第三話「秋の別れは、竜胆だけが知っている」
喧騒が収まったのは、それから数刻後のこと。最後の一匹が踏みつぶされ、ようやく戦いは終わった。
村は惨憺たるありさまで、村人と鬼のちぎれた四肢や臓腑が辺り一面に散乱し、腐臭と血の臭いとが空気を満たしていた。
転がっていた少女の首が、仙兵衛の目に入る。仙兵衛より四つも年下で、親の手伝いをする良い子だった。
少女の虚ろな瞳がまるで自分を責めているようで、仙兵衛はそれから目を逸らした。
大勢が犠牲になってしまったものの、それでもどうやら村の半数は生き残ったらしく、村の隅に一塊になって事態を見守っていた。
仙兵衛は村人たちに歩み寄って言った。
「終わったよ、もう大丈夫だ。早く死んだ皆を埋めてやろうよ」
しかし村人たちから返ってきた言葉は、予期せぬものであった。
「鬼だ、鬼がこっちに来るぞ!」
村人の悲鳴に足が止まる。
「え? ああ、大丈夫。俺だよ俺」
皆を安心させようと、人の姿に戻る仙兵衛。それを見た何人かがあっと息を呑む。
「今まで黙ってたけど、俺、姿を変えられるんだ」
「ってことは、お前は今まで人間のふりをしていたってことか」
「え……」
村人の言葉に仙兵衛は戸惑う。
「聞いたか、俺たちの村に、何年も鬼が紛れ込んでいたぞ!」
鬼だった。仙兵衛は鬼だった。ざわめきが村人に広がる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
「こないで、この化け物!」
化け物。その言葉が仙兵衛の頭を殴りつけた。
「くそっ、これ以上近寄るな」
村人の一人が、狩りに使う弓矢を構えて怒鳴る。
「奴らはお前が沼主様を殺したと言っていた。 沼主様がいればあんな奴らが村に来ることはなかったんだ、皆が死んだのはお前のせいだ」
その叫びがきっかけとなり、充満していた怒りが一気に噴出する。
「俺の女房は喰われた。せがれは踏み潰された。お前が殺したようなもんだ」
「おっとうとおっかあを返して、返してよ」
怒り、恐れ、憎悪と悲哀。あらゆる負の感情が、言葉の洪水となって仙兵衛にぶつかる。
「今更人間のふりを!」
放たれた矢が、右肩へと突き刺さる。
矢を放った男は仙兵衛と目が合うと、ひっと短い悲鳴をあげた。
村人たちに背を向けると、無言のまま暗い山へと駆け出す。
「逃げたぞ、追え」
「下の町にも知らせて人手を集めるんだ、奴を生かしておくな」
その言葉を背中に受けながら、仙兵衛は生まれ育った村から逃げ出した。
村から少し離れた、山菜採りに使う山道にさしかかった辺りで呼び止められ、仙兵衛は足を止めた。
「さよ、お前なんでここにいんだ」
だいぶ走ってきたのだろう、さよは肩で息をしながら答えた。
「わかるよ、仙兵衛がどの道を使うかくらい。私もついてく」
「駄目だ」
「どうして?」
さよの瞳が涙で潤む。
「お前が出てく理由がない。俺はもう、村にはいれない」
「あるよ、私が出てく理由」
仙兵衛はさよの肩に手をかけて目を見つめる。いつも自分と一緒にいてくれた、丸くて優しい瞳だ。
「今お前までいなくなったら、皆が心配する。ただでさえ大変な時なんだ、お前が皆を助けてやってくれ」
涙を頬に伝わらせながら、さよは頷いた。
「これからどこに行くの?」
「下の町にも知らせは行くだろうし、秋代にはいられねぇ。ずっと遠くに行くよ、見つからないほどずっと遠くへ」
「なら、これを持って行って」
さよは首にかけていた飾りを外し、仙兵衛に手渡した。
「お前、これ大切な物だろ」
それは、この地域で稀に見つかる桃色の水晶を削った首飾りで、無くなった母からさよが貰った物だった。
「それ、鬼を祓ってくれるって言われたの。道中は危険だから」
「本当にいいのか?」
「うん。お金に困ったら売って。きっと高く売れるから」
売らねぇよ。そう言って仙兵衛は首飾りを身に着ける。
「ありがとよ。お前だけはいつも信じてくれて」
「仙兵衛、あのね、私仙兵衛が……」
そこから先の言葉は、藪の向こうから聞こえてきた声にかき消されてしまった。
「こっちから声がしたぞ。こっちだ、探せ」
すぐ近くで大勢の声が聞こえる。木々の間から、松明の灯もうっすらと見える。
「行って、早く!」
「ああ、元気でな。おさよ」
別れを告げ、仙兵衛は駆け出した。
暗闇に溶けて消えゆくその背中を、さよはいつまでも見つめていた。
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