第39話 正二位左大臣平朝臣織田右近衛大将信長
1583年2月
織田信長は征夷大将軍になる下準備としてかねてより朝廷から推挙されていた左大臣になり、更に再び右近衛大将も受けた。
織田信長は平氏を名乗っているため正二位左大臣平朝臣織田右近衛大将信長が正式な呼び方となる。
この受任は俺がアドバイスしたからではある。
織田信長はこの官位の返礼として、京の都の整備を申し出て平安京十二門の再建を開始した。
平安京大内裏、御所の外郭の12の門。
東面の陽明門・待賢門・郁芳門・南面の美福門・朱雀門・皇嘉門、西面の談天門・藻壁門・殷富門、北面の安嘉門・偉鑒門・達智門。
戦の度に荒れる京の守りを固めるべく土塁と川を利用した守りと言うことにして。
実際は御所を本丸に見立てた総構えの城と呼ぶべき物。
守りと言いながら実状は閉じ込める為の施設だ。
俺はいつものように茶室に呼ばれている。
「京の都で城を作ろうと思うがどうだ?」
と、おもむろに聞いてくる織田信長。
そりゃ~織田信長が京の都での宿舎がお寺では謀反も起こしたくもなるよ。
「はい、よろしいかと。豊臣秀吉は聚楽第、伏見城、徳川家康は二条城を建てましたが」
「秀吉や家康がやったことなどつまらん」
「信長様、思うに朝廷を管理したいのでは?」
「そうだ」
「だったら、西の嵐山、東に銀閣寺近くの吉田山に城を築いたらいかがでしょうか?」
「ほほ~東西から睨むか?」
「いえいえ、京の都を守る為ですよ」
「ははははは、常陸、こちらに馴染んできたな、都を守る為の城が都を監視する城、面白い、ふはははははは」
現実なんだが現実ではない、俺にはシュミレーションゲームをしているような感覚がまだある。
「そうだ、城作りで有名になる人物がおります、確か今なら羽柴秀吉の弟の秀長の家臣なはず、名は藤堂高虎」
「秀吉の配下がか?」
「秀吉本人が城作りの名手として名が残りますが、その下で働いた黒田官兵衛、加藤清正、福島正則、藤堂高虎などは有名です。その中でも徳川家康に鞍替えした藤堂高虎は城作りの名手」
「よし、我が家臣にしようではないか」
「なりますかね?」
「常陸が申していたであろう、鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
「よく覚えておいでで」
藤堂高虎はこののち織田信長に召し出されて作事奉行として活躍した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます