第十二話「迫水主水という男 壱」


「起きろ」


 顔に水をかけられ、見上げ入道は目が覚めた。捕らえられてからさほど時間は経っていないらしいが、僧兵たちの亡骸は片づけられていた。体を縛る糸は、どうやら解けそうにない。


 目の前には迫水と呼ばれていた男が一人だけ立っている。


「お前一人か? 仲間はどこへ行った?」


「警邏と治療で隊舎に戻った」


 返答を求めての問いかけではなかったが、迫水はその質問に答えた。


「次は俺が聞く番だ。貴様らを指揮していたあの烏天狗は鞍馬山尖狭坊だな。崩世の乱の頃、白峰魔王の腹心だった鬼だ」


「さあて、どうだったかな」


「嘘は言わんでいい。俺とあいつは何度か戦りあった仲だ」


「へ、そうかい」


「教えてくれ、お前たちは玄武寺に何をしに来た? その目的は何だ?」


 感情を感じさせない声で、迫水は聞いた。


「腹が減ったから人を食いに来たのよ」


「わざわざ徒党を組んでか?」


「その方がうまくいきやすい」


「ではなぜ玄武寺の大鐘楼を破壊した? 人を食いに来ただけなら必要あるまい?」


 それを聞いて、見上げ入道の顔に狼狽の色が浮かんだ。


「顔色が変わったな。お前たちはあれを壊しに来たのだろう? それは何故だ? あの黒い光とどんな関係がある? 俺にだけ教えてくれ」


「言うと思うか、愚か者が!」


 見上げ入道が激昂した。


「……拷問を受ける者の半分は途中で死んでしまう、口を割らないと折檻が激しくなっていくからだ。そして信用できる情報を手に入れられないことが多い。助かりたさで適当な情報を流す奴が多いからだ」


 だが俺なら、と迫水は口角をあげた。


「そこらの下手くそとは違う。俺はお前が正直に話したくなるように拷問せっとくできるし、お前も正直に話したくなる。


「俺は何も話さんぞ」


「痛みを与えるだけの拷問は品が無い」


 迫水の腕が透き通り、液体状に変化する。


「陸の上で溺れたことはあるか?」


 水になった手が、口や鼻から体内に侵入した。苦痛から逃れることも悶えることもできない。必死の抵抗も虚しく、声にならない声が喉の奥から聞こえてくるだけだった。


 脳が痺れて意識を失いそうになる寸前で、解放される。見上げ入道は必死に空気を吸い込み、荒く息をした。


「どうだ先生? 話したくなったんじゃないか?」


 見上げ入道の息が整う前に、迫水は再び水責めを開始した。体をくねらせて苦しむ鬼の動きが弱々しくなるとまた解放する。


「処刑される側には自由は。だがお前にはそれがある、自分で楽になれることが選べるんだ。俺に教えてくれ、お前たちは何故、大鐘楼を壊したのか」


 迫水は優しく諭すように、しかし絶対に抗うことはできないとわかる程の威圧を含ませて囁いた。


「し、知らん。俺は何も聞かされてなかったんだ。本当だ」


「俺が欲しいものをお前は持ってる。お前を救ってやれるのは俺じゃない、お前自身だ」


 液体状の腕が、見上げ入道の頬に触れた。


「言ったろう? 俺は拷問せっとくが得意だと。とにかく我慢強い。お前が正直に話したくなるまで待ってやる。何時までも、何時までも、何時までもだ」


 迫水は液体となったその腕を、見上げ入道の肺へと注ぎ込んだ。拒絶反応が起き、肺に激痛が走る。


「ごばっ! ごぼぼっ!」


 筆舌尽くしがたい苦痛に、見上げ入道が目を見開く。


「そんなに喜んでもらえるとは思わなかった。気に入ったなら、もっともっと味あわせてやろうか?」


 迫水は冷酷な笑みを浮かべる。


 水責めによる拷問は続いた。決して殺さず、その手前で中断しそれを幾度も繰り返す。見上げ入道の肉体を、そして精神を確実に追い込んでゆく。


拷問これは芸術だ。今目の前にいる奴はどこまでなら耐えられて、どこで心を閉ざしてしまうのか、その境界線を見極めて実行し、正しい情報を得るところに芸術性がある。そこが虐待とは決定的に違う。本当に痛めつけるべきは体じゃない、心だ」


 迫水の狂気的とまで言える所業に、ついに見上げ入道の心は折れた。


「お、教える。教えるから頼む、もう楽にしてくれ」


 見上げ入道は目的を洗いざらい迫水に話した。その内容は、さしもの迫水も言葉を失うほどのものだった。


「もういいだろう、俺は話した。さあ早く楽にしてくれ」


 見上げ入道はまるで赦しを乞うかのように頭を垂れる。


「いいだろう、ご苦労だった」


 月光を受けた刀が閃き、見上げ入道の首を飛ばした。


 玄武寺での戦いは、それで終わりを迎えた。


🔶


「なんだと?」


 迫水が手に入れた情報を聞いて、六花は絶句する。


 戦いが終わった後、憑鬼組全員が隊舎に集められていた。右彩と仙兵衛はわざわざ道場に敷かれた布団の上で横になっている。


「白峰魔王が復活するというのか……!」


 崩世の乱によって白峰魔王は討たれた。しかしそれは真実ではない。白峰魔王は封印されていたのだ。


「その破壊された大鐘楼が封印だと言うのか?」


「そうです。玄武寺、青竜院、白虎大社、朱雀殿にある四つの大鐘楼がそれぞれ白峰魔王の記憶、妖力、魂、自我の封印となっていると」


「そしてその内の一つ、記憶の封印が解かれてしまった。残るは三つか」


 回火や瞳も驚きを隠していないが、内容が内容の為に口をはさめないでいる。


「何も聞かされてなかったな、それほど重大なことを」


 ぽつりと呟く。


「どうしますか、局長?」


「奴らは明日、と言うか今夜にもしかけてくるだろうな。昼間も油断はできんが」


 六花は広げられた東幻京の地図に目をやる。


「こちらは右彩と仙兵衛を除いた五人で迎え撃つ。残る三か所の内、一つは一人で守ることになるが」


「待ってくれ局長!」


「待って下さい牡丹さん!」


 仙兵衛と右彩の声が重なった。


「僕たちなら戦えます!」


「頼む局長、俺たちも連れてってくれ!」


 強がりを言っているわけではない。事実右彩の傷は香凛の縫合もありある程度は塞がっているし、仙兵衛に至っては目立った外傷は無く、あるのは疲労だけ。ぐっすり休めばなんとか戦える程度には回復するだろう。


「いいんだな、お前たち。口に出した以上、死んでもやってもらうぞ」


 二人はもちろんと頷いた。


「よし、では本日の日没より残る封印を警護する! 東の青竜院には回火と見目、西の白虎大社には迫水と仙兵衛。朱雀殿は私と右彩と香凛で守る。異論はないな!」


 六花の檄に対し、応と隊士たちが答える。


「私はこれからこのことを伝えに朱雀宮に行く。お前たち

は十分体を休めてから配置につけ」


 そう言い残し、六花は道場を後にした。


「おう、無事かお前ら」


 回火が仙兵衛と右彩の容態を訊ねる。


「無論です。副長と香凛のおかげでなんとか」


「本当に戦えんのかよ? 無理されても迷惑かけるだけだぞ」


「大丈夫っすよ、今から寝りゃあ昼頃にはバッチしいけます」


 仙兵衛は回火に向けて親指を立てた。今にも爆睡しそうなほどうとうととしている。


「仙兵衛、それに右彩。お前らは夕方ぎりぎりまで寝とけ」


「でも、そしたら寝たら移動する時間が」


 回火は親指で自分を指して言った。


「俺に任せとけ、超特急で送ってやるからよ」


 その日の夕刻まで、仙兵衛と右彩はひたすら寝て傷を癒した。


「おうお前らそろそろ行くぞ! 起きてこいや!」


 回火のが叫ぶとほぼ同時に、戸が開いて仙兵衛と右彩が外へと出る。


「しっかり休めたかよ。じゃあ行くぜ、こいつに乗りな!」


 回火は自慢気に自らの愛機の車体をバンと叩いた。それは仙兵衛が言うところの牛なし牛車【自走車】を一人乗り用に小型化、軽量化した【馬射駆ばいく】と呼ばれる物だった。


 いずれも原理は搭載された陰陽気循環回路【陰陽炎腎おんみょうえんじん】が周囲の陰陽の気を取り込み動力源とするというもので、動く絵の描かれた看板【戯画手麗美ぎがてれび】や街路に設置された自動で明かりの灯る石灯籠など、東幻京だけで見られる不可思議な道具や機巧からくりは全てこれによって動かされている。


「その後ろに付いてるやつに乗りゃあいいんすか?」


「おうよ、他のどこに人二人も乗り込めるもんがある」


 馬射駆の後方には普通の牛車が取り付けられており、馬射駆でそれを牽引する形だ。仙兵衛と右彩は牛車の屋形へと乗り込んだ。


「よっしゃ行くぜ餓鬼ども! 振り落とされんなよ!」


 回火が手綱を引き絞ると、馬射駆が獣のような唸りを上げて車体が振動を始める。後輪付近に取り付けられた筒が青い鬼火を吹き、機巧仕掛けの馬が発進した。


「うおああああ!?」


 夕暮れの都大路の空に、仙兵衛の絶叫が響き渡った。


 速すぎる。物見の外に見える京の街並みが異常は速度で流れ、激しい揺れに二人の尻が何度も浮いた。いくら戒厳令が敷かれ通りに人がいないとはいえ、もし転倒などしたら大惨事になる。


「回火さんちょっと飛ばし過ぎじゃないっすか? 曲がり切れずにぶつかったりしないっすよね!」


 仙兵衛は屋形から回火に向かって叫んだ。


「馬鹿野郎仙兵衛! てめぇ俺の腕が信用できねぇってのか? 余計な心配しなくていいから黙って座ってろ、舌噛むぞ!」


 馬射駆が葎大路へと入る為に大きく左折した。慣性が働き牛車が右方へぐわんと膨らむ。直後、左側の車輪が通り道にあった石を踏んで跳ね上がり、浮いた車体が傾いた。


 横転する。誰が見たってそうわかる。


「変化しろ、仙兵衛!」


 回火の怒鳴り声に我に返った仙兵衛が鬼の姿に変じる。その重さで、宙に浮いた車輪が地面へと帰還する。


「あ、危ねぇ。ちょっと回火さん! 今かなり危なかったっすよ!」


「無事だったんだから別にいいだろうが! いちいち細けぇぞ!」


 仙兵衛と回火のやりとりを垂れ流しながら、馬射駆と牛車が京の街を超特急で駆けていく。


「ふん、随分な取り乱しようだな。情けない」


 向かいに座った右彩が言う。


「かっこつけてんじゃねー、お前だってさっき目を白黒させてただろうが」


「お前らそんだけ軽口が叩けんなら上等だ。そらよ、着いたぜ仙兵衛」


 馬射駆と牛車が白虎大社の前で停車する。降車した仙兵衛は、僅かばかりになった夕陽を受けて煌めく白塗りの鳥居を見上げた。


「次は右彩だな。このまま朱雀殿の前通って俺は青竜院に行くからよ」


 それだけ言うと、回火は再び馬射駆を急発進させた。その姿と右彩の悲鳴があっという間に視界から遠ざかって行く。


「来たか」


 小さくなっていく影を苦笑いで見送る仙兵衛の背中に声がかけられる。振り返ると、白鳥居の下には憑鬼組副長、迫水主水が立っていた。


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