第七話「憑鬼組の日常」


「どいたどいた! ほらほらどいた!」


「わっと、ごめんよ!」


 急いで横に退いた仙兵衛の目の前を、米俵を沢山積み上げた荷車が通り過ぎて行った。とにかくごった返す、人。人。人。


 ここは、東幻京は東街に存在する東市ひがしのいち。月に一度の大酉市おおとりのいち。どこもかしこも人だらけ、千客万来大わらわ。


「仙兵衛ちゃん、大丈夫~?」


 右往左往する仙兵衛に、憑鬼組の先輩、瞳が笑いかけた。


「瞳さん、こんなにごった返してるなんて聞いてないですよ」


 憑鬼組に入隊し早一ヶ月。仙兵衛は今日、月の一度開催される大酉市の警護を命じられていた。


「仕方ないわよ。東幻京にあるお店だけじゃなく、外からも行商人がわんさかやって来るんだもの」


 大酉市は東と西にある広場で三日間だけ催される市だ。この三日間だけは特別に、東幻京の外からやってきた商人も商いをしてよいことになっている。さらに、東幻京の中にある有名店もこぞって出店を構えるため、京中の人間が集まると言っても過言ではない。


「色んな所の珍しい食べ物や、服とか、お酒とかが買える機会なのよ。京の町民と商人はこの日に命を懸けてると言っていいわね。あ、友禅屋の新作売ってる。後で寄ろ」


 市のことを説明しながら、瞳は器用に人の波を進んでいく。仙兵衛はその後ろをついていくのがやっとだ。


「食べ物、お酒、日用品。呉服に本に玩具にお香。安いものから高級品まで、質を問ってもなんでもあるわ」


 瞳の言う通り、米に青物に獣肉や魚が屋台にずらりと並び、酒を売っている横で下駄や草鞋を売っているかと思えば、その向かいでは化粧品の屋台に町民の娘たちが列を成していたりする。


 少しでも安く買おうとする客と、少しでも儲けようとする商人の値切りの応酬。ここはまさに活気の坩堝、東幻京名物大酉市。


「で、私たちが何でここに寄こされたかと言うと。あ、ちょっと待ってね」


 そう言うと、瞳はすれ違った男の腕を掴み、捻り上げた。男の手から似つかわしくない可愛らしい巾着が落ちる。


「あ、痛ててっ! おい何しやがる!」


 男が瞳を睨みつける。


「はい、検非違使けびいし(警察と裁判所を兼ねたような役職。憑鬼組もこれに含まれる)の者です。このお財布あっちのお嬢さんのよね?」


「あっ! つ、憑鬼組の! こ、これは拾ったんでさあ。今返そうかと思って」


 憑鬼組とわかった途端、卑屈な態度へと急変する。


「あらそう。じゃあこれは私が返しておくわね」


「へ、へい。お願いしやす。あっしはこれで」


「次見つけたら突き出すとこに突き出すからね」


 そそくさと逃げるスリの背中に警告し、瞳は巾着を持ち主へと返した。


「今のでわかったと思うけど、ここは物だけじゃなくて、犯罪の見本市でもあるの」


 盗みに脅し、ゆすりにたかり、法外な取引に詐欺にかどわかし。これだけ人が集まれば、それだけ不届き者も集まって来る。京職を総動員したとしても手が足りず、憑鬼組にまで警護の命が回ってくる有様だった。


「捕まえなくてよかったんすか? 今の」


「いいのいいの。あんなのに一々構ってたら、それこそ日が暮れるわよ。私たちは常に目を光らせてなきゃいけないんだから。あ、そこ! ちょっといいかしら、そのお薬本当に合法のやつ?」


 その日一日、仙兵衛は瞳について回り、警護の手伝いをした。慣れない仕事に心身共に疲れ果て、やっとの思いで隊舎に戻った時には、すぐさま畳の上に倒れ込んだ。


「お、終わった。疲れた~」


 安堵し夕餉ができるのを待つ仙兵衛に、瞳から追い打ちがかかる。


「お疲れ様仙兵衛ちゃん、あと二日頑張りましょうね」


「ふええ」


 なんとも情けない悲鳴が隊舎に響いた。



「仙兵衛。君にやってもらう事がある」


 ある日の昼下がり、警邏終わりの昼餉の後で、右彩が話しかけてきた。


「なんだよ、俺今日はもう非番なんだけど?」


「そんなことは知っている。だからこそだ」


 右彩は文机に置かれた堆い冊子を指さした。


「本って、今日はどんな嫌味だよ」


 読み書きのできない仙兵衛にとって、本は最も縁遠い存在だ。


「嫌味ではない。今日から非番の時には僕が君に読み書きを教えることになった。さあそこに座れ」


「なっ、ふざけんなよ! 折角の非番だぞ! それによりによって何でお前なんだよ」

「それは僕も同じだ。それに好き好んで君の手習いに付き合うわけじゃない。これは牡丹さんから命じられた事なんだ」

 

まったく腹立たしい。といった調子の右彩。


「え、局長が?」


「そうだ。いつまで経っても字が読めないし書けないようでは、勤めに支障をきたすだろうとな。さあ、わかったらさっさと座れ。早く終わらせたいからな」


 局長の計らいとあっては、従わざるをえない。高圧的な右彩に苛々しながら、仙兵衛は渋々文机の前に座る。


「ああ、心配するな。そこにある本は全て御伽草子の類だ。稚児でも理解できる本なら、君の頭でもわかるだろうさ」


「あん? 一々嫌味言わねーと喋れねぇのかお前は」


 昼餉の後片付けをしていた香凛が、二人のやりとりを聞いてため息をつく。


「あなたたち、もっと仲良くできないのかしら?」


「「だってこいつが!」」


 お互いを指さす仙兵衛と右彩。


「なんだ、仲良いじゃない。そのまま仲良く手習いしてね」


 重ねた茶碗を持って、香凛は台所へと向かった。


「……さあ、やるぞ」


「へいへい」


 残された二人は不承不承ながら本を開いた。


 朝から昼にかけての警邏の為に隊舎を出た仙兵衛の前に、がたいの良い長身の男が立っていた。


「おう、今日もばっちし決まったぜ。ってわけで、行くとすっかぁ!」


 椿油で整えた自慢の髪を弄りながら、輪太郎が言った。


「うす! よろしくお願いします!」


「おう、いい返事だ!」


 仙兵衛の背をバンと叩いて歩き出す。


 二人の警邏先は北街だ。北街は東幻京の玄関口となる為、他の街と比べて人の流入が多い。


「どうだ、少しは慣れたかよ?」


「少しは。でもやっぱり手習いだけは苦手っすね」


 寒空の下、大通りを歩く憑鬼人二人。


 強面の輪太郎だが、その実彼は面倒見の良い兄貴肌の人物だ。都での生活に慣れない仙兵衛を気にかけ、折に触れて世話を焼いてくれている。出会った当初こそ身構えたが、馬が合うのか憑鬼組の中では一番気心の知れた人物だ。


「てめぇ、何人の顔じろじろ見てやがる? さてはてめぇ憑鬼人だな。そうに違ぇ無ぇ」


 遠目にこちらを見ていた町人の青年に、輪太郎が絡んだ。これは輪太郎と警邏するとよく見る光景だ。


「すんません、すんませんね。ほら行きますよ輪太郎さん」


 袖を引っ張りなんとか引きはがす仙兵衛。


「おい何だよ仙兵衛、あいつ怪しいぜ。さっきから俺らをちらちら見てやがった」

 憑鬼組の羽織姿は目立つ上、輪太郎は輪をかけて目を引く恰好をしているのだが、輪太郎の中ではじろじろと見てくる輩=怪しい奴=憑鬼人か鬼。の図式が成り立つらしく、片っ端から喧嘩を売って回るのが日常茶飯事だ。


「いや、きっと見てたのは、輪太郎さんが洒落てるからですよ。きっと」


「お、そうか? いや、確かにそうかもな」


 呵々大笑する輪太郎。


「ま、特に前髪こいつは毎日半刻かけて整えてっからな」


 その後、三十八人の人間に絡んで、昼前の警邏は終わった。昼餉の後に右彩の手習いを済まし、少し休んでから当番の夕餉を作る。大根と味噌の野暮ったい田舎料理だが、瞳に手伝ってもらいなんとか皆の口に合う物を出せた。


「今日は何にも無くてなによりだったな」


 夕餉の後の警邏が終われば、今日一日の勤めは終了する。後は隊舎に戻って風呂に入って寝るだけだ。


「まだ何があるかわからないわよ」


 と香凛。隊舎への帰り道、手に下げた行灯が闇を照らす。不夜城とも称される中心部と違って、ここら辺はの刻()ともなると昼の喧騒を忘れて静まり返る。


「お。お前たち良いところに会ったな」


 隊舎まであと少しという所で出会った、憑鬼組局長六花牡丹。


「あれ? こんな時間にどうしたんですか?」


「ああ。軽く飲みに行こうと思ってな。お前たちも付き合え」


「え、でも警邏がまだ」


 ぐいぐいと二人の袖を引っ張る六花。


「ここまで来たなら、もう終わったようなものだろう。たまには飲み屋の中まで警邏しておけ」


 出会った時点で観念していたのか、香凛は無抵抗に引っ張られ、仙兵衛も強引に連行された。


「私の何が悪い! 私の何が!」


 猪口に満たされた酒を一瞬で飲み干し、六花が声を荒げた。仙兵衛と香凛は供された鰤の煮つけを口に運びながら、目上の愚痴に付き合っている。何故私には男ができないのか。という議題の下、かれこれもう一刻は飲んでいた。


「お客さん、そろそろ店閉めたいんですが……」


「おお主人、私いい女だよな? 男が放っておかない、いい女だよな?」


(うわっ、絡み酒だ! めんどくせー!)


 六花の駄目な一面を垣間見て引く仙兵衛と、慣れているのか黙々と箸を口に運ぶ香凛。明日の起床時間を気に病みながら、夜は刻々と更けていった。

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