第三十話 リサとミカエル

 別の灰色の建物の真っ白な壁の部屋。天井には光の球が等間隔で並べられ、異様に明るい。それはリサたちの落とす影を限りなく薄くした。

 机が二、三台置いてあり、その上には魔族特有の文字が敷き詰めて書かれた書類が雑多に散らばっている。


 他に目ぼしいものはなく、中央にぽつんと置かれた手術台のようなものと黒く光る鎌が目立っていた。


「お前ら、特別飼育室って知ってるか?」


 この部屋に連れてくるなり、女の魔族はいきなりリサたちに質問を投げる。


「……知ってる。あんな牢屋じゃなくて、のびのびと暮らせてもらえる飼育室のことでしょ」

「ああ、そうだ。あそこに欠員が出たから補充しようとなったんだが、お前らそこに行きたいか?」


 特別飼育室ならさんざん話を聞いた。広い建物内を自由に動くことができて、食事も上等なものを食べさせてもらえると聞く。

 とにかくストレスのない清廉せいれんな魂を育もうという方針のようで、外の空気も吸わせてもらえるらしい。


 外に出ることができれば、もしかしたら脱出のチャンスもできるかもしれない。そう考えたことが何度あっただろうか。

 特別飼育室には定員があり、欠員が出たときだけこの牢屋から補充される。しかしそこでは手間と時間をじっくり使い育てるらしく、なかなか欠員が出ない。

 そこに行けることはあまり期待しないほうがいいというのが牢屋にいた人たちからの言葉だった。


 その特別飼育室に欠員が出て、加えてリサたちが補充要因に選ばれたのだ。

 リサは思わず小躍りし、歌でも歌ってやろうかという気持ちになった。


「行きたい! 行きたいに決まってる! ミカも行きたいでしょ!?」

「う、うん……! 私も行きたい」

「そうか、それは良かった。実は新しい実験を思いついていたんだ。真摯しんしで誠実な奴なら、殺されても生き返る程の魂の輝きを持っているかもしれないと考えていてな。そこでだ、特別飼育室に行けるのはどちらか一人にする――」

「ちょっと待って! どちらか一人って、私たち二人とも行けるんじゃないの!?」

「残念ながら、今回の欠員は一人だ。だからお前らの内一人しか行けない」

「……ってことは、もう一人はどうなるの?」

「今すぐこの鎌で首を掻っ切ってもらう」

「なんで!? どうしてそんなことやらないといけないのよ!? そんなの……だって……!」

「お前は嫌か? だったら相方に死んでもらえばいい。ちなみにどちらも死にたくない場合は……どうなるだろうなあ? さっきも言ったが今すぐ実験で真摯で誠実な魂を持った奴を使いたい。お前らがどちらとも友を見捨てる最低な奴だとしたら、役立たずとして今すぐ廃棄処分にしてやってもいいんだがなあ」


 女の魔族が手に取った鎌が空を斬る。十分に重く、ブンと音を立てて素振りされた鎌は天井の光を反射してギラリと光っていた。

 死にたいわけがない。こいつらの実験は魂の再生らしいが、未だに実験だとぬかしているということはまだその完成ができていないということだろう。


 そんな奴らの実験のために命を失うなんて絶対にやりたくはない。というか、魂の再生なんてものを本当に行うことができるのだろうか。そんなこの世の理に背くような業が本当にできるとは到底思えない。

 しかし失敗すると分かっていても、リサとミカエルのどちらかがその実験に付き合わない限りもう一方の命は助からない。二人生き残る道はもう塞がってしまっている。


 リサの顔に悔しさが広がり、こんなことを仕掛ける魔族を激しく恨んだ。

 この人間牧場へ連れられた時にはすでに絶望を想像していたはずなのに、ここにきて少しの希望をちらつかせこちらをもてあそんでくる。


 ミカエルに自分のために死んでくれなんて言えるわけないじゃないか。だが自ら死ににいくことも同じように言えなくて、リサは唇を噛んで黙ってしまっている。

 どうすれば……どうすれば、二人とも生き残れるだろうか――。


「私がリサの代わりに死ぬよ」


 リサも想像は付いていた。このままどちらも名乗り上げなかったら、痺れを切らせて二人とも首を掻っ切られていたかもしれないということを。早くどちらかが自らの命を犠牲にしないといけないということを。


 しかしリサはどうしてもそれができなかった。恋人のユーフェイの顔がちらついて、少しでも長く彼の顔を思い出していたかった。リサとミカエルとユーフェイは幼馴染で、思い出の多くは三人でともに作っていたというのに。


「いいのか?」


 女の魔族が口角を上げながらリサのほうにいやらしく尋ねてくる。

 いいわけがないじゃないか。……だけど、どうすればいいのか分からない。


「いくぞ?」

「ちょっと、やめて……!」


 そんなことを言いつつ一歩も動けずにいるリサを見て、女の魔族は構わず鎌を振り下ろした。

 ミカエルは首から二つに分かれ、切り口から赤い血が飛び出してくる。ミカエルの命は失われたのだと、リサにははっきりと分かった。


「お~い、回復班! 仕事だぞ!」


 いつの間にか部屋にいた三体の魔族がミカエルだったものにあちこち手を伸ばしている。

 リサはできることなら殴り飛ばしてやりたいという気持ちになった。


 止血された首のない胴体に一体の魔族が青白い光を当てる。すると次第に首の切り口から泡が立ち始め、それが弾けて消えるとともにだんだんと顔の形が出来上がるのが見えた。

 それはミカエルの顔のようにも見える。


 だがそのうちその顔から髪の毛は抜け落ち皮膚はたるみ始め、顔は尖り獣のようになってしまい、耳ががれその代わりに頭頂部から代わりの耳らしきものが垂れて生えてきた。


「成功だ……!」


 集まった魔族たちは目の前の生物が短くなった手足をよちよちと動かしているを見て、皆一様に喜びを表している。リサには何が嬉しいのかさっぱり分からなかった。


「何が成功なの……これがミカエルなの……? あの子が生き返った姿なの……?」


 魔族の観点からするとミカエルの魂は蘇ったらしい。リサにはそれを容易に認めることができないでいた。


 さらにリサに自責の念が襲い掛かる。

 ミカエルをこんな姿にしてしまったのは……自分だ。


 すっかり不気味な体となったミカエルは、キーキーという鳴き声だけ上げて体をよじらせていた。

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