石ころ少女

@perie0802

第1話

 誰もが一度は非日常を願ったことがあるはずだ。

 道端で困っていた老人を手伝ったら実は大富豪で、莫大な財産を譲ってもらえたり。

 ナンパされている女性を助けたら好意を向けられ、最終的に幸せな家庭を築いたり。

事故に遭いそうな子供を救ったら、ニュースに取り上げられ一躍人気者になったり。

 そんなもしかしたら、という想いを胸に抱いた人は、決して少なくないだろう。

 しかし実際に非現実なことが目の前で起きたら咄嗟に対処できるものではなく、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来ないということを俺は今、この身を持って体感した。


「……おはようございます、百々瀬幸也さん」

「あっ、おはようございます」


 ――そう。朝目を覚ましたら見知らぬ少女が裸で俺の上にまたがっていた、という非日常でだ。

(えっなにこれどういう状況? 夢? 夢なのか?)

 春という心地よい季節だから、変な欲求が夢として具現化されてしまったのだろうか。

 現状を理解できず、目をぱちくりさせながら自分の頬を抓るがしっかりと痛い。どうやら夢じゃないようだ。

 周りを見渡してもここはしっかりと自分の部屋――テーブルとテレビと冷蔵庫、そして現在身を預けているベッドのみ、という少し寂しいが住み慣れた1LDKのアパートであることは間違いない。

 それに先ほどから薄い毛布越しに太ももの柔らかい感触と少女の温もりが伝わり、現実であることをはっきりと知らせている。

「よく眠れましたか?」

「あっはい。そりゃもうぐっすり……って違う! そうじゃない!」

 彼女のペースに持って行かれそうになるが、慌てて首を振り正気を取り戻す。その様子を見て少女はきょとんと首を傾げた。

「私、なにか間違えましたか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 と、そこまで口を開いて思わず言葉を止める。

(一体何から聞けばいいんだ!?)

 君は誰? どうやってこの家に入ったの? どうして俺の名前を知っているの? なんで俺の上にまたがっていたの? など、聞きたいことはたくさん思い浮かぶのだが、選択肢が多すぎて逆に戸惑う始末だ。

(落ち着け俺、なにもやましいことをしたわけじゃない。落ち着いて事情を聞けば……)

 平静さを失ったままではまともな判断は出来ないと理解し、目を閉じて一度心を無にすることにした。

 深く息を吸い込み、息を吐いて、目を開く。そして心に平穏を取り戻した状態で再び少女を見た俺は――。

「……とりあえず、服、着よっか」

 今の状況――年端もいかない女の子を裸にしたまま会話をするのは正解ではない、ということを悟り、少女に服を着せることを選択した。


          ◇


「ごめんね、俺の服なんか着せちゃって」

「いいえ大丈夫です。私は別に裸でも気にしませんので」

「そこは気にして欲しいかな……」

 衝撃的な目覚めから数十分、現在少女はぶかぶかのTシャツを一枚羽織り、床に座っている状態だ。

 服を着せようと探したものの、よく考えれば女性物の――それも幼い女の子用の服なんて持っているわけもなく、一瞬戸惑った後に裸よりはましだろうと自分の服を着せることにした。

 裸Tシャツという逆に危ない感じになっている、という風にも取れるが、これなら万が一誰かに見られても「服を着せる努力はしました!」と言い訳することができるだろう。

(まあ、誰かに見られる心配なんてないんだけどな)

 とある理由により交友関係が全くない自分にとって、見当違いの不安であるのだろうと心の中で失笑する。

(しかしこう、改めて見ると……かわいい子だな)

 艶やかな灰色の髪、処女雪のように白く透き通った肌、まだ未発達ではあるがしっかりと女の子らしさを演出している体つき。

 まるで物語の中から出てきたかのような存在は、思わず見とれてしまうほどに美しい。

「どうかしましたか?」

「あ、いや! ごめんなんでもない!」

 不意に声をかけられ、思わずうろたえてしまう。少女は不思議そうに眉をひそめたが、それ以上追及はしてこなかった。

「ごほん、じゃあちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

「はい、何でも聞いてください幸也さん」

 咳ばらいをはさみ、本題へと事を進めようとする。目の前の少女は待ちわびていました!と言わんばかりに目を輝かせた。

「えっとじゃあまず……君の名前は?」

「ありません、私、石だったので」

「そっか名前ないのか―、石だったら仕方ないね……って、はい?」

 最初は無難な質問から、というつもりだったのだが、初っ端から予想の斜め上すぎる返答がきてしまい頭が真っ白になってしまった。

「ご、ごめん俺の聞き間違えかな。それともそういう冗談、かな?」

「いいえ聞き間違えでもありませんし冗談でもありません」

 真剣な表情で言い切った少女に対し、言葉を失ってしまう。

「言葉の通り私はつい先日まで道端に転がっている石ころだったのです。あなたがよく通る道の電柱の下にあった、ただの石ころです」

「……いやいやいや、ちょっと待って」

 あまりの意味不明さに理解が追いつかず、頭を抱えてしまう。

 目の前にいる少女が道端の石ころ? いったい誰がそんな事を信じるのだろうか。大抵の人間は子供の冗談だと一笑するであろう。

「じゃあ君は昨日まではただの石ころで、気づいたら人間の姿になっていた、ってこと?」

「そうですね。少し補足をするとすれば人間の姿になる前から意志があったということと、気づいたらというわけではなく、ある願いを抱いた瞬間目の前に神様が現れて、その願いを叶えるために人間にしてもらった。というのが正当かと」

「神様まで出てくるのかよ……」

 連続して現れる非日常的な現象に、頭が痛くなってくる。

 しかし少女の真っ直ぐな瞳を見て嘘をついているとは思えなかった俺は、取りあえず信用することにし、それ以上掘り下げるのをやめた。

「その神様に人間にしてもらったってことを信じるとしても、どうして俺の家に忍び込んだの?」

「先ほども言いましたが、私は幸也さんがよく通る道にいました。なので貴方の存在はよく知っていました。独り言をよく呟く人だなーと、その時に名前も知りました」

「うっ……」

 確かにその道は人通りが少ない為、バイト帰りなどはよく愚痴などの独り言を呟いてしまうことがある。まさかそれを聞かれていたとは……。

「他にはそうですね、駅で見かけた綺麗な女性について語っていたことも……」

「どど、どうしてそれを!? わかったもういいから!」

 誰にも語っていないエピソードを持ち出され、動揺してしまう。

 しかし逆に言えばこの情報を知っているということで、少女の言っていることに信憑性がついてしまった。

「それじゃあ……、どうやって俺の部屋に入ったの?」

「それはまだ石ころだった時に、神様に郵便受けから入れてもらいました」

「これまた予想外……」

 これからは郵便受けにも防犯対策を施さなければならないかもしれない。

「えっと、じゃあ君はこの部屋で人間になって、俺を見つけて、何故か上にまたがったと」

「はい、つい嬉しくなって。最初は一緒に布団に入らせてもらったのですがインパクトが大事かなーと思いまして」

「うん、インパクトありすぎたかな」

 あまり表情を変えず、しかし無邪気に語る少女に冷ややかな指摘を入れる。

「ふう……、まあ大体はわかったし。信じることにするよ……。それで、肝心の願いってなに?」

「……それはまだ言えません」

 こちらの質問に少女は気まずそうに目を逸らした。何やら事情があるのか、言いたくない様子だ。

「とにかく私はその願いを叶えるために貴方の元へやってきました、というわけでしばらく養って貰えると助かります。そして私を楽しませてください」

「えらく注文が多いな……、わかったよ。少しの間だけな」

「ありがとうございます、流石幸也さんです」

 壮大な無茶ぶりを押し付けられたが、話を信じると言った手前無下に突き放すことは出来ず、渋々承諾する。すると少女は小さく笑みを浮かべ、礼を言った。

「私の名前はそうですね……。はっ、意志のあった石とかどうでしょう。最高に面白くないですか」

「いやそこまで面白くないし、呼びづらいよ!」

 ダジャレを名前にしようとすることに驚き、思わずツッコミを入れてしまう。すると彼女はしゅんとして「面白いと思ったんですが……」と悲しそうに呟いた。

「じゃあ石子でいいです……、これからそう呼んでください」

「わ、わかった。なんかごめん……」

 あからさまに落ち込んでしまった少女――石子を見て罪悪感を覚え、思わず謝ってしまう。

「それでは願いが叶うまでの間よろしくお願いします、幸也さん」

「……ああ、よろしく」

 ――本当はあまり他人と関わりたくない。

 正面で微笑んでいる石子を見て、そんな言葉を飲み込んだ。

 願いが叶うまでの間なら、と覚悟を決めて、俺と非日常から来た少女との同居生活

が始まった。


          ◇


 休日の朝。外は清々しい程に快晴で、窓から差し込む陽光が部屋を明るく照らしていた。

「はあ……」

 そんな天気に反するように、俺は嘆息した。

「どうしたんですか? 幸也さん」

「いや、どうしたもなにもさあ……」

 石子と衝撃的な出会いを果たしてから一週間が経った。

最初は女の子ということもあり対応に困っていたが、案外すぐ慣れるもので、今では少女のいる生活が当たり前に感じるようになった。

彼女もすこし緊張が解けたのか――いや、最初から緊張してなかったかもしれないが、平然と床に寝転がったりするようになった、というよりも――。

「石子さあ……ここに来てから何もしてないよね?」

「……?」

「いや、そんな心底不思議そうな表情を浮かべられても!」

 そう、彼女はここに来てからずっと横になってばっかりなのだ。

 部屋に一緒にいるときも、俺が大学やバイトに行って帰ってきた時も、ずーっと横になってごろごろごろごろ。立ち上がる時は風呂や飯などやむをえない場合のみである。

「おかしいですね、神様から『男は大抵可愛い女の子が部屋で横になっているだけで幸せだから!』と仰ってたんですが……」

「よし、ちょっとその神呼んで来い。一言文句を言ってやる。」

 そんな偏った知識を与える神様はとてもじゃないが敬う気になれない。

「てかさ! せっかく石子の為に服買ってきたんだからそれ着てくれよ! なんでずっと俺のTシャツ着てんの!?」

 そう、 石子が来た翌日、このままではいけないと慌てて一人で服を買いに行ったのだ。

少女物の服と下着を物色するという苦行を、店員からの冷たい目に耐えながら「姪っ子はこういう服好きかなー! いやー、親戚付き合いって大変だなー!」とわざと大きな声でアピールしながら乗り越えたというのに。

それなのに石子は一度サイズが合うかの確認の際に服を着ただけで、以降はずっと俺のTシャツのみを着ているのだ。正直目のやり場に困る。

「こちらの方が着心地がいいもので」

「そろそろ泣くぞ!?」

 さらりと言い切った石子の言葉に俺の胸が抉られてしまった。これじゃ俺の努力が報われないではないか。

「それにですね……」

「なんですか!? これ以上俺をいじめないでね!?」

「こちらの方が幸也さんの匂いがして安心できますので……」

「ぐっ……」

 石子は小さく呟いて、少し頬を赤らめながらTシャツに顔を埋めた。不意打ちに少しときめいてしまったではないか。反則だ。

「と、とにかく! 家ではその格好でもいいけどせっかく服買ってきたんだからちょっとくらい外出とかしろよ」

「むー」

 恥ずかしさをごまかすようにそう言うと、石子は不満そうに頬を膨らませた。もはやただの出不精じゃないのかと疑ってしまう。

「願い、叶えたいんだろ? どんな願いかは知らないけど、行動していかないと叶わないんじゃないか?」

「……それもそうですね」

 真剣な言葉を投げかけると、少女ははしばらく悩んだ後に、何かを決心したようにすくりと立ち上がり――。

「それでは幸也さん、今から一緒に遊びに行きましょう」

「へ?」

 ――慎ましやかな胸を張って、そう言い切った。

「このまま横になっていれば私の願いは叶うと思っていたのですが、どうやらそうではないようなので。であれば行動あるのみです。正直外には出たくありませんが……」

「え、いや、それにしても唐突すぎない? 最後本音出てるし」

「問題があれば今日でなくても構わないのですが……」

「別に大丈夫なのは大丈夫なんだけど……、ほら、行く場所とか決めないと」

「幸也さんの行きたい所であればどこでも大丈夫です」

「それ一番きつい要求だから!」

 相当な無茶ぶりを振られ困ってしまうが、少女はあくまでも真剣だ。

「駄目、ですか……?」

「うっ、いや、いいけどさぁ……」

 上目遣いですがるようにこちらを見る少女に、つい押し負けてしまった。一体いつの間にこんなあざとい技をいくつも覚えたのだろうか。

「やりました、では早速行きましょう。ほらはやく」

「わかったわかった! けどその格好じゃ駄目だからな、着替えてからだぞ」

「わかりました、今すぐ着替えます」

「って、ここで脱ぐなよ! おま、しかも下着は!?」

 妙な方向にやる気になった少女は目の前で着替え始め、何故か下着を着けておらず俺にあられもない姿を晒した。

 本当にこのままで願い事を叶えられるのか、と少し不安になってしまった。


          ◇


 時刻は昼を少し過ぎた頃。俺は石子を連れて近くのショッピングモールへと足を運んでいた。

「ふおお……これがこの世界の人類が作り上げた文明……」

「なんか壮大な感想だな」

 石子はまるで異世界から来たかのような発言をし、辺りをきょろきょろと見回した。

「あれは何ですか、幸也さん」

「あれは百円ショップだな、色んな物が百円で買えるっていう便利なお店だ」

「その隣はなんですか、幸也さん」

「あれは家電量販店だな、テレビとか冷蔵庫とか、そういう役立つ機械がたくさん置いてある店だ」

「じゃあそのまた隣の店はなんですか、幸也さん」

 ふんふんと鼻息を荒くしながら、興奮した様子を見せる石子を見て、思わず微笑んでしまう。

(そうだよな、こいつにとっては初めての光景だもんな)

 今までは家で横になっているだけだったのであまり意識はしなかったが、目の前の少女にとっては未知の世界なのだ。感動してしまうのも無理はない。

 それどころか爛々と目を輝かせる石子を見て、こちらも少しわくわくしてしまうほどだ。

「よし! こっからは石子の入りたい店に入れ! 買ってあげられる物なら好きな物を買ってやる!」

「本当ですか! 流石幸也さんです。太っ腹です!」

 石子はより鼻息を荒くして、ぴょんぴょんと跳ねて喜びを表現した。

「では早速あの店に……」

 と、石子が指を指した方向に向かおうとしたその時、

「おっ、幸也じゃーん。なにしてんの?」

「っ、お前は……」

 突如後ろから声をかけられ振り向くと、そこには二度と会いたくなかった人物――小学校の頃のクラスメイト、一之瀬純が笑いながらこちらを見ていた。

「ねぇ~、純~、誰ぇ? この男ぉ」

「こいつ? 僕が小学生の時のクラスメイトだよ」

「え~、まじウケルんですけどぉ~」

 純は隣にいた女性、彼女であろう存在に向かって陽気に俺の事を紹介する。

 しかしそんな様子を見ていた俺は、ただただ不愉快でしかなかった。

「そんな小さい子連れて、もしかして幸也もデート? お前そんな趣味あったの? 笑うわ」

「……ちげえよ、親戚の子だ。そっちこそデートなら俺に構わず楽しめばいいだろ」

「なになに、なんでそんな冷たい態度取んの? もしかしてまだあの時の事気にしてる?」

「っ!」

 純のその言葉に、思い出したくもない昔の記憶が脳裏を過り、体がびくりと反応してしまう。

「もしかして図星? 爆笑、しつこい男は嫌われんぞー?」

「うるせえ! お前が俺を裏切ったんだろうが!」

 そこまで言われ、つい怒りを露わにする。周りの人達が一斉にこちらを見るが、もう止まれない。

「純~、こいつに一体なにしたの~? 超怒ってるんですけど~」

「はっ、別に大したことじゃないよ」

「大したことじゃない? はっ、よく言えんな。人の事いじめてた癖によ」

 きっ、と純を睨み付け、過去のトラウマを口にした。

 小学生の頃、俺は純とよく遊んでいた。しかしある日突然、純はクラスの皆に俺のありもしない悪評を流し、俺を苛めはじめたのだ。

 それ以来、俺は他人を信用できなくなり、他人との関係を閉ざすようになったのだ。

「あんなの子供の遊びじゃん、そんな必死になるなよきもいって。そんなに気にしてんなら謝ってやるからさ、ごめんちゃい。これでいい?」

「純それ馬鹿にしてるじゃん、ウケル~」

「てめぇ!」

 しかし当の本人にそれを気にした様子は無く、ケラケラとあざ笑った。その行為に我慢の限界を迎えた俺が手を出そうとしたその時――。

「ふんっ!」

「がっ!? 痛ってえ!?」

 石子が目の前を遮り、跳躍して純の頭に自分の頭を振り下ろしたのだ。

「石子、お前なにして……」

「見ての通り頭突きです。この男が不愉快だったのと、幸也さんが辛そうでしたので」

 さらりとそう告げた石子に対し、理解が追いつかない俺はぽかんと口を開けることしか出来なかった。

「いいですか、名も知らぬ男性。幸也さんは貴方なんかよりもずっと立派な人です。話を聞いていたところ、貴方は人を乏しめて楽しむような性格の乏しい人間のようですが、幸也さんは困っている人が必ず手を差し伸べるような優しい人ですから」

 顔に頭突きを喰らい、蹲る純に向かって石子はそう言い放った。

「っ、ガキのてめえになにがわかるってんだ!」

「わかります、私ずっと幸也さんの事を見ていましたから」

 反論する純に対し、石子は強く言い切る。

「私が居た道には滅多に人が通りません。たまに来る人は道に迷ってたどり着いた人ばかり、困っている人がほとんどでした」

 石だった頃の話だろうか、俺以外にわからないような発言を少女はした。

「そんな時、幸也さんが来たら必ずその人達を助けてあげるのです。その後『他人に関わるのはやめるって決めたのに』と独り言を呟きますが、それでも毎回、必ず助けます」

 そんなところまで見られていたのか、と少し恥ずかしくなるが、石子は至って真剣だ。

「そんなこの人を見て、私はこの人を幸せにしてあげたい。そう思うようになったんです」

 そういってこちらを見て、優しく微笑む少女に対し、俺は胸が高鳴るのを感じた。

「どうやら幸也さんが一歩踏み出せないのは貴方が原因のようですね。二度と幸也さんにその不愉快なお顔を見せないでください」

「てめぇ! 黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって!」

「ふんっ!」

「がはっ!?」

 反抗しようとした純に、石子はもう一度頭突きをお見舞いし、先程よりも鈍い音がモール内に響き渡った。

「石子! お前また……!」

「大丈夫です、私石頭ですので、石だけに」

 と、こんな状況でも真顔で駄洒落を言う少女に圧倒され、

「……ぷっ、あはは! お前、ほんと最高だわ!」

「やりました、どうやら今度は受けたようです。いえーい」

 俺もつい笑ってしまった。

「やべっ、人が集まってきたな……」

 どうやら騒ぎを聞きつけて、いつのまにかショッピングモール内の人達が大量に集まっていたようだ。

「石子! 逃げるぞ!」

「でも幸也さん、買い物がまだ……」

「それはまた今度連れていってやるから!」

 このままでは警備員がいつ来てもおかしくない状況に、慌てて石子の手を握り駆け出した。

「待てっ、くそ、覚えてろよ幸也!」

「わかった、幼女に頭突きされて鼻血垂らしてたダサい男って覚えといてやるよ!」

「ふざけんな! このっ、くそが!」

「純、最高にかっこ悪いし~……、幻滅ぅ~」

 後ろで蹲りながら負け台詞を叫ぶ純に対し、俺は精一杯の嫌味を飛ばして走り去った。

「あの男最後までダサいですね、幸也さん」

「ふ、ははっ! そうだな!」

 石子のその発言に、どうして今まであんな男に翻弄されながら生きてきたのだろうと不思議に思う。

 どこか胸がすっとしたような気持ちになり、そのまま笑いながらショッピングモールを後にした。


          ◇


 街が茜色に包まれ始めた頃、俺は石子と家の近くの道――例の人通りが少ない道まで逃げ帰ってきた。

「はーっ、疲れた」

「すいません幸也さん、ご迷惑をおかけしました」

「いや大丈夫。むしろ俺の為に怒ってくれてありがとな、すっきりしたよ」

 謝罪をする石子に対し、素直な気持ちを返す。すると少女は嬉しそうに口角を上げ、「よかったです」と小さく呟いた。

「……幸也さんはこれで、幸せになれますか?」

「ん? 急にどうしたんだ?」

「お願いします、答えてください」

 突如真面目な雰囲気を帯びた少女は、じっとこちらの目を見つめ続けた。

「……そうだな、これからはどうかわからないけど、取りあえず今は幸せだよ。それに、石子のおかげでもう少し他人に近づいてもいいかも、って思えるようになったし」

「それじゃあ、取りあえずこれから先の人生、楽しめそうですか?」

「うーん、まだはっきりは言えないけど、なんとかなりそうな気がする」

 確証の無いことだが、不思議とそんな想いが胸の中に溢れていた。

「……そうですか、それならよかったです」

 そんな俺の発言に、石子はどこか儚くも、満足そうな笑みを浮かべた。

「これも全部石子のおかげだよ。本当にありがとう」

「いいえ、幸也さんのお役に立てたのなら何よりです」

「ははっ……って、石子! お前なんか光ってるぞ!?」

 お互いに笑いあっていたその時、突如謎の光が石子を包みはじめた。

「おや、どうやら私の願いが叶ったようです」

 少女は特に驚いた様子も見せず、冷静なままそう告げた。

 そんな状況についていけず、俺は慌てて石子の手を掴んだ。

「ま、待てよ! 願いって言っても、俺はまだ何もお前にしてやれてないだろ!」

「いいえ、先程ショッピングモールで言ったじゃないですか。『私はこの人を幸せにしてあげたい』と」

 少し前の出来事を頭に浮かべ、唖然とする。

「確かに言ってたけど、石子お前、まさか本当にそんなことを……」

「そんな事じゃありません、私にとっては重要なことなのです」

 少女はそう言って、俺の頬に手を当てながら、大人びた表情を浮かべた。そこに後悔している様子は無かった。

「ずっと、ここから見ていましたから、幸也さんの素敵な部分を。そして聞いていましたから、幸也さんのつらい気持ちを」

「……」

 確かによく、俺はこの道で愚痴を吐いていた。誰も聞いていないだろうと思いながら、一人で。

 しかしそれは勘違いで、しっかりと聞いてくれていたのだ。石子はずっと、俺の独り言を聞いて心配してくれていたのだ。

「私が消えるということは、幸也さんが幸せになれたということです。私にとってこれ以上に嬉しいことはありません」

「石子……」

 笑顔でそう告げる石子を見て、上手く言葉を出せないまま、涙だけがあふれ出した。

「泣かないでください、幸也さん。せっかく幸せになったのにもったいないです」

 少女はすでに薄く透けてしまっている手で、俺の頭を撫でて慰めた。

「うっ、消えないでくれ。頼むから、ずっと、床に寝転がっていていいからっ!」

「……ごめんなさい。せっかく幸せになったのに、すぐ悲しませることになっちゃって」

 涙が止まらない俺を、石子は優しくそっと抱きしめて慰めてくれた。とても落ち着いた声音で、まるで子供をあやすような慈愛を持って。

「でも幸也さんはもう大丈夫です。私が居なくても幸せになれます」

 石子は再び俺の目を見て囁いた。その瞳に曇りは無く、きっと心の底からそう思っているのだろう。

「だから、これからは楽しい独り言を私に聞かせてくださいね」

 そう言って少女は俺にもう一度微笑みかけて、そして光に包まれ、そして姿を消した。

 俺の体に、しっかりと彼女の温もりを残したまま。


          ◇


 いつもの自室、いつものように窓から差し込む朝日によって目を覚ます。

 重たい身体を起こし、目をこする。視界にはテレビとテーブル、そして自身が身を置くベッドと冷蔵庫しかない寂しい部屋が広がっていた。

 そこには灰色の髪をしたTシャツ一枚の少女はおらず、まるで彼女がいた生活が夢であったとでも言いたげな、静かな空間だった。

「……本当にいなくなったんだな」

 たった一週間という短い出来事だったというのに、少女は俺の日常の中に強く根付いていたようだ。

「……けど、いつまでも落ち込んでいられないな」

 また塞ぎこんでしまったら、それこそ彼女に怒られてしまうだろう

「っし! 準備して大学行くか!」

 自分を鼓舞するように頬を叩き、立ち上がった。



「じゃあいってきます」

 身支度を終え、誰もいない部屋に向かって恒例化してしまった出発の言葉を口にして、外に出た。

 外は先日と同じような快晴で、まるで俺を歓迎してくれているかのようにも思えた。

「ま、自意識過剰だろうけどな」

 そしていつもと変わらず独り言を呟いた俺は、いつもの通り道へと足を進めた。

「幸也さん、いってらっしゃい」

「っ!」

 その道を通り過ぎようとしたとき、不意に石子の声が聞こえ、ばっと振り返る。

 しかしその先には誰もおらず、そこは普段通り俺一人だけの道だった。

「……ああ、いってきます」

 気のせいかと思ったがそうではないだろう。彼女はきっと、今でも自分の事を見てくれているのだ。

それこそどこかの、電柱の下で、だらしなく寝転がりながら。

                                END

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