第170話 新土浦城

 現在、新土浦城が現在の住居の土浦城より高い台地の南側に作られている。


徳川軍総動員で、堀が掘られ石垣が作られている。


その形は函館の五稜郭のような星型の城だ。


寒がりの俺だが流石に見に行かないわけにもいかず、見に行く。


俺が書いて想像していた城より遥かに大きな城の縄張りとなっていた。


高低差を利用して本丸は高い位置となり、これから天守を建てようとしている天守台が石垣で作られていた。


天守台の大きさからそれなりの大きな天守が作られるのが想像できる。


極端に言えば、星型の縄張りとなった姫路城クラスの城の状態になりつつある。


「あれ?これ、だいぶ豪華なんだけど」


と、俺について歩いている本多正純に言うと、


「はい、この度の普請は徳川家の名誉にかかわる物ですから、最高の城を建てています」


と言う。


「大丈夫なの?お金?」


「はい、徳川のケチはいざと言う時に使う物にございます。また、建物は取り潰した北条や里見の城を活用しておりますので」


と言う。


この時代の城は意外にも再利用は当たり前、星型の土塁の上に作られた壁や櫓などは、どこからの城の再利用なのだそうだ。


しかし、本丸御殿などは慶次が差配してパネル工法の俺の未来の建築技術で作る段取りが始まっていた。


「黒坂様、その廓の名を決めていただきたいのですが」


と、絵図面を広げる正純。


本丸は星の中心部にあり、三角の突出した5×2の名前が必要とのこと、第一の内側の堀内をすべて二ノ丸としてもやはり、その三角の部分には名は必要。


二ノ丸内の三角の部分には屋敷・御殿がそれぞれ作られるとのこと。


絵図面を見ながら、南の三角を大広間として朱雀御殿。西の三角を白虎御殿。北を玄武御殿。東を信長が来た時の為の御成御殿として青龍御殿と命名。


北東の霞ケ浦に突き出している三角は鹿島御殿とした。


安易な名だがわかりやすくて良いだろう。


その外側の三ノ丸の三角部分には、東廓、西廓、南廓、北廓、霞ケ浦の港となる北東の三角を港廓と命名した。


三ノ丸のそれぞれの廓には、政治を行う役所が作られる予定の事だった。


かなり広い。


三ノ丸の外側も北は桜川、南は花室川までが城内と言うのだから、小田原城に負けず劣らずの居城だ。


しかも、現在住んでいる土浦城もその一部とするらしく、北側の守りは堅牢になる。


指示をすることはほとんどない、慶次がしっかりと俺の未来の知識を使っている。


パネル工法、×型柱の耐震構造、そして信長が受雷神槍と名付けた避雷針の設置も忘れてはいなかった。


その慶次をほめようとすると姿が見えない。


まあ、仕事はちゃんとこなしているから気にしないでおこう。


一通り縄張りを実際に歩いて確認していると太陽が西に沈みだして寒くなってきたので俺は土浦城に戻った。


寒いのは嫌いだ。

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