第27話




 ♢




 大量の段ボールの中身は、軒並み本だった。正確には教科書や参考書で、これは先生がかつて銀華中央大学で非常勤講師をしていた時のものだろう。大きめの段ボールにぎっちりと本が詰め込まれているため、どれもなかなか重い。人間だった頃の筋力なら確実に翌日筋肉痛になっていたであろう重労働だった。今は吸血鬼となり筋力も増強されているので、重いとは思うけれど負担ではなかった。

 俺とニイナはマスクをつけて掃除を続けている。掃除道具を取って戻ってきたら、案の定ニイナは埃にまみれて掃除をしていたため、慌ててマスクをつけさせた。天井や壁は灰色になるほど埃っていたけれど、それは後回しにする。何よりこの段ボールをどうにかしないことには、掃除のしようがないからだ。


 ニイナは黙々と掃除をしている。意外と要領がよく、テキパキと作業が進む。彼女一人ではまともに掃除はできないだろうと踏んで手伝いを買ってでたけれど、これなら俺はいらなかったくらいだ。どうやら難があるのはコミュニケーションの部分だけで、それ以外はかなり優秀らしい。妹とは真逆のタイプだと思った。妹は外面良く、学校やご近所では優等生を演じているけれど、基本的には不器用である。おそらく、学校でも本人が思っているほど優等生として認識されていない。その分頑張り屋であることはわかってもらえているだろうけれど。

 そんなことを考えながら、俺はひたすら段ボールを雑巾で拭いていた。多少ハタキで叩いたくらいでは埃は取れず、どうしても拭き掃除が必要である。


「ニイナ」


「はい」


 お互い無言で通すのもどうかと思い、こちらから話しかけてみた。ニイナやあの女の子のことが気になっていたというのもある。

 

「ニイナ達二人は、あの男とどういう関係なんだ?」


 聞いて良いものかとも思ったけれど、どうしても聞かずにはいられなかった。どういう関係、などという曖昧な質問にニイナが答えてくれるかは怪しい。それでも、色々と気を回した末に選択したのがこの言葉だった。


「私と三四号は、頼仁さまにお仕えする吸血鬼です」


「なら、ニイナと……三四号はどんな関係?」


 三四号。ニイナの二一七号とはえらく離れているなと思った。


「はい。私と三四号は姉妹です」


「え、ええ!? ニイナたち姉妹なのか!?」


「肯定します。私と三四号は血の繋がった姉妹です」


 まずはあまり似てない姉妹だと言うことに驚いた。けれどすぐに姉を番号で呼んでいることに言葉を無くした。そんな姉妹、世界中探してもこの二人だけだろう。気分の悪い心拍の乱れをなだめるべく、質問を続ける。


「仕えてるってことは、鬼狩りに捕まったってことか?」


「否定します。私たち一族は代々頼仁さまのご家族にお仕えしております」


 吸血鬼を従える鬼狩り一族。正直、そこはそれほど不思議ではなかった。世の中には鬼狩りと戦う人間もいれば、吸血鬼と戦う吸血鬼もいる。世界の勢力図は一方通行ではない。

 例の一つが、吸血鬼の〈混沌カオス派〉と〈秩序オルダー派〉だ。〈混沌カオス派〉は〈命と嘘の舞踏会ライフ・ライ・ダンスパーティー〉に代表される、人間を食料としてのみ扱う派閥だ。対して〈秩序オルダー派〉は人間との平和的共存を目的としている。両派の割合は九対一で、そのため〈秩序オルダー派〉の平和的活動のほとんどは意味を成していない。


 吸血鬼を従える鬼狩りということは、吸血鬼と協力、もしくは使役することで戦闘力を得るのだろう。その戦い方自体は理解できないでもない。人間よりも遥かに身体能力の優れた吸血鬼と戦う。そこを五分に持ち込むのには最も手っ取り早い戦法の一つだ。

 けれど、代々仕えていると言うのはかなり珍しい、いや、奇妙な関係だ。また、ニイナたちの関係性が連続的なものであるならば、姉妹が主人にあそこまで虐待を受けている理由がわからない。主従関係を強要されるよほど強力な何かがない限り、あり得ない。


「鬼狩り一族に仕えてるって、何で? あんな扱いを受けてるじゃないか。逃げられない理由がやっぱりあるのか?」


「一部肯定します。逃げるというのは理解不能です。私たちは、この鉄枷によって行動を制御されています。これは頼仁さまの〈十字銀〉のお力です」


 ニイナはそっと自らの首枷に触れる。黒鉄の首輪はどんな服を着ていても強烈な存在感を放ち、ニイナの印象を闇深く堕とす。首枷から銀の鎖がヘソの辺りにまで垂れていて、それが時折チャラチャラと音を立てる。

 やはり、〈十字銀〉の能力によって無理矢理従わせられている。〈十字銀〉は、血縁関係のある者同士が似たような能力を発現する場合が多い。おそらく、あの男の家系は、吸血鬼を拘束することに長けた能力を持ち、遺伝している。その結果、ニイナたちは何代にも渡って支配されているのだ。あの首枷自体が山田の十字架だったり、篠原の剣のような〈十字銀〉なのだろう。


「少し触って良いか?」


「肯定します」


 ニイナの首枷に触れてみる。指で触れたところがヒリヒリするような感覚があった。間違いなく〈十字銀〉だ。太い首枷は、軽く持ち上げてみると二、三キロはゆうに超えている。そして、


「っ!」


 ニイナの首に痛々しい痣を作っていた。少し余裕のある首枷の隙間から見えた細い首には、赤黒い鬱血の跡がぐるりと巻いている。吸血鬼の生命力を減衰させる〈十字銀〉を、肌に直接巻いているのだ。中級程度の吸血鬼なら、身体に悪影響が生じて当然だ。

 俺は、磨り減りそうなほど奥歯を噛んだ。腹の底で溶岩のような怒りがふつふつと膨れ上がってくる。こんな仕打ちを、この姉妹が受けて良いのか。ただその家系に生まれただけの理由で、こんな酷い目に遭うことが許されて良いのか。


「……ニイナたちは、生まれた時からずっと、四六時中この首枷をつけさせられてるのか?」


 俺は掠れるような声で問うていた。


「否定します。常に装着することになったのは二年前からです」


「二年前?」


 さっきも聞いたような数字だった。少し考えて思い出した。姉妹が名前を捨てさせられ、番号で呼ばれるようになったのと同じ時期だ。何か重要な転換期があったのは想像に難くない。けれど、それはなんだ? ニイナは十五歳だと言っていたから、二年前なら十三歳だ。俺が思いつくのは中学校入学くらいで、妹に当てはめてみても、十三歳だった時に特別な何かがあった記憶はない。一般的な女の子の十三歳という時期が持つ、特別な意味がわからなかった。

 ここまで散々質問責めしてきたんだ。こうなればとことん踏み込んでやる。


「二年前って、何かあったんだよな。それに、何でそれまでは首枷をつけてなかったんだ」


「肯定します。二年前までは、首枷を装着すると私たちが傷つくので、頼仁さまが装着を禁じておりました」


 まるで予想外の答えだったため、一瞬異なる言語のように聞こえた。


「……え? あいつが、そんな理由で? あいつは、ニイナたちに酷いことをしてるじゃないか。おかしくないか?」


「肯定し、否定します。頼仁さまはかつては私たちに普通に接してくださっておりました」


「ちょっと待ってわけがわからない」


 頭が痛くなってきたので、片目を抑えて考えこむ。ニイナは聞いたことは正直に答えてくれるけれど、それ以上の情報が追加されないので、ややこしくなってくる。まずは一旦整理し、これからの質問内容を吟味しないといけない。俺はゆっくりと順を追って整理していく。


「えっと……あの男は昔は普通で、酷いこともしなかった。けど、二年前から今みたいになったってことだな」


「肯定します」


 口に出してみると、全然ややこしくなどなかった。どうやら俺は怒りで冷静な思考力を無くしていたらしい。


「じゃあ、二年前に何があったんだ?」


「はい。二年前までは、私は頼仁さまに、三四号は頼仁さまの兄上さまにお仕えしておりました」


 一貫して姉を番号で呼ぶ。非常に心苦しくはあったけれど、今はスルーして話を進めてもらうことにする。


「ですが、二年前のあの日、鬼狩りの任務で吸血鬼狩りをしていた兄上さまが、敵の攻撃で瀕死の重傷を負いました」


「それって……」


「兄上さまは下半身付随となり、鬼狩りとしての活動が不可能になりました。そのため、三四号は唯一のご兄弟の頼仁さまに仕えることになりました」


 腹いせ。憎悪。復讐。そして、逆恨み。ニイナの説明を聞いて、俺もようやく彼女たちの歪んだ関係性が見えてきた。そして、あの男の妙な眼光。あの男は、ニイナの姉に虐待をする時、愉しんでいる風はあったけれど、それ以上に観察しているような印象を受けた。自分自身の満足感や快感のためではない。ニイナの姉がただ惨めな姿になることのみを望んでいた。それにあの時、姉妹二人に対してではなく姉のみに踏みつけたパンケーキを食べさせようとしたことも説明できる。あの男は、「兄を再起不能にした吸血鬼」をひたすらに憎悪しているのだ。


「てことは、虐待はニイナのお姉さんだけに向けられてるのか」


「虐待という単語が示す行為は理解不能です」


 もう驚きはしなかった。ニイナにとって、あの男がしていることは虐待ではないのだ。と言うより、「虐待」というものを理解していないのだろう。使用人が主人にされていることだから。いつもされていることだから。


「ニイナも、ニイナのお姉さんがされているようなことを……されてるのか?」


 だから聞き直した。知りたくないことだったけれど、知らないでは許されない気がした。この機械のような少女が、こう成らざるを得なかった原因を、聞く。


「半分否定、半分肯定します。私は何もされてません」


「え……」


「私が何かされようとした時、必ず三四号が代わりになると言います」


「……そうか」


 胸に空洞ができるような納得があった。ニイナの姉の気持ちは、痛いほどわかった。あのような惨虐な行いを、妹に許すことなどできない。同じ妹を持つ身だから、わかる。ニイナの姉は、まさしく命を賭してニイナを守っているのだ。だからこそ、あんなにも意志の強い瞳をしていたのだ。そしてそれは同時に、あの男の狙い通りなのだろう。ニイナを傷つけて、姉を絶望させるのは容易い。けれどそれは、姉自身が屈服したことにはならない。あの男は、姉の気高い精神のみを標的にしている。それを挫くためなら、どんなことでもするだろう。

 そして、俺はニイナの機械的な姿勢の原因がわかった。自らを庇い非道な行いを一身に受ける姉を傍観させられることで、心を失ってしまったのだ。その苦しみは、姉に勝るとも劣らない。この姉妹の置かれた環境は、過酷を極めている。


 ニイナたちが生きる日々は、普通耐えられるものではない。二年間続き、これからも永遠に続くと思われる果てのない虐待は、精神を暗く蝕むには十分過ぎる。けれどそれでも、


「……ニイナたちは、姉妹だから何とかなったんだな。一人ではなく、二人で声を掛けあっていたから、生きてこれたのか」


 それもいつまで続くかわからない。そう思った時、


「否定します」


 斬り捨てるように否定された。そして、考えもしなかった怖ろしい事実を知らされることになる。


「私は、三四号との接触の一切を禁じられております」


「え」


「会話、アイコンタクト、皮膚の接触。その他諸々。私が、私から三四号とこれらの内のどれかを行なった場合、三四号は殺されます」


 ニイナは感情を感じさせない声で言う。その声はかつてなく冷え切ってきた。


「私は二年間、三四号にどんなアプローチをされても、応えていません。また、私からも一切コミュニケーションを取っていません」


 全身に絶対零度の怖気が走った。猛暑の中クーラーのない屋根裏で作業をしていたため、身体は汗を流している。その全てがすぅと引き、代わりに病身時の滲むような冷たい発汗作用を起こす。


「う、そ……」


 あの男は、なんて、なんて怖ろしいこと考えつくのだ。身を呈して守っている相手とコミュニケーションをさせない。大したことではないと思えるかもしれないけれど、これは途轍もなく怖ろしいことだ。ニイナの姉は、ニイナの感謝を求めているわけではないだろう。ただただ妹を愛していて、妹を守りたいだけだ。けれど、肝心の妹が、何の反応も示してくれなかったら? つまり、自分をまるで存在しないかのように扱ってきたら? いや、扱ってすらいない。ニイナの中で、ニイナの姉は消えている。例え事実はそうでなくても、ニイナの姉はそう感じてしまう。

 見返りなど求めていない。けれど、愛情は求めている。親愛、絆、助け合い。人を支えるであろうそれらの基盤は、ニイナの姉が置かれた状況ではかけがえのないものだ。けれど、彼女はその全てを遮断されている。大事な妹を守るために、苦痛と屈辱に耐えている。けれど、その妹が自分を認識してくれなければ?


 ニイナの姉は、自分の行いをどう評価すれば良いのだ。自分そのものを、どう見つめれば良いのだ。自分は、何のためにこんなことをしているのだ。

 あの男は、待っている。ニイナの姉が自らの本質を見失い枯れ果てることを待っている。非道な虐待など、そのためのツールでしかない。あの男の狙いは、ニイナの姉の中で一番大切なものを奪い取ることなのだ。そしてそれは、精神を屈服させることに繋がる、最も迂遠的で惨虐的な道筋だ。


 凄まじい憎悪と、計略だ。


 そして、その道筋は、ニイナの心を奪うものでもあるだろう。自らを庇う姉とのコミュニケーションを禁じられている。その無言の苦痛はニイナの心を摩耗させ、削ぎ落としていく。その途中経過が、今のニイナだ。あの男は、考えられないほど狡猾で、粘着的で、何より、冷静だった。


 俺は、何も言えなくなった。ニイナのために、何かしてあげれることを探すための会話だった。けれど、今俺の胸の中にあるのは、ひたすらに恐怖のみ。歪みの末に朽ち切った関係。それを断つためにどう頭を回せば良いのかと言う当初の目的が消えて無くなるほど、恐怖していた。



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