第3話
自由になりたかった。
たぶん、ここにいるみんな全員が。
一人残らず自由になりたかった。
「裕太!」
「高史!絵梨!」
「シーッ!もーあんたたちも暇ねー」
「暇じゃねぇよ。絵梨が寂しいだろうと思って来てやってんの」
「高史、偉そうなこと言って。いい?図書館ってのはおしゃべりするための場所じゃないのよ」
「喋ってないし」
「まず声がでかいのよ」
「・・・・・・」
「ねぇ、絵梨なんの本読んでるの?」
「今日はニーチェの本。哲学者の本なの」
「哲学・・・・・・?」
「まぁ生きていく上での考え方みたいなものかな?」
「ふーん・・・・・・」
「難しそうなの読んでるね。俺わかんないや」
「高史にはまだまだ早いかな~」
「なんかムカつく・・・・・・」
「ふふ」
あれから、絵梨と打ち解けて、仲良くなるのはとても早かった。
あっという間に、放課後には絵梨と高史に会うことが日課になっていって、必然的に、こうして市内の図書館に集まるようになった。
なぜなら、絵梨がこの図書館の常連であり、本を読むのが大好きだったから。
高史は、予想通り、本を読むのが苦手だった。読みやすそうな本を見つけてきては、挫折し、結局は写真集に落ち着くことが多かった。
俺はというと、なんとかして絵梨が見ている世界を見てみたくて、背伸びをして、絵梨が読んでいる本を訊ねては、読んだ。
だいぶ意味が理解できないものも多かったが、絵梨の一部を本を通して垣間見れるようで、気分がよかった。そうして続けていくうちに、後々本を読むのが、自分の救いにもなり、大好きな趣味にもなることになるなんて思ってもみなかった。
毎回、図書館に来ると絵梨の真剣に本を読んでいる横顔を盗み見するのが好きだった。まるで、絵梨のことを独占できているようで。
「裕太」
「ん?」
「集中」
「・・・・・・」
「私語厳禁だからね」
「・・・いびきは?」
「・・・・・・移動しよっか」
だいたい俺が横顔を見つめていることはすぐにバレていて、絵梨はまるで、幼稚園の先生のように静かに諭す口調で言うのだった。なのに、いびきを盛大にかく高史を置いて席を移動しようと笑ういたずらっ子のような表情も持ちあわせていて、そんな俺にとって完璧な絵梨に、自然と顔が綻ぶこと以外他にはなかった。
高史はいつもだいたい、写真集にも負けて、机に頭をダランとつけて爆睡するのがお決まりになりつつあって、そうすると絵梨と俺は、毎回高史を置いて二人だけで、他の席に移動した。
顔を見ているだけじゃ物足りなくて、俺は国語のノートの最後のぺージを乱暴に切り取って絵梨と飽きるほど筆談をした。
決まって、絵梨は最初それを拒否した。だけど、俺が一方的に書き続けるものだから根負けして、笑みを浮かべながら絵梨らしい凛としたペンを走らせてくれた。
“絵梨、本当に毎日ここにくるんだね”
“うん、そうだね”
“本好きなのはわかるけど、土砂降りの日も来てたじゃん?”
“うん”
“・・・なんで?”
“なんで・・・って”
“いや、なにか特別な理由があるのかと思ってさ”
“特別な理由?”
“ないならいいよ。聞いてみただけだし”
“あ、これかも”
“?”
“あの人。あの人が気になってるのかも”
絵梨に初めて会ってから、半年が経ったある日のその筆談は、俺にとってそれまでの人生最大で、かつ最も静かな爆弾だった。
スラスラ綺麗に紡がれた文字が危うく歪みそうになるのを抑えて、勇気を出して絵梨を見た。
そのまま、絵梨は今までの絵梨だった。
綺麗な笑顔を浮かべていた、
そして、「ほら、あそこに座ってる、あの人」と、恥ずかしそうに言った。
絵梨が指さす、貸出受付窓口の方向を見ると目がくりっとして、いかにも物腰柔らかくて、優しそうな青年がいた。
「あぁ、こりゃ無理だ」
そうガキながらにタイプの違いの大きさに絶望したものだった。
そうして、勝手に絶望に浸ったその後はあまり何も覚えていない。
きっと、何もしらない高史はいつも通りバカでかい声で、「また明日な」と言っていただろうし、何も知らない絵梨もきっと、いつも通り笑顔で手を振っていただろう。
部屋に入って、鞄を投げると今まで絵梨と筆談していたという痕跡が残るズタズタに破れた国語のノートが手提げ袋から顔を出した。
「はぁ」
国語のノートが見つめる。
俺も見つめ返す。
俺はそれを掴む。
[ルビーよりも赤く透き通りリチウムよりも美しく酔よったようになってその火は燃えているのでした。]
ノートが俺を打った。
偶然開いたページには、ある本を読んだときに俺が、その表現が好きだと思って書き留めておいたものがそこにはあった。
文脈から言って、全くそれは恋心を表すものではなかったのに、なぜか俺はそれが俺の絵梨への想いをぴったり表現しているように錯覚して、勝手に感情が盛り上がって書いたのだけれど、その日の俺には酷過ぎて、目の前がクラクラした。
人生初、本格的な失恋とでも言おうか。
「おい、お前なに辛気くせー顔してんだ。こっちまでテンション下がるじゃねぇーかよ」
不機嫌な声が上空を通過した。
そう、すぐ隣で兄が俺に文句を言う声がより一層俺の居場所をなくす。こんな日くらい俺に構わないでくれ。それが唯一の願いだった。
自由が欲しかった。
ただ、それが何かも知らずに。
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