東日本大震災から10年・特別SS
1611年3月11日14時46分
あの日は3月だというのに珍しく、いわき市では時より風に吹かれて雪が舞い散る寒い日だった。
あの日を思い出しながら、俺はただただ、太平洋の静かな水平線を五浦城の天守から眺めていた。
400年後起きる大災害、東日本大震災。
防ぐ事は到底出来ない。
その悔しさが言葉には表せなかった。
あの時、この茨城も押し寄せた津波で被害が。
大洗が偶然映像が残っているため、テレビ番組で取り上げられる機会も多かったが、平潟や大津、磯原でも津波が押し寄せ建物を壊し、港を壊し、死者も出ている。
御祖父様から昔、チリ地震大津波で北茨城市にも被害が遭ったのは聞いていたが、まさか自分が経験することとは思っていなかった。
あの巨大な揺れ6強を長い時間、3分以上の長い大きな揺れ、体感したことのない地震は、地球が壊れるのでは?
日本が沈むのでは?そう思えるほど立っていられない揺れだった。
茨城県鹿嶋市に住む俺はたまたま、親類の葬儀に参列するのに学校を休み、福島県いわき市にいた。
たまたま最新の携帯で地震速報を揺れが大きくなる前に聞いた。
たまたま俺は広い駐車場に出る事が出来た。
たまたま瓦が落ちて来る場所ではなかった。
たまたま高台にいた。
偶然が重なり、無傷で避難ができた。
避難した駐車場では、サイドブレーキが引かれているだろう車達が、そんなのを関係なしにあまりに長い揺れに無人で動いていた。
アスファルトは、つなぎ目から大きく裂け、隆起や陥没するほどだった。
北茨城市にある、お祖父様の家までは直線距離、国道6号線を歩けば2時間で行ける。
だが、国道6号線は海沿い、津波を避け暗い暗い山道を大渋滞を起こしている車を横目にただただ、6時間かけて歩いて避難した。
あの時、運転席から顔を出し、北から来た俺に下り車線から「道はありますか?」そう聞いてきた運転手さんが多数いた。
「植田の川は溢れましたが道はありますよ、泉までは通れます。ただ、渋滞は凄いです」
「ありがとうございます!お気をつけて」
そんな会話は今も心に残る。
あの方達は無事に目的地に行けたのだろうか?
たどり着けたと信じたい。
・・・・・・400年後、この太平洋沖で起きるのか・・・・・・。
そう思うと今は過去なのに不思議と手を合わせずにはいられなかった。
約10分、俺は太平洋に手を合わせた。
『災害は忘れた頃にやってくる』
やってくる。
今から400年後と言わなくても、ここには、日本には、地震、津波、噴火、火山災害、台風、多くの災害が来る。
なら自分がその時、少しでも被害が小さくなるよう動かなくてわ。
先ずは出来ることからだな。
すぐ出来る小さな防災は、備蓄、そして家具の固定だろうな。
・・・・・・。
地震、せめて予測出来るようになれば良いのだが・・・・・・。
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