第7話 ムノキスケ

 アパートについて、シャワーを浴び、冷蔵庫の中からご飯になりそうなものを選りすぐり、丼にあけて温める。俺がレンジでご飯を作っている間に、リズがシャワーを浴びる。


 リズがシャワーから出てくる頃には、テーブルにはご飯を揃える事が出来た。


 いつもならご飯に目がないリズだが、今日は気分が乗らないようだ。まあ、悪い知らせを持ってきたと言っていたからその所為だろう。


「リズ、腹減ってないか?」

「いや、腹は減っておる。じゃが、のう」

「悪い話があるってのはわかったけど、すきっ腹じゃあ余計にイライラしちまう。まずはそのことは一回忘れて、食べよう」


 元気のないリズだったが、一口ご飯を食べたらたちどころに陰気は消え、いつもの陽気なリズに戻っていた。


「これはなんじゃ? 美味いのう」

「親子丼だよ。今日はレンチン料理だからそんなに美味しくないかも知れないけど、また今度ちゃんと作ってやるからな」

「楽しみじゃ」


 夕飯を食べ終え、洗い物を終えてから、リズと向かい合い話を聞く準備をする。


「で、悪い話ってのは?」

「まずはムノキスケの件。奴は死んでおる」

「そうか。ああでもごめん。俺その人と面識ないから悲しめないわ」

「死んだことそれ自体も問題があるが、奴は殺されたんじゃ」

「まさか倣科ならしなさんにとか言うんじゃないだろうな」

「いや、違う。ムノキスケを殺したのは」

「殺したのは?」

「おぬしじゃよ。夕映ゆえい志士奈ししな

「え?」

「誠に残念じゃが、そういうことじゃ」

「あ、いやちょっとごめんわからないわ。だって俺その人に会ったことないし」

「会ったことがなくとも殺せる。それがおぬしの世界における役割故な」

「それって、殺意がないと殺せないのか? 俺の意思とは無関係に殺しちゃったりとかしてない?」

「殺意ありきじゃ。無意識に殺すことは出来ん」


 そんな能力が俺にあるのか。

 でも殺意を持って人を殺そうなんてしたことないぞ。

 と、真面目に考えていた。もはやリズのごっこ遊びだとは思っていない。こいつの常人離れした戦闘能力を見た後では、何もかもを信じる事が出来た。


「しかし、どうして俺が殺したって事が判明したんだ?」

「どんな遺留物も、辿る先はゴミの山からじゃ」

「意味深な事言ってごまかすなよ」

「意味深ではない。そのままじゃよ。ゴミの中から彼奴きゃつの殺された証拠が挙がった」

「そうなのか。でもなあ、いまいちピンとこないから、他の悪い知らせを先に聞かせてくれないか?」

「そうじゃな。悪い知らせはもう一つある」


 そう言って数枚の写真をテーブルに広げる。

 そこに写っているのは倣科さんだ。

 どれもこれも。

 しかもホテルの中に男と消えていく写真ばかり。

 男は全員違う男で総勢5名。

 俺は言葉無く写真を見つめている。

 リズが俺の顔色を窺っているのが分かった。


「この間の件があったばかりじゃが、現実を知っておいて貰うしか、わしには考えがつかんかった」


 俺は押し黙るしかない。


「おぬしを傷つけたいわけではない。ましてこの前わしが言った通りじゃろうと自分の審美眼をおぬしに見せつけたいわけでもない。ただわしにはこれくらいの事しか思いつかんかったんじゃ。許してくれ」


 許すも何もない。

 結局俺は間違っていた。

 間違っていた俺がリズを追い出し、心配になって会社をズル休みして、街を彷徨っていたらチンピラにボコボコにされて、最初から何もかも正しかったリズに助けられた。

 本来は自分の過ちを悔い改め、リズに感謝を述べるべきなのだろう。そう、頭では分かっている。

 ぎゅうぎゅうと押し込めばちゃんと入ってくれるゴミも、適当に入れるとすぐゴミ箱から溢れ返るみたいに、俺の頭の中からいろんなものが溢れてしまって入らない。


 とにかく俺が間違っている。

 好きな人は俺の事を好きじゃあない。

 漫画家になる夢は諦めた。

 いつも通りが嫌い。

 その嫌いないつも通りが大切だった。

 縋るものがない。

 倣科さんに甘えたい。

 俺はもう夢も諦めて好きな人にも振られたんだって。

 甘えたい。

 でもその人は今夜違う人の胸に抱かれて眠っている。


「志士奈?」


 リズの声が聞こえるまで、俺は自分が玄関に向かって歩いて行っていることに気付いていなかった。そして気付いたと同時に自分が今からしようとしている事にも気付いた。とにかく逃げ出したかった。


「志士奈!」


 ドアノブに手を掛けて勢いよく外に出る。土砂降りの世界へ。

 階段を駆け降りて行くあてもなく走り出す。すぐに呼吸が乱れた。雨が口の中に入ってくる。大きくて重くて痛い雨が。口の中がジャリッとした。唾を吐き捨てなお走る。涙も鼻水も雨に紛れて分からなくなれ。顔が赤いのは雨に打たれた所為だ。なんで大切なものはいつも簡単になくなるんだ。信じるってなんだ。助けてくれって誰に言えばいい。責任の所在はどこだ。誰が俺を責めたんだ。解らない。分からない。


 ただ雨が降っている。


 この雨が体温と一緒に何もかも奪い去ってくれればいいのに。

 乱れた呼吸を整えようとしたところは道路の真ん中だった。

 目の前の景色が光に包まれた。

 車。


 ――ドンッ。


 刹那。

 俺は何者かに突き飛ばされ、歩道と道路の間に倒れた。

 街路樹があるその場所は、ちょうど土がありクッションになった。


「死ぬ気か! おぬしは!」


 リズに襟を掴まれる。

 正気に戻ると同時に、今まで押し殺していた気持ちが一気に溢れ出る。


「死にてぇよぉ……!」


 俺の言葉を聞いたリズは、苦しそうに顔を歪める。

 まるで俺の言葉がリズを直接責めたみたいに。


 リズは俺を抱きしめる。きつく。

 同じように俺もリズを抱きしめ返す。

 雨に流れる体の熱。しかしまるでそれが無限であるかのように、リズは温かい。生きている。俺は二度も助けられた。こんなに小さい子に。そして更に縋っている。抱きしめて。縋っている。情けない。

 死んでいないという事実からくる安堵。雨に打たれて増す熱への感覚。子供に頼ってしまう自分の不甲斐無さ。何もかもが嫌で。ただ涙が溢れた。

 声を上げて泣く俺をリズはあやすように抱きしめてくれた。泥にまみれて。


「……こう、じゃったかの」


 俺の頭をぎこちなく撫でるリズ。濡れた指にべたべたになった髪の毛が絡むだけの行為。そこには心地よさはない。けれどもどうしてか、今の俺にはこの上ない安堵をもたらす行為だった。

 抱擁といい子いい子は、どんなに大人になっても場所を選ばず心地よいもののようだった。

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