第十三話「迫水主水という男 弐」


「来い。奴らは何時しかけてくるかわからん、気を抜くなよ」


 鳥居と同じく白塗りが施された社殿に向かって速足で歩く迫水の背中を、仙兵衛は小走りで追った。


 白虎大社は貧民区に建立されているという土地柄故か、死した者の魂を癒し、罪人の咎を清め極楽浄土に導くというなんとも後ろ向きな権能の神が祀られている。かつて天下を乱した大悪鬼の権能の一部が、まさかこんな初詣でもなければ人が訪れないこの寺社に封じられているとは、誰も夢にも思わないだろう。


 本堂の最奥に鎮座する大鐘楼、その前に座した二人は黙して鬼の襲撃に備えた。ただ過ぎていくだけの時間というのはとかく歩みが遅く、仙兵衛の張りつめた集中力をごろごりとすり減らしていく。


 静寂に耐えかねた仙兵衛は、ちらりと横目で迫水の方を見た。迫水は姿勢を正した正座のまま、両目を閉じてまんじりともせずに瞑想を続けている。


 そういえば、と仙兵衛は心の中で呟いた。


(あの人のこと、よく知らねぇんだよな)


 他の隊士たちの人となり等は大分わかってきた。しかし、迫水に関してはよくわからないままだ。普段からして、隊舎にいることが少ない。


「どうした、俺の顔に何かついてるか?」


 目も開けずに何でわかるのか、仙兵衛はどきりと首をすくめた。


「えっと、いやその」


「別に咎めてはいない。大方じっと待つことに飽きたのだろう?」


「ま、まあそんなとこで」


「仙兵衛、お前うちに来てどれくらい経つ?」


 迫水のから予想外の問いかけに、仙兵衛は少し緊張する。


「えっと、半年ぐらい、すかね」


「半年か。こんな事態になってなければ、お前にももう鬼号きごうがつけられているのだろうがな」


 迫水の言う鬼号とは、弾正台によって命名される憑鬼組隊士の通り名のようなものだ。右彩なら獣神雷牙、香凛なら彩吊八雲といった風に名づけられている。


「あれって何の為にあるんです?」


「通り名というのはハッタリが効くからな。憑鬼組の田中某だと聞くよりは、猿青武空だの斬岩八海だのと聞いた方が手強そうだろう? 坊主も公家も武家も変わらん。大仰な名を付けて、実際以上に大きく見せようとする」


 迫水は鼻で嗤ったように言った。


「もしくは、飼い犬や猫に名前を付けているつもりなのだろうな。鬼以上、人以下の俺たちに名前を付けて飼いならしている気になっている、そんな所だ。所詮は暇な貴族連中の気慰みに過ぎん」


 仙兵衛のぽかんとした顔を見て、迫水は怪訝な声を出す。


「何を呆けている。俺の話がわかり辛かったか?」


「あ、いや、副長ってこんな長く喋ることあるんだなって」


「喋るともさ。お前が知らなかっただけだ」


 そう言うと、迫水はここで初めて正座を崩して胡坐をかいた。


「副長、もう一つついでにいいすか?」


 仙兵衛の問いに、なんだ、と迫水。


「副長は玄武寺にいたあの烏天狗を知ってるんですよね」


「ああ。奴は鞍馬山尖狭坊。崩世の乱では何度か戦り合った。奴は白峰魔王の側近だった鬼だ」


「あいつが……」


 白峰魔王。この蛇般に暮らす者でその名を知らない者はいない。都を焼き、病を撒き散らし、人を殺してまわった万魔百邪の王。その爪痕はあまりにも深く、崩世の乱で討たれてもなおその名を恐れる者は多い。


 そしてその懐刀だったという、あの鞍馬山尖狭坊なる烏天狗。主の封印を解き、再び世に戦乱をもたらそうというのか。


「奴は手強いぞ。なにせ天狗の化生は、元を辿れば志半ばで死んだ修験者の霊魂や世捨てた仙人の成れの果てだと聞く。数こそそう多くはないが、天狗の使う妖術は中々に厄介だからな」


「例えば人の骸を操ったり、とかすか」


 尖狭坊の術によって弄ばれた僧兵の無念を仙兵衛は想った。


「それもほんの一部に過ぎんさ、極まった妖術は神羅万象を司る。それこそ死人返りだろうが地獄の再現だろうがな。なに、そう不安そうな顔をするな。白峰魔王ならいざ知らず、尖狭坊やつはそこまでの使い手ではない」


 冷や汗をかく仙兵衛の顔を見て、迫水は小さく笑った。


「ふむ。東幻京にも慣れた頃だと思ったが、その様子ではまだまだか」


「東幻京と妖術は関係ありませんよ」


「そうかな。仙兵衛、お前自走車を動かすのは何だか知っているか?」


「陰陽術でしょう。そう聞きました」


 馬鹿にしないでください。と鼻を鳴らす。


「その通りだ。では陰陽術と妖術の違いはわかるか?」


 その問いかけに仙兵衛は言い淀んだ。どちらも通常では成しえぬ事象を引き起こす超常の業である。ろくに読み書きすらできぬ仙兵衛にわかろうはずもない。


「ど、どっちも同じ……ような」


 恐る恐るそう答える。


「そう正解だ。違いは無い」


「へ?」


 返ってきた言葉に間の抜けた声が出る。


「陰陽術は陰陽師によってもたらされた。その開祖たる安部星明あべのせいめいの母は鬼だったとも、狐だったとも言われている。その母より学んだ術を大成させたものこそが陰陽術だ。まあつまり、人が使えば陰陽術。鬼が使えば妖術というだけの話だ」


 ただ立場が違うだけ。と迫水は言った。人の側に立つのか鬼の側に立つのか、違いはただそれだけだと。


憑鬼人おれたちも同じだな。人に産まれながら人に非ず、鬼の姿を持ちながら鬼に非ず。だ」


「なら俺たちは、どう生きればいいんですか」


「どう生きてもいいのさ。人が食いたかったら食えばいい」


「な、なに言ってんすか副長!」


 あまりの暴論に、いいわけないでしょう。と声を荒げる。


「別にいいのさ。そいつが鬼として生きることを選んだのなら。無論、人として生きるのもそいつの自由だ。自らの意志にのみ従って生きる。それがこの世に生まれた命に課せられた、絶対の権利と義務なのだからな」


「えっとつまり、結局鬼は人を食うし、俺たちはそれを防ぐってことでいいんですよね」


「まあ、そういうことだな。何も変わらんな。だが時に仙兵衛、お前はなんで憑鬼組にいる? ああ、経緯ではなく理由を聞いてるぞ」


 自分が憑鬼組にいる理由。それを口に出そうとして、自分には確固たる理由が無い事に気がついた。きっかけならば言える。しかし何故憑鬼組にいるのかと聞かれると言葉にするのが難しい。


 腕を組んでううんと唸るが、答えは一向に浮かんでこない。


「ふ。意志はまだ見つからないようだな。そう無理に答えようとしなくてもいい。たまさか聞いてみただけだからな」


「これが理由になるのかどうか、わからないんすけど」


 俺が必要だって言ってくれた気がしたから。と仙兵衛は口にした。


 東幻京での職探しの際、奉公を断られる度に、自分はこの世には必要とされていないのだと感じていた。だが六花から勧誘を受けた時、初めて存在を肯定してもらえた気がして、それが無性に嬉しかったのだ。


「ちょっとかっこ悪いっすけど、強いて言うならそんなとこですかね」


 気恥ずかしそうに頭を掻く仙兵衛の頬はほんのりと赤い。


「ふむ。それもどちらかと言えばきっかけに入るんだろうが、まあそれもいいだろう。他者から必要とされる場所があるというのは大切なことだからな」


「そう言う副長は、どんな理由で憑鬼組にいるんすか?」


「俺の理由か。そうさな、存在証明の為とでも言っておこうか」


「えっと、それはどういう意味で」


「俺はな仙兵衛。戦う為にこの世に生まれた。戦いこそが俺の生きる意味だ」


「副長は、一体いつから戦ってるんですか」


 知りたかった。目の前にいるこの男は、一体どのような仕儀で戦いこそが全てだと断ずるに至ったのか。


「いつから、とはいつの時分から憑鬼人として鬼を斬っているのか、という話か?」


 仙兵衛は肯く。


「最初からだ」


「最初から、ですか」


「ああそうだ。物心がついた時には既にこの手には刀があった」


 迫水は苦笑するように唇の端を歪めた。


「憑鬼人として生を享け、戦う為だけに生きてきた。俺が生まれたのは崩世の乱の真っただ中だったからな。鬼を斬り続け、気がついたら乱が終わって憑鬼組ができ、今に至るというわけだ」


「すげぇ……」


 仙兵衛の口から感嘆が漏れた。仙兵衛の迫水を見る目には、畏敬とも憧憬ともとれる灯が宿っている。


「俺なんか、自分が憑鬼人だってこと周りに隠して生きてたってのに、副長は俺の歳よりもずっと前から人を守る為に戦ってきたんすね」


 噛みしめるようにそう言った。


 きらきらとした眼差しに耐えかねたのか、迫水は「まあ、そうとも言えるな」と口にして気恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。


 そんな迫水の様子に、仙兵衛はなんだか気安さのようなものを覚えた。磨き上げられた抜身の刃。そんな近寄りがたい印象は、全部人となりを知らなかったが故の思い過ごしで、本来は気さくな人なのかもしれない。そう思えるようになった。


「副長、俺はどうしたらもっと強くなれますか?」


「ほう、どうした。急に神妙な顔をして」


「昨日の戦い、副長たちが来てくれなかったら、俺と右彩は死んでました」


 自分でも知らずに、仙兵衛は拳を握りしめた。死ぬのが怖かったのもあるだろう。しかしそれ以上に、負けたことが悔しかった。


 迫水はしばし顎に手をあてて考えた。ややあって「ふむ。お前の場合はなんといってよいか難しいな」と呟く。


「え、俺強くなれないんですか」


「そうは言ってない。なんと言ってよいものかと言ったのだ。仙兵衛、お前は自分が何の憑鬼人なのか知っているか?」


「う、いいえ」


 ばつの悪そうにそう答える。

「これは俺の見立てだが、恐らくお前に宿っているのは温羅うらという鬼の能力ちからだ」


 迫水の語るところによる温羅とは、鬼の中では人に近い体形をした、丹塗りのような朱色の肌を持つ鬼だ。その体は鋼の如く堅強で、その力はまさに剛力無双。優れた冶金の技を誇り、吉備津の国に製鉄技術を伝えたとも言われている。


 手強い奴らだったな。と迫水。


「まずは自分のできることを完璧に把握することだ。そうすれば採れる戦術も広がる」


 しかし、と続ける。


「お前の力は、俺や右彩のと違って剣術に応用はできないだろうな。元来、刃よりも硬い肌にその怪力、まともな剣術を習ったところで戦闘能力の向上には貢献しないと見た」


「そうすか」


 しゅんと沈む仙兵衛。


「しかしだ、それは裏を返せば剣術になぞ頼らなくても戦えるということだ。こちらの攻撃は通らん、取っ組み合えば負ける。距離を空けたところで、その辺の岩を木を軽々と持ち上げ投げつけてくる。中々に手強いぞ。お前は」


 にやりと迫水は笑う。


「鍛錬と戦いの勘は一朝一夕に身につくものではないが、今すぐ少しでも強くなれるとしたらそうさな、人の力では到底扱うことのできない刀や弓を持つ、と言ったところだな」


 それを聞いた仙兵衛の頭に浮かんだのは、打々鉄斎の鍛冶場で見た大般若長光あの刀


「あーあ、惜しいことしたなぁ。でも譲ってくれなんて言えねーしなぁ」


 仙兵衛はお堂の床に大の字に寝転がった。その様子に迫水がおいと釘をさす。


「どんな格好してようがお前の勝手だが、いつ敵の襲撃があるかもしれんということだけ忘れるなよ」


 注意され慌てて姿勢を正す仙兵衛。


「俺の言った事に何か心当たりがありそうだな」


 はい、実は、と仙兵衛は鉄斎の鍛冶場での話を聞かせた。


「なるほどな。現物があるのならそのまま持ってくればよかろうに」


「いや、流石にそれは……そういえば、副長の刀も鉄じいが打ったもんなんですよね」


 ああ、これか。と迫水は自らの刀を手前に掲げた。仙兵衛は失礼しますと断って刀を手に取り、鞘から引き抜いた。


 素人目に見たってわかる、見事な業物だった。


 造込みは反りの小さい薙刀直造なぎなたなおしづくりで、切先はふくらの枯れた小切先。連樋れんび這龍はいりゅうの彫られた刀身の地鉄じがねは、まるで鏡のように透き通った詰む。その静まった水面の如き肌目に浮かぶ濤瀾乱刃とうらんみだればの刃文は、押し寄せる波濤を表している。


 わずかに鉢型に窪んだ丸形鍔には細い線のような溝が渦巻状に彫られていて、並反りの柄に蛇腹巻された白色の柄糸は、蝋色塗ろいろぬりの鞘の黒によく合っていた。


 しばし見とれていた仙兵衛は、柄を握った手が湿っていることに気がついた。よく見ると不思議なことに、刀身からは汗を掻く様に水が滲み出ており、それが鍔に溜まって溢れていた。


「わ、わ! なんだこれ!」


 慌てる仙兵衛を見て迫水は楽し気に言う。


「そいつは遡上群鮫長光そじょうむらさめながみつ。それの玉鋼には龍の雫石しずいしという石が使われていてな、龍神の宿る湖から採れるその石は、空気に触れると自ら清水を生み出す。刀身から水が溢れるのはまあそういうわけらしい」


 迫水は群鮫を受け取ると鞘に刀身を収めた。


「お前の言った通り、これは打々鉄斎長光の作だ。話に出た大般若長光とやらとは兄弟刀ということになる」


(似てない兄弟だな)


 心の中で仙兵衛はそう呟いた。強いて言うならば、澄み切った鏡面のような刀身が共通点だろうか。


「ところで副長、水が出るのがどう役に立つんです?」


「なんだその間の抜けた顔は、まあ気持ちはわからなくもないが。俺が打々鉄斎から聞いた触れ込みでは、水で刃の滑りを良くし居合抜きの速度を上げると聞いた。あとは斬った際に流水が血を洗い流すおかげで、いちいち血を拭き取らなくていいとも」


「は、はぁ。なるほど」


「まあ確かにそういった効果もあるだろうが、使用者が俺の時に限ってはそれ以上の意味を持つ」


 刀を握る迫水の手が清水のように透き通っていく。


「俺が何の憑鬼人か知っているか?」


 その問いに、仙兵衛は首を横に振る。


「なら丁度いい機会だ、教えてやろう。俺は【水虎すいこ】の憑鬼人だ。自らの体を水に変え、自在に操ることができる」


 今や完全に液体と化した右腕を渦のように回転させ、迫水は続ける。


「わかるか、刃から生み出された水が俺に触れ、俺の一部となる。刃を滑らせる程度の流水は、俺の一部を纏って長大な水の刃となる」


 右腕の渦が治まり、肌の質感が戻って来る。


「先の話に戻るが、この群鮫と俺の能力は互いに相乗し、戦闘能力の向上に繋がっている。こいつほど俺に相応しい刀もあるまい。打々鉄斎もいい仕事をしてくれた」


 なるほど、と仙兵衛。


「ってことは昨日の戦いで敵の攻撃が副長の体をすり抜けたように見えたのも、見間違いじゃなかったんすね」


「その通り。水になった俺の体を素通りしただけだ」


 一々全身を変化させる必要も無い。必要な時、必要な箇所を水に変えれば事足りる。と迫水。


「それ、最強じゃないっすか」


 呆れたような感心したような調子で言った。仙兵衛には迫水のように体の一部だけを変化させるといった芸当はできない。


「そうでもない。憑鬼人共通の弱点は俺にも当てはまる」


「共通の弱点? なんです、それは」


「いかな憑鬼人とはいえ、変化しなければ只の人とそう変わらんということだ。仙兵衛、お前どれほど長く変化していられる?」


「え、えっと、四半刻しはんこく(約三十分)。長くて半刻はんこく(約一時間)ぐらいかと」


 事実、仙兵衛はそれ以上長く変化したことが無かった。そこまで戦いが長引いたが無かったのもあるが、変化は酷く疲れるのである。四半刻、良くて半刻という仙兵衛の見立てはそう間違っていないだろう。


「副長はどうなんですか? 体を水にするなんて俺よりしんどそうですけど」


「そうだな、水になった先にまで気を集中させるのは骨だからな。変化し続けられるのはせいぜい三日というところだろう」


 桁違いの時間に仙兵衛は絶句する。三刻どころか三日である。せいぜいという言葉は寧ろ嫌味に聞こえてくる。


「充分じゃないすか」


 恨めしそうに迫水を見やる。


「なにも充分ではない。崩世の乱では三日以上戦いが続くことなどざらだった」


 その言葉にえぇ、という情けない声が漏れる。崩世の乱はよく話には聞くが、まさか鬼側だけではなく人間側も化け物揃いだったとは。


「つーか、聞けば聞くほどよく崩世の乱で勝てましたね。鬼一匹にだって人間が何十人と束にならないと敵わないのに」


「数はこちら側が多かったとはいえ、厳しい戦いだった。こっちの戦力は武家の率いる武士に陰陽衆。炎掠寺の桐柳連を始めとした僧兵に立ち上がった農民たち。それと俺たち憑鬼人だ」


 だがこのうち、鬼にまともに太刀打ちできたのは数名の猛者と陰陽衆、憑鬼人だけで、しかもその数は全体の二割も満たなかったという。


 迫水の口から、戦いの日々が次々と語られる。それは後に書物に記された記録を読んだところで得られることのない、生々しい記憶だった。


「局地的な戦こそ勝ててはいたが、全体的な気勢は負けていた。あのままでは押し切られていただろうな」


「じゃあ一体どうやって?」


 仙兵衛はすっかり迫水の話に聞き入っていた。ごくりと生唾を飲み下す。


「戦いの趨勢を決したのは憑鬼人という戦力、それも只の憑鬼人じゃあない。人造憑鬼人の存在だ」


 人造憑鬼人、初めて聞いたその言葉の意味を仙兵衛は訊ねる。


「うむ。仙兵衛、お前の両親はどちらも人間か?」


「すんません、俺両親のことはなんにも知らなくて。物心ついた時から姉ちゃんが面倒見てくれたっすから」


「そうか、それはすまないことを聞いたな。話を戻すが、憑鬼人が生まれる条件は主に二つある。一つは両親のどちらかが鬼だったという場合。そしてもう一つは先祖のどこかに鬼か憑鬼人がいて、先祖返りを起こした場合だ」


「先祖返り、ですか」


「ああ。陰陽師の奴らは魂の記憶だなんだと抜かしてやがったがな。つまりお前の場合も先祖のどこかに温羅がいたということだ」


「なるほど」


 親のどちらかが温羅だったということは無いだろう。仙兵衛はぼんやりとそう考えた。姉はどう見ても普通の人間だった。ならばやはり親ではなく、先祖のどこかに鬼がいたのだろう。


「崩世の乱において軍に加わった憑鬼人は強大な戦力となった。だがいかんせん数が足りない。世の中の憑鬼人の全てが参入したわけではないし、そもそも憑鬼人という存在が現れるのは稀なことだ。そこで陰陽師の連中が生み出したのが」


 人造憑鬼人だ。そう言って、迫水は言葉を切った。


「神羅万象を司る陰陽の業。それはついに人為的に命を生み出すまでに至ったわけだ」


 ああなんと罪深い所業を為したものよ。と皮肉めいた口調で語る。


「つまり、足りない戦力を補う為に憑鬼人を生み出したってことすか」


「その通りだ。そしてその悲しき存在のおかげで、俺たちはこうして天下泰平の日々を送れてるというわけだ」


「崩世の乱で勝てた理由はわかりました。けど」


 ぐっと両の拳を握る。


「けど、戦いの道具にされた人造憑鬼人そのひとたちは、今どこで何をしてるんですか?」


 義憤と憐憫に満ちた問い。開いた迫水の口から出た言葉は、しかしその答えではなかった。


「それは……仙兵衛、どうやら講義はここまでだ」


 来るぞ。迫水の纏う雰囲気が剣呑なものへと変わる。


 仙兵衛が咄嗟に臨戦態勢に移ったその時、どこからか聞こえてくる赤子の泣き声が社殿の中に充満した。


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