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 いくつものカメラのフラッシュが俺を取り囲んでいた。

 俺は壇上に佇み、自分の描いた絵を掲げている。

 最も人気の高かった作品に贈られる写真撮影の時間だった。内容についての解説も求められ、俺は「自我の解放」を宣言した。

「誰しもが潜在的な欲求を抱えています。思うままにしたいことを、様々な理由で我慢して生きています。私もそうでした。地位の用意されている人生に嫌気がさして、大学を中退し、親の跡目も継がずに画家へ転身しました。そのことについて非難の声も散々聞こえてきます。家族を大事にしろと言う人もいます。でも俺は気にしていません。全ては俺のやりたいことをやるためです。今、その選択が間違っていなかったことをこの絵で証明でき、大変満足しております」

 俺の絵は、認められた。

 式典が終わり、気が楽になった俺は早速次の作品を作らねばならないと心に決めた。

 キャンバスに向かい、油絵を塗り、刷毛を整え、描き殴り、そして一枚を無駄にした。二枚目も、三枚目も続いた。納得のいくものがなかなかつくれなかった。「なかなか」はやがて「ずっと」になった。

 絵が描けなくなった。作品を出せない表現者に生き残る道はない。俺の絵は式典から三ヶ月も経つ頃にはもう忘れられていた。年が変わればなおさらだ。

 描かなければならない。それがわかっているのに、描くべきものが見当たらなかった。

 自省の念が募る中、俺は描けない理由を考え続けた。

 油絵を描き始めたのは、自由になりたいと思ったからだ。その自分が文字通り有名になり、自立してしまったがために、自由への欲求が薄れてしまっていたのではないか。

 理由が思い至ったにしても、何をする気も起きず、うつろな日々を過ごした。青い空や夜の闇を見つめているうちに、自分の存在がとても軽薄なもののように思えてきてしまった。何も出来ない人間には、酒におぼれるくらいしか憂さ晴らしの機会はなかった。本当は寿司バーの板前や客たちが俺を下に見ていることも良くわかっていた。

 二九歳の俺のそばには仲の良い人などまるでいない。今までの人生だってほとんどいなかった。俺に近づいてくる連中は、みんな俺の父親の資産に視線が向いていた。どいつもこいつも俺本人のことなどはまるで気にしてはいなかった。

 たった一人を除いては。


 時計の音が聞こえてきた。

 目を開けたら、暖色のライトがドアの向こうから漏れてきていた。かたことと音がする。

 小走りの足音が聞こえてくる。先ほどの少女の髪を思い出し、「あ」と零れた。

「目が覚めたね」

 誰もいないと思っていた寝室の片隅から声が聞こえて、驚きながら上半身を起こした。ちくりと針に刺されたみたいに頭が痛んだ。

「その声はまさか、菟田野?」

「ご明察」

 久方ぶりに見るその顔はにんまりと笑っていた。目立つ大きなロイド眼鏡が窓から差し込む星空の光を映してちかちか煌めいている。

 菟田野靖。姉が取りしきっている咲良グループ系列の研究所に在籍する工学博士。そして俺の、ほとんど唯一と言って良い友だ。かつて俺が所属していた工業大学に彼も所属しており、生物工学の授業で隣の席に座ったときに話をしたときに妙に気に入られてしまい、俺が大学を止めてからも縁が続いている。

「なんでお前がここの鍵を持ってるんだ」

「沙雪さんからもらったよ。お前の家にいつでも遊びにいけるようにって」

 咲良沙雪、俺の姉の名前である。菟田野にとっては大ボスだ。

「遊びにって、お前もそんなにお前も暇じゃないだろう」

「そうだね。今日までは本当に、手も足も出ないくらい忙しかった。研究開発に終わりは無い。明日からはまた忙しい。君と会うのも久しぶりだね。元気にしていたかい。どうも最近、とんと評判を聞かないけれども」

 そういいながら菟田野は、ロイド眼鏡を掌で押し上げて俺を見つめてきた。答えるのをためらっていることくらいわかるはずなのに、菟田野はその目をやめてくれない。

 溜息をついてから、「よくない」と答えてやった。

「そうだろう、そうだろう。僕の見込んだとおりだ」

 菟田野がやけに朗らかな反応を見せ、俺の目を丸くさせた。

「どういう意味だよ」

「そのままだよ。それなりに信用のおける、時間に余裕のある人を探していたんだ。君はまさに条件にぴったり」

「説明になってないぞ。回りくどい奴だな」

「そうかい、わかった。それじゃ単刀直入に」

 菟田野は椅子の上で居住まいを正して、こほんと咳を払った。

「ナユタを育ててほしいんだ」

 一言だけの説明に、俺は目を瞬かせた。寝室の外からがさごそと物音が絶えず聞こえてきている。

「ナユタって・・・・・・」

「さっきの子だよ」

 菟田野のいたずらっぽい笑みが、俺の頭の中で符号となる。

 菟田野があの子を連れてきた。

 軽々と大人の男を持ち上げる少女。冷たい肌、不自然な口調。

 それら全てを統合したら、答えが自ずと頭に浮かんだ。

「人造人間(ヒューマノイド)か」

「おや、話が早い」

 菟田野の眉が大きく弧を描いた。

 人間と同じような身体を持ち、思考し、行動するロボット。その総称であるヒューマノイドは、戦時中での活躍も手伝って、社会に大きく貢献するのではないかと大きく期待されている分野だ。

「お前の興味関心はいつもヒトにも向いていたからな」

 化学、人体力学、環境工学、心理学等々、当時の菟田野の履修科目は一見バラバラだったが、本人の意志は一貫していた。

 人間社会の中に自然な形でロボットを適応させること。

「いつかはやると思っていた」

 率直に言った言葉は嘘ではなかった。

「そう言ってもらえると誠に光栄だよ」

 菟田野は腕を折って貴族のように会釈をした。

「待て、俺の話は終わってないぞ」と、俺は慌てて首を振る。

「育てるってのはどういうことだ。ヒューマノイドは人が作る機械だろう。その身体はもう完成されているはずだ。後から背が伸びるわけでもないだろう」

「身体じゃない。心をだよ」

 菟田野は前のめりになって話を続けた。

「あの子の人工知能にはヒトの大脳皮質に相当する機関がある。大脳皮質っていうのはわかるね。人の感情を作る脳の器官だ。その素体だけは彼女の人工知能に組み込んである。しかしまだまだ成長途中の段階だ。あらかじめ感情をプログラムしておくことも可能だが、それだと他の無機質なロボットと変わりない。自然な心は、他者との関わりの中で作りあげられなくてはならない。ところが僕には忙しくて子育てをする時間がどうしてもとれないんだ」

 菟田野は一旦言葉を切り、俺の顔をまじまじと見た。

「人手がいるんだ。なるべく余裕があり、僕が信じられる人間のね。だから、君に頼む。協力を願いたい」

 笑みの薄らいだ険しい顔で、菟田野は俺に頭を下げた。

 彼が変わり者であることは学生の頃から知っていた。

 型にはまることを嫌い、飄々と興味のあることに突っ込んでいく。俺と話すようになったのも、俺が工学に興味の無いことを知り、そのために却って接したくなったからだと言っていた。変わり者で、ふざけているのかと思うこともあった。本心は今を以てしても掴みきれない。

 その菟田野が真面目な顔つきになるのを俺はこのとき初めて見た気がした。どうやらただならぬ事情があるらしい。

 俺はまた頭に手を添えた。

 休んだお陰だろう。頭痛はだいぶ薄れている。

「なんで俺なんだよ」

 そう呻くと、菟田野の顔がまたふっと綻んだ。

「君の絵のことが前から好きだったんだよ」

 こういうことを平気で言う男だった。

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