第15話
♢
痛みに悶えながら、自分が何者かに襲われているのだと理解した。背後から剣で貫かれ、串刺しにされている。剣が若干斜めになっているため、俺の腹から流れる血が剣を辿ってアスファルトに落ちていく。傘もカバンも持てなくなった俺は、両方を取り落とし、棒立ちで痙攣する。
一瞬だけ感じた悪寒は、背後からの襲撃者の殺意だったのだ。今更気がついても何の意味もないが、数式が合わさったような満足感があった。悠長な思考はおそらく、少量だが失血し、【
ズル……という気分の悪い音がして、剣が引き抜かれた。栓を失った傷口から滝のように血が溢れてくる。ちょうど胃のあたりをやられたみたいで、喉を大量の血液が逆流してくる。生温い鉄臭さが口腔内に充満する。
「死ね」
単純でわかりやすい命令に続いて、剣が俺の後頭部めがけて振り下ろされる。俺の感覚は風圧でそれを感じ取っていた。ギィンという耳障りな音が雨音を切り裂く。
俺はアスファルトを斬りつけた西洋剣を遠くから観察していた。
「オマエ、やはり下級じゃないな」
灰色な長袖パーカーのフードを被る長身の男。右手に剣を握ってはいたが、鞘は持っていない。俺とそう歳の変わらない青年だった。
「鬼狩り、かよ」
痛みに苦鳴を漏らしながら呟く。傷の治りが遅い。〈十字銀〉で攻撃を受けたからだ。このことからも、青年が鬼狩りだと決定できる。
俺は剣が襲いくる直前に回避していた。今はしっかりと間合いを取った上でアスファルトに片膝をついている。傷口は炭化したようになっていて、もう血が止まっている。このせいで俺の【
傷の治癒を待ちながら、状況把握に努める。海辺の道は人通りがない。雨で視界が悪く、足元も滑りやすい。戦場の得意不得意が生まれるほどの実戦経験など持ち合わせていないが、闘い難い状況であるのは間違いない。
次に青年をより細分化して観察する。長身で手脚が長い。そして、あの得物。刃渡り五十センチ以上ある西洋剣は危険過ぎる。〈十字銀〉の特徴である青白い燐光が雨を反射して煌めいている。片手持ちの剣の柄に、切っ先に行くにしたがって幅広になる刀身。どちらかと言えば巨大な鉈に近い。おそらくだが、ファルシオンという部類の剣だと判断した。
「下級でないのは少々残念だが、構わない。鬼は全て害獣。駆除あるのみ」
青年が跳躍した。助走なしの高さ数メートルの幅跳びは明らかに人間を凌駕している。剣の重量を存分に活かした一振りが俺に迫る。だが、どこからどう攻撃してくるかが見え見えの斬撃なんて、当たる気がしない。余裕を持って回避し、青年の右側面に回り込んだ。左拳を捻り、発声と同時に突き出す。当たる。ことはなかった。青年が肘を引き剣の腹で俺の拳を受け止めてみせた。そして横方向への蹴り。俺の腹、傷口に直撃する。
傷口に塩どころか、渾身の蹴りを食らってしまった。後方へ飛ばされ、激痛に身体がくの字に折れ曲がる。腹を抑えて前屈みになった俺を、青年が追撃。三度目の振り下ろしは三度目の脳天狙い。体重が前に傾き、両手がふさがった状態ではかわしようがない。
だが、【
剣が俺に届くより先に、青年の懐に飛び込んだ。そのまま脇を抜けて一回転。着地点で横回転し、再び青年と向き合った。
青年の実力は、今の俺を殺すには十分だった。迅速に身体能力強化の倍率を上げなくてはならない。
さっきの蹴りで微妙に傷口が開いた。だが、痛みの割に出血は少ない。それでも全身に力を巡らせる。すると身体が青い光を放ち始めた。山田と闘った時の雷電のような黄色の光とは違い、青い蒸気のような光だった。
自分の【
「どうして俺が吸血鬼だとわかった?」
答えてくれるとは思わなかったが、一応問うてみる。治癒の時間稼ぎでもあった。
俺はもう完全に吸血鬼になってしまっている。だが、それを知っているのはごく限られた者だけだ。初対面の人間が俺の正体を知っているわけがない。
このことから導き出される懸念がある。俺の情報が世間に漏れていること。鬼狩りたちに俺が吸血鬼だと知られている。そしてそれは即ち、妹が〈
「俺は吸血鬼と人間を見分けることができる」
「は?」
それは、思いもよらない返答だった。
「全ての吸血鬼は、俺以外には見えない赤い羽を生やしている。人間にはそれがない。羽のあるなしで判断できる」
「……マジかよ」
それは〈十字銀〉による身体能力向上の一つなのか、それとも青年が特異体質なのか。どちらにせよ厄介極まりない。ただ、俺たちの情報が広がっているわけではないことにだけ安心できた。
「四年前のあの日から授かった力。必ずこの力で、卑しく隠れ潜む吸血鬼を根絶やしにする」
四年前という単語が少し引っかかるが、今は無視する。つまりは、俺が羽とやらを生やしているのを見つけて、いきなり襲いかかってきたわけだ。場当たり的で直線的。通り魔に近い行動だった。
だが、おかげで青年の精神状態がわかってきた。俺の質問に用心もなくベラベラ答えてきたところも合わせると、青年はかなりハイになっていると考えられる。俺と会う前の時点からそういう状態であり、冷静な判断力を失っているのだろう。
これなら、何とかなるかもしれない。青年が話す不思議な能力も、戦闘には直接影響しない。時間稼ぎも成功したから、奇襲で負傷させられたハンディキャップも消えた。あとは闘って倒すのみ。
「いくぞ」
青年が強引に間合いを詰めてきた。どうあっても俺を殺したいらしく、野生動物のような闘い方だ。
剣を水平に払う。雨を斬る一閃はバックステップで回避。刃が振り切られた瞬間を狙って懐に入る。青い光を纏った拳が青年の心臓を抉りにいく。が、半身になってかわされる。攻撃が決まるとばかり思っていた俺の体勢は崩れ、狙い澄ました膝蹴りが俺の顎に直撃。骨が凹む嫌な音が脳に轟く。強烈な脳しんとうが起こり、前後不覚に陥る。
膝蹴りで跳ね上がった俺の身体は硬直している。待っているのは戻ってきた剣で叩き斬られる未来。相手の口元が勝利を確信する。袈裟懸けに振り下ろされる青白い剣閃。俺はそれを回避した。青年が驚愕に息を飲む。俺の肩先はスライスされたが、致命傷には程遠い。
青年は驚いているが、俺の【
渾身の大振りをスカした。剣の上部をなぞるように俺の右脚が振られ、青年の脇腹を蹴り飛ばす。肋骨が折れる手応え。青年は後方へと吹っ飛ばされていった。
好機だ。アスファルトを踏み砕き青年に接近する。低姿勢で血を吐いているところに駄目押しの蹴り、は剣で防がれた。そのまま俺ごと振り抜かれ、無理やり距離を開けられた。
形勢が一気に俺に傾いた。人間には骨折を即座に治す力などない。十分効果的なダメージだ。
そのはずなのに、波状攻撃を仕掛けることができなかった。
「ふーっ、ふーっ!!」
青年の瞳が、殺意に赤く染まっていたからだ。青年から放たれるオーラのようなものの迫力が段違いに増している。初めて見せたパーカーの奥の素顔は、直視できないほどの憎悪を宿していた。
「オマエか」
「は?」
煮えるような低い声は、雨に掻き消されてよく聞こえなかった。
「オマエが山田一志師匠を殺したのかっ!!!!」
血反吐を吐きながら放たれた叫びは、俺をフリーズさせた。青年の瞳は充血して赤くなっているのではない。黒目も白目も消え、全てが赤へと変色していた。その姿は言い知れぬ恐怖を俺に植え付ける。
「下級の、父親、子供……女」
呪念は怨嗟になって空気を震わせる。
「〈
青年は剣を捨て、頭を掻き毟る。まるで何か別の世界を観ているかのように身体を捩らせている。顔を両手で覆い、身体の負傷ではなく、心の激痛に耐えているようだった。
指の隙間から赤い瞳が俺を捉えた。
「あ"あ"!! あ"あ"あ"!! 師匠が、腕を失って、身体を壊されて……自らの誓約すら破らざるを得ないほどの苦痛を与えられた!!」
青年は、視ている。昨日の俺たちの姿を、その目で視ているのだ。
「いつも……いつもそうだ!! オマエたちは俺から奪っていく!! 何もかもを平気で踏み躙って、嗤いながら貪る!!」
アスファルトに転がるファルシオンが、視界の端で大きくなっていくのがわかった。青年の憎悪に呼応するように、禍々しい赫へと色彩を堕としていく。
「師匠は最高の鬼狩りだったんだ! 弱者のために吸血鬼と闘い、人の幸せを守ろうとしていた! 如何なる時も正義を掲げ仕事に従事していた! オマエなんかに、殺されていい人ではないんだ!!」
あぁ、そうか。
俺は、自らが見落とし、いや、見て見ぬ振りをしていた現実を、はっきりと突き付けられたことを悟った。
確かに山田は、俺や妹にとっては恐るべき鬼狩りだった。低級吸血鬼にとって〈銀正〉の鬼狩りは、絶対的な死刑執行人だ。事実、タカハシさんたちは抵抗すらできずに命を絶たれていった。
俺たちからしてみれば、山田は最初から最後まで敵で、悪だった。命を脅かす存在。死の象徴。この世界の負の財産を全て統合したような人間だった。
だが、人間から見た山田は、全く逆のものだ。人間の血を欲し、時に命すら奪う吸血鬼は、人間の敵。それと闘い、人間を守る鬼狩りは、正義のヒーローなのだ。
半日足らずでタカハシさんたちを討伐してみせた山田は、優秀な鬼狩りだった。それだけではない。片腕を失い、頼みの武器が破壊されても、山田は逃げようとはしなかった。〈
俺は、その命を摘んだ。
「コロス……!! コロスコロスコロス……!!」
復讐の悪鬼となった青年が吠え猛る。赤い瞳に赫い剣。その全ての殺意が俺に向かって放たれていた。
俺の予測は的中した。四足獣の姿勢から飛翔した青年が、俺の視認限界を超えた。右に大きく跳ぶことで、見えない攻撃から逃れた。
速い。さっきまでとは比べ物にならないほど戦闘能力が増している。九倍程度の倍率では、もう太刀打ちできなくなっている。
当てずっぽうの勘だけで、再び右に跳んだ。左肩の一部が爆ぜたように抉り取られる。鎖骨の端が見え隠れした。それはすぐに回復した。剣でつけられた傷ではなかったのだ。だが、おかげで出血量が増え、倍率が上がった。現在約十ニ倍。それでも青年を捉えられない。
「ぐ、あぁ!?」
右の太腿が根深く切り裂かれた。今度は剣によるものだったらしく、スラックスから見える肌の断面は青紫色に変色していた。肉が腐っていくような臭気が傷口から発せられる。
あえて傷ついた右脚に体重をかけた。激痛が脳を痺れさせるが、効果はあった。一気に出血し、倍率も上がる。現在約十八倍。
ここまで上がって、ようやく青年の動きが見えてきた。それでも速さはまだ分が悪い。立ち止まっていればサンドバッグにされる。脚の傷は無視し、海辺の道を疾駆した。青年が並走してくる。俺たちは誘導灯を回転させる灯台の下へと近づいていく。
俺と青年が同時に停止。両者飛びかかり剣と拳が乱舞する。赫い剣と青い光は、知らない人がみれば色違いの火の玉のように見えるだろう。
音を置き去りにする刺突が迫る。首を振ってかわしたが、攻撃の途中で剣が横に振られた。耳と側頭部が削り取られた。あと一瞬腰を落とすのが遅れていたら、俺の頭部は綺麗に横断されていた。
その後も烈火の剣戟に追い詰められていく。俺は避けるのが精一杯で、攻撃することができない。この攻撃を利用して上手く出血しようかと思ったが、すぐに吹き消した。俺には、そんな都合良く調整する技量はない。
少しずつ、剣の音が心臓に迫ってくる。
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