學問の本質とは
窓を開けると、雨が降つてゐた。水曜日は毎週雨である。雨曜日とでも云ふべきか。
晝から授業があるのだが、少し遠いキャンパスにゆかねばならなかつたので、やむを得ずサボタージュを決めた。夕方にまう一方の授業もあり、其方はこれ以上は休めないので、仕方なくゆくことにした。
先週の授業アンケートの結果を踏まへ、教授が何やらふざけたことを云つてゐる。
「皆さんは燒き肉食べ放題に行つたとしたら、胃袋が裂ける程、滿腹迄食べますよねえ。しかしながら、大學の授業は出やうとしない。むしろ休めるだけ休まうとする。同じ額の授業料を拂ふのにも關はらず。不思議ですねえ」
この教授は自分の中の理想論でしか考へてゐない。否、教授聯中は殆どがさうだ。以前別の教授は、
「學生は學問が本分なのにも關はらず、アルバイトにうつゝを抜かし、勉強を疎かにする者が夛い。一體何の爲に家を出て大學に入つたのか」
と云つた。確かに云ふことは尤もであるが、アルバイトもせずに學問に専念しながら生活出來る、ブルジョワジー出身のボンボン野郎が果たしてどれくらいゐるのだらうか。
大學の教授達は、學生の都合も考慮に入れた上で發言すべきであらう。
夜には私がやつてゐるバンド、天狗党の練習があつた。大學の卒業がかかつたこの大事な時にも關はらず、ライブも近いのでやらなければならない。さう話したら、友人のS.K氏に莫迦だと云はれた。
しかし忙しくない時は無いのである。趣味の爲の時間は無理をしてでも作るべきだ。實際、バンドの練習は丁度良い息抜きになつた。雨は止んでゐた。
練習後、既に深夜一時であつたが、研究室に戻つて徹夜で建築圖面を描き上げた。私の通ふ貧困國立大學の建築學科では糞程に性能の低いプリンターが一臺しかない。ゆゑに圖面提出日前日は印刷志願者が殺到し、長時間待たされるのである。早いうちに印刷しておくのが得策である。
餘裕をもつて印刷を完了した私は朝の七時に歸宅する。すべき仕事を一つこなした。圖面の精度は他者から見れば低いものかもしれないが、私は私なりに全力で描ひたので滿足である。自分が納得出來るまで努力したら充分ではないか。自ら欲するところを學習し成果を擧げることこそ學問の本質であると私は思ふ。
歸路、早朝の誰もゐないキャンパス内を原附で颯爽と駆ける快感は言葉にならない。
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