第5話 前説
朝起きて真っ先に思い浮かんだのはやはり、昨晩リズに放った言葉だった。
今にして思えば、良い歳した大人が、自分の好きな人を悪く言われただけで激昂。揚句、夜の帳が落ち切った外へ追い出すなど。今のご時世、獅子でも鬼でももっと優しいだろうに。なんてことをしてしまったんだ。
朝テレビをつけると家を出るのが遅くなるのでいつもはやらないが、ニュースで迷子の話などやっていないだろうかと気になりテレビをつける。子供が死んでいたとか一人で歩いていたなどと言うニュースはやっていなかった。
一先ずは胸を撫で下ろし、会社へ向かった。
何も解決していない。
だが能動的な解決手段が思い浮かばなかった。
会社で倣科さんに会い、リズがご馳走様と言っていた事を伝えたが、ケンカしたことも追い払った事も言えなかった。なんと卑怯な男だろう。自分が嫌われたくないから重要な事なのに包み隠して。一緒に探して貰う事も出来たかも知れないのに。
会社から帰ってもリズは家に帰っていなかった。
夕方なのに空はやけに薄暗く、崩れゆくであろう天候が心配だった。雨が降るときどこか屋根のある場所に居ればいいのだが。
その日の夜も鍵を開けて寝たが、朝になっても帰ってこなかった。
どれだけリズの事を心配しても、それを理由に会社を休むわけにはいかなかった。なぜ行かなければいけないのだろう。不安な事があるのならば、休めばいいのではないか。休んで一日中リズを探し回ればいいのではないだろうか。そうしない理由は恐らく、嫌いで嫌いで仕方なかったいつも通りが実はとてつもなく重要であることを身に染みて理解しているからなのだろう。人を探すために会社を休むという非日常が、恐ろしくて堪らないのだ。それほどまでに縋り付いて生きて来たと思っていなかったのに、いざいつも通りから離れるとなると、足が竦む。
そうこうしている内に、会社には着いてしまう。
就業規則に則って働こうとしてしまう。
本当に重要な事はなんなのか。
それを考えるという重要な事が、責任重大過ぎてできない。結局俺は昼過ぎに班長に体調不良を訴え、半日で上がらせて貰う事にした。
この
本当は居なくなった初日の朝に探して回るべきだったかも知れないが、勇気も行動力もないんだ。俺には。だからそんな事を簡単にやってのけてしまうヒーローに憧れて、漫画を描き始めたんだ。今はもう諦めたが、その代わりに今から行くから。
リズの行きそうな場所を探そうと思ったが、そもそもあいつがどういう奴なのか理解できていない。とにかく人目に触れれば誰かが覚えていてくれるかもしれない。何せあいつは学校に行っていない。学校がやっている時間に子供がうろついていたら昼間でも不審に思う人が居てもおかしくない。だからまずはうちからほど近い商店街を探して歩いた。店を開けている人に逐一聞いて回った。だが誰一人そんな子供は見なかったという。
商店街はただ北から南へ歩くだけなら15分と掛からないが、東西に広がり、更にその裏道までとなるとなかなか時間が掛かった。もう3時間はずっと歩き続けているが、全くリズに辿り着かない。どころかその片鱗すら垣間見る事は出来ていない。
全く見当違いなのかも知れない。
子供の行動範囲も電車に乗ってしまえば、格段に広がる。しかしあいつが出て行った時間は夜の8時をとうに過ぎていた。そんな夜にあんな小さな子供が一人で電車に乗っていれば、車掌に声を掛けられるだろう。そうか。駅員に話を聞いてみるか。その時は家に帰る所だと言って事なきを得ても、記憶には残るだろう。
駅へ向かう途中、近道をする為神社を横断しようとしたとき、どこからか怒声が聞こえた。神社とは言え神主も常駐しないような寂れた神社だ。そこで声がすることさえ珍しいのに、怒声とは更に珍しい。まさかチンピラにリズが絡まれているのでは、と物陰からこっそり覗き込んだが、そこには高校生たちが居るだけだった。一人ガタガタと震えている男が居るが、それを取り囲んでいる男たちは対照的ににやにやと笑っている。四人がかりでいじめているのだろうか。どの場所にも、どの時代にもこういう風景はあるものだな。
割って入ろうにも多勢に無勢。警察に通報したところで彼らが来る前にチンピラは散開。警官が居なくなってからまた彼をイジメに戻ってくるだろう。
見て見ぬふりをするのが得策であることはわかっている。だが、こういう時にしっかり割り切れないのが自分なのもわかっている。何しろ最近までヒーローを描いていたのだ。
ではどうすればいいかと自問したところで答える自分が答えを知らない。ただもしも目の前に居るのがリズであれば、助けに入っただろう。間違いなく。身を挺して。
そう思っていたら、いつの間にか俺は彼らと目が合っていた。いや、いつの間にか彼らの前にまで出てきていたのだ。
「なんだおっさん」
彼らのリーダーと思しき男が声を掛けてきた。
「おっさんではない。目上の人への言葉遣いを習わなかったのか?」
「習ってねーわ。だからおっさんで構わねーだろ」
全員の注意が俺に向いている。アイコンタクトでいじめられていた青年に「行け」とサインを送る。青年は逡巡の後走り出した。
「あ、待てこら」
「おい!」
追い掛けそうになった金髪の不良に声を掛け、制す。
「お前らの相手はこの俺だ。チンピラども」
生まれて初めて吐いた科白に酔いすぎて戻しそうだ。クラクラする。
「仕方ねぇ! あいつから金取れなかった分このおっさんから取るぞ!」
イベントの主旨がイジメからオヤジ狩りに変わった瞬間である。
さて、どうするか。
端的に言って1対4での戦いに勝利する方法はない。
どんな戦闘においても徒手空拳での場合は、地の利が無い限り数の多い方が勝つ。だから負けを前提にいかにダメージを少なく戦い終えるかに重きを置く。
相手が打撃での戦いに終始してくれれば一番いい。サブミッションで関節を折られるのが一番悪い。だから堅く防御に徹するのは良くない。程よく手を抜いた防御で打撃が有効であることを他の人間にも知らしめる。その上で、必要以上に痛がりノックバック。
本気で殴りに行けば相手も本気で殴ってくる。だからあえてヘロヘロのパンチをする。すると相手も調子を合わせる。
これは人間に備わっている本能と言える。人は本気じゃない相手に対して本気を出すことができないのだ。中には無抵抗の人間を構わず射殺することができる人間も居るが、通常の場合は抵抗しない限り攻撃はしない。
これは法律に従いたいと思うからそうしたいのではない。相手に調子を合わせたい動物なのだ。人間と言うのは。団体行動を常とする動物であれば、空気を読むという行動は自然。こちらが弱ければそれに伴い戦力を落とすというのも必然。
思った通り、中でもリーダーの男は遠巻きに俺が弱って行くのを見ているだけだ。俺が本気で暴れ出したら恐らく取り囲んでいるだけの奴らも参加してきて、本当の1対4が成立してしまう。この実質1対2くらいのダメージであと数分切り抜け、倒れ込んで起き上がらなければ満足するだろう。財布に入っているお金を持っていかれるのは惜しいが、抵抗して骨を折られて働けなくなることの方が致命傷だ。
と言うかそもそも、仮に俺が四人を相手取って勝てる程強い人間でも、大人が高校生を相手に暴力を振るう事は世間的に許されない。だからこの場で勝利しても、後々社会的に抹殺されるので、どうやったって勝つことは許されていないのだ。
大人は子供には勝てないのだ。
弱者を守る為の法律に正義が殺されるのだ。
それがこの世界なのだ。
フラフラとしたところに、リーダー格が近寄ってくる。
「調子こいてた割に糞ヨワじゃねーの!」
恐らくこいつが一発顔面にストレートを入れてきて、俺が倒れれば終いだ。
なんとなくそういうストーリーがお前の中でできているんじゃあないか?
思っていた通り、男は思い切り殴り付け、俺は後方へと吹き飛ばされる。
なんでここまで分かるかって?
昔イジメられていたから良くわかるんだよ。その辺の事は。
ただ絵が上手いからってだけで、気持ち悪がられてな。どうせお前らもそういうくだらない理由で人をイジメていたんだろう。イジメられていた彼はきっと何か才能があって、それがお前らには無いものだから、気持ち悪がってイジメていたんだろう。今ならわかるよ。気持ち悪いってのは最高の褒め言葉だってことがな。
後は財布を抜かれて終わりだ。それまでなるべく無抵抗でいよう。実際抵抗するほどの力も残ってないし。
「どうする? こいつ」
金髪の男がリーダー格に何やら聞いている。
「そうだな。見せしめに腕の骨くらいいっとくか」
おいおいおいおい。ウソだろこいつら。
最近のガキは無抵抗の人間の骨を平気で折れるのかよ。糞。もう逃げる力はないぞ。
絶望の色に景色が染まる中、一陣の風が吹いた。
「ぐえっ」
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