第十一話「不断の糸」


刀を防がれた烏天狗が空へと逃れる。


「すまん、恩に着る」


 雲景は折れた薙刀を杖代わりにし、ほうほうの体で退避していく。


「憑鬼組だ。覚悟してもらおう」


 右彩の体が青い獣人へと変貌する。


「ほう、貴様らが憑鬼組とやらか」


 烏天狗が嗤った。


「貴様一人で我らを相手にすると? 片腹痛し」


「では試してみるか? 貴様ら鬼ごときが僕に勝てるかどうか」


 烏天狗が空より切りかかった。宙を舞いながら放たれる剣術は、上下左右前後あらゆる角度からの攻撃を可能としている。


 正面からの斬撃を防いだかと思えば、すぐさま背後から後頭部を縦に裂くような攻撃が加えられる。厄介極まりない剣術を右彩はなんとか捌いていく。


「どうした、私一人の相手で精一杯か? そら!」


 右彩の左脇腹に鋭い痛みが走った。鎌のような爪を持った獣鬼【鎌鼬】が右彩の隙を衝いたのだ。


 裂けた脇腹から血が滴る。すかさず襲い来るのは、半人半鳥の女の鬼【産女うぶめ】。鉤爪による一撃を右彩は避素早い身のこなしで躱していく。


「うはははは! 小僧、俺様を楽しませてみせろよ!」


 一つ目の鬼【見上げ入道】が大声でがなりながら拳打を繰り出す。この大柄な体が生み出す膂力をまともに受けてはただでは済まないだろう。


「そんな大雑把な攻撃で!」


 余裕で回避は間に合うはずだった。しかし右彩が跳躍の為に踏み込んだ脚に何かがまとわりつき動きが止まる。


 右彩の脚に縋りつくもの、それは血まみれた赤子のような何かだった。


 一瞬の隙、躱せたはずの拳は右彩の腹を捉え、その体は石壁に激突する。


 ごふ、と右彩の口から血が噴き出す。


「死ね!」


 止めとばかりに鎌鼬が飛びかかる。だがその鎌は右彩の喉を裂くことはなかった。庭に置かれていた岩が飛んできて、鎌鼬に直撃したからだ。


「右彩! 勝手に飛び出していってその様かよ?」


 岩を投げつけた朱い鬼の姿を認め、右彩が不敵に微笑んで立ち上がる。


「ふ、遅いんだよ。君の見せ場も残してやってただけさ」


「減らず口が聞けんなら大丈夫そうだな、おいおっさん。俺が相手してやるよ」


 仙兵衛は見上げ入道を指さして言った。


 烏天狗は門の上に立って戦場を俯瞰する。


「雑魚が一匹増えただけとは言え、あまり時間はかけられぬ。大鐘楼へは私が行く。お前たちはこいつらの始末をしておけ」


 そういうと烏天狗は飛び上がり、玄武寺の本殿の方へと飛び去って行った。


 それを追おうとした右彩の前に、鎌鼬が立ちはだかる。


「追いたきゃ俺たちを殺していきな、ケケッ」


「邪魔をするな、雷光刃!」


 刀から流れる雷に、鎌鼬が悲鳴をあげる。


「何だぁ?触れたら痺れるってのかよ。なら、近づかなきゃいいだけよ」


 鎌鼬は両手の鎌を宙で振った。風の刃が形成され、右彩へと飛んでいく。


「飛雷針!」


 飛び上がって風刃を躱した右彩は毛針を射出する。しかし毛針は風の塊に遮られてバラバラと地面に落下していく。


 着地した右彩が駆け出そうとした時、脚にしがみついていた赤子が重くなった。いや、重くなった、というよりは体力を吸い取られた結果重く感じたという表現が正しいだろう。 先ほどよりも赤子は大きくなり、右彩の挙動が大きく制限される。がくんと動きの鈍った右彩に、風の刃が襲い掛かった。


 そのはす向かいで殴り合うのは仙兵衛と見上げ入道だ。しかし仙兵衛と見上げ入道では手足の長さが違う。しかも徐々に長くなる手足に阻まれ、仙兵衛は見上げ入道の懐に潜り込めずにいた。


「どうした小僧! 威勢がいいのは口だけか?」


 見上げ入道の手刀が仙兵衛を捉えた。


「捕まえたぜ」


 だが仙兵衛はびくともせず、見上げ入道の腕を掴んだ。


「おらあっ!」


「ぬおう!?」


 見上げ入道の体が回転し、地面に叩きつけられた。追撃しようとする仙兵衛だが、その体に違和感が宿る。


 いつの間にか背中に赤子が張り付いていた。感情を感じさせない眼に仙兵衛の身がぎょっと竦む。


「いいぞ産女、その小僧を干からびさせてしまえ」


 立ち上がった見上げ入道が言い、仙兵衛の目の前に産女が舞い降りた。


 綺麗な人だな。素直に仙兵衛はそう思った。美しいがそのひとの貌を見ていると何故だか無性に悲しくなった。


「私の坊やの」


 産女は呟く。


「ごはんになって頂戴」


 産女の胎が開いた。ぱっくりと割れた穴から大量の血が噴き出し、赤子が大量に飛び出す。


「げーっ! なんじゃありゃあ!」


 赤子は群れをなしてわらわらと仙兵衛に近づいてくる。仙兵衛は当然距離をとろうとするが、見上げ入道がそれを阻止する。


 両手を組んで形作られた槌を両腕で防ぐ。衝撃で地面が陥没。


 釘付けにされた仙兵衛の体を、大量の赤子が這い上がって来る。


(こいつら強ぇ。戦いなれてやがる)


 田舎の力自慢の鬼とは一線も二線も画す手強さに、仙兵衛は歯噛みする。


 ついに仙兵衛の全身は赤子に覆われ、がくりと崩れ落ちる。全身から力が抜けていく感覚。それが強くなるにつれて赤子が大きくなる。


「まったく他愛もない、ちっとは楽しめると思ったが」


 首をコキコキと鳴らして見上げ入道が言った。


「まだだ、なめんじゃねぇ」


 赤子の塊が再び立ち上がる。既に赤子は最初の三倍に膨れ上がっていた。


「ほう! まだ立ち上がれるか。貴様中々の膂力の持ち主だな」


 感心、感心。と顎鬚をさすりながら微笑む見上げ入道。


「だが、そこまでだな。その数の赤子に吸いつかれてはもういくばくもあるまい」


 その言葉通り、なんとか立ち上がった仙兵衛だが、その姿には力強さが感じられない。


「飛雷針!」


 飛んできた毛針が全身にまとわりついた赤子に次々と突き刺さる。


「飛伝雷光刃!」


 続いて放たれた電撃は赤子を焼き、仙兵衛の体から次々と剥がれ落ちていく。


「無事か?」


 仙兵衛の隣に右彩が着地する。


「助かったぜ」


「さっきの借りを返しただけだ」


 そう言う右彩は血だらけだった。全身にできた切り傷から出血しており見ていて痛々しい。


「これ、やばいかもな。俺たち」


「なんだ泣き言か? 命乞いをしても構わんぞ」


「へっ、冗談」


 仙兵衛と右彩は前方の鬼を睨みつけた。抗うほどの力はもう無いに等しい。それでも逃げ出すわけにはいかないのだ。


 仕切り直そうと身構えたその時、大地が揺れた。ぐらりと視界がたわみ、寒気を覚える仙兵衛と右彩。驚く二人の目に、本殿から立ち昇る黒い光の帯が映る。


「右彩、何だよあれは!」


「わからない……だが、不吉なものだということだけはわかる」


 不安に苛まれる二人とは対照的に、鬼たちは高揚する。


「おお! おお! やったか鞍馬山!」


「あれこそ御大将の後光! あと三つ、あと三つで!」


 狂喜乱舞する鬼を見て、仙兵衛が呟く。


「なんだこいつら。何を言っている?」


「お前らは知らなくていい。どの道ここで死ぬのだからな」


 手負いの憑鬼人に引導を渡すべく、鬼が吠えた。

「餓鬼にしてはよくやったぜ。その肉も臓物も、俺らが美味しく頂いてやるから安心して逝きな!」


 鎌鼬が風の刃を放つ。


 ここまでか。二人が覚悟を決めたその時。


「よく戦った。あとは任せろ」


 その言葉と共に飛んできた水流が、風の刃を相殺した。


「ふ、副長!」


 仙兵衛が叫んだ。その視線の先には憑鬼組副長迫水主水と香凛の姿があった。


「どうしてここに?」


「それは後、まずは止血するから」


 香凛は二人に駆け寄ると、糸で右彩の傷を縫い始める。


「ここからは俺が遊んでやろう」


 迫水が一人、三体の鬼を前に構える。


「次から次へとうっとおしいのう」


 見上げ入道の体がさらに一回り大きくなる。


「もう飽いた! お引き取り願おう!」


 振り下ろされた見上げ入道の左腕は、しかし迫水を捉えることは無かった。迫水の抜刀と共に放たれた水流が左肩を両断したのだ。


「馬鹿な……!」


「それが最後の言葉でいいのだな?」


 見上げ入道の瞳に、刀を構えた迫水が映る。


 刃が振るわれる寸前、突如飛んできた黒い羽根が迫水を貫いた。しかしその羽根は何事もなかったかのように迫水の体を素通りしていく。


「鞍馬山!」


 切断された左肩を押さえ、見上げ入道が叫んだ。


「目的は果たした。退くぞ! その男は迫水主水だ!」


 舞い戻ってきた烏天狗は、迫水を睨みつけた。


「これは懐かしい奴がいたものだ。鞍馬山尖狭坊くらまやませんきょうぼう。夜盗に身をやつしたか?」


「ほざけ紛い物め」


 烏天狗は翼から羽根を数本抜き投擲する。それは僧兵たちの亡骸へと突き刺さり青い火を灯した。


呪歌そわか骸恨石兵がいこんせきへい


 烏天狗が呪文を唱えると、なんと僧兵たちの亡骸が動き出し、迫水たちに攻撃を始める。


「退くぞ!」


 烏天狗の号令に、他の三鬼が続く。


「香凛、どいつでもいい。殺さず一匹捕らえろ」


 迫水は次々と迫りくる僧兵や赤子を切り伏せながら命令を下した。


「了解」


 八雲は壁や屋根に渡した糸を足場してに鬼を追う。


「先に行け! 奴らの一人でも殺さんと俺様の気は治まらん!」


 追いすがって来る香凛を確認した見上げ入道が踵を返す。


 見上げ入道が迎え撃つ姿勢を見せたことで、香凛も足を止めた。


「女か、ちょうどいい。全身を舐め尽くした後で頭から食ってやろう」


 くっくと下品に嗤う見上げ入道に香凛は為息をして言った。


「残念だわ、私はあなたを殺せない」


 香凛の腕に、黒と黄の縞模様が浮き出る。


「鬼変化、彩吊八雲あやつりやくも


 香凛の左右の肩から二本づつ計四本の腕が生え、肩までもなかった桃色の髪が腰まで伸びて風にたなびいた。


「殺さず捕らえろって言われてるから。本当ならあなたみたいな人、真っ先に殺したいのに」


「俺様を捕らえるだと? やってみろ!」


 見上げ入道が香凛に殴りかかる。香凛は跳んで攻撃を躱すと、手首から出した糸

を自在に使い縦横無尽に宙を駆ける。


「どうした女 逃げ回るしかできないか?」


「まだ気がつかない?」


 香凛はくすりと笑う。


「なんの話を……。うっ!」


 見上げ入道の顔色変わった。暴れれば暴れるほど、その動きは徐々に鈍っていく。


 香凛は逃げ回っていたのではない。見上げ入道の動きを封殺する為、蜘蛛の巣を張るように幾重にも糸を張り巡らせていたのだ。


 香凛は【絡新婦じょろうぐも】の憑鬼人である。絡新婦は美しい女と蜘蛛が合わさったような姿をしており、糸を吐き出して人間を襲ったり、誘惑したりする鬼だ。その糸は粘度が高く、一度捕らえた獲物を決して逃がさない。そして束ねれば鋼にも匹敵する硬度を誇る。


 その憑鬼人である香凛もまた、同様に強靭な糸を出すことができる。


 何重にも絡みついた糸を引きちぎろうと見上げ入道はもがいた。その様は蜘蛛の巣から逃れようとする、哀れな虫によく似ていた。


「この程度で、この俺様を捕らえられると思ったか! 俺は見上げ入道だ!」


 見上げ入道は体を巨大化させることのできる鬼だ。糸を一気に引きちぎろうと、どんどんその体躯は肥大化していく。


「もう遅いわ。あなたは私から逃げられない」


 体が大きいということは戦いにおいては大変有利なことなのだが、この場合はその能力は裏目に出た。巨大化すればするほど、肉に糸が食い込んでその身を裂く。


 全身の糸がみるみる血に染まり、見上げ入道はぐったりと気を失った。


「逃れることなど叶わない。私とあなたを繋ぐその糸は、決してちぎれぬ赤い糸」


「すげぇ・・・本当に一人で殺さず捕らえた・・・」


 香凛は絶対怒らせないようにしよう。仙兵衛は心からそう思った。


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