第910話 徳川家康

 安土屋敷に逗留して三日目、突如、徳川家康が訪ねてきた。


「お久しぶりにございます」


「おや、駿府に隠居をされたと聞いておりましたが?」


久々に会った徳川家康は、トレードマークと言って良いお腹はしぼみ、冬眠前の狸と言うより冬眠から目覚めたあとの痩せ細った狸のようだった。


「最期の暇乞いに安土に来た次第で、ちょうど良かった。常陸守殿にお会いできて」


と、弱々しく言っていた。


「最期?不吉なことを。どこか具合でも?」


「私も医術を多少なりかじった者、自分自身の死期が近いことくらい察しております」


と、胃の辺りをさすりながら言っていた。


「そうですか・・・・・・こればかりはそうそう力にはなってあげられないので・・・・・・」


「上様・・・・・・信長様はお元気ですか?」


「えぇ、すこぶる元気で異国を楽しむ日々、日本より異国の珍しい物を見るほうが忙しくて」


「はははははっ、あの方らしい。昔、幼き頃人質として一度織田家に預けられたことがございましてな、あのときの信長様は火縄銃に目を輝かせていたのを思い出します」


と、目尻を潤ませながら語っていた。


「茶々、茶々、徳川殿に美味い茶を入れて差し上げてくれ」


と、茶々に頼むと、


「はははははっ、昔酷い茶を飲まさせられたのを思い出してしまいます」


と、徳川家康は笑っていた。


茶々は雰囲気から今はあの時のような苦い嫌がらせの茶でないことを察したのか、今できる最高の茶を点て家康にだした。


それを飲むと、


「あぁ、美味い、美味い・・・・・・信長様の茶の味に似ておられる」


と、涙を頬に伝わらせていた。


「養生に励めばきっと信長様の茶もまた飲めますよ」


と、言うと家康は静かに首を横に振っていた。


「城で秀忠と一悶着あったそうで・・・・・・秀忠には常陸様には返しきれない恩義がある。さらに、我々では想像出来ない物を見ておられるのだから何事も常陸様の意見は大切にしろと言い聞かせてきました」


「そうですか、異国にばかりで国内政治を任せているのに申し訳ない」


「いえいえ、とんでもないことで。・・・・・・冥土の土産に一つだけお聞かせいただけないでしょうか?」


「なにをですか?」


「常陸様、あなたはいったい何者なのですか?どのような者なのかそれを知りたい、いえ、知りたかった。ずっと。誰にも公言いたしません。どうか、最期に物語としてで良いので教えていただけませんか?」


と、今まで何度も接してきた徳川家康の一番の真剣な表情。


その目は多くを語らなくてもわかるほどの目だった。


「そうですね、夢物語ですから」


と、前置きをしたうえで、俺が2***年から神隠しに遭い本能寺の乱に現れ、織田信長を助け、未来の知識を使って立身出世をしてきた話をすると、


「はぁ~~」


と、大きなため息をしたあと


「そうでしたか。私はてっきり神の使ではないのかと思っておりましたが、そうですか・・・・・・未来ですか、はははははっ、そうですか~・・・・・・勝てないわけだ。想像出来ることをさらに越しているのだから」


と、なにかを悟ったような笑みを見せていた。


「徳川殿、私はあなたを好きではなかった」


「はははははっ、そんなことは知っておりました。しかし、徳川家を助けてくれた」


「えぇ、信長様がそれを望んだので」


「もう一度、お会いしたいですのぉ~」


と、障子戸をあけ琵琶湖の遠くをしばらく眺めていた。


三日後、


1621年8月14日


徳川家康は安土徳川屋敷で静かに旅立った。


享年79才だった。


最期に残した言葉は、「黒坂家とは絶対に争ってはならない」と、言う遺言だったそうだ。

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