遠くからの雨音

カルロクル

第1話 始まった旅

 朝は、やってくる。それは様々な感情を作り出す。もしも窓の奥に、雨が見えるとしたら。君と僕では、それによって感じるものは、違うのだろう。悲しいな。君は、考えたことないだろう。雨がもつ、安らぎを。だって君は、雨が降れば、[削除済み]って言うのだから。



 青緑の、薄汚れた壁。荒廃しているという表現は、言い過ぎかもしれないが、廃れていることは確か。そんな廃校の玄関口で寄りかかり、目を細める。太陽はようやく真上に差し掛かったところで、眩しい。春らしい陽気を肌で感じ、中に入ることもなく、ただボケっと立っている。近所を通った車の音が、随分遠くに感じられた。

 暇潰しにスマホを覗き見る。なんにも面白くない。そうそうと液晶を真っ暗にする。何時までこんな場所に立っていればいいのか。足先で小石を蹴ると、音が反響した。君はいつになったら来るのかい?


 僕は朝に弱い。なぜなら、上手く頭が働かない時に、様々な情報がいっぺんに入ってくるから。そんな朝が、嫌いなのだ。こじんまりした窓を開ける。風が指の間を抜け、微かに朝特有の香りがする。いい天気だ。今日は、特別だ。

 扉を開けて、一階へと降りる時に、スマホが光を放つ。友人からのメールだ。こんな朝早くにメールだなんて何かあったのだろうか。

 おかしな返答をする前に一度テーブルにスマホを置く。顔を拭いていると、催促するように、音楽がなり始めた。悠長に椅子へ座り、音楽を止める。すなわち、電話に出た。

「もしもし」

 若い男性の、息を吐く音がする。数秒間、沈黙が続いたと思うと、彼は喋りだした。

「こんな時間にすまない。話したい事があるんだ」

 声色に、焦っている彼の様子が伺える。なんとか平静を保とうとしているようだが、長いこと友人である僕にはわかる。少し得意げな気持ちになりながら、返答する。

「どちら様ですか?」

 彼は無視して話を続ける。

「確か[削除済み]は今日用事ないって言ってたよな。来て欲しい場所があるんだ」

「どこ?」

 紙を捲る音が聞こえた。

「えっと、廃校だよ。[削除済み]の隣に[削除済み]町って分かるだろ? そこにある学校」

「何で?」

「来たら説明する。出来れば9時には来てくれ」

 あと2時間とちょっとぐらいか。面倒だが、友人を助けるためだ。借りを作るためともいう。

「なんだかよくわかんないけど、行ったらいいんだね。移動費は出してくれる?」

「なんだったら牛丼奢る。確か好物だったよな?」

「よく覚えてるね。僕は君の好物忘れたよ」

 電話の奥で笑う声がする。彼ではない、女性の声だ。聞いた事はない。

「......取り敢えず、来てくれよ。またな」

「またね」

 年上だろう女性の声ははっきり聞こえたことから、電話との距離はかなり近いはずだ。彼の母親だろうか。まあまったく関係ないが。取り敢えず、腹が空いた。

 たった一人で食卓に座し、白米を食す。納豆をかき混ぜ、その後にタレを加える。混ぜに混ぜ、白米の上にかける。米の味を最初に味わい、その次にお気に入りの納豆を食べるこの時が、至福である。

 切符を買い、電車へと乗り込む。人々のざわめきをBGMに、時間を確認する。シンプルな腕時計の長針は、1時間たったことを教える。その時、時計の背景に映り込む何かが気にかかった。ぽつんと置かれた、色とりどりのハンカチである。人の少ない田舎を進む車内の中では、かなりの異彩を放っている。しかし僕以外気付いていないようで、仕方なしに拾い上げることにした。何人かの視線がこちらを追いかける気配。少々居心地が悪くなる。

 ハンカチをどうすれば良いのか。ここまで目立つものに、上を通ったというのに気が付かなかったとは考えにくい。つまり落とした人は存外近くに座っているか立っているかしているということだ。臆病な僕にとって、この突発的に起こった出来事は苦痛でしかない。だが拾わずには居られなかったのだ。仕方なく、失礼にならないよう気を付けながらも、周囲を見渡すことにした。

 

 お世辞にも静かと言えない車内。線路上を素早く駆け、乗客に一面の緑を見せようとする。と言っても、多くの人々は流れゆく景色に目もくれず、足元か手元を眺めるばかり。その中ではかなり異質に見える男がいた。身長はそこそこ。年は高校生ないし大学生だろうか。彼が異質に感じられる理由とは、複数人に話しかけているからだ。その手には、派手めなハンカチが乗せられていた。

 

 まさか誰もハンカチを知らぬと言うなんて。もうこの車両で声をかけていない人はいない。目的の駅で、届けよう。しかし面倒だ。

 

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