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 それからあたしがダヴに会いに行けたのはたったの三回だ。十四歳の時、それから十六歳と、十七歳。

 あたしにとって、その四年間はまるで子どもからおばあさんになってしまったような錯覚さえするほどに、長く激動で忍耐を必要とする人生だった。実際には、あたしの生活は大して変わってなんかいない。朝起きたら排泄と洗浄、食事を済ませ、昼までは教育を受け、メディカルチェックの後に運動と食事、日が沈む前に被験体としての定例報告会を済ませ、代わり映えのしない明日の予定を管理ロボットから連絡され、入浴をして就寝。毎日は分刻みに管理され、予定調和に進んでいく。それをいやだと思ったことも、疑問を抱いたこともなかったはずだった。それでもあたしは無意識に、小さなひっかかりを抱えてきていたのだろうか。それはある時から大きな違和感と、閉塞感と、不満となって形を現し、あたしの体を巣食う病魔となったのだ。

 否、変わってしまったのは、多分体じゃなかった。もちろん身長は三十センチメートル伸び、体重も増えた。十五歳の時は、ダヴにもらったスカートを仕方なくミニスカートとして着用しなければならなかった。けれどそれは正しく〈成長〉であったから、あたしが気に病むことではなく、むしろ喜ぶべきことだった。変容したのは、心の方だ。

 それを思春期の正しいありようだと大人たちは考えていて、プログラム上は何の問題もないとされた。他のデザイナーズチルドレンも、似たりよったりの憂うつに苛まれていて、データ上は想定されるだけのあらゆるパターンの反応を示していた。たとえば言動が反抗的になったり――それは時に反社会的でもあった――、うっぷんが他者へと向かったり、自己へ向かったり、涙もろくなったり、友人の質が変化したり、それまでの財産(知的財産も含め)を捨てて全く違う生き方をしようと試みたり……それはおそらくは、全てひとつの渇望から来た変化だった。みんな

 管理という名の、善意という名の支配から逃れたかった。あたしは目に見えた変化を来さなかったので、とまで言われた。何を持って優等生とするのだろうか。あたしはあらゆることに疑問を抱くようになっていた。それは、こと〈創作〉という面への興味関心から生じた。デザイナーズチルドレンではない、管理されていない一般人は、積み重ねてきた知識と身につけた技術と己のアイデアを以て何かを作り出すことさえあった。たとえば服のデザイン、小説の執筆、幻想的で実在しない世界の絵画――それらの機会をあたしたちは暗黙の了解として取り上げられている。カリキュラムにないものをとすれば、「あなたたちにそれは必要ないの」「できることを必要な時にやればいいのよ」とやんわりたしなめられる。裁縫の技術は、自分で服を補正するためのもの。調理の技術はただ滞りなく食べるためだけのもの、知識や言葉は漫然と生きるためだけのもの、感動はただ今ある人類の叡智を教養として鑑賞するためだけのもの!

 あたしたちは、温室で育てられる植物や、飼い慣らされる家畜となにも変わらない。目的のために生かされている。【正しく清廉で誇り高き人類の代表】になるためだけに生まれ育てられ、生かされている! 管理されず、ただ愛し合い、無計画に産み落とされたあげく、そんな親から貴賎の差を押し付けられながら育てられる子どもたちのなんと幸せそうなことか。あたしたちがあの子らに何が劣っているというのか。あたしたちには、親がいないのだ。家族がない。奪われていた。最初から、搾取されていたんだ。

 あたしたちは、にんげんじゃない。

 たとえば、毎月のに対する不快感からそれは始まっていたと思う。どうして女というだけでこんな体の仕組みに耐えなければならないのか。自由恋愛を唄いながら、体はどうしたって男性の子を孕むためのものであり、そうしなくともあたしたちは、また次の世代のデザイナーズベイビーを作るための子種を提供させられる。そうしてあたしたちの意思なんか関係なく、親なし子を増やすのだ。何より気色が悪いのは、あたしたちと同じ生まれ育ちをしたデザイナーズアダルトがみな、それを表面上では必ず容認しているということだった。つまりあたしたちも、今どれだけ自由を願ったところで、いつかはああなるのだ。ああならざるをえないに違いない。未来さえ決まっている、だなんて、どうして許すの。どうしてあきらめてしまったの。自由はないの。どこにもないの?

 ダヴが無性であるということの意味を、あたしはもう理解していたと思う。誰かに恋する気持ちは止められない、罪はない、異性愛も同性愛も、すべて認める……だなんて謳っても、あたしたちのなかにそれは確かに固定概念として存在した。性別があるから、あたしたちは恋するのだ。性別など関係なく惹かれ合うだなんてうそだ。性が違うから、本能として惹かれ合う。性が同じだから、惹かれ合う。前者は当然だと自分を正当化できるし、後者はそれでも惹かれるのだと恋を燃え上がらせる絶妙なスパイスになる。でも、ここには揺るがない前提がある。

 ペットや家畜に恋をする人なんかいない。いたとしてもそれは精神疾患扱いされるだろう。いわんや植物や無機物をや。たとえどんなに似た姿をしていても、ダヴはあたしの恋の対象にはなりえなかった。あたしはそれを、あたりまえの事実として整理した。その心が湧き上がる前に、そんなことはありえないと自分でも気づかないうちに、芽を摘み取っていたことに気づいたのだ。十六歳になってダヴに会って。そのことに、ついにはっきりと気付かされた。

 あたしはダヴに、何かの目的を持って会いに行っていたわけじゃなかったはずだった。強いていえばスカートの丈を直してもらうというのが理由だったけれど、それは口実に過ぎないはずだった。けれどあたしは、無性で、人間ですらなくて、それなのにあたしと同じ知性を有するダヴという生き物に、恋をしたいと願った。それが出来ないと自分が一番よくわかっていた。なぜ恋をしたかったのか。ダヴが心の拠り所だったからだ。あたしにとって、唯一の特別な存在はダヴしかいなくて。だからダヴを縛り付けたかった。ダヴに縛られたかった。求められたかった。己を満たすために。この埋まらない心の空洞を、埋めるために。この支配的なかなしみの感情から、少しでも目を逸らしたいがためだけに。

 知識だけをつけた頭は、正しく答えをはじき出した。あたしのその欲求は、まさに依存心にほかならず、よって正しく恋心ではなかったのだ。

 緑の匂いが恋しい。スカートからは、絶えずその匂いがしているはずなのに、あたしはそれを感じなくなってきていた。あたしがスカートを履いて通り過ぎるたび、周囲の人たちがすてきな香りだと褒めそやすのに。あたしだけが、鼻が鈍ってしまった。それは、足りないということなのかもしれなかった。こんなものでは足りない。満たされない。自分の中でのたうつ苦しみから、意識を逸らせない。もっと濃い匂いが欲しい。もっともっと。香水がどんどん濃くなる大人たちの心境って、こんな感じかしら。

 ダヴも、あたしと似たようなことを言った。

「匂いが弱まってる、か……鼻が慣れてしまって、刺激として感知できなくなったんだろうね。キミは誰よりそのスカートと一緒にいるわけだから」

「そうね。ねえ、あたしがあなたに惹かれるのも、また会おうねって約束をいつまでも覚えていて、こうして律儀に守るのも、あなたにいつも会えないからだと思うのよ」

 ダヴは、口をきゅっと結んで、あたしを凝視した。

「……もしボクが君と毎日でも会える存在だったら、いつでも会えてたら、とうの昔にキミはボクに飽きていたと?」

「ええ、きっとね。でも違ったかもしれない。憶測でものを言ったって、不確かでなんの意味もないけど」

「でも、わざわざその話を振るということは、ボクになにか言いたいことがあるんじゃないの」

 ダヴは、こんな時だけ鋭いからいやだ。ううん。こんな時だけ、じゃない。多分この子は。だからあたしの欲しい言葉がわかってしまうのかもしれない。そんな気さえないかもしれない。

「……慣れていくのがつらい。匂いがわからなくなることがこわい。薄れ行くのがこわい。あなたの特別になれない自分がきらい」

 あなたを特別にしたい自分が、きらい。

 あたしは、草原にうずくまって、顔を両手で隠した。泣くもんかと思っていた。涙は出なかったけど、とても見せられる顔じゃなかった。

 ダヴは、息を飲んだようだった。その理由がよくわからなくて、あたしは耳を澄まさずにはいられなかった。そんな自分を浅ましく感じて、笑える。

「特別になりたいの?」

 聞こえてきたダヴの声は、震え、掠れていた。それなのに、どこか朗々たる響きめいたものもあった。

「特別に、してほしいの? ……ボクに」

「……ごめんなさい。変なこと言ったわ。忘れて」

「勝手なこと言うなよ!」

 人のことかき乱しておいて、とダヴが叫んだ。ハッとして顔を上げても、ダヴは涙を流してはいなかった。泣きそうな顔をしていた。

「ごめ、ん……どうかしたの、ダヴ。あたし、気に触ること、言った……よね?」

「わかってもいないくせに、そんなこと言うなよ。別に気に触ってなんかない」

 ダヴは、あたしをギラギラとした目で睨んでくる。

「特別になりたい? ばかにしてる? ボクにはそのすべがないとでも思っていたか? あるよ。方法はある。本当は、ずっとそうしてほしいと思っていた。でも言えなかった。言いたくなかったんだ。ボクは、言いたくなくてもキミがそう望めば言ってしまう。安心していたのに。キミはボクにそんなの求めないと思っていた。ボクは魅力的でもなんでもなかったろう。キミだって、ボクに求めたのはただその緑の香りがするスカートだけだったはずだ。会いに来る口実だってそれしかなかったじゃないか。一度だって、心が育ってから、【ボクに会いたくて】来てくれたことがあったか」

 あたしは何も言えないまま、ダヴの奔流のような感情に、圧倒されていた。

「幼い頃、ただ一度だけだったでしょう。のは」

「そう……ね、そう、だわ」

「キミはもうとうの昔から、理由がなければボクに会いには来れなくなってたんだよ」

 ダヴは息をついて、しばらく黙った。けれどその言葉は、彼の意志に反して出たようだった。呪い、というのは的を得た表現かもしれなかった。無機質で、感情のない言葉がその幼子のような愛らしい唇からこぼれ落ちたのだから。

「この場所で、キミが林檎の木になる。ボクはその林檎の実を食べれば生きながらえることができる。この星のある限り生き続けることができる。それがボクから言える〈特別〉だ。ね? ろくでもないだろう?」


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