第173話 高野城
現在、同時進行で城を建築中の土浦市内、一つは新土浦城で、もう一つは霞ケ浦対岸に位置する高野に支城として真田幸村を築城奉行として任せてある。
流石にそちらも視察にはいかないとならない。
予算は財布を任せている茶々と力丸と幸村が相談したうえで200,000両およそ200億円をかけた城になるらしい。
200億円、支城としてはかなり立派な気がするが、まだ蔵には余裕があるのでケチらないでおこう。
ちなみに新土浦城は全額徳川家康負担、金額は聞いてはいないが、500億円の姫路城以上だと推測している。
高野城は対岸なので船で行き来できるようにするつもりだが、今日は春の木漏れ日も心地よいので、馬で向かった。
手勢50騎ほどの馬上筒隊と共に力丸を連れて。
小一時間ほどで高野城建築現場に着くとそこには、草苅さん・・・・・・。真田昌幸本人が陣頭指揮を執って城を築いていた。
「え?昌幸殿、自ら御出馬とは聞いていなかったのですが、上野に引っ越したばかりで良いのですか?」
「おお、これはこれは常陸大納言様、上野は嫡男、信幸に任せていますので大丈夫にございますよ。それより、潤沢な資金で築城できることに嬉しくてこちらに来てしまいました」
「・・・・・・えっと、支城で土浦城の補助的な城なのでそんなに堅牢でなくても大丈夫ですから」
「なんのなんの、北東の守りの要になる城、我が武田流築城術の堅牢な城を作って見せます。勘助と城を作ったころが懐かしい」
武田流築城術の最大の特徴は複雑な導線、深い横堀と竪堀を組み合わせた上に枡形虎口、丸馬出しと三日月掘りと言う城の侵入をことごとく防ぐ作り、「人は城、人は石垣」などと言って城を作らなかったと言う風に言われがちな武田信玄だが意外にも城はいくつも築城している。
名軍師、山本勘助が縄張りをしているのだから、それなりに考えられた城であるのは想像できる。
その技術を引き継いでいるのが、真田家であり、史実歴史では上田城で徳川を苦しめ、大阪城でも真田丸と呼ばれる出城を作って奮戦している。
そして、今、築城中の高野城。
霞ケ浦のすぐそばで水は豊富。
堀は深い空堀もあれば、広い幅を持つ水堀も作られていた。
大砲がなければ籠城戦に苦しめられるのは間違いない縄張りであった。
燃えている男、真田昌幸、幸村親子に任せておこう。
要らぬ口出しをすればさらに複雑な迷路のような城になりそうだ。
支城のつもりなのだが、国持大名の居城にも十分な城が完成しそうだ。
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