②話 伊達輝宗、臣下の礼

【原作書籍1巻付近】


1583年4月


長い米沢の冬が終わりを迎え草木が芽吹きだした頃、近江安土城に登城した父上様から手紙が届いた。


織田信長公に拝謁、そして臣下の礼をとったことの予定通りの内容以外の事に驚いた。


越後の上杉景勝、母上様の御実家山形の伯父最上義光も時を同じくして上洛しており宴席を共にする事となったことが書かれている。


織田家と激しく戦っていたはずの越後の上杉景勝は本能寺の乱後、朝廷の取りなしで和睦、その後左大臣となった織田信長が出させたであろう勅命によって上洛、伯父最上義光は我が父と上杉家が織田家の軍門に降る事を知ると挟み撃ちになる事を懸念して慌てて上洛に及んだとの事だった。


織田信長が左大臣右近衛大将に任じられた事がそれ程のことなのか?


疑問に思いながら手紙を読み進める。


陸奥の国の大名と軽んじられるかと思いきや、とても素晴らしいもてなしを受けたことを事細かに綴っている。


その中でも饗応の席で出された料理について書かれていた。

出された料理が秋の稲穂の様な茶色い料理で田舎者への料理は枯れ草か?と思ったそうだが、鶏や珍しい豚の肉、そして若狭で採れた海老や蟹に小麦の粉が付けられ油で熱せられた『からあげ』『とんかつ』『ふらい』などの南蛮料理が出された。

しかもそれは大変美味い物で今まで食べた料理の中で一番だと褒め称えている。


また、登城に際して連れて行った家臣にまで気を使い振舞料理まで出されたことに感銘を受けたと。

上杉景勝は家臣にまでの気配りに感動して、名刀山鳥毛を与えるほどに。


この饗応の席の料理が全て『黒坂常陸介真琴』の差配によって作られた・・・・・・?


忍びの棟梁が饗応役? 

しかも南蛮の料理に精通している?

父上様の手紙の内容に頭が追い付かない。


しかも、黒坂常陸介は私とさほど年の変わらぬ若者?


本能寺で明智光秀を討ったのもこの男、さらには本能寺の乱後混乱を鎮めるため織田信長公が兵を率いてしまい手薄だった安土城に忍び込んだ明智光秀残党を甲冑ごと真っ二つに切り捨てた凄腕。


父上様は夢物語でも書いているのでは?


だが、近江や京の都に忍ばせている黒脛巾組が集めた話でそれらが真実だとすぐにわかった。


黒坂常陸介真琴、一体何者なのだろうか?


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