第五話

 富士の裾野に砲声が轟く。

 機甲科とPG科が共に前進し見事な協調射撃を行うと、全ての模擬標的へと砲弾が命中し風穴が開く。急制動をかけた戦車中隊が車体を強引に傾けながら九十度方向転換、左右に展開してその動きを中央から突出した蒼天が援護する機動打撃戦術が流れるように実行される。蒼天が把持している七六ミリ単装速射砲の断続的な発砲音が大地を揺るがす中、間隙を埋めるように滑腔砲の発砲音が挟まる。

 横浜港襲撃事件から、自衛軍は訓練頻度を上げて練度向上と戦力情勢を急いでいるが、国連からは黒い軍隊に対して迂闊な反撃は避けるようにと厳しい通達が出されていた。報復攻撃に出れば蜂の巣をつついたように黒い無人兵器群が動員され、第二次侵攻の呼び水となる。最悪の事態を想定して、アメリカ、ロシア、中国の連名で文書と声明を送るまでの徹底ぶりで、欧州連合や中東連合をはじめとする地域共同体も足並みを揃えていた。大滝史彦内閣総理大臣はこれに批准する姿勢を明確にしつつも、自衛軍の犠牲を無に帰すものとして国際社会へ批難を投げた。これは数十倍の質量を持って跳ね返されている。受け止めているのは日本国民全員だ。総理大臣は首相官邸と国会議事堂以外に姿を見せておらず、敵に対して一歩も譲らぬ姿勢を見せている政府に対し国民からは厳しい声があがっている。

 有沢琢磨は、そんな情勢を見て見ぬふりをしながら、久方ぶりに気兼ねなく紫煙をもくもくと吐き出していた。

 富士演習場の片隅で演習の様子を生で見学中のことである。鼻に引っ掛けたシューティンググラスが発砲炎に煌めき、熱い日差しにスモークの向こう側で刃のように鋭い眼光が薄っすらと見え隠れした。

 最初期からPGドライバーとして軍務についている彼の操縦技量は、日本のみならず比較対象を世界全土へ広げたとしても通用するほど高い。機甲科とPG科の連携は機甲戦力を集中投入する機動打撃作戦においては重要な評価事項だ。時折、手元に置いてある双眼鏡を覗いてつぶさに観察しながら、指摘項目を思いついては手に持っているクリップボードへと書き込む。報告書で部隊ごとに反芻できるように注釈までつけて内容を整理、この演習の効果を最大化するために手を動かしていると、あっという間に用紙がいっぱいになって、もう何度目か、一枚をめくって次の一枚を上に出す。

 現在演習中の戦車中隊とPG小隊の連携は悪くなく、この部隊の出来は上々というところだが、実戦ではこの半分の実力しか発揮できないと見積もるべきだろう。つまり、まだまだ不安で覚束ない。「B」と大きく丸印とともに書き込んだ。「場数を踏め」という意味でもある。参加した隊員たちにとっては辛口の評価となるが、準備期間は限られており、減り続けているのも事実だ。

「これはまた、珍しい友人がここに来たものだね」

 ようやく演習も終わり、蒼天と戦車が縦列になって格納庫へと戻っていく様を見つつ五本目に火をつけている所へ、背後から声をかけられた。その声色で誰かの判別はついたので、クリップボードを脇に挟んで前を見たまま返事をする。

「修一か。紫雲はどうなった。防衛相は早急に実戦投入する方針だぞ。油を売ってる暇なんてないんじゃないか」

 鉄柵とコンクリートで保護された演習場の一角を見渡せる監視所、有沢琢磨の立つ隣へとやって来たポロシャツと眼鏡をかけた痩せた男は、小林こばやし修一しゅういちといった。PGTAS開発の主任研究員を務めている男で、今も新型PGTAS開発の陣頭指揮を執っている。つまり、有沢率いる第七PG中隊の概念実証機を手掛けると同時に、組織上は装備庁の研究員である彼が直属の上官としての立場にあった。

 もっとも、有沢との腐れ縁も七年を超すものになっているから上下関係などあってないようなものである。未だに出会ったころと変わらない淡々さの裏に籠められたお互いの信頼感をひしひしと感じ、少しの間、有沢は懐かしい気持ちになった。親友ではなく家族でもない。ともすれば戦友と呼ばれる関係。

 目の下に隈を貼り付けた優男が、髪を掻き上げて溜息をつく。政府からの無理難題に肩を竦めるというよりは、今日この日の酷暑に対して辟易しているように見えた。室内業務が主の小林にとっては、こうして穴倉から出てくるのが身体に堪える。

「仕事をしてるのはぼくだけじゃないからね。部下が育ってきて、いろいろ任せているから大丈夫だ。それに油を売っているのはぼくだけじゃないと思うんだけど?」

 違いない、と有沢は思いっきり煙を吐き出した。第一技術試験旅団の根拠地は習志野駐屯地で、今では喫煙者の肩身はかなり狭くなっているから、遠慮なく煙草をくゆらせていられるのは数カ月ぶりだった。

「紫雲の開発は最優先事項、かつ飛び切りの機密だ。表立っては蒼天の技術開示を求めるくらいだが、水面下では開発中の新型機こそ主要な目標になっている。情保情報保全隊も血眼にして工作員を追っている。そんな中で、新型機の状況査察という名目でここまでは来れんさ。演習顧問という役職でもなければ、な」

 小林はにやりと笑った。その視線は、そうは言いつつも有沢の脇に挟まれている生真面目に項目のチェックがされたクリップボードを見ている。

「やはり、君が来たのは抜き打ち検査ってことか」

「この部隊のか?」

「いいや、ぼくのだよ」わざとらしく顔をしかめて、「給料分は働いてるつもりなんだけど」

 その顔に出るのは珍しい笑みを浮かべて、有沢はさもありなんと頷いた。

「上の連中もお前の仕事ぶりを疑ってはいないだろう。今回に関してはただの状況確認の意味が強い。御託はいいから現状を教えてくれ」

「せっかちだな、まあいいけど。紫雲は目下のところ部品組付けは全て完了していて、ヴェトロニクス全般を結合した最終調整中だ。概念実証機ではあるけれど、お偉方からの無茶な要求に応えるように主機の出力を三割近く引き上げてある。蒼天以上の機体に仕上がっていることは保証するよ。既に先行量産機以上の信頼性を有してもいるから、実戦には差し支えないだろう」

 胸をなでおろしたように、有沢は狭苦しい監視所のこれでもかと補強された防弾ガラスの縁に手をかけ、もたれかかった。

「頼むぞ。何しろ乗るのは二十歳の若者なんだ。死なれては夢見が悪くなる」

 小林は目を幾度か瞬き、不思議そうに首を捻った。

「琢磨、君は永遠の二十歳とか言ってしまう性格だったっけ?」

「馬鹿かお前は。おれのことじゃない」

「なら、東雲二尉かな。そうだ、きっとそうだろう。彼女なら、まだいけるとか言いそうだ」

 確かに東雲南津子からは、「女性は全員十代として扱うべき」と言われたことがあるが、それは彼女自身の個人的願望であることに全財産を賭けてもいい。若く見える彼女が気にしているとは意外な限りではあるが、なぜ容姿端麗、才色兼備の彼女に相手ができないのかと困惑気味に語られるのが周辺各所の感想だった。

「本人がいないとはいえ、彼女の悪口を言えるお前の胆力には感嘆するばかりだ。まだ詳細は伝えられてないんだな?」

「要するに、紫雲のドライバーが増えるということかい? どうして君に話がいってぼくに来ないんだ」

「年がら年中、研究開発に勤しんでるからだろ。おれと東雲以外に、もう二人、採用することになった」

 二十歳で、二人。それだけで悟ったようだ。小林は不快そうに顔を顰め、相変わらず察しの良い友人に有沢は面白がるように片眉を上げた。

「もしかして、横浜港の英雄かい」

「察しがいいな、その通りだ」

「酷なことをするね、防衛省も。地獄から帰ったら煉獄へ放り込まれるようなものだ」

「素質はじゅうぶんだろ」

「じゅうぶんではあるけど、必要かどうかはまだわからないんだぜ」

「選んだのは黒田防衛相だ。おれはこの件には関与していない……と言いたいが、ゴーサインは出したし、賛成してもいる。責任は持つつもりだ。あらゆる意味で」

 目を細める小林を見て、こいつもたまには怒ることもあるんだなと有沢は冷ややかに思った。それが相当に気分を害した時に見せる数少ない癖のひとつであることを、親交深い有沢は知っている。そして、そんなことは滅多にないことも。大抵のことは合理性と論理的帰結を最優先して感情を排する采配をするのがこの優男の現実的な一面であるのだった。それでも友人としてやってこれたのが、小林が薄情ではあっても、恥知らずではないからだった。

 六本目に火を付けようともう一本を持ち上げた時、彼にひったくられ、逆に火をつけてやる羽目になった。深々と一服し、空へ向けて盛大に吹かすと、眼鏡をかけた男は力なく首を振った。

「自分が何をしているか自覚できていることを願うよ。横浜港はアレースのエネルギー投射砲を受けて筆舌に尽くしがたい被害を被ったんだろう。現実になった地獄を味わった若者を、すぐにまた戦場に連れ戻すなんて」

「お前こそ、何を言っているのかわかっているのか。これはでもある」

「どういう意味だ」

「先達者として、おれは二人を導いてやりたい。戦いの中にも見るべきものがあると、教えてやりたいんだ。何も失うものばかりではないと知ることが、彼らにとっても救いになる。それに紫雲のドライバーが必要なのは事実だし、多いほうがいい。何のための三番機と四番機だ。お前も、あれに乗るからには半端な人材では不十分だとわかりきってるはずだろう」

 煙草を指に挟んだまま腕を組み、小林はフムと顎を抑えた。

「やってることはらしくないが、言っていることはまさに君の信条だ。いいだろう、ぼくも微力を尽くそう。その若者二人の生命を守れるよう、また、君と東雲さんを生き残らせるために最善を尽くす」

 一本を吸い切り、彼はコンクリートの床に吸殻を踏みつけた。ただ見晴らしのいい場所に床を敷いて、いざというときのための防御設備を設けただけのこの施設には灰皿が無い。ふと気づけば、有沢の足下にも数本の吸い殻が転がっており、雨水を排水する溝にはその数倍の吸い殻が集まっていた。ここで息抜きをするのは二人だけではないらしい。今日が雨だったら、排水機能が麻痺しているここは間違いなく水浸しになっていたろう。

 第一技術試験旅団第七PG中隊は、まだ初期作戦能力獲得中の新設部隊である。進捗率は五十パーセント。有沢と東雲は、シミュレーター上とはいえ既に紫雲の操縦に成熟しており、仮に今すぐ出動命令が出たとしても即応できる技量を有する。

 紫雲は、小林修一が手塩にかけて製作している、世界で唯一の第三世代のPGTASである。第二世代機であり現行主力である蒼天は数年にわたり数々のアップグレードが行われているが、紫雲はさらに一線を画する。他にPGTAS開発に成功しているアメリカとドイツの二カ国製と異なるのは、操縦者と機械との意思疎通、MMIマン・マシン・インターフェイスの面で特に配慮されている点だ。MMIを強化すれば、他二ヶ国の製造するPGTASに比べて短い訓練期間で済むし、戦場での操りやすさは数段違う。そもそもロボット工学の発達が著しい地域で開発されているPGTASだが、MMI技術で日本に比肩する国家は、今のところアメリカ合衆国のみである。設計思想でいえば、日本以外の二ヶ国は無人化できるなら無人化したいと考えているようだ。敵も無人機なのだから、これ以上の人命の損失には耐えられない、というのが端緒であるが、兵器の無人化には反対派が根強い。人類の科学技術では推測できないほど高度な技術力を持っているとされる黒い軍隊から無人兵器が乗っ取りを受ける可能性が排除できないためだ。

 話を有人のPGTASに戻すと、現在の操縦系統ではドライバーと機体の間で円滑な意思疎通が行われていないのが現状だ。兵器は、カタログスペックだけでは見れない項目が多くある。有体に言えば個々人次第ともいえる相性の問題から、個体差としてとらえられる癖の問題まで様々だ。万人に納得させる定理が無いのと同じで、ユーザー・エクスペリエンスも長い時間をかけて醸成していく必要があり、第三世代機は正にその一点に焦点が当てられているといっても過言ではない。。

 有沢は顔を顰めて富士の山頂に厳しい一瞥を投げた。

 アメリカもドイツもわかっていない、いや、世界がこの戦争を理解できていないのだ。これは黒い軍隊と人間の戦争ではない。人類にとって残された、国家という枠組みを失くすための最後の好機なのだと。本来なら全人類が結束しなければならないこの南極戦争において、未だに人類生存圏では、人類同士の諍いが絶えないのだ。

 空をふり仰げば、演習場の真上は快晴。しかし遠くから雲が流れてきている。地元の北海道ではよく天候が移り変わりしたものだ。この様子だと雨になるだろう。踵を返して、彼は遠くにある富士演習場本部棟へ向けて歩き出した。

 紫雲は、蒼天とは違う。何が違うのか。蒼天を基礎とする紫雲は、その操縦方法が大きく異なるのである。それは凄まじい負荷をドライバーへかける。いくら操縦技量が優れていても音を上げてしまう人間が多く、それだけに選定基準は厳正なものとならざるを得なかった。寿命が縮まるのは間違いない。切り取られた寿命が費やされるのはやはり寿命を縮める戦いという行為だ。あの機体に乗れば早死にする、だから紫雲を駆るドライバーには職業軍人としてではなく、人間として戦い抜く覚悟が必要だ。

 今回の二人も、適性があるのかどうかはこれから判断される。若者に酷なものを背負わせてしまうだろうが、それ以前に、まず彼らの未来が危うい。そのためには、彼ら自身にも剣を手に取って戦ってもらうしかない。

 苦難を乗り越えるのではなく、切り開いていくために。そのために自分達はどれだけの犠牲を払えばいいのか。

 つくづく損な役回りだ。有沢琢磨は鬱屈とした気分を振り払うべく頭を振った。





 東京駅、丸の内方面出口。大きなロータリーが複雑に入り組んでいるこの場所で鷺澤朱里と待ち合わせている。有沢一尉と東雲二尉が盛大な失態を起こさない限りはここに迎えが来ることになっている。

 病院を退院して数日、鷺澤と顔を合わすことはおろか、連絡も取らない日々が続いていた。ひどくもどかしい時間であったが、彼女がここに来るか来ないかの返事は聞いており、決意を揺らがせるような影響を与えたくなかったのだ。そのためにはこちらから連絡を絶とうと心に決めていたし、折よくと言うべきか彼女からも連絡を受けることなく、退院後は神奈川は大船にある実家で家族との時間を過ごしたのだった。

 両親との別れは静かなものだった。来年で大学に入るふたつ下の妹だけは涙を流し、長い間、四人で抱擁を交わした。父は力強く肩を叩き、母は頭を撫でてくれた。最後に食べた朝食で出された、母の甘すぎる卵焼きの味がまだ口の中に残っている。しばらく食べられなくて寂しいと言うと、焼いたものを送ろうかという話が出たが、赴任地もわからないままでは返事のしようもなかった。

 自衛軍支給の制服を身に着けて横須賀線に乗るのは少しばかり気が引けた。たった二人、生き残った陸上自衛官――本当はもう少しいるが、メディアは真実よりも話題性を選ぶものだ――として報道されただけに人目に付く。向けられる視線にこめられた様々な感情を受け止めることができず、車輛の中では車窓を流れゆく景色を眺めるしかない。軍服姿は悪目立ちをして、つり革をつかんだ手の向こう側に見える車窓をひたすらに見つめ続けてやり過ごした。

 横浜駅はなんとか稼働していた。といっても、駅の海側にある京浜東北線はホームの倒壊で使用できない。最も海から遠ざかった位置にある横須賀線だけが運行を続けており、関東における鉄道輸送網は致命的なダメージを受けたのだろうと想像に難くない。

 それでも何とかここまでやって来たはいいものの、やはり東京。こちらを見やる人影が多い。最も多くみられるのは畏怖の念だ。あの地獄をどうやって生き延びたのか、どんな地獄を潜り抜けて来たのか……そんなところだろうと想像はつく。しかし想像できてしまうだけに辟易する。

 自分は何もしていない、と叫びたかった。死んでいった、久世、藤巻をはじめとするみなとみらい駐屯地の自衛官、訓練生。逃げ遅れた市民。命を投げ出して応援に駆け付けてくれた航空自衛軍。多くの人々が犠牲になったあの場所で、自分が生き残れたのは一重に運だと日計はわかっている。能力で生き残れるかどうかの選別が行われたのならば、鉢塚二曹は死ぬことが無かっただろうし、多くの自衛官が生き延びることができたはずだった。

 戦場とは、幸運を押しつぶすほど多くの不条理で成り立っている。

 ならば、生き残った者も例外ではない。

 悩んでいても始まらない。俯きかけた顔を毅然と前に向ける。心も体も、自分の意思を否定してくるが、既に戦うと決めた身。足下を見ていては仲間を、彼女を守ることはできない。

 そう自らを叱咤した時、背後から肩を叩く誰かがあった。そして懐かしい声。

「おっす、久しぶり。元気してた?」

 振り返れば、例によって鷺澤朱里である。口元が緩むのを自覚しつつ、同じ制服姿の彼女を力任せに抱きしめた。突然の抱擁に彼女は驚いたようだが、一瞬遅れて両手を腰に回してくる。

 胸いっぱいに彼女のにおいを吸い込めば、かなり気分が晴れ晴れとした。どうやら自分は単純にできているらしい。

「どうしたの? なにかあった?」

「いや……なんでもない」体を離すと、少し頬を染めた彼女が帽子のつばを引っ張り、目を隠した。「こっちは、無難に過ごしていたよ。そっちはどうだった?」

「たぶん、だいたい同じようなものだと思う。陸自のヘリで送り迎えまでしてもらっちゃったし」

「そりゃまた、えらく手厚い待遇だな」

「相馬原に基礎訓練課程の同期がいるのよ。今は航空学校に行く予定でヘリパイの知り合いがいるらしくて、駐屯地の人も気をつかってくれたみたい。おかげでまだ無事な路線でここまで来れたわ」

「初耳だ。ぼくは行きも帰りも電車だよ。大船までだからいいけど、人目につくったらありゃしない」

「まったくね。今もじろじろ見られるし、最悪だわ。人の気持ちも知らないで」

 このように苦労話を共にできるのが彼女でよかったと、日計は心の底から見も知らぬ誰かに感謝した。

 そうして立ち話をしていると、ロータリーに一台の高機動車が信号を折れて進入してきた。自衛軍の車輛は街中ではかなり目立つ。マークを見れば習志野駐屯地のものだ。二人はダッフルバッグを持って気を付けの姿勢を取り、濃いオリーブ色の塗装が施された無骨な車輛を迎えた。正真正銘、戦場への片道切符。

 危なげないハンドルさばきで目の前で停車すると、運転席から現れたのは、長い髪の毛を揺らす東雲南津子だった。二人とは違う濃緑のスカートをはいているが、上半身は半袖のワイシャツ一枚と肩の記章だけ。ネクタイは風に揺らいでいる。比較的ラフな服装といえる略式軍装だ。規定よりも緩いことは間違いないが。

 二人は気を付け、挙手敬礼。

「東雲二尉、おはようございま――」

「早くして!」

 踵を合わせて敬礼するのと同時に、彼女は答礼することもなく手を振った。鬼気迫る表情の彼女の視線の先を追うと、何を聞きつけたのかこちらへ走ってくるマイクとカメラを携えた人々の姿が見える。それもひとつやふたつのグループではなく、東京駅のあらゆる方向からこのロータリーへ向けて突入してきていた。彼らの眼差しは正に二人に向けられている。

 状況を察した二人は急いで高機動車の後部座席へと体を押し込み、ドアが閉まりもしないうちに東雲がアクセルを踏み込む。追い縋って来た記者陣を引き離すも、車内で腰を落ち着けていない二人はあらぬ体勢でもつれ合う。

「きゃっ」右手が鷺澤の胸に当たった。

「ごめん、不可抗力だ」

 二人で顔を赤らめてようやく座席に尻を落ち着けたところで、東雲が言う。

「危ない所だった。油断も隙もあったもんじゃないわね、まったく」

 汗で額にへばりついた前髪を払い除ける彼女へ、鷺澤が座り心地の悪い座席の上で尻を動かしながら問うた。日計も彼女から体を離し、二人はようやく後部座席に腰を落ち着けて一息つく。

「あの人達は?」

「どっかのテレビ局でしょ、あるいは動画配信者かも。自撮り棒の先っちょにスマホがくっついてたし。あなた達二人、テレビ見てないの?」

 やれやれと東雲はため息をつく。彼女が言っているのは、横浜港を生き残った二人は「訓練生の身分で果敢に戦い、国を救った英雄」として祭り上げられていることについてだ。数日前からテレビを見ないようにしていた二人は、日に日に高まっていく自分たちの名声に心の底から辟易していた。しかし先日までの大船にある実家で過ごした時には何事も無かったはずだと日計は問い返す。東雲は、メディアが脚色を加えて騒ぎ始めたのは昨日の夜からだとハンドルをくるくると回しながら言った。

「悲劇の上に、英雄としての美談を塗り重ねて悲しみを和らげようとしているのよ。戦争では常套句ね」

 彼女の言葉に、二人は懸命に顔を顰めそうになるのを堪えていた。

 大滝史彦内閣総理大臣は、横浜港襲撃の一件を受けて統合幕僚監部へ向けて臨戦態勢への移行を指示。内閣では安全保障委員会が招集された。黒い軍隊の襲撃に対して、いつでも反撃の狼煙を上げられる状態になったのである。既に指揮権も統合幕僚長へ委譲する姿勢で、黒田幹久防衛相の一声があれば、数秒後にでも開戦の構えだ。

 その中で、横浜港の襲撃を生き残った二人の男女の情報が防衛省側からメディアへとリークされた。特に公開されたのは二人の戦果。よくある金絡みの情報漏洩だと東雲は言うが、それ以上の同情は示さなかった。基本的に当人たちが解決すべき問題だと考えているらしいが、その口ぶりからするに大した問題ではないとも言いたげだった。日計としては、変に気を使われるよりもよほど好感が持てる彼女の態度だった。

「習志野駐屯地ということは、自分たちは正式に陸上総隊隷下に異動なんですね」

「そうよ。防衛装備庁はあくまで防衛省の一機関だから、自衛軍のいわゆる戦闘部隊とは一線を画する指揮系統に属することになる」高機動車が高速への入り口を潜る。首都高環状線の勝田町口。「防衛大臣直轄よ、チョッカツ。第二次侵攻が始まれば統合幕僚監部だけど、そこの指揮下である一部隊なの。好き勝手に兵器のテストをするにはいろいろと面倒くさいのよ、この国はね」

「極秘を扱ったり?」

「というより、全部が機密指定」

「うわ。となると、守秘義務も相当厳しいものになるんでしょうか」

 高機動車は高架の上を軽快に走っていく。ディーゼルエンジンの低いエンジン音が鼓膜を打ち、燦々と降り注ぐ太陽の光で熱せられた装甲板が熱い。

 こうして上官に高機動車を運転してもらうのは、そういえば二度目なのだと、いまさらながらに日計は気づいた。そして悲しみが瞳に翳りをもたらしたが、東雲は気付かずに言う。

「仮にも最新技術を用いているから、口外した場合は自衛軍法によって情報漏洩で裁かれる。要するに情保のお世話になるってことだけれど、今のところはそういった話はまだない。ああ、制服の上着、脱いでいいわよ。馬鹿みたいに暑いでしょ」

「ありがとうございます」

 真っ先に鷺澤が上着を脱いだ。彼女の汗で濡れた胸元から目を逸らす。

「あなたが言っているのは、日常生活にも制限がかかるのか、ということよね、日計君?」

「ええ、そうです」

「機密についてだけど、息苦しいってほどではないわ。そこは安心していい。心配した方がいいのは、むしろ――いや、なんでもない。余計なこと言いそうになっちゃった」

 二人で顔を見合わせながら、日計は後を追って制服の上着を脱いだ。

 その後、道中に東雲が話した所によると、第七PG中隊は基本的に無礼講、上下の関係ではなく横の関係を重視する風土とのことだった。自己犠牲の理由を問われればそれは仲間のためでなければならない。仲間には、隊員だけでなく戦場に立つ全ての人間が含まれる。たとえ他国の軍隊であれど例外ではない。味方は仲間、敵ではないということだ、どれほど国家間の関係が悪化しているとしても。

 あの鋭い目をした男性自衛官を思い出す。有沢琢磨と名乗った彼が、部下に上下関係を強いらないとは意外な限りだ。ああいった厳格な雰囲気を身に纏う男ほど、そうした規律には厳しいものと考えていたのに。

 いかに横のつながりを意識した組織風土とはいえ、礼節は弁える必要がある。まだ完了していない教練課程を終えるまではそうなるだろう。部隊の一員となるまでも、それ以降も、親しき中にも礼儀ありは変わらず順守する必要はありそうだ。何も自衛軍内部だけでなく、全ての人間関係に通ずる処世術ではあるが。

 運転中は暇なのか、東雲はよく喋った。話題が横浜港での一件から今日までの生活へと移るころには、鷺澤はかなりの好感を彼女に抱いているらしかった。少なくとも、横須賀海軍病院の屋上で唐突に表れ、そして去っていった時とはかなり印象が異なり、好ましく思えているのは事実だ。

 日計は東雲の、よくできた悪戯っぽい姉のような包容力と母親の母性を兼ね備えた為人と美しさにどぎまぎしつつ、そんなに甘いものだろうかと疑念をさしはさまずにはいられなかった。半分は照れ隠しだが、もう半分はどうしてこの美しい女性は自衛官になったのだろうと考えてしまうのだ。一方で、言葉の随所に、一定の距離を置いて接しようとする態度が感じ取れる。必要以上に肩入れしない、というべきか。お互いの距離を縮めようとはするものの、自分の中で「ここまで」と線を引かれてしまっている。目の前まで近づけてもそうされては距離を感じてしまうだろう。人間関係の複雑な部分はまさにそこにこそある。無人兵器群が決して理解しない概念のひとつだ。

 新参者とは、そういうものだ。鉢塚二曹ならばそう言うに違いない。

 そう考えると、彼女が所属する第七PG中隊へは、まだ自分達は確実に入るという訳ではない。前提として何かの試験に合格しなければならないとか、そうした関門を突破する前に深入りしては面倒、ということか。彼女がそれほどまでに考慮せざるを得ないものとは何だろう。いくら考えてもわかりはしないが、部隊の性質から考えて新型PGTASに纏わるものではないのかと想像をする。

 次第に口数を減らしていく彼へ向かって、彼女は抜け目のない視線をバックミラー越しに投げた。日計は気付かないふりをしながら、京葉道を通りすがっていく緑化の施された街並みを目で追う。

 そこにあるのは平和だった。ぼくらはこれからこの平和を守るのだ、と刻み込むように車窓を目に焼き付ける作業に没頭する。

「日計君は」東雲が朗らかに言った。「PGTASの適性、高いそうね。人事ファイルを見たけど、みなとみらいでも最優秀の太鼓判を押されていた」

「しょっちゅう叱られてましたが、そうなんですか?」

「ええ、本当よ。最後の人事ファイルがどうだったかわからないけど、南原一佐が本省に報告していた書類上だと良い評価つけられてる」

「それはありがとうございます。教官が素晴らしい人でしたから、運がよかっただけです」

「あなたもそっちなのね」

「え?」

 東雲から見えない位置にある左手を鷺澤が軽く握って、離した。そんなに情けない声をしていただろうか。少なくとも運転手にはばれていなければいいのだが。

「鉢塚二曹のことよ。わたしも有沢一尉も、二曹に自衛官として叩き上げられたようなものなの」

 意外な共通点に、後部座席の二人は目を丸くした。

「それは、二曹から指導を賜っていたということですか」

「そうそう。そもそもあの年齢で彼がPGTASの教練課程を受け持っていた理由、知っていて?」

「いえ。言われてみれば不思議ですね。PG科ができたのはつい最近なのに、二等陸曹出もかなり古株なあの人が教練担当だなんて」

「鉢塚さんは元々、装備庁にいたのよ。当時は自衛隊が軍になったばかりで、法改正の末に防衛省でもテストパイロットを重用できるようになった。そこで白羽の矢が立ったのが鉢塚二曹。当時で階級と能力を備えた自衛官はそれくらいしか残っていなかったというのもあるし、そもそも戦死扱いだったあの人が役職を得るためには、当時の人事では自衛隊内部では無理だったから」

 南極戦争初期の昭和基地防衛戦などに参加した自衛官は全滅した、というのが通説だ。しかし防衛省は数少ない生存者を隠していたらしい。それは温情だという。あの凄惨な戦いを経験したというだけで、役目は果たした。生存者たちは漏れなく自衛軍からの除隊を申し出て依願退職となり、野に下って新たな身分で生活を送っていたが、鉢塚だけは続投を望んだのだという。しかしそうなれば、自衛隊内ではいずれ、彼が生存者の一人だという秘密が明るみに出てしまう。そのために防衛装備庁へ移籍させ、ほとぼりが冷めた頃を見計らってPG科の訓練担当教官という役職に落ち着いた。そこでなら、彼を知らないひよっこを相手にしていればよかった。

 残る、残らない。その言葉はざっくばらんとしているものの、黒い軍隊の第一次侵攻に対して日本が支払った代償と、当時の影響を想起させるにはじゅうぶんな響きを孕んでいた。生でそうした時代を過ごしていない二人に比べれば、東雲南津子にはまだおぼろげながら残る印象があるのだろう。語勢には、そう感じさせる重みがあった。

 鉢塚二等陸曹は南極へ派遣された自衛隊の数少ない生き残り。彼が復帰する頃には、国連軍はオーストラリアを明け渡し、アフリカでも後手に回りつつあった。戦力の逐次投入で各国軍は極端に疲弊し、それは日本も、過去の戦争のように一国だけ例外であることは許されなかった。

 「等しい犠牲」という言葉がある。国連で使われた言葉だ。これは人間へ向けられた敵意を跳ね返す戦いであるのだから、人である以上、犠牲を払うのは当然である。頷ける道理ではあるがいささか横暴な気がしないでもない。生き残りたいのならば、誰もが戦う必要がある。そして、戦うこととは自分から何かを切り離すことと同義だ。

 彼女はやや間を置いてから、少し気を許したのか、沈痛な面持ちで語った。

「日本で初めてPGTASの操縦桿を握ったのは鉢塚二等陸曹。その彼が蒼天の就役前に教鞭を取って育てた、第一期生がいた。それがわたし達の指揮官である有沢琢磨一等陸尉。あの人、実は元空自なのよん。知らなかったでしょ?」

「そうなんですか。でも、どうして陸自から取らなかったんです? PGTASって陸上兵器ですよね」

「操縦桿を握って独りで動かす兵器は、当時はまだ戦闘機しかなかった。それに、第一世代の晴嵐はヴェトロニクスもまだ未発達だったから、瞬間的な加速度や閉鎖空間におけるストレス耐性とか、身体的に求められる水準も高かった。ぜんぶ満たしてるのはイーグルドライバーくらいで、有沢一尉は装備庁のテストドライバーの公募にいの一番で手を挙げた人」

「あ。だから、PGTASのパイロットはドライバーって呼ばれるんですね」と、鷺澤。

「ええ。HOTAS概念が取り入れられたり、操縦系統には比較的、軍用航空機の技術が応用されてる。馴染むのは早かったって有沢さんも言ってた」

「二尉は、やっぱり戦闘機から?」

「わたしは防衛大から直接、適性検査の後に配属された。もちろん、鉢塚二曹にはみっちりしごかれたわ。あの人、他人を褒めることが皆無だから苦労したわ」

 PGTASは、言うまでもなく既存のどの装甲車輛とも似ても似つかぬ新兵器だった。内部のヴェトロニクスにはデジタル・フライ・バイ・ワイヤなどの航空機における制御系を発展させたものが搭載されている。そうした意味で、適性が高い隊員は軒並み空自所属だった。後々になって、必要数のドライバーが揃った後は陸自から長い教練をかけて教育が進み、今のようにPG科だけがまるでゲーム感覚の訓練を行うに至っている。数十億の玩具というわけだ。

 東雲は最後の質問を放った。恐らくは、それが彼女の最も聞きたいことだっただろうことは想像に難くなかったが、考えてみれば彼女がそれを知りたがるのはとても自然なことだった。

「日計君。あなたが最後に受け取った鉢塚二曹の言葉は、何? 聞かせてほしいの」

「言葉ではなく、命令でした。鉢塚二曹は、ぼくたちに『戦い続けろ』と」

「そう。本当にあの人らしいわね。黒い軍隊も、遂にあの人を折ることはできなかったのだわ。たとえ刃の欠けた剣だったとしても」

 そう結び、東雲は後の道程を黙ったまま車を走らせ続けた。

 彼女の目的は達せられたらしかった。



 習志野駐屯地。

 陸上総隊隷下、第一空挺団と特殊作戦群と名だたる精鋭部隊が所属する駐屯地である。表向きにはこれが自衛軍において、現状、最も著名な部隊だ。隣接して空自の第一高射群も配備されており首都圏の防空を担う。主に関東方面における防空体制の維持と戦略機動性の高い部隊を保持している中枢基地で、東部方面隊の各部隊を指揮統率するだけの設備をも整えてある。

 北ゲートで身分証明を終えると、門番に立っている守衛に敬礼で見送られながら、高機動車はそのまま太い道路の右手に見える駐屯地司令部へと向かった。

 さほど高くもない変電設備や監視塔を横目に見ながらアスファルト舗装の順路を軽快に進んでいく。この強い日差しの下でランニングしている自衛官が何人か見られた。額に汗を浮かべ懸命に腕を振り、その脇を他の隊員たちがラフな格好で歓談しながら通り過ぎていく中でも、すぐに階級章を見て敬礼する。みなとみらい駐屯地でしごかれた日々を思い出したのか、鷺澤が顔をしかめて舌を出した。

 建て替えられた八階建てのビルの前で高機動車を留め、座席に置いたダッフルバッグもそのままに二人は降ろされた。東雲南津子もエンジンを切りサイドブレーキを引っ張ってから司令棟へと入っていき、慌てて上着を握りながら若者二人が続いた。

 今日の習志野は暑い。夏本番の陽射しが容赦なく路面を焼いている。できれば再び外套を重ねたくはないが袖を通した。規律であればこそ、そして規律こそが軍隊の背骨ともいえる重大な因子でもある。日計洋一は、口煩く説教を垂れた一人の男性自衛官を思い出す度に、彼の教えこそが自分を生き残らせたのだと噛み締めて彼の遺した他の教えに思いを巡らせるのだった。

 分厚い制服に付着した僅かな埃を払って皺を伸ばす。死んだ仲間の分まで耐えればいいだけの話だ。あの港で燃えた魂に比べれば、寒いくらいだった。きっとぼくは、これからこういう風に人生の尺度をとらえていくのだろうな、と無感動に考えた。

 司令本部は緩く冷房が効いている。微かに湿った空気が、寒暖差で入り乱れる中を突っ切っていく。外よりはましだが、それ以上ではない。率直に言えば冷房の意味がないほど暑かった。

 鷺澤が不満げに喉を鳴らして足を踏み鳴らす。ワイシャツの襟を開きたい衝動を堪えながら、二人は涼しげな顔で廊下を歩いていく東雲の細い背中を追った。

 すれ違う人影は無い。東雲によれば、今は定例会議の時間帯で各隊の指揮官たちは会議室を占領しているはずだという。下士官は兵舎か、先ほどの彼らのように適当に体を動かしているのだそうだ。つまりこうして司令棟の中を闊歩しているのは三人くらいのものであるらしい。

 有沢琢磨はといえば第七PG中隊を任される身であるにも関わらず指揮系統から外部の人間とみなされており、こうした会議などからはほとんど除外されているらしい。その一事で第七PG中隊の扱いがうかがい知れた。戦闘集団の一翼を担う戦線構成ではなく、指揮系統の独立した遊撃部隊としての働きを求められていると言えば聞こえはいいが、実際はお荷物扱いされているということだろう。

 実情として、新式装備の試験部隊である技術試験旅団は信頼性の低い部隊と言わざるを得ない。これから投入する予定の兵器を実際に戦場で動かし、運用する部隊であるから、稼働率の分散振れ幅が大きいのだ。いざというときに不安の残る部隊は、実際の戦闘において足枷以外の何物でもなかった。遊兵になる可能性もある。技術屋が持ち込んだ玩具の面倒など見ていられるかという陸自幹部の意思も垣間見れた。

 自分達はどうなるだろうか、と漠然とした不安を感じながら、みなとみらい駐屯地のものとほぼ同一の塗装が施された司令本部内壁を流し見る。鷺澤は幾分かリラックスしているようで、余裕綽々とした表情が見て取れた。

「よくぬけぬけとしてられるな。これからいびられるかもしれないんだぞ?」

空挺1st ABでも特作群Sでもかかってきなさいっての。まあ、後者はないでしょうけど」

「『特作群戦士の心構え』、か。確かにな」

「いちばん気になるのは他の人たちだけどね。半端者ってやつ」

 それは間違いなく自分たちのことだろうな、とは口には出さなかった。

 一般隊員の間で二人がどのように扱われるかは、まだわからない。最も数が多いのは彼らだ。大多数に嫌われることだけは勘弁したい。

 通路を歩いていると、日計はみなとみらい駐屯地を歩いた廊下と頭の中で示し合わせた。やはり幾分か古い建物であるようだが、規格はほとんど同一の味気ないものだった。しかし清掃は行き届いており、時折見かける雑用係の自衛官が仏頂面で箒をかけている。ちらりと視線だけを投げてくると、東雲の顔から事情を察したようだ。そして有名人二人の顔。明日には噂が広まっているに違いない。

「着いたわ、ここよ」

 立ち止まれば他の部屋と大差ない扉が一枚、壁に嵌め込まれている。張られたプレートには「第七PG中隊」と大きく書かれている。部隊の存在を証明するものはほかになかった。

 東雲は機を整える間も与えず、ノックしてから返事も待たずに扉を押し開けた。

 腹を括り、鷺澤と揃って入室する。

 室内はそれほど広くは無く、入口のすぐ脇には昔ながらの白いパネルに黒い文字で氏名が刻印されたネームプレートが提げられていた。細かく名前に目を通す暇はなく、一組の男女がコンソールへ向かってキーを叩いており、部屋に入って来た東雲を振り返ってラフな敬礼をした。彼女は手を振って答礼をしながら室内を見回す。

 縦に並ぶ八つのデスク、これを二列並べた上座の中央にある大きな机上で、有沢琢磨は眉間に皺を寄せながらひとつの書類の束に目を通していた。かなり分厚く、一枚を一通り目を通してから捲っており、かなり速いペースだった。時折手を止めては何かを書きこんでいる様子からすると何かの資料か。背後では先ほどの男女がおしゃべりをし始めており、自衛軍管内のどこででもみられるような業務風景だった。

 総じて、軍隊の詰所ではなく、どこか私企業のオフィスを連想させた。技術試験旅団らしいといえばらしいが。

 彼の周りに漂う緊張感を肩で切るようにして東雲が近づくと、有沢もようやく気が付いて顔を上げた。デスクの前まで行き、立ち止まると同時に敬礼する。眼光は既に新人二人に射込まれており、射撃直前の主力戦車の主砲のように微動だにしなかった。

 三人で敬礼をする。彼は右手を上げて軽くあしらった。

「有沢さん、連れてきました」

「ご苦労、東雲。下がっていい。いや、やはりそこにいてくれ。すぐにまた呼ぶ」

「はい。それでは」

「それと」

「はい」

「高機動車、今日は借り上げだ。キーはそのまま持っていろ」

「了解」

 東雲は鼻歌混じりで自分のデスクへと引き返していった。彼女が着席すると同時に有沢が立ち上がる。すらりとした長身は違和感を覚える程真っ直ぐな背筋で支えられているようで、身長以上に背が高く見える。

 しかし、最も印象深いのはその瞳。よく見れば鋭いだけではない。判断するのは難しいが、どこか優しい輝きを宿している。厳しい優しさ、という矛盾した概念が頭の片隅に想起された。

「あらためて自己紹介しよう」無関心と親密の中間程度の声色で、彼は口を開いた。「わたしは第一技術試験旅団第七PG中隊指揮官を務める、有沢琢磨一等陸尉だ。両名は、鷺澤朱里、および日計洋一で相違ないか?」

「はい、一尉」自然と声が揃う。満足そうに頷きもせず、彼はさりげなく机上に置いた書類を脇へのけた。目に見えない位置にあるのは、恐らく人事書類だろうと検討をつけてみるものの、あれほど分厚い情報が果たしてこの二人にあるのだろうかと訝しんだ。

 僅かでも空調が効いていることが唯一の救いだが、まだ身体から迸る汗はとめどなく滲む。

 日計の視線を追って、有沢は軽く咳払いをする。

「さて。こうして既に書類も届いており、君達はこの瞬間から晴れて正式な自衛官となった。職務については後で教育係をつけるから彼らから聞くといい。わたしからは歓迎の言葉と、これからの諸君の奮闘を祈らせてもらう。日向、花園」

「なんでしょうか、一等陸尉殿」

 談笑していた男女が立ち上がる。といっても、女の方は二言三言しか返事を返していなかった。不仲という訳ではなさそうなので、ただ単に口数が少ないだけなのだろう。転じて男の方は朗らかではあるものの、多少のとっつきにくさを感じた。有沢がナイフならばこの男は鋸だ。荒々しく、相手の遠慮を削り取る。ならば自分は鈍った刃。今は何も切れはしない。少なくとも、こうして立っている限りは。

 指揮官である有沢も同じ見解を抱いているようで、今日からあとの予定は全てが訓練で埋まっているらしかった。想像するに難くないが、内容の厳しさを思えば少し気が沈む。

「この二人は防衛装備庁、陸上装備研究部所属の技術顧問だ。任務は機体の整備調整と、緊急時のドライバー代行。他に概念実証機の戦闘情報収集と考察だ。運用されるPGTASについて疑問点があればまずこの二人に問え。では、自己紹介を頼む」

「了解でさ。お二人さん、おれは日向ひゅうが道夫みちお。元空自、支援戦闘機のパイロットやってた。今では技術屋やってる。よろしくな」

 よろしくお願いしますと頭を下げると、今度は隣で不愛想に口をつぐんでいた女が話し始めた。

花園はなぞのさき。生まれも育ちも防衛装備庁」不器用な笑みを形作る。どうやら冗談であったらしい。「どうぞよろしく」

 特に気難しい性格ではないようだ。人を見る目というものを鍛えなかった自分が恥ずかしくなる。こちらもよろしくお願いしますと頭を下げた。

「二人は特技下士官だ。厳密には文官に当たる整備班員となる。辞令は追って下るが君達二人は三等陸尉、あそこの東雲は二等陸尉。これが、前線に出張る第七PG中隊の全員だ。君らが採用されれば、だが」

「中隊員が六名のみですか?」鷺澤の言葉に有沢は頷き返す。

「PG科の構成単位としては確かに少ないだろう。補給、整備関係者は全員が技術者だから、正確には陸自の所属ではないから変則的な編成となっている。だから名簿上はこの六人だ。勿論、整備員は特派員ではあるが存在する。非公式に数え上げれば三十名は超えるだろう。情報保全隊による機密管理も行われるから、いち部隊として稼働する兵員としては、最終的にはけっこうな大所帯になるはずだ」

「了解しました」

 返事をする二人に頷きかけて、有沢は左手首に巻いた腕時計をちらりと見やった。

「そろそろいいか。東雲、二人を居室に案内してやれ。今日は午後から部隊概要について説明しよう。それと、この部隊でのやり方もな」

「了解しました、一尉。さ、二人とも。新天地のお披露目といこうじゃない?」

 悪魔か天使か。きっと、訓練が終わるころには、東雲の笑みが悪魔のものに思われるはずだった。





 公僕とはその文字が表すように、大勢の人間にとってのしもべたるべく働く人間を差す。

 政務の傍ら聞こえてくる声が批判ばかりとあっては、大衆とはやはり愚かなもので、政治家の自己犠牲や努力を見る目がないのではないかと思わずにはいられない。いや、そうであるからこそ市民から民主主義を体現する法制度により選出された政治家が国を導く必要があるのだと思いなおすが、そこで最初の煩悶に戻ってしまう堂々巡りに陥ってしまう。

 円形のグラフにまとめられたとある統計データを前に、召集された閣僚の間から嘆息が漏れる。赤と白、そして灰色のエリアに分割され、青色と灰色が半分を、残りは赤く染められていた。言うまでもなくこれは現在の内閣支持率である。九月二十三日の街頭調査結果で出た数値は厳しい現実を議員たちに突きつけ、大いにこちらの肩を落としてくれた。以前から各メディアにて税や安全保障に関する批判が相次ぎ支持率低下の兆候は見られていたものの疲労感ばかりが募る。

 現在の内閣において、大滝史彦の目に映る有能な政治家といえば三人しかいない。自分、黒田くろだ幹久みきひさ、そして曾根田そねだ康彦やすひこだ。曾根田は経済産業相、五十五歳の若手である。今も円卓の片隅に腕を組み座して机上を睨みつけている。いつもアンティークめいた丸眼鏡を鼻に引っ掛け、こけた頬と日焼けした肌が昭和のサラリーマンを連想させる。防衛大臣の黒田はその隣で冬眠する熊のように、半眼のまま黙して椅子に座っていた。その威圧感たるや、老人の多いこの卓では飛び抜けていた。自衛官上がりのこの男は眠そうな瞼の向こう側の鋭い眼光で調査結果を袈裟に流し読みする。

 と、唐突に黒田が勢いよく掌を円卓へ向けて叩きつけ、半ば現実逃避に浸っていた議員たちがびくりと体を震わせた。怒り心頭に発するといった様子で黒田は静かに声を荒げる。

「こんな偉そうに踏ん反り返っていていいものだろうかね。拗ねた沈黙が言葉となりうるならば、これも公務に入るだろうが」

 複数の視線が彼に向けられる。おおよその感情は反発だ。言葉だけを聞けば粗野な者のように聞こえるが、大滝が内閣総理大臣の地位まで上り詰めることができたのは、一重に黒田の功績が大きかった。だから、幾人かから批難がましい眼で見られたとしても、大滝は黒田を下野させるようなことはできなかった。

 総裁選時、大滝には国民から清廉潔白な政治家というより、手練手管に長け、如何なる手段を以てしても目的を達成する男として見られていた。つまり、何をしでかすかわからないという評価をされており、大きな責任を負う政治家としての信頼に欠ける一面があったのだが、黒田にはそれがあった。そして当時、黒田が大滝を支持し総裁選の後押しをする条件として、黒田は防衛大臣の椅子に座ることができたのである。

 当時のこの人事について、世論は意外にも肯定的な反応を見せた。大滝の知る限り黒田が不正を働いた記憶は無いし、例え噂話であっても耳にした覚えはなかった。自衛官としてのキャリアと人脈、そしての手腕のみで政治家として成り上がった彼の最大の魅力は、その清廉潔白さだった。軍人上がりだからまつりごとには疎いと公言して憚らない黒田が、政治家として最も羨望される素質を持っている。信頼という武器を、特に努力をすることも無く国民から勝ち取っている。この事実に対して畏怖を覚える者もいれば、卑小にも当てこすりしか成し得ない不届き者もいる。そんな彼が推すのならば、と投票率は極めてわかりやすく推移したのが結果だ。

 議題は支持率の確認と、それを踏まえた黒い軍隊に対する防衛構想の見直しである。円卓の外縁には椅子に座った内閣安全保障委員会のメンバーと、防衛省から出向いた政務官が制服姿で参席していた。そんな彼らは政治家に向け、剣呑な視線を投げていた。政治家が軍人に好かれることはまずない。殊、民主主義国家においては、文民政府は軍隊とは決して相容れない、情勢と社会が許すのであれば真っ先に廃止を叫ばれる、そのような油断ならない関係にある。彼らは指揮官たる内閣総理大臣へと現状の説明をするために招聘された。

 財務大臣が眼鏡をかけなおしながら鋭い声でいう。昔から、防衛省の最大の敵は財務省と揶揄される犬猿の仲だ。防衛予算を引き上げようとすれば、必ず財務省からのお咎めが飛んでくる。昔ながらの構図だが、今回ばかりは気色ばんだ声色だった。

「我々はただ雁首揃えている訳ではない。国民の安全と生活を守るために、こうして馳せ参じているんだ。その点をはき違えるのは言語道断、厚顔無恥というものだ」

「財務大臣閣下はひとつ勘違いをしておられるようだが」黒田は分厚い肩を蠢かせて僅かに身を乗り出した。「そんなものは無辜の市民にはいささかも感慨を与えはしない。国民から見れば日本を守っているのは陸海空の自衛軍、その前線に立つ自衛官だ。政治家なんてものはそのおこぼれにあずかって選挙の票を勝ち取ろうとする盗人に過ぎないよ」

 その通りだ、と政務官が隣で頷く。一瞥を投げてから、財務大臣の男は黒田へ視線を戻す。

「だが、現実として我々の目的は世界と協調しつつ、この日本を守ることだ。この会議の目的もそこにあるはず。現場の人間には管理できない国家という体裁がある。イデオロギーに関しての議論はこの際、無しだ。君は我々が辞任するべきだとも言いたいようだが、どうかね」

「そういうことではない。過去はいざ知らず、わたしも政治家として飯を食っている身だからな。現実として、黒い軍隊は武力だ。対抗するには武力しかない。するとだな、どういう事が起きるかというと、社会を守る盾となるのは兵士以外の何者でもないのだ。主義主張ではなく、砲弾が、爆薬が、誘導弾が国民を守り、敵を撃ち破る。政治家にできるのは後ろから野次を飛ばすか、遺族に頭を下げるくらいだ」

「口先だけで議論を続ける政治家は無用だと、国民は感じているというのか。我々の努力を無視して――」

 尻すぼみに小さくなるその声と共に、閣僚たちは落ち込んだ支持率を表すグラフを再び見やった。言うまでもなく、そこに国民から彼らに対する評価が映し出されている。それらは寒風となって、各人の心の中をひっかきまわした。

 黒田は首を振った。

「だから、わたしが言っているのはそうではない。仮に我々が黒い軍隊に対して停戦を申し込むという偉業を成し遂げたとしても、そんな功績はということだ。何故なら政治家とはそういうものだからだ。努力の振れ幅に関係なく評価を降される。問題はその中で如何に最良の選択肢を選び続けられるかで、そしてそれは理解されない」

「もういい。そろそろ本題に入ろう」

 大滝が割って入ると、二人は沈黙して再び資料を手に取った。他の面々も行動を同じくし、印刷された四角い「機密」の文字が書かれたものをプロジェクターで示す。

「支持率の回復は二の次だ。まず、黒い軍隊をなんとかしなければならない。みなとみらい駐屯地の損失は我が国の国防体制にどんな変化を起こしているかお教え願いたい、黒田防衛相」

「喜んで、閣下」黒田は返事をすると、咳払いを前置いて政務官を顎でしゃくった。彼が立ち上がり、説明し始める。「簡単にご説明しますと、皆さんご存知の通り、みなとみらい駐屯地はPG科や機甲科、普通科までも含めた戦力醸成を担当しておりました。同時に経済の要衝たる横浜港防衛の任を担ってもいた、正に基幹基地といっても過言ではございません」

 みなとみらい駐屯地は海洋国家日本にとって重要な戦略拠点。訓練施設としては全国の陸上自衛軍への戦力供給の役目を果たし、同時に港湾防衛も担う。東部方面隊の中では大規模な部隊を擁する駐屯地であり、兵站、訓練、防衛と、あらゆる意味で重要な拠点だった。その由来は十五年前の第一次侵攻に端緒を持つ。

 憲法改定に際し、黒い軍隊への対処として新たな駐屯地を設立することが決定した。それまでに日本が相手にするべきは極東各国の軍であり、島国が対外的な武力行使を行う可能性はそれほど大きくは無かった。結果として、敵の少数で、装備の限られた上陸部隊を殲滅するだけの戦力があればじゅうぶんだったといえる。

 だが、黒い軍隊の大規模な無人兵器群は、そんな日和見主義ともいえる専守防衛の理論を根底から覆した。新たに大規模な駐屯地を各地に増設することが決まり、予算も承認される運びとなる。財務省もこの時ばかりは目をつむった。いつ再開するともしれぬ黒い軍隊の存在がそうさせたのは言うまでもない。

 やらなければやられる。長く反戦平和を訴えてきた日本人の意識に作用したのは、そんな言葉でしかなかった。

 防衛省が目を付けたのが、放置されている横浜みなとみらいの新地だった。高度経済成長期から多くの計画が立てられては立ち消えていったこの広大な敷地を、大規模な埋め立て工事によって拡張して基地機能を持たせる。海上兵力は横日米安全保障条約の改訂によって、米軍の引き上げが決定された須賀海上自衛軍基地に依存する。港湾防衛の要として港湾防空を担う。近距離防空用のVADSから近距離地対空誘導弾までをも装備するものとされた。最新鋭の地対艦誘導弾も配備していたらしいが、それらの装備は各種PGTASと共に鉄くずへと変換されてしまったわけである。

「みなとみらい駐屯地は、所属していたほとんどの自衛官と避難し遅れた市民、消防、警察の多くの官民と共に消滅いたしました」

 あらためて突きつけられる事実に、閣僚の中から「南無阿弥陀仏」と早口で唱える声が聞こえた。誰もが目を閉じて、犠牲者に哀悼の意を表している。

 問題にすべきは首都圏の防衛網に穴が開いたことではなく、戦力が大きく削られてしまったことだと、政務官は結論付けていた。統幕監部でも同じ結論に至っている。東部方面隊は既に、空白となった横浜港へと再侵攻してきた黒い軍隊を迎え撃つためのフロントラインを構築し始めていた。むしろ水際要撃だけでなく、地上戦でもある程度のゆとりある戦場を確保できたことは望ましいとさえ考えられた。彼の意見は統幕議長が保証した。

 大勢の同胞が殺されたことにより確保された有利という言葉に、反発的な色を示す閣僚も多かったが、最も胸を痛めているのは黒田を始めとする彼ら自身であることは明らかだったし、巨大な損失を埋めるためにはたとえ欺瞞に思えても拾い上げられるものを集めていくしかなかった。そうでなければ、健康的な男たちが目の下に隈を作る筈などないし、誰の目にもわかる悲嘆を皺としてその顔に刻むこともない。

「駐屯地の数を増やす必要はありません。無論、そうするに越したことはありませんが、建設期間を鑑みれば部隊拡張と装備更新を急ぐべきです。我々が為すべきは、黒い軍隊の侵攻に対してどれだけの対応ができるか、どれだけの戦力を揃えられるか、そしてそのために姿勢を変えることです。戦力の確保といたしましては、どちらにしろ、今すぐにというわけには参りません。長期的視野に則る早急なる対応が必要です」

「陸海空と揃っているんだ。人手が足りないなら他所から回せばいいのでは。民間から徴用する手もある」

 黒田、および政務官が冷ややかな目で、発言した国交相を一瞥した。

「この議論は既に終えたかと思いますが、兵器の先進化によって訓練に練度を依存する割合が減ったとはいえ、現場の人間の代わりなどそうそう作れるものではないのです。誘導弾を発射するのにボタンを押すだけだったとしても、システムを理解し、マニュアル操作になっても使いこなす人員が必要だ。殊に、質と量を揃えてくる敵が相手では」

「……しかし、自衛軍は一刻も早く戦力を増強したいと言うではないか。他にどんな手がある? どの産業でも中堅や若手がいないんだ。ただでさえ少子高齢化だというのに。それに、我が国自慢のPGTAS技術があるではないか」

「その点は、既に総理から内示を受けている」政務官の代わりに黒田が答えた。「手始めに、近々新設された第一技術試験旅団第七PG中隊なる部隊を実戦配備いたす。もちろん東部方面隊に、本部は習志野、直轄はこのわたしと統合幕僚長の荒巻。中央即応集団に組み込み、遊撃隊として戦線の穴を埋める予定だ」

 円卓がどよめいた。聞いていないぞ、という声が大半であるが、黒田は涼しい顔で大滝史彦を見やる。

 彼は始まりかけた頭痛を抑えようと、右手で額を揉むという無駄な努力をしていた。

 こうして反発されるのを予想したからこそ、密かに黒田へと、相沢重徳を通じて打診したのだ。新型PGTASの実戦配備は、戦闘データ収集の度合いが増すことを意味する。そうなれば日本のPGTASは、世界から一歩を進めたものではなく、三歩を先に歩んだものとなるだろう。今ある蒼天は第二世代。第三世代の構想は既に固まっており、あとはそれを試すだけなのだ。

 だが、優れた爪は隠されなければならない。そう問い詰めれば、黒田はまた肩を竦め、「剣の間違いでしょう」とでもいうのだろう。刀は鞘に収まっていては錆びるのみだ。

 不承不承に、大滝史彦は自らの口頭で補足した。

「次回、いつになるかは知れないが、黒い軍隊との戦闘へ投入する。一刻も早く第三世代機を実証しなければならない」

「不謹慎だとは思うが、先日の横浜港襲撃事件がその必要性を裏付ける結果となった。敵軍の規模は大きかったが、それ以上の戦力が我々には揃えられる筈だった。だが現実として敗北を喫し、敵には五機の黒いPGTASがある。それだけではない、敵は量産型PGTASまでをも上陸させてきたのだ。十五年間、準備を進めていたのは我々だけではない。新型機の投入は必然的な結果といえるだろう」

「しかし内閣の承認も無しに、この重大事を決めるとは――」

「今後も我が軍より高性能な無人機が登場しないと誰が言い切れるか?」

 黒田の一言で一同は静まり返り、大滝史彦と黒田幹久の進めるPGTAS開発に何も口を挟めなくなった。

 この二名によって半ば強硬的に進められている新世代PGTASの開発には、実は閣僚でもその意図を理解していない者が多い。確かに、底知れぬ物量と無人化による戦闘力を保持する黒い軍隊への対抗策として、より優秀な兵器が必要であるのは火を見るよりも明らかである。だがそれ以上に、なにか執拗な執念を感じる程に開発を推し進めている現状には、一株の不安を覚えずにはいられなかった。

「我々は戦わなければならない」

 大滝史彦の力強い声に、再び視線が彼へと集中した。

「諸君にも戦ってもらいたい。これは総理であるわたしからの要請だ。何も銃を持って戦闘に赴くことだけが戦いではない。諸君の奮闘に期待する」

 そうして、会議は元の流れに戻っていった。ただ一人、黒田幹久だけが、しかめっ面のまま卓の一端を睨み付けていた。

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