第八話「大般若長光かくありき」


「仙兵衛、葎大路むぐらおおじはこっちよ」


「おっとそうだった。やっぱ西側こっちはまだよくわかんねぇな」


 仙兵衛が憑鬼組に入ってから、半年近くが経った。季節は青葉薫る初夏。道行く人々の装いも薄手の物や風通しの良い物が増えてきている。


「まだ慣れない? 左京は右京に比べて道が大きくて大雑把だから、わかりやすいと思うけど」


「滅多にこねぇからな、ここらへん」


 ぽりぽりと頭を掻いて仙兵衛が香凛に並んだ。東幻京は真上から見て右側になる右京と、左側になる左京の二つに大まかに分けられる。


 憑鬼組隊舎のある右京は人口密集率も高く、道も細かく複雑に入り組んでいるが、左京はそれとは対照的に土地に余裕があって道も単純な造りになっている。


 なんせ左京は湿地が多く水はけが悪い、つまり屋敷を建てるにも商いをやるにも向いていない。


「そんな場所だから、左京に住むのは貧しい人たちが多いのよ」


 葎大路に連なって建つ住宅を見回して香凛の言葉に納得した。お世辞にも整ったとはいえない長屋や小屋、道に捨て置かれた死骸。確かにここは貧民窟と言っても過言はあるまい。


 瀟洒で煌びやかな右京が光なら、左京は正にその影と言える。


「だから治安も悪いの。大酉市だって、東市と比べて西市はしょっ引かれる罪人の数が倍なんだから。左京じゃ道端で人が死んでても、誰も気にしない」


「鬼や憑鬼人にとっちゃ、絶好の隠れ家ってわけか」


 もし憑鬼組に出会っていなければ、仙兵衛も確実にここの住人となっていただろう。ここには京職の目も届かない、検非違使の役人が極端に少ないのも、朝廷にとっては守る価値が無いからだ。


 現に二人がここに訪れたのも警邏としてではなく、年に四度行われる鎮魂祓ちんこんはらえ(死者の鎮魂を願う祈りの行事)で【白虎大社】を訪れている祭祀の警護をする為だった。


「香凛姉ちゃん!」


 殺伐とした雰囲気に似つかわしくない明るい声が、街道を大路を歩く二人に投げかけられる。


 声のした方を振り返ると、そこには六つかそこらの、小袖を着た女児が立っていた。小さい手に握られた人形はボロボロで、無残にも首がとれかかっている。


 女児は香凛に飛びつくと高揚した調子で喋りだす。


「香凛姉ちゃん、お松ちゃんの首がまたとれそうなの」


 女児はぐいと人形を突き出す。その際の振動で、首が危なっかしく揺れる。


「また乱暴に雛遊びしたでしょ」


 香凛はしゃがんで女児から人形を受け取り、その場で人形を縫い始めた。器用な指先は見る間に首を繕い、他にもほつれかかっていた箇所も直していく。


「はい、何度も壊しちゃ人形が可哀そうよ」


「ありがとう! 香凛お姉ちゃん」


 笑顔で人形を受け取った女児はもう一度香凛に抱きついた。


「ねー、遊ぼうよ」


「これからお仕事なの、また今度ね」


 女児はえー、と口を尖らせながら離れると、手を振ってから踵を返して駆け出した。


「乱暴にしちゃまたほつれるからね。何度も直してあげないわよ」


 女児の背に向かって言った香凛は、隣の仙兵衛がにやにやしていることに気がついて気まずそうな表情を作った。


「……何よ?」


「今の子は?」


「おはつちゃん。ここら辺の子」


「人形直してあげてるんだ、いつも」


「だったら何?」

「いやあ、香凛って優しいんだなと思って。いっつも仏頂面だから血も涙も無い女だと思ってたけど、こんな一面もあるんだなあってさ」


「仙兵衛」


 香凛が薄い笑みを浮かべる。


「その良く喋る口も縫ってあげましょうか?」


「い、いえ。結構です」


 鬼の首を取ったようにからかっていた仙兵衛がすくみあがった。


「早く行くわよ、遅れないで」


 香凛は速足でどんどん進み、意気消沈した仙兵衛がその後に続いた。


 それからほどなくして白虎大社に到着し、儀式はつつがなく進行した。退屈な時間はのろのろと過ぎていき、例の牛なし牛車【自走車】に乗せた剥げ頭の祭祀を見送ったあと帰路につく。


「隊舎に帰る前に、ちょっと寄り道してくからね」


 どこに? という問いかけに、香凛は鉄じいの所、と短く言った。


「仙兵衛、あなた今まで何本刀駄目にしたか覚えてる?」


「えーと、十本? 二十本?」


 仙兵衛の額に汗が滲む。元々剣術の心得などない上、自分の手足の方が刀より硬いとあっては扱いも雑になる。仙兵衛は憑鬼組に入隊してからというもの、刀を折り続けていた。


「ところでその鉄じいって誰?」


「左京に工房を構えてる刀鍛冶のおじいさんよ」


 鉄じい。本名を打々うちだ鉄斎てっさいと言うその老人は、東幻京一の刀匠であるが、その腕以上に偏屈な職人として有名であった。その工房の前で二人の足が止まる。


「着いたわ。ここよ」


「や、やっぱりそうなのか、何かの間違いであればいいと思ってたけど」


 工房を見上げる仙兵衛の目が点になっている。それも無理からぬことだろう、その建築物は、とても常人の理性で創られたものとは思えぬ面妖さだったからだ。


「まず色!」


 仙兵衛は叫んだ。


「なんだよこの、いかにも毒があるぞって感じのケバケバしい緑と黄色と赤色は!」


 遠目からでも非常に目立つ明るい緑、黄色、赤の極彩色は派手を通り越してむしろ禍々しいと言ってもよい。しかもそれが建物全体に縦縞模様に塗られているとあっては、いよいよこれは狂気の産物である。


「そして形! うねうねしてるっつーか、生き物の顔みたいな形してるっつーか」


 遥か異国の邪神の頭蓋骨で造った。そう言われれば信じてしまいそうな名状しがたい形だ。いや、本当にそうなのかもしれない。これを建てろと言われた大工たちの心境を考えると涙を禁じ得ない。


 遠くに見えたこの邪神像に近づくにつれて、仙兵衛の吐き気は強くなり、どうかアレじゃありませんようにと心の中で切に願った。本能が拒絶している。


 しかし現実は非常である。仙兵衛の願いは虚しく散った。


「鉄じい、いる?」


 慣れているのか、香凛はとても戸だとは思えない形と色使いの戸を開き、蛮勇にもその窟の中へと入っていった。


 何をしている、お前も早く入れと言わんばかりに香凛に引っ張られ、いやいや仙兵衛も中に足を踏み入れた。


 工房の中はむせ返るような熱気が充満し、赤い火か煌々と炉で燃えている。その火の明かりで壁には巨人のような人影が投影される。焦熱地獄とはここのことを言うのだろう。


 炉の前にいた髭を生やした老人が香凛に気がつく。


「誰だ? ああ、鬼の娘っ子、お前か」


 ぶっきらぼうに言って、その男は影から姿を現した。


 齢は六十過ぎと言ったところだろうか、長年の鍛冶仕事で肌はすっかりと炙られ、指はところどころ節くれだっていた。顔に刻まれた皺は一つことに打ち込んできた男の年月と頑迷さが刻み込まれているようだった。


「なんの用だ? このじじいを食いに来たか?」


「お生憎様、もっといいもの食べてるから大丈夫よ。刀を打ってもらいに来たに決まってるじゃない」


「ふん、そっちの子鬼は新入りか?」


 鉄じいは値踏みするように仙兵衛を見やった。


「え? 俺が憑鬼人だってわかるのか?」


「こいつが連れてくる奴だ。普通の人間なわけないだろが」


「仙兵衛よ。彼に合うの刀を打って欲しいのだけど」


「おう、いいぜ」


「え、いいのか!?」


 偏屈だと聞いていたにも関わらず、二つ返事で引き受けてくれたことに仙兵衛は驚く。


「ああ打ってやるよ、そのうちな」


「そのうちって?」


「そりゃあそのうちだ。俺の気が乗ったら何時でもな。明日かもしれねぇし、五六年後かもな」


「五六年も待ってたら鉄じいが死んじゃうでしょ」


「まだまだ生きるわ馬鹿野郎!」


「頼むよじいさん! あんた京一の刀鍛冶なんだろ!」


「声がでけぇぞアホンダラ! 気分が乗らねぇもんは乗らねぇんだ!」


「なあ香凛、このじいさん普段からこんなんか?」


「そうよ、副長の刀打ってもらうのだって一年以上かかったんだから」


 一年。仙兵衛は絶句する。


「今年はいい鉄が流れてこねぇんだ。俺は半端物を打つ気はねぇからな」


 小指で耳を掻きながら鉄じいは円座に腰かけ、壁を指さした。


「そんなに今すぐ刀が欲しいんならそこにある刀を買ってけ。それも俺が打ったやつだからよ」


 示された壁には、刀剣がずらりと一面に並べられていた。


「あるじゃねぇか、こんなに刀が!」


「そこにあるのはやめた方がいいわよ。不良品」


 刀を手に取る仙兵衛に投げかけられた香凛の言葉に、鉄じいは憤慨する。


「不良品なわけねぇだろタコスケ! 使いこなせる奴がいねぇだけだ、俺の打った刀をそんじょそこらの鈍と一緒にすんじゃねぇ!」


「変な刀ばっかり作るからよ。売れるのも結局普通の刀だけなんでしょ?」


「普通の刀なんざ打ってなにが楽しいんだ。そこにあるのはどれもこれもが俺の閃きと才能で打った逸品よ!」


 香凛の言った通り、並べられている刀は全部が全部変わっている。柄を連結させることによって一本の剣になる二対一組の刀や、蛇腹状に刃の折り畳まれた刀。果ては杭のような野太い刃を打ち込むような機構が備えられた手甲と、どうやって扱えばいいのか見当のつかない刀の博覧会だ。


 これには門外漢の仙兵衛も呆れかえる。


「仙兵衛、とりあえず爪を剥がしたり、耳を引きちぎってでも刀を打つのを確約させた方がいいわ」


「物騒なこと吹き込むんじゃねえ! 次にそんなことしてみろ、死んでも打たねぇぞ!」


(前にやったのか、似たようなこと)


 仙兵衛はその様子を想像しないように努めた。


「とにかくだ。そこにあるのも気に入らねぇってんなら、俺の気分が乗るのを待つか他の奴が打った鈍で我慢するんだな」


「本当、頑固ね。帰りましょう仙兵衛。刀鍛冶ならほかにもいるし」


 その言葉は耳には入っていなかった。仙兵衛の意識は目の前の一振りの刀に吸い込まれていたからだ。


 その刀だけは刀掛けには収められておらず、土間に突き立てられていた。それもそのはず、大きすぎるのだ。


 刀と呼ぶには無骨が過ぎるそれは、人の身の丈ほどの長さがあり、刃は分厚く頑強で鍔は無く、巨大な出刃包丁と言った方が相応しい。


 しかしその最大の特徴は大きさでも分厚さでもなく、刀身全体が薄い紅に染まっていることだった。


 磨き上げられた刀身には傷の一つも無く、覗き込む仙兵衛の顔が鏡のように映っている。


「ああ、そいつはやめとけ」


 さっきまでの勢いが嘘のように鉄じいは呟いた。


「じいさん、この綺麗な刀は?」


「そいつぁ薄紅葉うすもみじって銘でな。日比金ヒヒイロカネってぇ金属で打った俺の最高傑作よ」


 その割には鉄じいは沈んでいるように見えた。


「日比金って?」


羽央うおうにある羽衣山から採れる朱色ひひいろの鉱石よ。こいつがもの凄ぇ石でよ、この世のどんなもんより堅く、そして重い。しかも絶対に腐食はしねぇときたもんだ。こいつを打つのはそりゃあ難儀したぜ」


「何より堅くて腐食しない」


 仙兵衛が生唾を飲み込む。


「しかもそれだけじゃねぇ、熱の伝わりが半端じゃねえのよ。例えば日比金で作った薬缶があるとするだろ。そいつでお湯を沸かそうと思ったら薪を何本もくべる必要はねぇ。木の葉三枚ありゃ十分よ」


「た、たった三枚?」


「おうよ。そんぐらい熱を通しやすい特性があんのよ」


「へえ、でもなんでじいさんはそんなもんでこいつを打ったんだ?」


 その問いかけに、鉄じいは煙管を一服のんで答えた。


「昔のことだ。俺が蛇般一の刀打ちだの、刀匠の生き神だの呼ばれて調子づいてた頃、ちょうど俺の娘が嫁に行くことになってよ。俺ぁ男手一つで育てたもんだから、嫁入り箪笥の一つも持たせてやれねぇ。その代わりにとびっきりの宝剣でも持たせてやろうと打ったのがこいつよ」


 鉄じいは目を細めて薄紅葉を見た。


「完成した時は大層喜んでもらってな。ま、馬鹿みてぇに重いから剣として使われることはねぇんだが、それでも六百貫なんて目ん玉ひん剥かれるような値が付いた」


 人生五回は遊んで暮らせるほどの額に、仙兵衛は噴き出す。


「この六百貫が大般若経・六百巻と語呂が通じるってんで【大般若長光だいはんにゃながみつ】なんて洒落で呼ばれるようにもなった。ところがよ」


 声音に暗いものが混じる。


「嫁入りした家がよ、鬼に襲われちまったんだ。一人残らず食われちまったって話だ。娘は、鶴子は腹の中の赤ん坊がそろそろ出るかって頃だったと聞く。それからだ、この刀が行く先々で人死にが出まくったのは」


 鬼に食われ、流行り病に侵され、刀を巡って身内同士が殺し合う。そうしていつの間にか、こんな噂を纏うようになった。この刀には怨霊が宿っているのだと。


「そんで買い手がとうとう付かなくなって、親のところに出戻りしてきたっつうわけよ。ま、この世にゃごまんとある話。だからそれはやめとけ、また死なれたら寝覚めが悪りぃからよ」


「その刀に娘さんを重ねてるの?」


「さあてな、だが娘の形見みてぇなもんだとは思ってる」


 仙兵衛はこの刀に心惹かれ、親しみのような物さえ感じていた。周りから疎まれて追い出されるように扱われたのが、まるで自分のようで。


「じいさん、この刀ちょっと持ってみてもいいかな」


 思わず言葉がこぼれた。鉄じいが立ち上がって捲し立てる。


「聞いてなかったのか? 大の大人で十人がかり! それでやっと持ち上げられる……んだ……よ」


 そこから先の言葉を、鉄じいは飲み込んだ。あろうことか仙兵衛は薄紅葉を片手で持ち上げ、頭上で水平にかざしていたのだ。


「へへっ、しっくりくるなあ、この重さ」


 薄紅葉を構え、ブンと横薙ぎに振りぬいた。その刃が通過すると、並べられていた刀が全て真っ二つに切断される。


「やべっ! やっちまった!」


 素っ頓狂な声を上げ焦る仙兵衛。その凄まじい切れ味に香凛も絶句する。


「ば、馬鹿な」


 鉄じいはへなへなと力無く円座に崩れる。


「さ、さて、帰ろうぜ香凛」


 薄紅葉を元の場所に戻し、仙兵衛は言う。その顔には冷や汗が滝のように流れている。


「え、いいの? 完全に譲ってもらえる流れだと思うんだけど、私!」


 珍しく香凛が大声を出す。


「だってよ、この刀はじいさんの娘さんの形見なんだろ。そんな大事なもん、くれなんて言えねぇよ」


 仙兵衛は香凛の袖を引っ掴むと、出口に向かってそろりそろりと歩き出した。


「おい、待て子鬼」


 鉄じいの声に、仙兵衛の足がぎくりと止まる。


「壊した刀の代金だが」


「わあ、やっぱり! じいさん実は俺やっとタダ働き終わったばっかで」


「負けてやる」


 空気の抜けたような声でへ? と仙兵衛。


「いらんと言ったんだ。そいつを綺麗だと言ってくれた礼だ」


 その時香凛は初めて、鉄じいの微笑んだ顔を見た気がしていた。

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