第3話 くっころ型インフルエンザウイルス

「増井祐樹だな! ここで会ったが百年目! 貴様の前に敗れ去った仲間たちの無念を晴らすべく、この私が成敗してくれる!」

 次に紹介したいのがコイツだ。さも因縁の相手かのような口ぶりで宣戦布告してきているが、まったく心当たりがない。そもそもインフルエンザ同士の関係性など知ったこっちゃない。

「なんだその顔は!? 敵を前にしてそのような呆けた表情で戦いに望むなど無礼千本! 私が大した知名度もない一介の女騎士だと思ってバカにしているのか!?」

「いや、そういう訳じゃないんだが……」

 いま女騎士とか言ったな。なんだろう、なにかを思い出せそうな気がするんだけど、具体的な絵面が浮かんでこない。

「問答無用! 貴様の気が緩んでいるのは明白!」

 怒りの気配と共に、剣を構えるような音が聞こえた――気がする。

「奇襲のような姑息な真似はせぬ、剣を取れ増井! この戦いは私だけのものではない! 志半ばで天に還った仲間たちが神と共に見守ってくれている聖戦だ! 騎士道精神に則り、真正面から貴様を打ち破ってみせる!」

「あー……ムキになってるところ悪いんだけど、戦う気ないぞ。俺」

「なにをほざくか!『殺していいのは、殺す覚悟のある奴だけだ』という言葉があるだろう! 命を賭した戦いの日々を送っておきながら、今さら臆病風に吹かれるとはどういう了見だ! この私を侮辱するにも程があるぞ!」

「いや、だからさ。ウイルスなんて無意識のうちに殺しているもんだし、その中に君の仲間がどれだけ含まれていたのかなんて俺が知るわけないだろ。そんな親の仇みたいな気概で来られても正直困るんだけど」

「なん……だと……?」

 決死の覚悟で挑んだ仲間たちが、相手に存在すら認識されていなかったという事実。わなわなと怒りに震えながらも、無残に命を散らす結果となった同胞たちの不憫さを思い、女騎士は涙を流した――気がする。

「舞いのように美しかったローラの剣を! 良質の鋼鉄をも切り裂くアリスの剣を! どんな相手でも諦めない不屈の心を持ったマリーの剣をッ! オマエはッ! 覚えていないというのかッ!?」

「ごめん誰一人として記憶にない」

「貴ィィィィィ様ァァァァァッ!」

 猛り狂う女騎士の咆哮。蹴りだした地面が爆ぜる。音速をも凌駕する瞬発力で零距離に迫るその姿は、さながら轟く雷鳴の如く。空気を切り裂き、大地をも揺るがす裂帛の気合とともに、全身全霊の一撃が振るわれた――気がする。

「バ、バカな!? 私の渾身の一撃が通じないだと!?」

「いや、そりゃマスクしてるからね。どうあがいても粘膜には入りこめないでしょ」

 当然ながらこんな体質なのでマスクは欠かせない。感染して羅漢症状が出ることを恐れているのはもちろん、ウイルスが断りもなく体内に侵入してきて、傍若無人に暴れまわっていると思ったら、次の瞬間には断末魔やら辞世の句やら読まれて勝手に死なれるので罪悪感がハンパない。

「……万策尽きた、か」

 剣を落とし、膝から崩れ落ちる女騎士。そんな情景が思い浮かんだ。

 まあ、マスクの繊維を突き破って侵入するとか物理的にムリだよな。そんなウイルスが存在したら人々は感染予防のためにガスマスクをつけて生活するというスチームパンクな光景が街中に広がってしまうだろう。

「くっ……殺せ」

「――あ。その言葉で思い出したわ。オマエの仲間たち」

 そうだ。ちょいちょいケンカを売ってくるウイルスがいたわ。さすがに名前までは知らなかったが、やたら高潔そうな女騎士みたいな口調のウイルスが存在していたのは覚えている。敗北を悟るや、なぜか一様に最期に「くっ……殺せ」と言っていた。そういうセリフを言わなきゃいけない決まりでもあるのだろうか。

「ふふ……そうか。私があいつらの存在を思い出させたというのなら、この命も無駄ではなかったということか……」

 今際にしてなぜか満足げな口調の女騎士ウイルス。俺が悪者的ポジションにされているこの空気、なんかイラっとくる。

「何をしている! さっさと殺せ! この期に及んで情けをかけられたとあっては末代の恥だ!」

「殺せって言われてもなあ……」

 今までの連中は遠慮なくアルコールスプレーを噴射していたが、さすがにここまでバッシングされて死滅させるってのはさすがに気が引ける。

「ちょっと御木本さんに相談してみるか……」

 電話をかけるとすぐに御木本さんが出た。実はヒマなんじゃなかろうか、あの人。

『どうした増井くん。とうとう私が書いているインフルエンザ同人誌の制作に興味が湧いたのかい?』

「いや、これっぽっちも興味ありません。とりあえず心の折れた女騎士の処遇について相談したいんですけど」

『なんだ、やっぱり興味があるんじゃないか。口では嫌がっていても身体は正直だな』

「言ってる意味がよくわかりませんがとりあえず俺は真面目に話しているつもりです」

『相変わらずユーモアが通じないなキミは。多少肩の力を抜いたほうが物事はいい方向に進むものだぞ? ほら力抜けよ』

「申し訳ないが俺はホモじゃありません。それよりどうすればいいですかね。アルコールスプレーぶっかけて殺すしかないですかね?」

『いや、私の立場からするとデータを取りたいのでな。体内に取りこんでどんな反応をするか見て欲しい。できれば速やかに研究所に来てウイルスの採取もさせてくれ』

「簡単に言いますけどね。発熱するリスクもあるしうるさいし、俺の心身の負担が大きいんですけど」

『特別報酬を出そうか。キミの好きなアイドルグループ乃○坂のライブDVDでどうだ?』

「やります」

 俺は電話を切りマスクを外した。特別報酬と聞いて俄然やる気になる。インフルエンザウイルスが放つ騎士道精神の熱気に当てられたのか、俺も宿敵のように振舞いたい気分になった。

「敵ながら見事なり、誇り高き女騎士よ。これまでの非礼は詫びよう。貴女の気迫に俺も全力を持って応えることにしよう!」

「ふっ……感謝するぞ増井。これであの世で待っている仲間たちに胸を張って会いにいける。受け止めきれるものなら受けてみよ、私の最後の一撃をッ!」

 数秒の間の後、驚愕する声が響いた。

「な……なんだこれは!? 話が違うぞ!」

「おっ、入ってきたかな? どうだ俺の免疫反応は。なかなか優秀だと思うんだが」

「卑怯者め! 多数で一人を取り囲むなぞ騎士道の風上にもおけぬ! 地獄から呪って……あっ、な、なにをする貴様ら! そんなよってたかって私の身体をまさぐるように……!」

 プラシーボ効果というものがある。思いこみの力で実力以上の力を引き出せるという心理。実際に細胞レベルで命令など出来はしない。だが、インフルエンザウイルスと会話できるという状況は、俺に細胞レベルで命令する、ということを可能にしていた。たぶん。

「――やれ、俺の細胞。全インフルエンザウイルスに鬼畜の所業が知れわたるほどに蹂躙しつくせ」

「ああっ、B細胞から分泌されたIgM抗体が私に結合してきて――しゅ、しゅごいのおおおおお!」

 堕ちたな。そう悟った。

 研究所でそのことを御木本さんに報告したら「創作意欲が湧いてきた!」とどこかに消えてしまった。その場にひとり残された俺が、これから作られる同人誌の内容を読んですらいないのに察してしまって後悔したのは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る