第427話 御船祭り
1597年10月10日
『御船祭り大作戦』と俺が呼ぶ作戦が決行された。
この作戦のヒントは、茨城県北茨城市大津町の御船祭りだ。
確か7年に一度開催だから2019年5月の連休あたりが開催だったはず。
この時代に来ていなければ、萌香と子供を連れて見に行っていただろう。
そんな時間線の未来があったかもしれないと、ふと思いながら陸を走る船を見ている。
恥ずかしながらオスマン軍もこのような作戦をしていたのは知らなかった。独り言だ気にするな。
パナマ地峡に敷かれた石畳の広い道路を左甚五郎が率いる大工集団が作った台車に乗せて太平洋側から陸揚げし進む戦艦3隻・高速連絡輸送船3隻がじわりじわりとインカやアスティカ、マヤ人とうちの足軽達が力を合わせて台車につながる縄を引っ張る風景はその後に続く友好国家への道を予感する物だった。
けして奴隷や強制ではなく、イスパニア帝国からの解放を後押ししてくれるという俺への協力の心で集まってくれたのは2万5千人ほどになっていた。
老若男女問わず集まってしまったのが悩みどころではあったが、年寄りには休憩ポイントで飯を作ってもらい、子供達が配膳する手伝いをしてもらった。
約70キロメートルの距離を船に傷が付かないよう慎重にじわりじわりと三日間。
台車はギシリギシリと音を立てながら進む。
滑り止めにゴムの木の樹液が塗られた車輪が石畳をがっしりと掴んで進む。
ラスト5キロは深夜に運び入れるように停止した。
カリブ海の制海権はまだイスパニア帝国にある。
慎重に事を進める。
海に下ろすまではこちらは攻撃ができないのだから。
1597年10月14日深夜2時
Champion of the sea HITACHI号が、静かに大西洋カリブ海の潮に浸かり浮いた。
すぐに船底の確認がされるが水漏れなし。
うちの大工集団が作った台車は完璧だった。
そのおかげで一切傷がない。
そして、Champion of the sea KASHIMA号に真田丸。
さらに、高速輸送連絡船3隻も着水した。
作戦は成功。
付随するお初、お江、真田幸村、真壁氏幹はこの奇策の成功にただただ驚いていた。
14日の朝日が俺の艦隊をカリブ海が歓迎しているかのように照らしていた。
この作戦が後の世に『黒坂常陸の御船祭り大作戦』と言われるようになるのは俺は知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます