第十五話「赤子の群れ」


 西街 白虎大社 社殿内


 簡潔に状況を述べるなら、仙兵衛たちは押されていた。東幻京八百八町の人間から生気を吸いに吸った産女の能力は向上し、赤子の群れはさらにその数を増していった。


 この赤子に触れるわけにはいかないと、迫りくる大群の迎撃は専ら迫水が行い、大鐘楼を破壊せんと襲撃を繰り出す産女を仙兵衛が迎え撃っていた。


 大きく舞い上がる産女。月光を受けて鉤爪がぎらりと光る。


 滑空。その凶爪の向かう先は大鐘楼。


「野郎!」


 交差させた腕を盾代わりにする仙兵衛。ぎぃん、と鈍い金属音が殿内にこだまする。


 鋼の肌は貫けずとも、これが六度目の攻撃ともなればその疲労は蓄積し、衝撃で腕は痺れる。


 鳥の化生は襲撃の成否にかかわらず、すぐさま間合いから離脱するため、反撃の好機を潰される。この戦術によって、仙兵衛は防戦一方の形勢を強いられていた。


 いかに剛腕怪力を誇ろうとも、拳が当たらなければ意味は無い。


 群鮫の切先から放たれた水柱が、赤子の一角を薙いだ。


 しかしこの死人肌の餓鬼どもは、事切れた同胞の肉片を食らって傷を癒し、歩を進める。真っ二つに両断されたはずの赤子が再び蠢くその様は、正に悪夢の絵図と言えるだろう。


 それでも斬って斬って斬り続け、じりじりと赤子の数を減らしていくも、折を見て産女が新たな赤子を生み出していく。


「この余力、よくもまあこれだけの人を食いに食ったものだ」


 迫水のような軽口を叩く余裕は仙兵衛には無かった。迫水は両者に迫りくる赤子の露払いを受け持つだけではなく、隙を縫って産女への牽制までも仕掛けている。一方で自分がやったことは、産女の攻撃から大鐘楼を守るだけ。


 手助けどころか、足手纏いじゃねぇかよ!


 胸中でそう叫ぶ。己の不甲斐なさを払拭するかのように、前へ一歩踏み出した。産女は自らの尖兵を補充するため、蹲って動きを止めている。


 いける。一人二人の赤子に取り付かれるだろうが、多少の無理は承知の上。突進してとっ捕まえてさえしまえば、軍配はこちらに上がる。


 仙兵衛の足が、地面を蹴った。


 情けなさは焦りとなり、焦りは無謀へと繋がる。


「獲った!」


 仙兵衛の伸ばした両の腕は、しかし空を切った。


 誘われた。そう気づいた時には既に遅く、ひらりと身を躱した産女の体は、大鐘楼の目の前にあった。


 一閃。刀のように圧縮された水柱が、産女に突き刺さる。

 産女はすんでのところで身を翻し、迫水の一撃は脚をかすめる程度に終わった。


「阿呆が! 芝居と気づけ!」


 迫水の怒号が飛ぶ。


「す、すんません」


 怒られた。泣きたい気持ちを抑えつけ、飛翔する鬼を睨む。


 この大間抜け、足を引っ張ってどうする。敵から目を離さぬまま、両手で頬をぴしゃりと叩く。


「先走りました。でも副長このままじゃ」


 いずれ押し切られるだろう。体力には自信のある仙兵衛だが、昨日の今日で万全には程遠い。限界は近かった。


「ああ。朝になってしまうな、朝餉が食えん」


 さらりと冗談で返す迫水だが、仙兵衛の言わんとしていることは充分わかっている。彼とて、その言葉通りの余裕があるわけではないのだから。


「何とか変化して奴に取り付け、動きが鈍った隙を俺が突く」


 しかしそれが容易ではない。産女に接近すれば、死骸に群がる蟻が如く赤子が殺到してくるだろう。産女も易々とは捕まるまい。赤子を掃い、同時に産女の動きを止める妙手はないものかーー


 仙兵衛の脳内に、右彩の電撃をくらった時のような閃光が奔った。


「副長! 俺に考えが!」


 閃きの興奮からか思ったよりも大きな声が出て、左隣に立っていた迫水が咄嗟に耳を塞いだ。仙兵衛は突然降った方略を説明する。


「お前の策に乗ったとして」


 算段を聞き終えた迫水は静かに言った。


「しくじればそれで終わりだ、大き過ぎる隙を晒すことになる。大鐘楼は破壊され、白峰魔王の封印はまた一つ解けることになる。もしそうなった時には」


 睨むだけで人が殺せる。そう言われても信じられそうな眼光が、仙兵衛を射貫いた。


「貴様腹を切れ。介錯はせん。それでもやると言うのか?」


 切腹はきっと痛い。介錯が無いなら余計に。しかし、それでも。


「やります。やらせてください」


 鋼の覚悟で、そう言った。


「わかった。何、心配するな。勝ちの目が無ければ却下している」


 満足したように言った迫水は、一歩前に踏み出すと群鮫を水平に構えた。刀を握る腕が清水へと変じる。


 腕から伝った一筋の激流が鍔へと達し、渦を巻く。波濤の勢いは死なず、三本の水柱が切先に向かって逆巻いた。これが自然現象なら、それこそ天の御業だろう。そう思えるほどに美しい。


 いつでもいいぞ。迫水は目で合図を送る。


 仙兵衛は産女の動きを注視する。いかに大怪鳥と言えど、風も無い屋内で跳び続けられるわけがない。


 羽ばたいて、羽ばたいて、羽ばたいて、そして赤子をさらに産む為か、もしくは単に様子見なのか、距離を取るように着地した。


 今だ! 仙兵衛は再び突進した。


 飛んで火にいる夏の虫と言わんばかりに、赤子が仙兵衛へと群がる。それを何とか跳び越え、躱し、脱いだ羽織で防ぎ、ついに産女まであと数歩という所まで近づいた。


 産女の口角が歪んだ。馬鹿め、性懲りも無くまた飛び込んできおったわ。と。


 しかし同じ過ちを繰り返すほど、仙兵衛は愚かではない。腕が脚がその姿が、朱い鬼へと変貌を遂げる。


「副長、今です!」


 叫びに応えるかのように、群鮫の纏う波濤が激しさを増す。


「堪えろよ仙兵衛。穿水貫せんすいかん!」


 突きの動作と共に、刀身を覆い渦巻く波が発射された。旋回する水の槍は、荒れ狂う嵐の海の如き力強さを以て、一直線に伸びてゆく。


 槍の穂先が仙兵衛の背に直撃した。その牙に捉えた獲物を削り、穿ち、そして貫く。本来ならば穿孔が開くがそこは仙兵衛、全霊で以て体を硬化させ必死に耐えている。


 弾かれた水柱は岩に打ち寄せる荒波となって四散し、仙兵衛に群がっていた赤子を蹴散らしていく。高く上がった波飛沫に怯み、飛んだ産女の挙動が一瞬止まる。


 獲った。今度は逃がさない。二つの朱い腕が、産女の体を締め上げた。


 決まった。迫水はそう確信した。飛びついてきた鋼の塊の重さに耐えかね、鬼は墜落する。そのはずだった。しかし産女の飛翔は止まらず、寧ろ高度を上げていく。


 その理由は一目瞭然。朱く変色していた仙兵衛の肌の色が元に戻っていたのだ。耐えに耐え、ようやく掴んだ勝利の糸。だが無情にも、その好機は掌をすり抜けてしまった。


「く、くそっ! こんな時に!」


 振りほどかんと暴れる産女に懸命に食らいつく仙兵衛。変化こそ解いたが、この腕だけは離しはしまいと抵抗する。


「その手を離しなさい。どこの子ですか、あなたは!」


 狂乱したかのように翼をはためかせた産女は仙兵衛に組みつかれたまま、自らが開けた天井の穴から東幻京の空へと飛び出して行った。


 ちぃ、と舌打ちをする迫水。逃亡した敵を追おうと踏み出した足は、しかしすぐに止まった。


「これはまた面妖な。最早なりふり構ってられんということか?」


 まだまだ数多い赤子が、共食いを始めていた。同胞を臓腑に収める度に、一回り大きくなっていく。数が半数になり、そのまた半数に。とうとう最後の一体になった時には、大きさは迫水の身長すらも越えていた。


「ふむ。ここまで化物じみているとなると、斬っても心が痛まなくて良いな」


 奇声を上げ、赤子が腕を振り上げた。


「斬り捨てる。水刀すいとう


 ひゅん。と群鮫が振るわれ、刃の延長となった水流が赤子の頭を切り裂いた。真っ二つになった頭部は、ぱっかりと割れた柘榴によく似ている。


 直後、柘榴の断面からは無数の赤子の手が生え、互いを引き寄せるかのように握り合った。迫水のような百戦錬磨の猛者でなければ、目の前の異様な光景に正気を保ってはいられないだろう。


 引き寄せられた断面がくっつき繋ぎ目も消え、頭部はすっかり斬られる前に戻ってしまった。体力を吸いあげる能力に加え、再生能力。文字通りの怪物が迫水の前に立ちはだかる。


「いいだろう、力を見せるに足る敵だとは認識してやる。鬼変化【鋭虎征水えいこせいすい】」


 腕だけではなく、全身が青い水を湛えた塊へと変わる。その身体は常に脈打つように波打ち、まるで止まることを知らない奔流のよう。その威容は体が水になっていると言うよりは、人の形を成した海であると言えるだろう。


「水底に沈め」


 月の光を受け止めて、群鮫の刃が煌めいた。


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