第九話「七夕に飛ぶもるふぉ蝶」
「なあ香凛、小腹空かないか? ちょっと寄って行こうぜ」
打々鉄斎の鍛冶場から戻る道すがら、東幻京の中央付近にある
「え……でも」と行きたいんだか行きたくないんだかわからない、煮え切らない返事をする香凛。
「今日はもう非番だろ。それとも、何か用事でもあるのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
はっきりしない物言いは、いつもの彼女らしくない。
「じゃあいいじゃねぇか。俺が払うからさ」
「あ、ちょっと待って」
仙兵衛は香凛の手を握り、瑠璃浜の暖簾をくぐった。はいただいま。と元気良く売り子の娘がやってきて、二人を席へと案内する。
「仙兵衛。あなたお品書き読めるようになったの?」
「まだ仮名文字を少しだけ。漢字はまだ」
何を頼もうか品書きに目を通しながら、仙兵衛が答える。
「でも、食べ物の名前は大分覚えたから大丈夫。字面で何となくわかるしな」
東幻京で天麩羅とうどんを初めて目にして以来、仙兵衛は時間と財布に余裕があれば屋台や店に繰り出していた。塩味甘味温冷問わず、東幻京の美味を味わい尽くす。それこそ字が書けたなら、美味い店の情報を書き連ねた本ができるくらいに。特にうどんには一家言がある。
注文が決まり、売り子を呼ぶ。席に案内した売り子が帳面を持って現れた。
「瑠璃浜あんみつを。白玉団子って増やせるかい?」
はい、できますよ。と売り子。
「じゃあ団子を四つ」
「四つ? 二つで十分でしょ?」
香凛が口を挟む。確かに白玉が四ってもあるのは野暮ったい感じがする。
「じゃあ二つで。あとうどんもつけてくれ」
「うちはうどんは置いてませんよ……」
困り顔の売り子に自分のあんみつを注文する香凛。かしこまりました。と売り子が店の奥へと引んだ。
「そんな様子じゃ、貯金できてないでしょ?」
「うーん、まあ」
注文を待つ間、香凛が聞いた。頻繁というわけではないが、外食が多ければそれだけ食費が嵩む。
「香凛は給金って何に使ってるんだ?」
「特に何も。たまに綿や端切れを買うくらいで貯まる一方よ」
「そっか、もったいねぇな。
「色んなとこに繰り出してるものね、あなた。じゃあこの店にも来たことあるの?」
「いや、初めて来た。行きたいとは思ってたんだけど、この店女の子ばっかで男一人じゃ入りにくくてよ」
仙兵衛の言う通り、この甘味処、瑠璃浜は女性客が非常に多い。甘味とはすべからく女子供が好む物だが、瑠璃浜が
店内を見回すと女性ばかりで、仙兵衛の他に一人二人いる男性客も、連れ合いの女性に連れてこられたような風だった。
「ふうん。私をだしに使ったわけ」
じと、と仙兵衛を見る香凛。
「そう言うなって。ここのあんみつは絶品だって噂なんだ。香凛だって聞いたことぐらいあるだろ?」
「お待ちどお様でした!」
その時、見計らったかのような頃合いで売り子が注文を盆に乗せて現れた。
どうぞごゆっくり。と売り子は一礼して次の席へと向かう。
「さて、頂きます。と」
二人は匙を手にあんみつを見た。白い器に甘く煮た餡が盛られている他、さいの目に切られた色とりどりの寒天に、求肥、白玉団子、蜜柑が入っている。そして最も目を引くのが、異国から持ち込まれたという、楓の樹液を濃縮した蜜がたっぷりとかけられた葛餅。
「へぇ、けっこう可愛い、かも」
匙が葛餅に沈み、蜜と共に口内へと運ばれる。
「す、すげぇ……! 今まで食ったことが無い甘い匂いだ。これが外の世界の香りってやつなのか!」
舌鼓を打ち、大袈裟な感想を述べる仙兵衛。
「なにそれ? 絶対言い過ぎよ」
くすりと笑って匙を口に運んだ香凛だが、決して大袈裟ではないことを実感した。餡は器に入れられる直前まで蒸されていて、口の中で餡の熱と葛餅の冷たさが一体となり、熱いのに冷たいという矛盾を成立させている。
さらに楓の蜜の独特な風味は、餡の熱で温められることに際立ち、餡とはまた違った種類の甘味を与えてくれる。
未体験の美味しさに、香凛の頬は自然と綻んだ。
「美味しい……!」
思えば、味に感動したのは初めてかもしれない。
「どうだ? 来て良かったろ?」
仙兵衛は連れ合いの顔を覗き込んでにやりと笑う。
「そ、そうね」
と気恥ずかしそうに、香凛。
「そういえば、非番の時って何してんだ?」
食後のお茶を啜りながら、ふいに仙兵衛が聞いた。
「非番の時? 特に意識してないけど、何してるのかしらね、私」
「仕事以外はいっつも誰かの手伝いしてたり、雑用してるから、ちょっと気になった。たまーに針仕事してるのは見るけどな」
「よく見てるのね」
「まあな。何か手遊びでも見つければいいのに。町娘みたいに服買ったり、お洒落したり、流行りの店に行ったり」
「私もそうしてみたい……」
「じゃあそうすればいいだろ」
香凛はふうと息をつき、
「そうね。どこかの誰かさんがもうちょっと要領が良くなったら、私も時間ができるかもね」
と言った。
しまった、藪蛇だった。と仙兵衛は慌てて話題を変える。
「ところで、憑鬼組に入る前は何を?」
「何でそんなこと聞くの?」
香凛のお茶を飲む手が止まった。仙兵衛にとっては何気ない質問だったのだが、香凛にとってもそうだとは限らない。
「俺の場合は、たまたま拾ってもらったようなもんだからな。他の皆は何で憑鬼組に入ることになったんだろうってふと思って」
「私は……成り行き、かしら」
少し間をおいて香凛が呟いた。
「物心ついた時から私は憑鬼人だったし、親の顔も知らないのよ。ただ目の前のやるべきことをやってたら、いつの間にか憑鬼組に入ってたわ」
それ以上は聞くな。香凛の目はそう言っていた。
「そろそろ出ましょう。お店も混んできたみたいだし」
「そうだな」
勘定を済ませ、二人は瑠璃浜を出た。いつの間にか日は傾き、街のいたる所では明かりが灯されていた。
「なんか今日はいつにも以上に人が多いな」
楽しげに練り歩く人ごみを見て、仙兵衛が言った。
「そっか、今日は七夕だから」
七月七日。星の向こうに住む男と女の、年に一度の逢瀬の日。それを祝ってのお祭りが東幻京では毎年行われていた。言われてみれば、男女の二人連れがやけに多い。
「ようよう、そこのお似合いのお二人さん。ちょっと寄っていきなよ!」
威勢の良い出店の店主が仙兵衛に手招きをする。出店には櫛や簪といった飾り物が、所狭しと並べられている。
「友禅屋、年に一度の特売日だよ! お連れさんに買ってあげると喜ぶよ! 一つどうだい?」
友禅屋は飾り物や化粧品を等を扱う老舗だ。扱う品は高品質で人気が高く、瞳もここのお得意様だった。
どれどれ、と見渡す仙兵衛。色とりどり、大小様々な飾り物が並ぶ中、一つの髪留めが目に入る。それは蝶を模した物で、体に比べて翅が大きく、青色の美しい光沢を放っていた。
「おっ、お兄さん御目が高いねぇ。それは異国の、ええっと何て言ったっけ。そうそう、もるふぉ蝶を模して作られたのさ。その青は輝谷塗り螺鈿仕上げときたもんだ! どうだい? この逸品がこんなに安いのは、七夕の今日だけだよ」
「じゃあ、これもらうよ」
「毎度あり!」
代金を支払い髪留めを受け取る。
「香凛、これお前に」
「え……」
「俺が髪留めしてたってしょうがないだろ。それに、これお前に絶対似合う」
でも。と香凛は戸惑う。
「もう買ったあとだから、受け取ってくれないと困る。それにいつも世話になってる礼だよ。ほら」
仙兵衛は香凛に髪留めをつけてあげた。思った通り、大きな蝶は桃色の髪によく合っている。
「仙兵衛」
「ん?」
「ありがとう」
香凛はそっぽを向いて言った。その頬は赤く染まっている。
「いやぁ、初々しいねぇ。ほら、おまけだよ」
店主が二枚の短冊を二人に差し出した。
「これは?」
「今日は七夕だろ? 祭りで買い物してくれた人には、こいつを渡してるのさ。そら、あそこに竹が見えるだろう。そこに願い事を書いて括り付けるのさ」
店主が言った方を見ると、商店街の中央に立派な竹が用意されていた。枝には既に沢山の願い事が下げられている。
仙兵衛は香凛に代筆を頼んだ。
「何て書く?」
「美味しい物を沢山食べられますように」
はいはい、と香凛。ついでに自分の短冊にも筆を滑らせる。
「何て書いたんだ?」
「教えない」
香凛は仙兵衛には見えないようにして、短冊を竹へと括り付けた。
「星が綺麗だな」
「ええ。本当に」
竹を見上げた二人が、そのまま天を仰いだ。闇色の空に浮かぶ、星屑の川。
暫く星を眺めた後、二人は隊舎へと歩き出した。その背後で、夜風に吹かれた短冊が揺れる。香凛の短冊にはたった一言、生きたいとだけ書かれていた。
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