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絵を買い求める人は生活にいくらか余裕のある人であることが多い。そうでもなければ悠長に絵を嗜むことはできないのだろう。
俺の住まいに唐突に連絡をよこしてきた男もやはり富裕層だった。庭は広く、塀は高く、白壁の家の中には小さなホテルでも経営できそうなほどの部屋がある。一人きりで暮らしていると寂しくなりそうなものだが、その主人はいたって健康そうに見えた。
「お待ちしておりました、咲良竜水様。商談に移る前に、どうぞくつろいでください」
くつろぐとはいっても、自由に寝そべっているわけにもいかなかった。俺は主人の後について家の中を歩き回り、廊下の壁に飾っているいくつもの絵画の詳細について教示を受けた。傾向は雑多で、油絵、デッサン、水彩画、デジタル彩色の施された抽象画なども飾ってあった。正直に言えば、あまり好きな絵の飾り方ではない。意味もなく連なる絵は、不意打ちの連続だ。そういう刺激が好きな人は楽しむといいが、俺にはできない。特に絵を描くことの意味について拘り続け、泥沼に嵌まっている今の俺には。
十分ほど歩いた後にようやく応接間に通された。黄緑色のテーブルクロスの上で、手のひらサイズの植木鉢の中に肉の多いサボテンが佇んでいる。壁際には何故か年代物の鎧兜が三体ほど並んでおり、窓の外からは山梔子の花が顔を見せていた。
とてつもなく柔らかいソファに沈みそうになっていた俺と、向かい合う形で主人も座った。葉巻を取り出し、俺を見て小首を傾げてきた。なるべく顔を朗らかにして頷くと、主人は葉巻を加えて吸い、丸みを帯びた煙を吐いた。
「私はね、絵というものを奨励したいんですよ。この世にはたくさんの画家がいるのにその多くが名前を知られていない。一部の運の良い画家だけがメディアに取り上げられる一方で名も無い者たちが夢を諦めてしまう。この現状をぜひとも打破したいのです」
絵を飾るセンスはともかく、奨励する意義があるという点については同意だった。誰にも絵を見せられないまま画家を止め、田舎に帰っていく知り合いを何人も見てきていたし、なにせ俺自身がそうなりつつある恐怖もあった。俺の場合は田舎ではなく、咲良グループの一社員としておそらく都会のビルの中に押しやられるのだろう。
「つきましては、咲良竜水さんも、他の若手の画家と同じく、私の画廊に招待したいのです」
主人の垂れ目の奥が光った。俺は咳払いをして背筋をのばした。
「もちろん、私も画家として、一抹の協力が出来ればいいと思います」
主人の垂れがちだった眦がより一層下がっていった。
「それを聞いて安心しました。お呼びしたのが、無駄ではなくなって良かった」
口調の明るさから察するに、答えはもう決まっていたのだろう。
「こちらこそ」
深々と頭を下げた。胸が高鳴っていた。ひとつ仕事が入る。つまり、それだけ生き延びられるということだ。
本当なら俺の絵だけを飾って欲しかったが、贅沢もいっていられない。他の人と抱き合わせでも良いから、俺の絵を飾る機会が欲しい。
下げた頭を持ち上げてみると、主人はもう身体を起こして目を細めていた。半分ほどの長さになった葉巻を灰皿にぐりぐりと押しつけた。細い煙が棚引いて、あたりに匂った。
話がとおればしばらくは収入が期待できる、と俺は気楽に考えていた。
「咲良さんには是非、七年前にコンペティションで描かれたような絵をお願いしたい」
「は?」と、何かを考えるよりもまず声に出てしまった。慌てて口を押さえた。主人は首を傾げた。
「どうしました」
画商は眉をつり上げて尋ねてきた。
「いや、あの。七年前の絵と同じっていうのはどういう意味でしょう」
「そのままの意味ですよ。七年前に君が一番評価されたあの絵を、私の画廊で表現してもらいたいんです」
「しかし、そっくりそのままというわけにはいきません」
「もちろん、完全なコピーを描けと言っているわけではありませんよ」主人は笑い混じりに首を振った。「一番評価されたあの絵のタッチこそが、君の最大の持ち味ですからね」
「そうはいっても、私もあれからいろいろと学んできましたので」
「学んだ結果は、ちゃんと形になっているんですか」
「・・・・・・」
答えられないでいる俺を、主人の垂れ目が易々と射貫いた。
「私の画廊もボランティアではない。ちゃんと評価のされうる人を載せていきたい。君を招待したのも、七年前の絵があってこそですよ。あのときの評価を覚えていたからこそ、君にも連絡をしたのですから」
灰皿の上に突き刺さったままだった葉巻が横に倒れた。灰がテーブルにいくつか落ちる。
ナユタなら、すぐに拭きに来そうだな。どうしてかそんなことが思い浮かんだ。
主人が俺を見ていた。垂れ目の奥の目は俺を疑いもしていない。良い返事をするものだと信じ切り、顎を撫でている。
俺は息を吸い込み、唇を軽く噛んだ。力を入れると鈍く痛んだ。
俺の絵を飾るかどうか。そんなもの決まっている。
顔を上げた俺の目を、主人が待ってましたと顔に書かれた様子で出迎えてくれた。
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