえどのような場面であっても、順守するつもりです」

「そうだったか。すまない、日計。お前にこんなことを聞いたのは、おれと東雲があの人に世話になったからなんだ」

「存じております。二尉から聞きました」

 有沢は頷き、缶を乾かした。

「あの人は日本で最初のPGドライバーだった。おれと東雲が紫雲に乗る前、蒼天のテストドライバーをしていたのもあの人だった。教練はきつかったよなぁ、東雲?」

 突然自分にお鉢が回って来て、慌てて缶から口を離した。

「はい。まあ、日計君もその辛さは身に染みてると思いますけど。ずっと怒鳴られてるんですもの、疲れたわ」

「滅多に人を褒めませんでしたね、確かに」

 三人は沈黙し、無言のまま缶を持ち上げた。献杯が終わると、一斉にビールを飲む。

 むせ返った日計洋一の背中をさすってやると、有沢琢磨が久方ぶりの笑い声を上げた。

「そっちのほうも訓練が必要だな。二曹が空の上で怒り狂ってるぞ」





 十一月一日、一〇二一時。

 目立った被害を受けずに済んだ横須賀基地から早期警戒任務のため、DDHさざなみが進発。横浜港襲撃事件によって空隙となった洋上警戒網を埋めるべく、舞鶴にて移籍準備を進めている第七護衛隊がやってくるまでのつなぎとして、大平洋方面における黒い軍隊の再襲撃を警戒するのが主な任務だ。他にも各海自航空隊基地からP=3Cが飛び立ち、海上を移動してくるあらゆる脅威へ向けて警戒を行っている。

 巨大な護衛艦の排水量は一万トンに迫る。黒い軍隊の襲来は、海上自衛軍にも対潜戦以外の戦闘能力増強を迫った。日本の再軍備と自国の戦力減少から、在日米軍は姿を消している。戦争をするために、護衛艦は拡大発展し、国産の誘導弾を満載したひとつの兵器として結実していた。だが、予算的な側面からAWSイージス武器システムを搭載した旗艦級護衛艦の建造は、各護衛隊につき一隻と制限されている。その分の予算は新たな兵器システムであるPGTASを運ぶ輸送艦の開発にもあてられた。

 この時、警戒活動中であるさざなみは完全な戦闘態勢にあった。

 両舷監視員からの報告が艦橋を通じてCIC戦闘情報室へ寄せられる。電探の緊迫した声が響き、周囲でコンソールをタッチする軽快な音が満ちていた。

「方位一三六、距離二一〇。複数の大型水上航行物を確認。速度十七ノットで尚も北上中」

 艦長はこれ以上ないくらいのしかめっ面で、大きなメインディスプレイに表示された明るい画像を見つめた。静止画は時々刻々とその様相を変えている。

 周辺の日本太平洋沿岸地域の中で、横須賀海軍基地を基点に南東へ二百海里の位置にあるさざなみを中心に座標は割り出される。報告された位置は、さざなみからさらに南東へ進んだ位置。

 砲雷長が意味深長な視線を艦長へ投げ、ひびが入ったとしても不思議はないほどに空気がぴんと伸びる。身じろぎすらも赦されないと思われるほどの緊張感は、空調の効いた船内で汗をかかせた。

 既に、敵船は巡航誘導弾の射程距離に入っている。敵艦からの索敵レーダー波も確認されており、他の武装の射程圏内に入れば攻撃照準波を受信するのも時間の問題だろう。統幕監部には既に横須賀経由で連絡を入れてある。今頃は霞ヶ関にある本省も蜂の巣をつついたような大騒ぎをしている筈だ。総理大臣から防衛大臣、そして防衛大臣から統合幕僚長へと指揮権の委譲が行われているに違いない。

 そして、さざなみが負う現状の任務は警戒管制。戦端を開くことが仕事ではなかった。

「横須賀から何か命令の変更は?」

 これには、ディスプレイにほど近い位置に立っていた副長が答えた。画面が一面青色なので、彼の顔色はとても悪いようにも見える。きっとそれだけが理由ではないだろうが。

「ありません。非戦闘距離を維持して後退しつつ、敵部隊の情報を収集するのが、当艦の任務です」

「了解した」艦長は自分の顔が渋く歪むのを何とか自制した。「総員、対艦戦闘用意。各員持ち場につけ」

 了解、という返事とともに、副長がマイクを手繰りよせる。既に、艦長以下すべての人員が、灰色の救命胴衣と青いつなぎに身を包んでいた。「対艦戦闘用意。これは演習ではない。繰り返す、これは演習ではない」

 副長の声が艦内に響く。砲雷長がヘッドセットを取り、持ち場の第一分隊員が座るブースの後ろで腕を組んで立った。

 さざなみ艦内は俄に活気づく。通路をクルーが走りまわり、ダメージコントロールを容易にするために隔壁を閉鎖して回る。青いつなぎに救命胴衣とヘルメットを着用した航海要員が艦橋で舵を取り、全ての武装の安全装置が解除された。この日のために訓練を積んだとはいえ、まさかの事態に乗組員たちは灰色をしたヘルメットの顎紐をきつく結びなおした。

 ものの数分で、さざなみは完全な戦闘態勢へと移行していた。厳しい訓練の賜物である。その間にも、敵はその規模が大きなものであると判明し、近づいてくるにつれ広域索敵を行っていたレーダー波を収束、艦艇用大型PHARからの情報を戦術ネットワークでつながれたシステムが判別する。

 ディスプレイ上の情報が更新された。その度に、CICに詰める要員の顔色は悪くなっていき、早い呼吸と沈黙が指揮所を満たした。

「敵戦力、速報値で報せ」

「はっ、速報値。敵数、十二。本艦以上の規模を持つ船が六隻、内四隻は極めて大型。他六隻は、本艦以下の規模である中型船」

「副長、君はどう見る?」

「典型的な揚陸部隊でしょう。このままの進路ですと……およそ六十四時間後に日本列島へ到達します」

 艦長以下、全てのクルーが息を飲む音が聞こえた。

 黒い軍隊の第二次侵攻は、既に始まっているのだ。

「恐れるな」艦長が喝を入れる。「いずれ戦端は開かれるのだ。来るべき時が来たにすぎない。この時のためにこそ、我々はここにいる。各員、自分の持ち場にて最善を尽くせ。誇りを見せろ、意地を貫け!」

 神妙な面持ちでディスプレイを見つめる部下たちを見やりながら、彼はばつの悪さを感ぜずにはいられなかった。

 戦端は開かれる、だ?

 十五年前から、とっくに戦争は始まっているというのに。





 黒い軍隊、侵攻再開す!

 一報はすぐさま列島を駆け巡り、メディアが史上空前のどんちゃん騒ぎ――日向道夫、談――に興じている時。陸上自衛軍東部方面隊は慌ただしく戦闘態勢を整えていた。

 あらゆる事態に即応するために、機動戦闘車や装輪装甲車、偵察警戒車などを格納庫内で再整備。高射特科、高射群が上空を警戒し、航空基地の数々も所有する航空兵力の全てを投入できるよう、第一級戦闘態勢。AWACSが巨大なレドームを誇示して百里から飛び立ち、敵揚陸集団への要撃準備を整えていた。

 習志野駐屯地に駐留している第一技術試験旅団第七PG中隊も蚊帳の外ではいられない。

 本州太平洋岸地域の市民に内閣より避難勧告が出される。警察、消防にも協力要請が行われ、住民の避難誘導が始まった。

 ほとんどの人々が山間部へと疎開を始め、これ有ると予期して行政が進めていた避難計画も奏功した。市民の避難行動自体はスムーズに進んでいる。人数が多いため、時間はかかっているが、忍耐強い国民性も相まってパニックなどは起きていない。

 午後八時七分、大滝史彦内閣総理大臣が正式に非常事態宣言を発令。これを受けて国際連合は安全保障理事会を緊急招集。日本国は緊急対策委員会を設置して国連との摩擦に備える。

 大滝史彦総理大臣は指揮権を早々に防衛大臣である黒田幹久へと委譲。黒田から統幕議長を経て自衛三軍へ向け、要撃作戦立案を下命した。統合幕僚監部は予断作戦のいくつかを引っ張り出し、これを基に敵軍要撃の計画を指揮官へと示した。

 極めて流動的な事態の進行に、日本国はどの国よりも素早く、襲い掛かってくる火の粉へを振り払う備えを完了していた。

「部隊成立早々に緊急出動とは。黒い奴らもビールを飲んで酔いつぶれてりゃよかったのに」

 日向が、いかにも眠り足りないといった顔でぼやいた。

 彼がラップトップを叩く傍らでは、花園咲が一段と無口なまま、タブレット端末で機体システムの最終点検を行っていた。クリップボードに留めたプリント用紙にあるチェック項目に、流れるような手捌きで書きこんでいく。

 時折、日向は大声で周りを右往左往している整備員に指示を飛ばし、四機の紫雲から送られてくる情報の数々に同時に目を通す。修正点があれば手を加え、エミュレートし、バグが残れば潰して回る。その繰り返しだ。

 気の遠くなる作業であっても、彼の指がひとつの地点に留まることはない。

 何としても、四機の紫雲を万全の状態に仕上げなければならない。これが初陣だ。概念実証機の信頼性が最も問われる場面。手抜かりなどあってはならない。

「日向。火燕の波形、乱れてる。メモリ領域へのテンプと重なってない?」

「いや、こっちじゃなんともねぇ。ナンバーまでわかるか?」

「ごめん。やっぱり異常はないわ。あるとすれば、恐らくドライバーのほう」

「だよなぁ」頭を掻きながら、いちおう片手で原因を探るべくルーチンを回す。「みんな疲れているんだ。これくらいは許容範囲内だし、そう騒ぐこっちゃねぇ」

 何か言い返されるかと思ったが、花園咲は無言のまま頷き、自分の作業に戻った。こちらの意を汲んでくれたのだろう。軽い自己嫌悪に陥るのを堪える。

 理解し合える関係とは良いものだが、時に自分の感情が伝わりすぎて、彼女を傷つけてしまっているのかもしれない。

 敵の揚陸部隊は宮城以北の列島沿岸に向かっていると幕僚監部は睨んでいる。有沢琢磨の口振りから察するに、福島か宮城であることは確実だろう。寄りにも寄って、大震災の爪痕が未だ残る被災地に。

 今の所、フロントラインは構築されていない。水際要撃は自衛軍の得意とするところだが、ここに来て兵力を動員できない状態が続いているのはよろしくない。

 いわば生殺しだ。疲れでぼんやりとし始めた頭で、日向は自分の調整した機体で戦場へ繰り出すことになる、四人のPGドライバーを思った。自分が不整備で足を引っ張る訳にはいかない。

 それから一時間で最終調整を終えて、ラップトップの隣に置いてある無線機を手に取る。

「オーケイ、皆。調整は終わりだ、これから休憩に――」

 サイレンが一度、短く鳴る。重要度の高い放送の前に、決まって流れる音だ。既にコックピットハッチから身を乗り出していたPGドライバーたちは、高い天井を見上げて反響する音声に耳を傾けた。整備員たちも足を止め、声が響く天井を見上げる。

<こちら室谷。各員、その場で聞かれたし>室谷俊哉、階級は陸将補。習志野の長である。<敵揚陸部隊の侵攻予定地が定まった。場所は宮城、九十九里浜。これより自衛三軍で海上、陸上の要撃線を構築する。予てより連絡済の士官は第一会議室へ集合。他の隊員は現状の作業に邁進せよ>

「わたしも招集だ」

 顔を向ければ、隣りには既に有沢琢磨の長身があった。体に密着した、純白に黒いラインが入ったドライバースーツで浮彫りになった肢体。じろじろとそれを見やってから、日向はにやりと笑った。有沢は肩眉を吊り上げる。

「その恰好のまま向かわれるので? さすがにお偉方がカンカンになりやしませんか」

「いや、着換えてからそのままいく。汗はないしな、シャワーはいらん」

「一尉」

 花園咲が、クーラーボックスからペットボトルのスポーツ飲料を放った。彼はちらりと笑みを向けると、そのまま足早に去っていった。

 入れ替わりに東雲南津子を先頭にして、鷺澤朱里と日計洋一がやって来た。女性二人に囲まれて、日計はさぞ肩身の狭い思いをしているに違いない。少し顔を顰めてそっぽを向いているのが証拠だ。

 可愛い奴だ。自分なら役得と考えて笑みを浮かべようものを、若いとはそれだけでいいものである。日向は笑みを浮かべ、腕を組んで彼らの到着を待った。

「あら、有沢一尉はもう?」

「行かれました。すぐに向かわねばならんのでしょう。何しろ、中隊長レベルで招集されているのはあの人くらいのものですから」

「お偉方は待つのを嫌うからね。一等陸尉の若造ともなれば尚更。待っていても仕方ないし、一足先に休憩にしましょうかしら。二人はどうするの?」

「ぼくらは食堂で待機してます」日計が答えた。やつれて見えなくもない。「お腹も減りましたし、少し休んでおこうかと」

「わかったわ。それじゃ、ロッカールームまでは一緒に行きましょ」

 そういって、東雲は格納庫から歩み去った。軽く頭を下げて通り過ぎていく若者二人に手を上げて応えながら、今日やり残した仕事を振り返る。

 まだ武装の点検が終わっていなかった。既に片付けを始めている花園咲にその場を任せて、格納庫から駆け出た。

 巨大なハッチは全開放されている。多くの車輛や人員が入れ代わり立ち代わりに移動する中、通りすがる整備員と干渉しないよう、脇にある通用口から外に出た。

 習志野は曇りだ。この時分だと肌を冷やす。花園は自分と同じつなぎ姿だった。風邪をひかなければいいが……。

 通用口から少し離れた場所にある弾薬庫へと歩いていった。

 駐屯地の四方には、既に航空自衛軍による第一高射群のペトリオットが設置され、近接防御用に引っ張り出されたVADSが防空圏の中間を埋めている。東部方面における各自衛軍基地はこれに準ずる防空態勢を敷いているものと思われる。トレーラーが荷台に載せた一〇式戦車や九九式自走榴弾砲を運搬していき、比較的軽量な装輪装甲車や軽装甲機動車は、様々な機材を満載して自走する。地響きを立てて通り過ぎていく装甲車輛の列は、地獄へ向かう死神の葬列とも思えた。

 曇り空にディーゼルエンジンの爆音がいくつも木霊している。

 自分の呼吸音が耳の裏で五月蝿く響いた。

 雰囲気にのまれているのだろうか?

 PGTASの出動はまだだ。路面を傷つける恐れのある大型兵器――といっても、戦車に比べれば接地圧は低い――は最後に移動させられる。PGドライバーたちは自分達の出番があるまで待機せざるを得ない。それは既に始まっているらしい作戦会議室から直接流れる放送で知れた。多くの指示が放送を通じて部隊に伝えられていく。

(九十九里浜か。滅茶苦茶になる前に花園と行っておけばよかったな)

 横浜が全滅した時も同じ感想を抱いた彼だった。

 弾薬庫に入ると、やはりここも人影が多かった。細心の注意を払って、入り口の静電気無力化球の張り出しに触れ、中へ入る。

 多くのつなぎ姿が、ありとあらゆる種類の弾薬を運び出していた。自衛隊時代からここに貯蔵されているものだ。性能は申し分ないが、装甲兵器に対してどれほど有用なのかもわからない小銃弾なども運び出されていく。

 慌ただしく通り過ぎるトラックを無視して奥にある兵器保管庫へ向かうと、PGTAS用の滑腔砲や単装速射機関砲、予備兵装のピストル類が彼を迎えた。十五メートルを超す巨人の武器ともなれば、その威圧感も一入だ。彼らにとっての銃弾が人間にとっての砲弾となる。それほどまでにスケールの違う兵器を作り上げ、これでもなお苦戦を強いられているのだ、人類は。

 目当ての人影を見つけ、ひとつのつなぎ姿へと歩み寄る。

 彼は周囲の整備員に比べて年配の男で、身に纏う空気は有沢琢磨以上に鋭い。いや、圧力がある。どちらかといえば黒田幹久に近いタイプだ。彼は体格で圧倒するのに対し、この御仁には目と、仕草で気圧されてしまう。

「班長!」

 さっと振り返り、日に焼けた顔がにっと歯を見せた。

 彼は真崎宗和、習志野駐屯地の整備班班長を務める古株だ。バイクに始まりPGTASまで、彼によって習志野に駐屯する機械化部隊は兵器を操ることができる。その腕前は誰も頭が上がらない程だ。かの基地司令である室谷陸将補も平身低頭らしい。

 戦場では階級よりも経験が尊重される場合がある。それについて、日向も異論は無かった。

「本庁の若いのじゃないか。どうした? あのじゃじゃ馬のほうはいいのかい」

「うちの部隊の……第七中隊ですが、兵装をお願いしたいと思いまして。こっちも引き揚げるんで、砲身内部と機関部の点検だけお願いします」

「既に終わってるよ。三十分ほど前には済ませたぜ」

 目を丸くしてから、日向はにやりと笑みを見せた。

「ありがとうございます」

「いいってことよ。明日のもしもに備えるのが仕事だからな。機体のほうは順調かい? 紫雲、蒼天とは駆動系も何もかもが違うだろ」

「あら、ばれてましたか。そうです、トーションバーから電動モーターにいたるまで、細部に最適化を施しています。調整なんてレベルじゃあ、とても」

「それも四人別々に、だろ。やっぱ金のかけ方が違うなぁ。と、ここで話しちまったら時間の無駄だ。足止めしてすまねぇな」

「いえ、こちらこそ。それでは」

「おう。お前さんの部隊、全員帰ってくることを祈ってるよ」

 日向は軽く敬礼。





 九十九里浜要撃の準備は着々と進んでいた。

 海岸線、国道三十号線は完全に自衛軍の管轄下に置かれている。九十九里ビーチラインによって南北の交通路は整備。緊急即応部隊として、機動戦闘車を保有する第十二機動旅団が第一次防衛線を敷いていた。やや後方の避難が完了した住宅地には、九十九里浜有料道路経由で続々と兵員が輸送されている。深く浸透されても、三重に敷かれたフロントラインが粘り強く敵を抑え込むだろう。

 それが統合幕僚監部の予断作戦だったが、これには現場の判断で若干の修正が加えられることとなった。

 銚子市、旭市、山武市、大網白里市と数キロ以上に渡って広がる九十九里浜。四つに分割された各市ごとに連隊が配備され、九六式多目的誘導弾システム、無反動砲が予断無く沿岸線を睨んでいる。陸上幕僚長から統合幕僚長へと、「投入戦力の不足による縦深陣の防御力低下」の旨が報告された。

 元より、自衛軍の前身である自衛隊は、有事の際に揚陸前の敵上陸用舟艇及び航空兵力・海上兵力を駆逐する要撃戦術を主任務としていた。どれだけ強力な軍でも、上陸するまでは無力であり、圧倒的有利に攻撃できる。他に、憲法第九条によって対外的な武力行使ができないという政治的側面もあったが、今では反撃の部隊派遣も一国の判断に委ねられた要撃戦闘も行える。

 しかし、未だに多くの要素が未確定のまま残っており、指揮官は暗礁に乗り上げつつある防衛作戦計画の立案に追われていた。

 自衛軍と名を変えてから、初めての戦乱を日本は乗り越えなければならない。

 海岸線に機動戦闘車の、装甲車の上に戦車の砲塔が載ったシュールなシルエットの他には、現場に到着し始めている一〇式戦車の姿がある。黒い軍隊の出現に合わせた部隊拡張によって新設された第一〇一機甲師団所属の第一〇四戦車大隊のものだ。一時、防衛大綱の刷新によって本州から撤廃されかけた戦車だが、切迫した軍事情勢の悪化に伴って再度の大綱改変を経、その雄姿を東北の海岸に晒していた。頼もしい姿に、現場の隊員らが笑顔を見せる。

 装甲改良によるさらなる軽量化を施された一〇戦車は、一二〇ミリ滑腔砲と強固な装甲を兼ね備えつつ、全備重量四十一トンという驚異的な性能を誇る車輛となった。これにより、より優秀な戦略機動性とさらには装薬、弾薬の改良による攻撃力強化も行われ、反面、一三五ミリ口径の滑腔砲搭載はPGTASとの火力的差別化を図るために見送られている。

 これらの新技術は、全てPGTAS開発からのフィードバック。より軽量で強固な装甲、安定した砲口制御、駆動系の耐久性、及び地形追従性能の強化。

「金に見合った成果よね」鷺澤朱里が欠伸混じりに、「あんなのはいいから、火燕はまだかしら」

 隣りで、日計洋一は肩を竦めるしかない。

 物々しい雰囲気に包まれている九十九里浜には、まだPG科の姿は、少なくとも堂々とは出ていない。

 出動の用意は済ませてはいるものの、派遣されている第十六PG旅団の二個大隊はまだ後方にある。予定通りに行けば、第七十四PG大隊が八機ずつの四中隊を銚子市、旭市、山武市、大網白里市の四つの市に分散配置する。国道三十号線を戦車と機動戦闘車が走り回って水際要撃、そのやや後方から普通科連隊による携帯対戦車誘導弾ならびに固定対戦車誘導弾による近距離攻撃がある。さらに後方からはMLRS、一五五ミリ榴弾砲、九九式自走榴弾砲による間接砲撃支援が、浜に揚陸した敵軍へ向けて降り注ぐはずだ。

 蒼天はといえば、熱赤外線放射隠蔽式のカモネットをかけられ、人間でいう片膝立ちの姿勢のまま、九十九里浜近くの茂みに身を潜めている。

 彼らこそが日本の守護神。人の意志を刻み付けし化身。ニュースメディアはそうはやし立てていた。

 紫雲は、まだ情報漏れしていないらしい。いつ出番が来るのやら。

「ぼくらの配置はまだ決まっていないそうだ。紫雲の初陣でもある訳だし、どのように運用していいのかわからないんだよ、幕僚監部も」

 指揮系統上は独立しているとはいえ、第七PG中隊は統幕監部からの要請に可能な限り従う方針だ。技術屋に指揮権を委ねることはさすがにしないらしい。

「簡単よ。滑腔砲持って走り回ってればいいの。そのためのPGTASでしょうに」

 工業用に買いとられた新地に設営された自衛軍キャンプ、その皆無ともいえる軒先のベンチに座りながら、二人は配給された昼食をつついていた。

 よく知られていることだが、自衛軍の戦闘糧食は”比較的”美味い。

 無論、しっかり調理されたものに比べて味は落ちるが、他国のものに比べれば高品質だ。だが、それも第一種に限られる。第二種戦闘糧食ともなれば、暖めれば上手い。しかし、大抵は冷えたままパックの封から直接口にすることになる。

 おこわとサバ味噌の缶詰を頬張りながら、曇ったままの空を見上げた。

 先日からずっとこの調子だ。九十九里を砲声が満たせば、雨が降ってきてもおかしくはないだろう。雨に煙った市街地は視界が悪い。理想的な状況とは言い難かった。

「そういえば、あの人の顔を見てないわ」

「誰だって?」

「小林主任。ほら、PGTAS開発室のヒト」

 彼女は、まだ一度も顔を合わせたことの無い上司の名前を挙げた。

「あの人か。でもさ、PGTAS開発の主任だからって、ここまで出張ってくる必要はないだろ」

「そのための日向さんと花園さんだものね。わたしたちも少しは詳しくなったけれど、紫雲は蒼天と違いすぎるわ。本当にあれを鋳型としているのか疑わしいくらい」

「ぼくが思うに、神経接続による挙動の変化は相当なものだ。骨組は同じでも、関節から取りかえれば別の機体にもなる」

 蒼天は言うなれば、戦車などの他兵器概念を反映したシルエットをしている。

 コックピットブロックを埋め込んだ、滑らかな長方形と大腿を繋ぐ細い腰、膝から伸びるトーションバー。頭部は細長い台形の底辺を向い合せに組み合わせた形で、三角形に配置されたメインカメラが人型の持つ人間らしさを完全に打ち消していた。

 オリーブドラブの単色迷彩が軍事兵器としての色合いを強め、肩に描かれた赤い日の丸が勇ましい。だが最も目を引くのは背中から伸びるスタビライザーだろう。二段伸縮式の長いもの、可動範囲の広い短いものを左右一対、順に肩甲骨の下あたりから伸びている。走行状態ともなれば、これが踊り狂うタコのように、あらゆる方向へと伸長するはずだ。そうすることで重心のずれを打ち消し、機体の安定性を保つ。

 翻って紫雲は、まずその純白のカラーリングが目を引く。細長く洗練された頭部にはカメラアイが四つ。後頭部からは通信用のアンテナが伸び、蒼天のように多角形で構成された胸部ではなく、滑らかな流線型に縁どられたフレームが美しい。トーションバーは膝の上に蒼天と同じく伸びているが、分厚い装甲で覆われたものではない。細い、空力抵抗を考慮したデザインだ。スタビライザーは二段収縮式のものが一対。蒼天の面影を残しているのはここくらいだが、それも先端に行くにつれて質量を増すデザインの新型となっている。

 右肩には第七PG中隊を示すギリシャ数字の七が刻まれ、同じく左肩には各機の番号が振られていた。瑞光、蒼古、火燕、玉響の順に、一から四番機だ。

 これを何と表現すべきだろうか。蒼天は間違いなく兵器。紫雲はたとえるならば――

「何の話をしている?」

 二人で首を向けると、そこには糧食を盛ったトレーを手に佇んでいる有沢琢磨と東雲南津子の姿があった。

 慌てて立ち上がり、敬礼をしようとする二人。しれを片手であしらって、上官らは同じテーブルに着く。

 周囲の自衛官からの好奇の視線が集まったが、有沢の一瞥で誰もが目を逸らした。雰囲気は良いとは言い難い。どこからか「技術屋が」と罵る声が聞こえて来た。

「やっぱり、目立つんですかね」と日計。

「当たり前だ、我々は本省の直属だからな」にべもなく有沢が返す。「CRFからは中央即応連隊と第七PG中隊のみの出動だ。空挺と特戦群は来ない」

 対戦車火力の十分ではない空挺団は、今回はお呼びではないということだろうか。あちらにも携帯対戦車火器は供給されている筈なのだが。特殊作戦群も担う作戦の性質が異なる以上、ここで投入してもリスクが大きすぎると判断されたのだろう。

「そういえば、ドライバースーツは着なくてもいいんでしょうか」

「更衣室は用意してあるわよ。もちろん男女別だけど」

「残念ね、日計くん」と鷺澤朱里。

 彼は目を回した。

「どうしてぼくだよ?」

「あなたじゃないわ」鷺澤朱里がけろりと言う。「わたしのほうよ」

 上官二名が思わず笑みを浮かべたその時、警報が鳴る。

 けたたましいそのサイレンこそが、後世に長くその名を残すこととなる、「九十九里浜要撃戦」の始まりを告げるものだった。

「もう少し、腹に入れておくべきだったな」

 サバ味噌を口の中に放り込みながら、有沢琢磨が名残惜しそうに言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る