時知りてこそ

 袖から覗く細い白の肢体。手を繋ぐ二人の隙間が、銃夜にはとても愛おしかった。欲しくてたまらない、羨望の現。

 ――――もし、珠夜じゅやと、双子の兄と、この二人みたいに、手を繋げたら。その夢のなんと美しい事か。


「おい、何を見ている」


 安倍邸に近づき、気を抜いていた銃夜に、千翅を介して少年は言った。手を引く方の少年が噛み付く手前の獣のように、こちらを見下す。答えられない銃夜は、黙って、くるりと二人の周囲を一周し、安倍邸への道をまた指し示す。


 ふと、二人の少年が、ぴくりと静止する。一人は、耳を澄ませるように手を耳に当て、一人は、スンスンと鼻を空に向ける。


一夕いちゆう、臭うか」

一夜いちや、聞こえる?」


 お互いを見て、二人は言った。どうやら威圧的で耳を澄ませている少年が一夜、温和そうな鼻を可愛らしく動かす少年が一夕というらしい。ただ、何も感じない千翅と銃夜は、狼狽えて二人の周りを浮遊するばかりである。


「死体がいるね」

「歩いているな」

「ここを通ったね」

「近くにいるぞ」


 交互に二人、どちらが何を話しているか、どちらが誰かもわからないほど円滑に、呟き落としていく。それが続いてやっと、千翅の知覚がそれに気づく。



 ぱっと目を開き、銃夜は、自らの肉体に意識を戻した。口を押え、眠りの浅かった晴安の動きを見る。


「銃夜? まだ眠れへん?」


 晴安の聞き心地の良い声に、耳を澄ませたかった。しかし、そうしている場合でもなく、銃夜は全身から千翅と分けていく。


「……銃夜?」


 晴安がまた唱えた。


「晴安、ごめん、電気つけて。から」


 言われるがままに寝ぼけ眼で電灯の紐を引っ張る。晴安のその手にすら当たって、千翅は周囲を旋回する。薄い音で、鈴の走る音が辺りに響いた。


「どないしたん? もー、ご近所迷惑やで?」


 のほほんと、晴の涼やかな声が響く。それも無視して、銃夜は光を頼りに千翅を周囲にまき散らした。月明かりと電灯を埋め尽くし、いくつもの目を外に向ける。


「銃夜」


 晴安に応える暇もなく、銃夜は情報を脳に埋めていく。安倍邸の塀に寄り掛かる、一夜と一夕の二人を見つけ、千翅の半分を二人の案内に割いた。一方で、もう半分、銃夜の意識に準じた千翅を天に向かわせる。

 月光が翅を玉虫色に輝かせる。下からこちらを覗く、一夜が見えた。それと同時に、安倍邸の玄関前、結界に触れる寸前の、異物を見る。


 銃夜は目を開け、晴安と目を合わせた。丁度、が、安倍邸を覆う結界に触れたようである。


「首が無い」


 銃夜が呟く。そのまま、晴安と共に玄関へ走った。足音に気づいたか、走り去った背面、晴朝が二人を呼ぶ声も聞こえる。それでも一晩にして二回の異常に目を向けるしかなかった。

 玄関の扉の前、先に晴安が扉を掴む。ガラリと一気に外の空気を入れた。むわりと、数日前に嗅ぎなれた、鉄錆と腐敗臭がこちらに迫る。


「何や、これ」


 独り言のように、晴安は呟く。その目の前にあったのは、こちらを見据えるように仁王立ちする、セーラー服である。否、見据えるための頭を失った、少女の体だった。

 意識の外のような、全くの意味を失ったそれに、晴安は首を傾げた。どうやら、臭いとその雰囲気からして、これは、神や霊の類ではなく、実体として存在する、動く死体らしい。可憐だったろう少女の体から放たれる、かぐわしい腐臭は、首の傷口に沸く蛆を魅せる。


「やっぱり腐ってた」

「くっせ」


 その立って止まった死体を囲んで、二人、少年を見る。それは確かに一夜と一夕で、彼等を案内をしてきた千翅達は、上空を飛んでいた彼等と合わせて、銃夜の影に飛び込んでいた。

 二人は鼻を詰まんで、その辺にあった枝で死体を突く。その様子は通学路で犬の糞を突く小学生の様子とそっくりであった。ただ、違うのは、現在が小学生に似合わぬ深夜であることと、突く対象が普通の小学生であれば卒倒するであろう少女の死体であることである。


「何で……一夜様と一夕様がおるんや」


 二人を見て、晴安が呟く。銃夜は首をかしげて、晴安を見た。


「ここはどこの支族の家だ? 玄関に死体を飾るとは良い趣味をしている」


 獣らしさを見せる、おそらくは一夜と思われる少年が、乾いた表情でそう問うた。一夕は一夜の言葉に全く反応を示さず、嬉々として少女の体を突き続ける。


「いや、飾っとるわけやないんやけど。まあええわ」


 そんなこと問題ではないと、晴安は置く。そんなことよりも、何よりも、今の状況に至る経緯が欲しかった。何故、小学生の双子の少年が、深夜に首無しの腐敗した死体を突きまわしているのか。何故、それを銃夜がいち早く気付いたのか。


「まずはお二人とも上がって貰ってええですか?」


 話を聞こうと、晴安は二人を玄関から屋敷の中へ通じる道を示した。木の枝を捨てた一夜に合わせて、一夕がそれを追いかけるように後ろを追う。玄関の扉にたどり着くまでに、一夜と一夕が、それぞれで銃夜と目線を合わせる。銃夜から見れば、二人とも、自分より明らかに幼くか弱く見えた。ただ、やはり一夜の方は威圧感と不思議な神性に塗れている。一夕の方が、年相応に愛らしく見えた。


、変な臭い。仲良いんだね」


 一夕が、くすりと笑って、振り返った先の銃夜に言った。ハッと彼を見、銃夜は眉間に皺を寄せる。銃夜の在り方を、誰よりも先に解した彼は、幼くとも、やはり、何処か不気味で歪な成長が見える。


「死体の方は……」


 気を紛らわす目的で、背を向けていた少女の死体に目を向ける。銃夜の目の先、腐った臭いは薄れ始めていた。暗い空間を見ても、そこに、あの死体はない。夢だったのかと疑うが、少年二人の低い背は現実に存在する。

 焦りを持って、玄関の門に抱き着く。出た道を左右と見た。右、方角としては白露神社に向かう方面に、小さく浮かぶセーラー服が見えた。


「晴安! 死体動いてる! 歩いてる! いや、走ってる!」


 銃夜が叫ぶと、どたどたとこちらに戻る足音が聞こえる。それは複数であり、三人ではなく、四、五人に聞こえた。


「義兄さん回収! 市街地にあれはまずい!」


 急ぎ、晴朝に叫ぶ。草履に足を通して玄関の門から体を出した晴朝が、道路に飛び出しこちらを見た。


「どっちだ! いないぞ!」


 既にわからない場所まで遠のいたらしいそれは、晴朝の目には映らなかった。銃夜はそれに合わせて、千翅を影から呼ぶ。だが、それを静止するように、誰かが、銃夜の影を踏んだ。

 影が踏まれた瞬間、魂が掴まれたような、心臓を握られたような、冷えた感触を覚える。足元を見た。小さな少年の足。顔まで目線を揚げる。それは、冷えた南天の瞳。


「大丈夫。あれは自分のいるべき場所に自分で帰れるから」


 言葉の柔らかさから、自分を踏んだのが、一夕の方であると理解できる。だが、この少年が、あの、一夜と違い、愛らしさを持っていた彼が、ここまで酷く冷たい目と、影を踏み抜く足を持っていたと思えなかった。

 一夕の言葉は、晴安にも聞こえていたらしい。一夕の肩に手を置き、目線を合わせた。


「……何なんや、今日は。今日は、何が起きとるんや」


 疲れた声で、晴安が一夕に言った。一夕はにっこりと微笑んで、晴安の手を払い除ける。


「彼女については、俺達が仕出かしたことじゃないから、事実ではなく推測しか語れないよ。ね、一夜」


 一夕の言葉に、一夜も、あぁ、とだけ答えて、目を伏せた。それでも、と、口を開きかけた晴安に、一夕は顔を寄せる。そして、和やかに囁いた。


「居間かな、お台所かな。棚か何処かに、色んな味の琥珀糖があるでしょ。それと、すっごく良いお茶があるね! もしかしてここのお家ってお金持ち? クロの臭いも古いけど少しする!」


 クスクスと笑む一夕が、所望した菓子達のある方向を見て、止まる。ちらちらと晴安と銃夜、一緒にいた晴、晴朝を見て、また微笑む。


「……夜遅いけど、お茶にしよか……」


 そう言って、晴に茶菓子と湯を頼む晴安が、クロという名を聞いて、目を見開いたことを、銃夜は見逃さなかった。

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