第九話 天使幽奈という女

「どうしたんだ、天使あまつか?」


 わずかに焚火に照らされた天使の顔をなんとか捉え、太一は尋ねる。

 天使は口元を微妙に歪ませ、笑顔を作っている。その笑顔に子供のような純粋さはない。きっと作り笑顔をしているのだろう。


 彼女は太一の横にストンと腰を下ろし、一直線に火を眺めている。わずかばかり距離を置いているとはいえ、太一には彼女の緊張が伝わった。

 それならばともう一度、太一のほうから声をかける。


「今日はご苦労だったな。あんな治癒魔法を二人に使って、疲れてはいないか?」

「ううん、大丈夫。それよりも富良野君のほうこそ、モンスターと戦って大変じゃなかった?」

「平気、平気。戦闘のほうはもうずいぶんと慣れたし、俺は怪我一つ負っていないから」


 太一の心労の原因はモンスターとの壮絶な戦いによってではない。仲間の安否についてなのだ。

 人体蘇生リザレクションを受けて人格の変わってしまった二人の仲間。命こそ戻ったとはいえ、同じ人間であったとは到底思えないのであれば、それは死んでしまっているのと同じではないだろうか。


 なまじ生きて動いているからこそ、なお息苦しい。同じ身体なのに、同じ記憶を共有しているのに。それなのに、有人と愛厘は以前のものとは違ってしまっている。

 太一の記憶の中にある彼らを思い起こそうとしても、否応なく目の前で生きている彼らが目の端にちらついて仕方がない。思い出に浸ることもできないのだ。


 そんなことを悶々と考えているのが分かったのだろうか、今度は天使が太一に声をかけてくれる。


「ねえ、富良野君。守ってくれてありがとう。富良野君がモンスターを足止めしてくれていなかったら、私も殺されていたし。私、富良野君が私のために頑張ってるんだって思って、一生懸命治癒をしてたんだよ。富良野君がいなかったら、私頑張れなかった。ありがとう、富良野君」


 今まで天使が二言三言しか喋っているのを聞いたことがないせいか、これだけ饒舌に喋ることができるのかと太一は驚いてしまう。


 そう思って天使のほうを向くと、焚火に照らされ赤く燃えた肌にパッチリとした黒い瞳が太一をじっと捉えているのが分かる。

 そして目が合うと、今度こそ天使は子供のような笑顔を太一に向けてくれたのだった。


「そこまで言われるほどじゃないよ。俺は何もしていない。俺は何もできなかった。……二人を守ることができなかったんだ」


 これが太一の本音だ。もうあれは有人と愛厘ではない。二人は死んでしまったのだ。

 そんな後悔と自責が入り混じった声を上げると、天使は不思議そうに尋ねてきた。


「二人は私が蘇生させたよね?」

「まあ、そうなんだけど。でも、元の二人じゃないっていうか。有人のほうも、天使のこと下の名前で呼んでただろ? 違和感なかった?」

「ううん。私と友達になろうとしてくれているんだなって嬉しかった。ずっと下の名前で呼んでほしいって思っていたから。あの、その……富良野君にも」

「俺?」


 天使のほうは案外とフランクなのかもしれない。だとしたらそれを見抜いた有人のほうが正しかったというわけか。

 これを機会に天使と深く交流を持ってみようか。少し気になっていたこともあるし、と太一は前から思っていた疑問を投げかける。


「なあ……幽奈。そういえばこの世界に来る前、地震が起こっただろ?」

「うん、あの地震はすごかったよね……太一君」

「あの時、幽奈はどこにいたんだ? 教室は俺と有人と愛厘の三人だけだったし。廊下にでもいて巻き込まれたのか?」


 すると幽奈は視線を落とし、少し考えたような振りをして答える。その瞳は少し輝きが増していた。


「実はね。私、太一君のことを扉の隙間から眺めていたんだ。太一君の姿が見たくて。太一君の声を聞いていたくて」


 夜中だというのに、太一は大声を上げてしまいそうになる。

 太一は一度、他の皆が起きて来やしないか確認してから幽奈のほうに向きなおって質問をした。


「どういうことだ。お前、もしかして俺のこと……」

「ううん、そうじゃないの。私はただ太一君のことを遠くで見ていられればそれでいい。太一君が幸せそうにしていればそれでいいの」


 幽奈は言葉を続ける。


「あのね。太一君は覚えていないかもしれないけど、私たち一度会ってるんだよ。高校一年生の入学式。変な生徒に絡まれてどうしたらいいか分からない私の間に、太一君が現れたの。太一君はこの前の兵士のおじさんから私を助けてくれた時と同じだったよ。『やめろよ。嫌がってるだろ』って。それから私ずっと太一君のことを目で追うようになっていたんだ」


 そうだったのか。太一のほうには全く記憶に残っていない。無意識で行った行為を好いてくれるとは、なんだかすごくむずがゆい。

 とはいえ、確か太一たちは教室で一時間くらいは喋っていたような気がする。その間ずっとではないにしろ、いつからいたんだろうか。そんな疑問も湧いてくる。


「そうか。なんか気づかないでいてごめんな」

「太一君が謝ることじゃないよ。私が勝手にやってたことだから。勝手にそばにいて、勝手に眺めてて、勝手に守ってただけだから」

「守る?」


 太一は何を言っているんだというような声を上げる。幽奈の瞳はだんだん輝きを失い、黒く染まってゆく。


「太一君に群がろうとする輩。特に女臭い香りを巻きながら近づいてくる奴。あんな匂いをまき散らして。太一君が優しいから許されているだけで、自己満足の豚野郎が。太一君にその匂いがついたらどうするんだよ。お前の匂いでマーキングされるなんて太一君が可哀そうだろ――」

「何を言っているんだ!? そんなこと俺は一言も思ってなんかいない!」


 そんな太一の制止も聞かずに、幽奈は言葉を続ける。淀みなく出るそれらの言葉は、一度や二度口に出したものではないと思われるほど流暢りゅうちょうに流れ出ていた。


「特に危険なのは座部愛厘。一番、太一君のそばにいて。一番、太一君を誘惑して。好意を向けてるのは相手にじゃなくて、その好意が返ってくるであろう自分に対して向けているくせに。だから誰にでもいい顔をしているんだ。それに騙される太一君が可哀そうだろ。あんな奴、どうせ同性からは嫌われているんだ。だから異性に依存するために女の色香を使いやがって――」


 それからも幽奈の独白は続く。その言葉は太一がどこかで聞いたような言葉であった。

 そこで有人が言った愛厘への悪口を思い出す。太一はだんだんと体が熱くなるのを感じた。

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