第151話 常陸決戦後編・久慈川の殲滅戦
1586年9月3日
久慈川河口南側で陣を構えた反幕府軍に100000。
伊達政宗・相馬義胤軍に合わせて南蛮型鉄甲船から降りた信長直属の兵も合わせた数で久慈川河口北側で陣を構えた織田信長軍35000。
南からはじわりじわりと織田信澄・徳川秀忠軍、西からは最上義光・直江景継軍がじわりじわりとと久慈川に目掛けて進軍をしてくる。
降伏も許されない反幕府軍は北に向かうしかなく、遂に久慈川河口の浅瀬から進軍を開始した。
先頭が川をわたりきったところで一斉に南蛮型鉄甲船の大砲が火を吹いた。
12門×30隻360門の大砲、そして、陸にあげられた大砲40門が次々と火を吹く。
反幕府軍ももちろん火縄銃を持っているが、最早その戦いは旧武士と新兵器の戦い。
反幕府軍が先陣に立つ伊達成実、相馬義胤軍に到達すら出来ずに散っていく。
俺はそれを船の上から見ていると涙が止まらなくなり体がが震え出した。
撮影していた耐衝撃型スマートフォンが持っていられなくなるくらいに。
駄目だ、駄目なんだ、これが戦国、これが最後の戦いになるはず、そして、この戦いの立案者、見届ける義務がある。
体に走る大砲の衝撃、陸上では火縄銃改2000丁が火を吹く。
武田勝頼対織田信長・徳川家康の長篠の合戦よりさらに戦いかたを変える艦砲射撃&大砲砲撃&火縄銃改、逃げ惑う反幕府軍に追い討ちをかけるように、南からの織田信澄・徳川秀忠軍、西からの最上義光・直江景継軍が次々に着陣、逃げ場を封じるとひたすら艦砲射撃に火縄銃の攻撃が続いた。
茅蜩(ひぐらし)の大合唱が始まる夕刻には、久慈川だけでなく常陸の海は反幕府軍の100000の骸から流れ出る血で真っ赤に染まっていた。
後の世に語り継がれる久慈川の殲滅戦は終わった。
久慈川北側に布陣していた伊達・相馬軍の死者数は零。
圧倒的火力の前には大軍勢が攻めようと無力であると知らしめた戦いになった。
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