sing girl

Aldog

sing girl

「ぁー、あー?」

 目覚めると、眼前に少女が居た。

 二度三度とまばたきをして、寝ぼけた頭が見せた幻覚ではない事を確認したら、なぜか深い溜息が出た。

「いやあどうもどうもおはようございます。寝起きにコーヒーとか飲みます?」

 鈴の音を鳴らしたような、というのはまさにこういう声の事を言うのだろう。

 耳にすっと沁み込んでくるような、そんな声。微睡みを爽やかに取り払ってくれるようだと思うのだが、台詞が全てを台無しにしていた。

「……スキャンダル?」

 女性関係をマスコミにすっぱ抜かれると面倒だ。多くの人に迷惑を掛ける事にもなる。今の自分はそういう立場にあるのだ。

「それでも良かったんですがねー。そーいうんじゃ無いですから安心してください」

「何一つ安心出来ねぇ」

 昨夜の記憶を振り返る。酒は呑んでいない。何しろ未成年だ。呑んでいたらまずい。

 いつもどおりの夜だった。それは間違いがない。

 今日の予定を確認して、隣室でいつものように作業をやって。それでいつものように横になった。

 間違いない。しっかりと覚えている。

 ならば、この少女は何処から湧いて出たのだろう。

「泥棒か」

「普通そういう人って見つかった時点で逃げるんじゃ?」

 それもそうだ。ではなんなんだ一体。

「まだ寝ぼけてます? まずは私の素性とか聞くのが普通じゃありません?」

「目が覚めたら見知らぬ女が部屋に居た時の普通の対応ってヤツはあいにくと知らないんだ」

 そこまで喋った所で喉の渇きが気になった。寝起きのまま声を出し続けるのはよくない。水は無いかと視線を巡らせた瞬間、少女からペットボトルが差し出された。

「ゴメンゴメン、最初にこれ渡してあげるべきだったね。喉は大事にしないと」

 水だ。ありがたく受け取って喉を潤す。

 不思議だった。警戒心というものが全く湧いてこない。

 水を飲んで頭が冴えて来たところで、改めて少女を見る。端正な顔立ちの少女である。

 誰かの理想をそのまま形にしたような、絵からそのまま出てきたかのような少女だった。

 睫毛というのはこんなに長くても瞼にくっついていられるものらしい。さらに言うなら、人の目というやつはどんなに大きくても顔から落ちたりはしないものらしい。人体の神秘というやつだろうか。

「どうしたー? 私のあまりの美少女っぷりに今更気がついたかー?」

「そのとおりだ」

「そんなストレートに言われると照れる……っ!」

 見た目はともかく、難儀な性格をしているようだった。

「それで、君は何処の誰なんだ」

 褒められてくねくねと悶え続けている少女に問う。

 ようやくの質問に、少女は嬉々として答えた。

「私の名前はそうですね、ミライということにしておいてください」

  自らの名前を名乗った少女が距離をとった後、その場でくるりと回った。

「私は、あなたの歌声そのものですよ」



 いつから歌い始めたのかは覚えていない。

 ただ、両親共に音楽的な素養は無かったから、本当に突然変異のようなものだったのだろう。気が付けばいつも一人で歌っているような、変な子供だった。

 手足が伸びて、小遣いが増えて、幼かった声ががらりと変わって。

 自分で曲を作るようになって、それをネットワーク上で公開し始めて。

 ボロクソだった評価も、続けていくうちにだんだんと変わってきて。

 気が付けば、ただの歌うことが好きだった変な子供は、その道で飯を食うようになっていた。

 幸運だったのだろうとは思う。きっと、時代とか時流とか、とにかくそういうものにうまい具合に乗れたのだ。

 何処かでタイミングを誤っていたら、きっと今の自分は無かった。

 だからこれは幸運で、そういう偶然に感謝した方がいいのだろう。

 何しろ、学も何も無い、歌を取ったら本当に何も残らないような人間なのだ。

 だから、彼女に従って歌おうとして声が出なかった瞬間、目の前が一瞬だけ本当に真っ暗になったのだ。

 歌おうとしても声が出ない。言葉を喋る分には何も問題が無いのに、歌おうとした途端に駄目になる。

「なんだっけ、イップス?」

 強がってはみたものの、正直笑えなかった。

「そこは素直に信じてくださいよーぅ。ちょっとお手を拝借」

 ミライと名乗った少女に促され、意を決して再び喉を震わせた。

 自分で評するのもどうかとは思うが、確かにいつもの通りに、よく通る声が防音室の中に響く。

「なんですかその嫌そうな表情。こんな美少女とお手々を繋げてハッピーくらい言ってください」

 心外だと全身でミライは主張するが、正直若干鬱陶しい。

「無茶言うな」

 むしろ頭を抱えたくなるような気分だった。

「どうすんだよ、こんなんで舞台に立てってのか……?」

 何故よりにもよって今日という日なのだろう。

 夜には、大勢の前で歌わなければならないというのに。

「そこはあまり心配しなくても大丈夫です。まあ、時間はあるんですから、気分転換に会場まで歩きましょ?」

 強引なミライに手を引かれ、住み慣れた一室から外に出た。

 見上げれば建物の間に青い空が見える。どうやら今日は快晴のようだった。

 天気予報でも、今日は一日晴れてくれるようだ。これなら、会場まで足を運んでくれる人たちにも影響はないだろう。

 彼女の先導のままに川沿いを歩く。舗装された道は、田舎の土手とは大違いだ。道幅も広いしなにより草むらが無いから虫も居ない。

 船もエンジンの音を響かせて行き交っているが、あれだろうか、屋形船とかそういう類も混ざっているのだろうか。

「このあたりって、こんな風になってたんだな」

 実のところ、部屋に篭ってばかりで外に出るのは用事がある時だけだから、目的地まで一直線に進むばかりで寄り道などしたことがなかった。

「せめて近所の散策くらいはしましょうよ……なんで引き篭もるかなぁ」

 ミライは無闇矢鱈と楽しそうだ。どこかで聞いたような歌を、鈴の音のような澄んだ高音で口ずさんでいる。

 俺に買わせたばかりの帽子を被ってステップを踏みながら進んで行く。

 そのあとを追うように、ミライが似合うからと押し付けて来てそのまま買ってしまったソフト帽を被って歩いて行く。

 何をやっているのだろう。本当は、こんなことをしている場合ではないはずだ。体と喉を休めて、今夜に備えるべきはずである。

 今まで、自分がステージの上に立つということは無かった。曲を作って、歌って、公開して、それを売って貰って、それで成り立っていた。

 ただ、売るということは金銭が介在するという事で、つまりはそれに関わる人の数も増えることになる。

 そうなると、資本主義的な問題なのかは知らないが規模を大きくしていかなればならないらしい。そうなると、必然的に今までとは違うことをやる必要が出てくる。らしい。

 プロデューサーと何度も話し合って、規模としては小さいけれどハコを用意してもらって、今日初めて誰かの前で歌うのだ。

 昨日だってリハーサルを何度もやって、何をどの順番でやるのかだって頑張って頭に叩き込んだ。

「準備万端用意して、いざ当日の朝になったら歌声が美少女になっているなんて、どういう巡り合わせなんでしょうねぇ」

「なあお前俺に喧嘩売ってない? 売ってるよな?」

「ワタシ悪くないですヨー。正直なところ、こっちだって戸惑ってます。

だって意味不明じゃないですか!? なんですか特定個人の歌声って! しかもなんか経緯とかそこら辺は何となく知ってて余計不気味なんですよ!」

 なるほど、顔立ちが整っている人物が真顔になるとめっちゃ怖い。俺は一つ賢くなった。

「その割にはお気楽じゃないか?」

「だって悩んだって始まらないし、なんかあなたの寝顔見てたらどうでも良くなってきたし、聞きたいこともあったし」

 ミライは何故だがとても楽しげに、台詞に合わせ細長い指を折って数えている。

「なんだよ、聞きたいことって」

 他人の寝顔を観察していやがったのかと思いもしたが、そこを深く気にしてはダメだ。恐らくドツボにハマるだけで損するだけで終わる。

「あなたは、歌が好きですか?」

 不意打ちだった。

 いつのまにかミライの顔が触れそうになるほどの距離にあって、大きな瞳に視線が吸い込まれて離せない。

 長い睫毛が少しだけ揺れている。吐息の音すら聞こえそうな距離。

 しかし、問われた言葉が頭の中をぐるぐると何度も同じ所を回り続けていた。

 至近距離にある瞳が、答えを早くと催促する。

 ミライの瞳には合わせ鏡のように自分の瞳が写っていて、口を開こうとして、だけど答えが無くて声が出ない。

 何度か息を吸い込む間に、少しずつミライの顔が離れて行く。

「どう、なんだろうな」

 彼女は何も言わない。ただ、微笑みを浮かべて俺を見ている。長い髪が風と共にゆらゆらと揺れていた。水面の反射が髪にあたって煌めいた。

「きっと昔は好きだった。多分、今もそうなんだと思う」

「今は、多分なんですか?」

 ここにカメラがあったのなら、きっと彼女を撮っていただろう。もし自分が絵描きであったなら、この光景を瞼の裏に刻みつけて筆を取っただろう。

 ただただ眩しくて目を細める。

 視線を逸らしたら、見失って二度と見ることは叶わない。そんな光景が、なぜだかこんな場所で広がって居た。

「自信が無いんだ。好きだったから始めて、続けて、気が付いたらそれだけじゃ済まない所まで辿り着いて」

 ミライが先へ進む。つられて後を追いかける。

「楽しかっただけの行動に欲が出て。もっと多くの人に楽しくなってほしくて、多くの人に届いて。さらに多くの人に届けようと思ったら、多くの人と関わらなくちゃいけなくて。そうなると、楽しんでるだけじゃ駄目で」

 彼女の問い掛けの答えになっているのかは分からない。

 ただ、堰を切って溢れ出した言葉が止まらない。歌でも唄でも詩でもない、ただの言葉がリズムも何も無くこぼれていく。

「俺は、楽しくて歌ってた。今は、楽しさよりも別のことを考えなくちゃいけなくて、少しだけ苦しいんだ」

 つまりはそれが本音だった。

「君はわがままだなぁ」

 ミライが微笑みながら言う

「でも嫌いじゃないよ、そういうの」

 腕を組んで偉そうな態度でうんうんと、ミライはしきりに頷いている。

「そうか」

 そんな彼女がおかしくて、変な笑いがこみ上げてきた。

「そうだよ? だって、君は何も変わってない。楽しい事は楽しい事のまま、欲張りにその先へと行こうとしているだけなんだから」

「アレも欲しいしコレも欲しい。際限無くもっと欲しい、ってことなんだろな」

「ほら、ただの我儘だ。まあいいんじゃない? それぐらいでないと世間の荒波を泳ぎきることは困難ですぜ、若人よ」

 どうみても年下の少女が言う台詞ではなかった。

「いや、お前は今日生まれたばかりみたいなものなんじゃ」

「そこら辺は私もよく分からないのでスルーします」

 満面の笑みで言われては、それ以上追求する気も失せるというもの。

 この女と一緒にいる限り、何かを深く考えるのは無駄らしい。

 そんなテンションのままで電車を乗り継ぎ、ついでに歩き、とうとう今夜のライブ会場まで到着してしまった。

 既に人が集まっていて、物販の方は始まっているのかもしれない。プロデューサーが張り切ってやたらと種類を増やそうとするのを押し留めるのが大変だった。なんであの人はあんなにグッズを作りたがるのだろう。

 金か。金なのか。やはりグッズは利率が高いのか。

「そういや顔とか隠さなくてよかったの?」

「顔出しで活動してないんだよ。今日が初お披露目だってプロデューサーが鼻息荒くしてたな」 

 悪い人ではない。それは間違いないと思う。思うのだが、色々と大丈夫なのだろうかあのアラサー。

 スタッフ用の通用口へと移動し、中に入る。

 不思議なことに、なぜかミライもスタッフ証を持っていて中に入ることが出来た。本当に何者なのだろうこいつは。というかこれで、俺が一人で幻覚を見ているという説は完全に否定された。帽子を買ったり一緒に電車に乗った時点で確定していたようなものだが、それはそれだ。

「なんかよくわかりませんけど、ご都合主義的なヤツです。最初から私は居たことになってるんですよ」

 そう言ってここでも彼女が勝手知ったるなんとらという風に前へ前へと進んでいく。

 すれ違うスタッフ達と挨拶をしながら、客席の中程へと辿り着く。

「お客さんはここから君を見るわけだ」

「スタッフさん達の邪魔にならないようにな」

 物珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡しながら、時に機材を見上げたりしつつステージへと向かっていく。

「案外ステージって低い? なんか、もっと高いのかなって勝手に思ってた」

「昨日のリハで俺も思った。まあでも、こんなもんなんじゃないか」

 先程から証明が点いたり落ちたりしている。きっと最後の調整か確認をしているのだろう。

 静かな熱気というのだろうか。今日これから行われる催しに対して、淡々と準備をしながらも本番に向けて何かが高まっているような、そんな空気に満ちている。

 何かをやりたくてたまらなくなるような、そんな空気だ。

「なんだろう、お祭り前のそわそわして落ち着かない感じ? やばいなーこれ楽しいなー」

「お前が何かするわけじゃないだろう……でも、すげー分かる」

 あと数時間で、ここが人で埋まる。

 そして、その前に立ち自分は歌うのだ。

 このままここで棒立ちしていては邪魔になる。近くにいた人に場所を聞き、控え室へと引っ込んだ。

 少しだけ準備の喧騒から遠ざかり、なぜだか自分だけ蚊帳の外に置かれてしまったような錯覚が襲ってくる。

「落ち着かないねぇ」

 その通りだ。なんだか先程から、ミライの言葉は自分の気持ちの代弁だ。

 あと少しが遠い。動き出したいのに動けない。待ちたいのに待てない。

 落ち着かなくて水を飲む。水を飲むからトイレに行く。

 何度かそんなことを繰り返しているうちに、偉い人とか見知った人が挨拶に来ていたが、何を話したのか思い出せない。

 ぼんやりと夢でも見ているかのような、全ては薄い膜の向こう側の出来事で、自分には関係が無い事のような。モニター越しに映像を見せられているかのような現実という手触りの無い時間だけが過ぎていた。

 気がつけばもうステージ脇に立っていて、客席からはざわざわとした音が聴こえてきていて、手にはマイクを持っていて。

「声、出るかな」

 そういえば。今は歌えないんだった。

「安心しろよ、少年」

 呟いた言葉に応えがあった。

「私は歌だ。私が君の歌だ。君が望んで歌った歌だ。君が望んで得た歌だ」

 朝目覚めたら目の前にいた少女。

 俺の歌だと名乗る少女が、真正面に立っていた。

「私は君が歩んできた証であり、何があろうと歌い続けてきた、その道程を知る歌だ。君は君自身の楽しさを信じて歌うといい。それはきっと伝わるさ」

 その瞳に射抜かれる。

 靄が晴れ、全ての感覚が元に戻る。ざらざらとした現実の手触りが肌を撫で、その感触と冷たさに体が震えだす。

「楽しいことだけじゃなかっただろう? 辛いことだってあっただろう? それでも歌い続けて来たのは、歌うことが好きだったからだって、君も分かっているはずだ。行ってこいよ。好きな事を叫んでこいよ。きっと、ここにいるのはそれに応えてくれる奴らだよ」

 ミライと名乗った少女の握り拳が胸をとんと叩いた。

「なんかよく分からねぇけど、多分今なら歌えるんだろうな」

「そういう流れでしょ?」

「それならお前消えた方がそれっぽいんじゃないかな」

「知らない? 一度形を得た幻想ってのはちょっとやそっとじゃ壊れないんだぜ」

 出番を告げる声が聞こえる。

「んじゃ、ちょっと歌ってくるよ」

 振り向いて、背を向けて、自分の歌に励まされて、歌を歌いにスポットライトの下へと歩いて行く。

 そうだとも。何せ好きという気持ちだけでここまできたのだ。誰に迷惑を掛けようとも知った事じゃない。そもそも、それでも付いて来る奴がいるからここまで来れたのだ。

 眩いばかりの光と、大音響の楽器の音と、それを掻き分けて耳に届く歓声。

 腹から息を吸って、口を開き、そして喉を震わせた。

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