第十六話「炎風の轍」
東街 青竜院 松月園
青竜院の松月園は、夏には帝も避暑に訪れることがある程の名所である。今、その名園の見どころの一つである苔の地面には、無数の痛々しい轍が刻み込まれていた。
「キキキ、どうだ! これぞ我ら兄弟の必勝の型! 蹂躙疾風・車輪太刀!」
三匹の鎌鼬が繋がって一つの大きな車輪となり、園の地面を抉りながら疾走する。車輪の通った後は哀れ、見るも無残に切り刻まれ、若草色の苔の下の土を晒す。
「いやぁ……! あんなに美しい苔なのに!」
迫り来る車輪を躱した瞳が悲鳴を上げる。
「あんなもんくらったら自分がこま切れにされるっつーのに、苔の心配かよ」
呆れる輪太郎。
「だってね、あれはね、とっても管理するのが難しい苔なのよ! それも一面を覆える程の量を!」
「あー、はいはいわかったよ」
輪太郎は金棒を真上に放り投げ、仁王立つ。
「あのタコ車を止めりゃあいいんだろ、これ以上大事な苔が耕されるまえによぉ。鬼変化【
ぼう、と橙色の炎が輪太郎の足元から噴出した。炎はふくらはぎから踵にかけての部分が変化した巨大な車輪から吐き出され、上半身を纏う形で燃えあがっている。額の一本角は、相対した敵を貫く為にと言わんばかりに真正面に向かって生えていた。
「鬼に金棒、男に野望。路傍に立つは喧嘩道」
回転しながら落ちてくる金棒を掴み取り、輪太郎は身を沈めた。両脚の車輪が音を立てて回りだし、背から伸びた筒から噴煙が放出される。
「オラ、行くぞ! 火傷程度じゃ済まさねぇぜ!」
炎と煙を噴き上げ、【輪入道】の憑鬼人が発進した。車輪の通った後は哀れ、見るも無残に焼け焦げて、若草色の苔が黒い炭になる。
「いやぁ……! あんなに美しい苔なのに!」
降りかかる火の粉を手で掃い、瞳が悲鳴を上げた。
「半人半鬼の何する者ぞ! 車輪太刀の錆になれ!」
「してもらおうじゃねぇか! お前らが焦げなかったらの話だがなぁ!」
風と炎がぶつかり合い、周囲に爆風が吹きすさぶ。輪太郎は金棒を真一文字に構え、高速回転する鎌鼬を受け止めた。両者の力は拮抗し、火花を散らして鍔迫り合う。
「どうしたどうした、こんなもんか? こっちはまだまだ回転数上がんぜ!」
唸りと土煙をさらに上げ、増大した推進力で鎌鼬を力任せにぶっ飛ばす。
「おのれ貴様っ!」
弾けたように地面を転げる鎌鼬は、怨嗟の声を輪太郎へと吐き出した。そこへ
「
炎を纏った拳を叩き込む。折れた牙が宙を舞い、獣鬼の体が漆喰の壁へと叩きつけられる。
「兄者無事か!」
二匹の鎌鼬が兄の元へと駆け寄った。当の鬼は身をふらつかせながら立ち上がる。
「ええい腹立たしい、腹立たしい。半血の、それも人形風情がよくも!」
「おうおう吠える割には腕っぷしはからっきしじゃねぇか。いや、弱ぇからこそよく吠えんのか」
「よく言った。ならば見せてやろう。我ら鎌鼬の真髄を!」
ゆら、と湯気のような妖気が鬼から立ち昇る。周囲の風が静かにうねりを打ち始め、それはやがて轟々とした鳴動へと変わる。
「
「「応!」」
三匹の鬼が標的へと肉迫する。一直線に連なったその姿は、敵を射ぬかんと放たれた白い矢だ。
「なめんじゃねぇ!」
金棒で先頭の鬼の刃をいなす輪太郎。しかし一匹目の影から現れた二匹目と、それに続く三匹目の凶刃は躱すことができなかった。胴が斜め十字に切り付けられ、一拍置いて血が滲む。
「ちっ、糞が」
輪太郎は左膝を着いてその場にしゃがみ込んだ。
「くはは! どうだ、これぞ我ら兄弟の真骨頂! 変幻自在の疾風流動剣!」
先頭の鎌鼬が獲物の態勢を崩し、続く弟が仕留める。一糸乱れぬ連携によってこれまで数多の敵を葬ってきた必勝の型である。白い矢が再び輪太郎へと迫った。
「要はその技、三匹仲良く敵に向かって突っ込んでくるってもんなんだろ? ってことはよぉ」
輪太郎の右の車輪が回り始めた。速度が増すに比例して、纏う炎が大きく、激しく燃え盛る。
「三匹まとめてやっちまえばいいってことだろうが!
蹴り上げると共に、炎の輪が発射された。
「痴れ者が! それしきで我らを攻略できると思うたか!」
炎の輪が疾風を捉えた。先頭の鎌鼬を押しとどめるも、続く二、三匹目がその後ろから飛び出す。
「初太刀を止めたとて!」
二太刀目、三太刀目が輪太郎の首を切り裂くーーことは無かった。
「我照王、どうした? 何故俺に続かんのだ」
攻撃を金棒で弾かれた愁摩は、その場に立ちつくしている弟の方を見やった。
「小兄者。か、体が動かん……」
鎌鼬の狼狽を尻目に、一人答えを得ている輪太郎が呟く。
「おう瞳ぃ、お前男と男のサシの勝負に横槍入れるたぁどういう了見だ」
「鬼が男かどうかはわからないし、三対一だし、これ以上あんた達にやらせてたらお庭がめちゃくちゃになる」
有無を言わさぬ瞳の語調に、輪太郎も気圧される。
「女一人増えたところで何が変わる、まとめて切り刻むのみよ!」
長兄の鎌鼬が戦列に加わり、二人と三匹が再び対峙する。
「おふざけ無しよ、輪ちゃん。鬼変化【
瞳の鬼変化は、輪太郎や仙兵衛らのそれとは違って外見上に大きな変化は無く、艶麗な女人の姿を保つ。しかしその腕に出現した夥しい数の目玉が、彼女もまた人間ではないことを顕然と物語っていた。
【百々目鬼】腕に無数の目玉ができた女の鬼。その憑鬼人こそが見目瞳である。
「覚悟はよろしくて?
かざした腕の目から迸った光線が折流手我を貫き、体に無数の穴を空ける。断末魔を上げる間も無く、鬼は絶命した。
「が、我照王! 貴様、よくも弟を!」
弟の死に激昂した鎌鼬二匹が、瞳と輪太郎の周囲を円を描く様に疾走する。通り道には風の刃ができ、それが積み重なって壁を形成した。
「これこそが疾風流動剣・野分の陣! 貴様らはその風の檻で細切れになるがいい!」
旋風に巻き上げられた苔が壁へと吸い寄せられ、触れた瞬間に粉微塵に切り刻まれた。人体も例外ではない。豆腐のようにいとも簡単に砕かれ、見るも無残な肉の塊へとなり果てるだろう。
「検非違使が檻にぶちこまれるってのは笑えねぇ冗談だな。なんで、とっとと脱獄させてもらうとするぜ」
眼前で渦巻く狂風。輪太郎は金棒を水平に構え
「オラァ!」
竜巻の中に微かに見える影を捉え、鎌鼬の長兄、
「こやつ……! 我らの動きを見切っただと!」
衝撃に喘ぎ、突き飛ばされる藍牙。片割れを失った竜巻が勢いを無くす。
「行って!
瞳の腕から射出された目玉が宙を舞い、愁摩を包囲しねめつける。
「眼魔霊!」
一斉に放たれた光の矢。射貫くような眼光とはまさに是、鋭い視線が突き刺さるとはまさに是。
四方八方から飛来する光線を、愁摩は俊敏な動きで間一髪回避していく。しかしそれは瞳によって巧みに配置された罠。地面を蹴って宙に逃れた時、ついに逃げ場は失われていた。
「射止めてあげる。
躱すことのできない位置、距離、角度から照射された怪光線が直撃し、愁摩は無様に地へと墜ちる。
「身体が痺れる。そうか、我照王はこれに……」
それが最後の言葉になった。麻痺した鬼を、光の束が貫いた。
「よお。そろそろ仕舞いといこうぜ」
ギュルギュルと音を立て、輪太郎は車輪を回転させる。
「よかろう。冥土の土産に、貴様の首を持っていく」
風が藍牙の鎌に纏わりつき、低い唸り声を上げた。睨み合う両者。永劫にも感じる程の、一瞬の静寂。そして
「
「
ぶつかり合う、最後の一撃。鎌を覆う風の刃ごと、輪太郎の蹴打が蹴り砕いた。
「白峰魔王の御大将! どうか、どうかお目覚めを!」
鎌鼬の胴体を、車輪が横一文字に削り斬る。二つに分かれた体は少しの間痙攣し、やがて事切れた。
終わったな。と呟いた輪太郎の後頭部を瞳が小突いた。
「なにしやがる」
「終わったな。じゃないわよ、この馬鹿輪ちゃん! お庭が酷い有様じゃないの!」
松月園に平穏は戻った。しかし秀麗だった苔の庭はめくられ、焼け焦げ、切り刻まれ、最早原形をとどめてはいなかった。
「あー、なあ瞳。仕方ねぇよなこれ。鬼のせいだよな、俺のせいじゃねぇよな?」
「知りません」
取り付く島もなく瞳が言った。
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